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歴史に学ぶ後継者経営 真田丸③(真田昌幸)

samurai

私主に日本の歴史から後継者経営に学べる題材をとって、皆さんと一緒に後継者経営を考えて参りたいと思います。今回からは、「真田丸」から題材をとって、真田昌幸の後継者としての成長を見て参りたいと思います。真田丸、お勧めですので見てください。昌幸、信之、信繁それぞれがそれぞれの承継をしていきます。

後継者の学校パートナー、この頃はすっかり「真田丸」ウオッチャーである石橋治朗です。

私は主として日本の歴史から題材をとって、事業承継や後継者経営のありかたを皆さんと考えていきたいと思っています。

 

前々回からの続きで、今年のNHK大河ドラマ「真田丸」を取り上げて、後継者のあり方を考えてみたいと思います。

今回取り上げるのは第6話くらいまでですね。前回からも時間がたってしまい、既にだいぶ昔の話ですので、ご覧になられている方はもう忘れちゃったよ、と思われるかもしれませんが、どうかおつきあいください(汗)。

 

さて、前回は「真田丸」以前の真田家の話、当時真田家が置かれていた環境や歴史について、少し説明させていただきました。今回から、いよいよ「真田丸」での真田昌幸について、お話ししたいと思います。

 

武田家が滅び、真田昌幸は本拠である岩櫃城へ戻って今後の方針を考えます。

 

ただし、真田家は独立した大名ではなく、「国衆」と呼ばれる地方の有力者の一つに過ぎません。信濃の大名は武田家であり、国衆はその武田家に協力する代わりに庇護を受けている、いわば大企業の系列会社のような存在でした。「国人」とも言われたりします。

大名から見ると、国衆は平時には自分の手の届かない地元住民を代わりに治めてくれて、合戦になった時には兵士を連れてきて一緒に戦ってくれる頼もしい存在である一方で、いつ何時敵方にいつ寝返るかもわからない存在でもありました。自分の家臣とは違って、人質を取って警戒する一方で、丁重に扱っていたようです。「真田丸」の中で、武田勝頼が真田昌幸の人質を解放したのは、いかに昌幸が勝頼から信頼され感謝されていたかを示すエピソードです。

 

また国衆にとっては、大名は自分たちを守ってくれる、頼れる存在でした。

それがいなくなってしまったのですから、一大事です。

 

まして、真田家が治めていたのは信濃から上野(今の群馬県)にまたがる地域であり、北は上杉、上野の南には北条、甲斐国(今の山梨県)からは織田が迫ってきていて、元々は武田家の敵方になったり同盟を組んだ相手だったりと、過去のいきさつが複雑な相手ばかりに囲まれています。一方と手を組めば、他の相手を敵に回すことになる。しかも過去のいきさつから考えると、手を組んだ相手が100%信頼できるとはとても言えない。

 

このような困難な「外患」(外からの脅威)に加えて、真田昌幸は「内憂」も抱えています。国衆たちです。

武田家からは、真田家が有力な国衆であると扱われていましたが、それはあくまで武田家内部の話で、当の国衆たちはそのように思っていません。人によって違いはあるものの、真田家を含む北信濃と上野の国衆は皆平等な立場だと認識しています。特に「黙れ、小童!」の室賀正武ですね(笑)もう、古いですが…(汗)

 

従って、昌幸がいろいろな案を出しても、自分の利害やメンツにとらわれて全くまとまりません。

 

また、当の真田昌幸はどうだったのでしょうか。

 

前回申し上げましたとおり、真田昌幸は外様でありながら、武田家のエリートコース、大企業で言うとオーナー一族の親類にもなれるチャンスがありました。そこから兄たちの死や武田家の滅亡によって、一気に中小零細企業のような真田家の当主に「落ちぶれた」わけです。

 

そういう経験をした真田昌幸の意識って、どうでしょうか?想像してみてください。

 

自分や自分の周りの全てが武田家に比べると頼りない存在だなあ~と、思ってしまうのも無理はないですよね。

 

武田一族や家臣たちに比べると、意識も能力も低いのに我欲だけは一人前な国衆たち。

完成前だったが立派だった新府城に比べると、貧弱そのものの岩櫃城。

広大な領土と金山(「真田丸」では触れられていませんが武田家の財力を支えていた)を持っていた武田家に比べて、真田の領土は貧しく兵士も少ない。

そして、自分の危機感をよそにわかりきってることばかり言う長男と脳天気な次男坊。

 

「真田丸」の真田昌幸は、胡桃をもてあそびながら独り苦悩します。

自分が頼ることができるのはなにもない。頼れるのは、武田信玄の薫陶を受けた己の知謀のみ。この知謀でしか、この難局は打開することができない。そう思い込んでいます。

 

でも、果たして本当に、そうなのでしょうか。昌幸は自分の知謀しか頼ることができないのでしょうか。真田家はよるべなき存在なのでしょうか。

 

ところで、皆さんは「キャリア理論」というものをご存じでしょうか。

古い話をしていたのに、突然「キャリア」とかカタカナ用語を持ち出して、ごめんなさい。

でも、この時期の迷っている真田昌幸を考える上で、「キャリア理論」を使うのが非常にぴったりなのです。

「キャリア理論」とは、「キャリア」に関する理論ですね。当たり前か。

「キャリア」とは、皆さんご想像の通り狭い意味では「職歴」「経歴」を意味しますが、本来はもっと広い、人の「人生」について考えるものなのです。仕事も含めて、どうすれば自分の人生を有意義なものにすることができるのか、それをいろいろな人が考えている、非常に奥の深い学問です。決して、大学やハローワークの「就職相談」だけではないのです。

 

その「キャリア理論」で非常に大切な概念として、「自己概念」というものがあるのです。「自己概念」とは、文字通り「自己」に関する「概念」です。これも当たり前か。

非常に簡潔に言ってしまうと、自分や自分に近い人たちは、自分をどのようにとらえているか、考えているのか、ということです。家族をみてみると、親は自分を自分の子供の親と考えているし、子供は自分を親の子供と考えています。これはあまりいい例ではないかもしれません。会社で言うと、新入社員は新入社員としての、課長は課長としての、社長は社長としての自己概念を持っています。

 

自己概念の重要性は、自分をどうとらえているかというそのものよりも、自分をどうとらえるかによってその人の行動に影響を及ぼす、ということにあります。新入社員は新入社員の行動をしますし、課長も社長もそれぞれ課長と社長の行動をします。もしも、ここで新入社員が社長のような、あるいは社長が課長のような行動を取ったらどうなるでしょうか?自分も周りも混乱しますね。自己概念が自分の行動や周囲と一致していると、割と物事は上手くいきますし、不整合を起こしているといろいろなあつれきが起こったり、自分のしたいことがうまくいかなかったりします。

自己概念は、本当はもっと深い概念なのですが、今回はこの辺にしておきますね。

 

さて、この「自己概念」という考え方を真田昌幸に当てはめてみるとどうでしょうか?

 

昌幸は、先ほども述べたとおり真田家を「頼りない、ちからのない“国人”」ととらえています。昌幸の場合不幸なのは、かつて強大な武田家の一族に連なるところまで登り詰めたところから、あれよあれよという間に地方の一豪族の当主にまで身を落としてしまったという意識があるために、余計に真田家を小さい存在だととらえてしまっているのですね。

 

それを示す象徴的なシーンがあります。

 

昌幸は、信之(源三郎)に「わしは海を見たことがない…山育ちだから」と述懐します。そして、「国衆(国人)は、力のある大名にすがるしかないのだ…」と呟きます。

しかしながら、武田家で武藤喜兵衛のときに、昌幸は家康を三方ヶ原の戦いで追い詰めていたはず。三方ヶ原は浜名湖の東側にあり、海はすぐそこです。信之からそれを聞かされた高梨内記も「そんなことはないはず…」といぶかります。

ここで「海」とは、「港」のことなんですね。有力な大名は、交易の拠点となる良港を有していました。武田信玄は、清水港が欲しいがあまりに、同盟を破って今川を攻めたくらいです。

自分は国衆であり、国衆は大名にすがるしかない、という自己概念から、思わずこのような一言が出てしまったのですね。

私も、これを聞いていて思わず膝を打ってしまいました。三谷幸喜、芸が細かい!と。

 

そのような自己概念を持っていると、どうなるでしょうか。昌幸の行動は「国人」という枠に押し込められて、いや自ら押し込めているために、非常に選択肢が少なくなってしまいます。そのような状況では、得意の知謀も飛躍のためのつばさを失ってしまっているも同然です。

 

武田が滅亡し、織田が攻めてきているいま、北の上杉に掛け合うか、北条に頭を下げるか。

 

真田昌幸は、皆の意表をついて、敵方と思われた織田に売り込んで、見事に成功させます。それはよかったのですが、一本気だけれども少々知恵の回らない長男を謀略のだしにつかい、心に傷を負わせてしまいます。得々としている父親を見て、源三郎は情けないとともに不信感を抱きます。昌幸は確かに、知恵は回るけれども、なぜかそれに心から納得することができない思い。なぜなんだろう…

 

織田信長に、真田家を高く売り込んで得意の絶頂にいた昌幸に、しかしながらこれ以上ない天の鉄槌が下ります。

 

本能寺の変!

 

真田昌幸が「知恵」を絞ってこねくりあげたものが、全て粉々に砕け散ります。

 

源三郎と二人になった昌幸は、こともあろうにもてあそんだ長男に対して「俺はどうしたらいいんだ!」とすがります。どの面下げて、とはこのことですが…

でも、ここで徹底的に、心の底から自分の「知恵」に自信を喪ったことが、昌幸が変わってゆくきっかけとなります。

そして、二人の息子たちが、昌幸を変えていくのです。

二人のそれぞれの個性で…

 

変わった真田昌幸は、国衆としてうろうろしていた真田家を、戦国を生き抜いて明治まで続く大名へと変えていきます。

 

ようやく、次回完結編です。

 

ブログを読んで興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非後継者の学校の説明会にご参加下さい。

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実録 事業承継~社員の気持ち②~

中小企業の事業承継において、最も一般的な親から子への承継。株の引き継ぎがスムーズであることや周囲の納得感が得られやすいなど、メリットはたくさんあります。

しかし一方で、親子とはいえ、全く異なる考え方を持った後継者が社長になり、組織をまとめていくのは簡単なことではありません。後継者が事業承継のタイミングでするべきことをしっかりすれば、必ず強い組織になるのです。

後継者が組織をまとめていくときに立ちはだかる壁がいくつかあります。その一つが古参社員との関係です。

 

後継者の学校大阪校を担当しております税理士の河合です。

中小企業の事業承継は、M&Aなど様々な取り組みが活発になってきていますが、やはり親から子へと引き継がれる場合が多いです。大切に我が子のように、あるいはそれ以上の想いで育ててきた会社を引き継いでもらうのは、他人よりも我が子であるほうが嬉しいという親の心情もありますが、株の引継がスムーズにできること、社員のなかからの登用よりも社員から納得感が得やすいことなどが、その理由として挙げられます。

しかし、実際現場に入ってみると、古参社員との軋轢、先代が採用した社員と後継者が採用した社員の間の考え方の違いなどなど、泥臭い人間関係の中にどっぷり浸かり、疲れ切ってしまう後継者も少なくありません。

 

後継者と古参社員との間に軋轢が生まれやすいのは何故か

古参社員という言葉にどんなイメージを持たれますか?言い換えるとベテラン社員、古株など「頼れる存在」というイメージもあれば、「変化に抵抗する勢力」というイメージを持たれる方もいらっしゃるのではないでしょうか?後継者にとってみれば、子供のころから自分の事を知っているため頭の上がらない、少し煙たい存在という場合も多く見うけられます。

後継者が親の会社に入る際には、100%継ぐと決まっているわけではなくても自分なりに決意をして入社するという場合もあれば、親に言われて仕方なく入社する、周りの雰囲気を感じて何となく入社するといった具合に色々なパターンがあります。いずれにしても、周りの目、後継者自身の意識などから、元々何の関係もない会社に就職するのとは全く異なる立場で入社することになります。

その違いは一般的な就職と比較するとよくわかります。通常、就職する際には、面接を受けたり、同業他社も含めて会社のことを調べたり、入社した場合の自分の将来像を描いたりというプロセスを経て、自分で納得して入社します。このプロセスは古参社員も経験しています。そして、社内で様々な教育を受け、仕事も覚え、同僚や上司との関係性を深める中で立場も確立し、この会社で働いていて良かった(良かったとまではいかなくても、少なくとも悪くない)と感じています。時間をかけて会社のカラーに染まっていくのです。

でも、後継者は違います。後継者はいずれ自分が経営するかもしれないという目で、様々なものを見て考えます。しっかり考えれば考えるほど、これまでのやり方が古いと感じたり違和感があったりと、色々変革したいと思うようになることも多いでしょう。そんな変革を進めていこうとする後継者の姿は、古参社員にはどのように映るでしょうか?

入社以来、時間をかけて馴染んできた組織が大きく変わってしまうことに、誰でも多かれ少なかれ不安を感じるというのは良く理解できます。それは、変化した後会社がどのようになるのか分からないという不安、先代に対して抱いている尊敬の念が踏みにじられたように感じる瞬間の怒りなどなど、様々な気持ちが交錯して、素直に改革に協力的になれなかったりするのです。

後継者は、その気持ちを理解するところから始めなければなりません。この視点が抜けてしまうと、組織をまとめていくのにかなり遠回りをしてしまうことになるかもしれません。

 

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クリニックの事業承継⑰ 今考えるべきこと

後継者の学校のパートナーの児玉秀人です。

私はクリニックの相談にのらせていただくことが多いです。クリニックの経営は財務のこと人事採用教育のこと、相続問題にマーケティングのことなど相談事は多岐にわたります。クリニックの事業承継は一般と何が違うのでしょうか。そのあたりをつづっていきたいと思います。本日は、今考えるべきことについてです。

 

後継者の学校のパートナーコンサルタントの児玉秀人です。

 

事業承継に取り組むにあたって、今考えることはなんでしょうか?

もう一度、立ち止まって考えてみましょう。

 

そもそも事業そのものの過去はどうだったのでしょう。

例えば歯科事業であれば、かつては歯科医院の前に行列を作って

診てもらえるまで痛みに耐えて待っている患者さんであふれていました。

 

その時代に大切だったことは「いかに早くたくさんの患者さんを診てあげられるか」でした。

悪くなるまで行かなくていい。ただでさえ混んでいるのに・・・

こんな風に来院者は考えていたかもしれません。

 

現状はいかがでしょうか?

過去の成功に囚われている医院の多くは苦しんでいます。

一方でファンを増やして来院者であふれる医院があるのも事実です。

 

将来はどうなっていくのでしょうか?

保険診療の範囲は?

点数の改正は?

訪問診療の可能性は?

 

すでに、さんざん話し合われていることかもしれません。

 

 

では、実家の医院のことはどうでしょうか?

 

大先生が開業した時のエピソードは聞いたことがありますか?

あの時は大変だった・・・とか

あの時はものすごく嬉しかった・・・とか

あの時が一番「医師になってよかったと思ったなあ」・・・とか

 

現状はどうでしょうか?

足りないものばかり目についてませんか?

自分がお金出して医院を買う前提で真剣に現状を見れてますか?

 

この医院の将来はどうなりますか?

どうして行きたいですか?

 

どんな承継のカタチがベストだと思いますか?

自身はどうしたいですか?

現実的にはどんな障害がありますか?

 

 

このまま手を打たないとどうなりますか?

 

立ち止まって考えてみてください。

 

事業承継について考えるということは

「人生」について考えるということです。

 

 

このエピソードに胸がざわついた

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実録 事業承継~社員の気持ち①~

中小企業の事業承継は、親から子へというのが一般的です。そして、事業承継というと株の話とほぼ同じと考えられて、株の移転をするために株価を下げるにはどうしたらいいか、という話が中心となることが多いです。確かに株の移転をどうするかは頭の痛い課題です。しかし、株の移転を考えるのと同時に、必ずしなければならないことがあります。それは、後継者にしかできないことなのです。

 

後継者の学校大阪校を担当しております税理士の河合です。

中小企業の事業承継は、M&Aなど様々な取り組みが活発になってきていますが、やはり親から子へと引き継がれる場合が多いです。大事に大事に育ててきた会社を引き継いでもらうのは、他人よりも我が子であるほうが嬉しいという親の心情もありますが、株の引継がスムーズにできること、社員から納得感が得やすいことなどがその理由として挙げられます。

しかし、実際現場に入ってみれば、古参社員との軋轢、先代が採用した社員と後継者が採用した社員の間の考え方の違いなどなど、泥臭い人間関係の中にどっぷり浸かり、疲れ切ってしまう後継者も少なくありません。

 

軋轢が生じるのは悪いこと?

もちろん、人間関係が円滑で、事業も好調、資金にも心配が無い状態で会社を引き継ぐことができれば、これほど幸せなことはありません。しかし、今の社会環境を考えると、同じことをしていれば事業は安泰というわけではありません。以前は事業の寿命は30年などと言われていましたが、現在では10年、事業内容によっては5年くらいで全く新しい事業展開をしていかないと、生き残れない時代になってきています。

だから、仮に何の心配もない状態で事業を引き継いだとしても、変化に対する適応力がなければ、自然と淘汰されてしまう可能性が高いと言う意味で、安心してはいられません。

ところで、一般的に人は変化を嫌います。ましてや事業承継という会社の根幹が揺るがされるような出来事が起こるときに、社員は何を考えるでしょうか?

先代(親世代)が採用した社員は、「これまでの仕事はどうなるんだろうか」、「急に方針転換なんてことになって、やることが無くならないだろうか」「恩のあるオヤジさんの言うことはもちろん聞くが、俺はボンに雇われたわけではないからな」と、自分の立場や仕事内容の変化に不安を感じたり、あからさまに「後継者になんかついていくもんか」という態度になったりするかもしれません。しかし、一方で、「最近はオヤジさんの体調も良くないみたいだし、ボンが継いでくれるとなると、この会社はなくならないということだな」「ちょっと会社の調子が悪そうだったけど、ボンが新しい流れを入れてくれることによって、良くなるかもしれないな」といった感じで、期待しているところもあるでしょう。

また、後継者(子世代)が採用した社員は、「いよいよ我がリーダーの出番だ」と期待しているかもしれませんが、やはり体制が変わることに「これからどうなるんだろう」と不安も感じています。

社員ひとりひとりが期待と不安を感じている状態ですから、ちょっとした変化があれば、軋轢が生じ、大騒ぎになることもあります。元々揉めることが好きな人はあまりいないと思いますが、特に後継者の中には社員間の軋轢に苦手意識を持っている方が多いように感じます。

しかし、軋轢が生じることは、決して悪いことではありません。むしろ、うまく乗り切ることができれば、後継者が組織での存在を確立し、組織をまとめることができる良いチャンスにすらなるのです。

 

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クリニックの事業承継⑯ 地域を継ぐということ

後継者の学校のパートナーの児玉秀人です。

私はクリニックの相談にのらせていただくことが多いです。クリニックの経営は財務のこと人事採用教育のこと、相続問題にマーケティングのことなど相談事は多岐にわたります。クリニックの事業承継は一般と何が違うのでしょうか。そのあたりをつづっていきたいと思います。本日は、地域を継ぐということについてです。

 

後継者の学校のパートナーコンサルタントの児玉秀人です。

 

事業承継はメンドクサイだけで何のメリットもない

事業承継で残すものなど何もない

 

事業承継は親主導(経営者主導)で進めるものだ

事業承継は相続と同じようなものだ

 

世間ではこのような誤解があるということを認識したうえで

後継者は医院の現状把握を進めていきます。

 

 

現在の立地は・・・

確かに便利ではない。

 

設備は・・・診療スタイルは・・・

最新のものとはいいがたい

 

スタッフさん達だって・・・

自分のことを本当に望んでいるのかどうかわからない

 

そもそも大先生は本当に自分が継ぐことで

良しとしているのだろうか?

 

 

後継者はいつだってこの問いに引き戻されてしまうのです。

そして・・・

 

「なにも、この厳しい現実で継ぐことに意味なんてあるのか?」

「いい立地を見つけて、自分だけで開業した方がいいのではないか?」

「みんな新規開業しているのに、自分はなぜ継ぐのだろう?」

「かかる費用はそんなに変わらない。経済的メリットもないじゃないか・・・」

 

このような問いがさらに襲ってきます。

 

 

でも、ここで立ち返ってほしいのです。

事業承継の本質が何なのかということを。

 

そこに立ち返ると、道が見えてきます。

 

後継者が受け取る価値は目に見えるものだけではありません。

その一つが「地域を継ぐ」ということです。

 

 

クリニックというのは地域のインフラです。

地域のインフラとして地域住民の健康を守っているからこそ

国の保険制度で護られていると言ってもいいと思います。

 

その地域を守ってきたのは、他でもなく大先生です。

そこには様々な人生があり、ドラマがあり、感謝や尊敬がありました。

 

クリニックが公共のものだという認識に立てば、

その歴史や安心感を地域の人に届け続けることも

クリニック承継の大事な要素になってきます。

 

開業30年の歴史は30年経たなければ手に入りませんし、

親子3代の患者さんの信頼も一朝一夕では手に入りません。

 

地域を継ぐということは、住民にとっては

「この地域で引き続き、安心して住んでいいですよ」

というメッセージかもしれません。

 

ともすれば経済的価値のみを判断基準に承継か否かを悩んでしまいがちですが、

地域を継ぐという視点で一度しっかり考えてみることが必要かもしれません。

 

 

クリニックが価値を届ける相手は、多くの場合、

地球の裏側や、遠く離れた場所ではなく、

半径数キロの顔なじみなのですから・・・

 

 

 

 

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ひとは違って当たり前

後継者の学校パートナー中小企業診断士の岡部眞明です。

神奈川県の障碍者施設で元職員が入所者を大量に殺傷するという大きな事件が発生しました。「障がい者の未来とは、いったい何だ。」「障がい者を抱える家族は不幸だ。」事件後、報道が伝える犯人の言葉です。確かに、「私は、常に社会的的弱者の見方です。」と声高に叫んでいれば答えがでるというような単純な問題ではありません。「人として生きる」ということの本質にかかってくる大きな問題だと思います。

私は、学生運動に挫折して精神病院でアルバイトをしていた時期がありました。若くて体力があると思われたのか、患者さんの状態が大きく悪化したとき、薬物中毒の禁断状態のときなどに収容する病室や今でいう認知症が悪化した方の病室を担当していました。

当時は、いろいろな原因で、知的な発達が遅れた患者さんもいました。確かに、この人はこの先生きていてどうなるのだろうか、とか、たまに見舞いに来られるご両親の苦労を考えることもあった一方で、こちらの言うことを理解してくれないいらだちも感じたことを思い出します。
5年以上前に、近所の公民館でみた映画のお話をしたいと思います。内容はほとんど忘れてしまったのですが、かすかに残っていた記憶をネット検索で補強したその映画を紹介します。その映画は「1/4の奇跡」。主人公は「かっこちゃん」という養護学校の先生です。そして、もう一人の主人公は、多発性硬化症という難病の「雪絵ちゃん」。映画のタイトルになったのは、かっこちゃんが雪絵ちゃんに話したうれしくなるお話です。

そのお話の内容はこのようなものです。

マラリアは致死率が高い病気です。アフリカでマラリアが大流行したことがあったそうです。ある村では、多く人がマラリアにかかり絶滅の危機に瀕します。しかし、中にマラリアにかからない人がいたそうです。何故か?答えは、遺伝子にあったのです。

「赤血球」といえば、丸くて平べったい形を穴の開いていないドーナッツ形を思い出しますが、このマラリアにかからない人たちは鍵型をした赤血球(鎌状赤血球)をつくる遺伝子を持っていたというのです。
鎌状赤血球つくる遺伝子はマラリアに対する耐性を持つことが分かったのです。

しかし、この遺伝子は鎌状赤血球貧血症という、ときには死に至る重い障がいをもたらすことがあります。そして、その確率が1/4だそうです。しかし、この遺伝子がなければ、その村はマラリアで絶滅していたかもしれません。障がいを引き受けてくれた1/4の人が繋いだ遺伝子が、残りの3/4の人をマラリアから守り、障がいの発症からも守ってくれたというわけです。

雪絵ちゃんは、この話を聞いて「こんないい話を、私たちだけが知っているのはもったいない。障がいを持つ人も、そうでない人もみんな必要とされているんだ、科学的にも証明されているんだということをみんなに話してほしい。」とかっこちゃんに頼みます。

雪絵ちゃんは残念ながらなくなってしましますが、雪絵ちゃんとの約束を果たすために、鎌状赤血球や障がいのはなしをする活動を頑張っています。
雪絵ちゃんは、「みんなが違って大切な存在なんだということを、世界中の人が当たり前に知っている世の中にして」と頼んでいます。

・・・
そうですよね。みんなが違っている。障害のある人は障がいのない人とは違っているし、男の人と女の人も違っています。私はあなたではないし、彼と彼女も違っています。当たり前。そして、違った人同士が、怒り、泣き、笑い、嫉妬し、時には喧嘩してそれでも生きていく、そのこと自体に意義があり、人生の深みや社会のつながりが生まれてくるのではないでしょうか。
会社も小さな社会です。互いが違いを理解し合う(喧嘩もできるくらい)組織ができると強く気づきのある会社ができるのではないでしょうか。

後継者は経営者とは違う個性を持っています。
従業員もまた、違う個性を持っています。

たくさんの個性の集まりが会社とするならば、
あなたはこの事件から何を学びますか?

後継者の学校では見学も随時受け付けています。

後継者の学校
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クリニックの事業承継⑮ クリニック後継者の承継戦略

後継者の学校のパートナーの児玉秀人です。

私はクリニックの相談にのらせていただくことが多いです。クリニックの経営は財務のこと人事採用教育のこと、相続問題にマーケティングのことなど相談事は多岐にわたります。クリニックの事業承継は一般と何が違うのでしょうか。そのあたりをつづっていきたいと思います。本日は、クリニック後継者の承継戦略についてです。

 

後継者の学校のパートナーコンサルタントの児玉秀人です。

 

クリニックの事業承継と言えば一番気になるのが「立地」です。

 

開業当時は付近に同様のクリニックはなく、地域の人すべてが

自分のクリニックに来てくれる。

行列を作って待ってくれる。

そんな状態だったかもしれません。

 

そんな時期であれば、少々立地が悪くても問題はなかったはずです。

それも時の流れの中で変化していったはずです。

 

例えば雑居ビルの3階でエレベータ無しとか

住宅街のど真ん中でその周りの人以外は見つけられないとか

区画整理で大通りが出来て、クリニックの前を誰も通らなくなったかもしれません。

 

そんなクリニック(歯科医院の場合)の事業承継をするとします。

 

クリニックのコンサルと言われる人たちはきっとこういうでしょう。

「先生の実力ならもっと生かせる立地があるはずです」

「事業承継などせずに新規開業した方がいいです!」

 

本当にそうでしょうか?

 

一般的に「事業承継」もしくは「医院継承」と呼ばれているものの多くは

【現在の診療を現在の立地でやる】

これを指していることが多いのです。

 

これだと確かに苦しさだけが残ってしまい

若先生の良いところが生かせないかもしれません。

 

事業承継とは診療(事業)と立地を引き継ぐことではありません。

 

大先生から「価値あるもの」を引き継いで

若先生が「新たな価値」を創り出すことなのです。

 

事業と立地に価値がある場合とそうでない場合は当然あり得ます。

それでは事業と立地に価値が無い場合「事業承継」は出来ないのでしょうか?

 

 

そんなことはありません。

そんな狭い考え方で事業承継をとらえていると

暗い話にしかならないのがほとんどです。

 

私が事業承継の相談にのっていると

最後に相談者は必ずこう言います。

「なんかワクワクしますね!」

 

事業承継は下記のように考えるのです。

 

図1

※資料提供 軍師アカデミー/歯科後継者塾

 

一般的なのは

①    一般承継戦略

これは今の立地で今の診療スタイルで承継する方法

②    新事業戦略

今の立地で新しい診療スタイルで場所や人・組織を承継する方法

これは現在の主流ではないでしょうか

③    新医院戦略

診療スタイルは変えないが、例えば住宅街の裏通りから

大通り沿いや駅近くに立地だけ変更する戦略

立地以外の良いものは引き継ぐので、新規開業とは違う。

④    創業戦略

これも新規開業とは違います。事例で説明します。

 

例えば、その歯科医院ではとても腕のいい歯科技工士さんを雇っていたとします。

ところが、35年前に開業したので時の流れと共に近隣の再開発で現在の立地は裏通りになってしまい、人の往来はまばら。

大先生の診療スタイルもオーソドックスで、現在来ている患者様も高齢で自分の学んできた予防のスタイルを受け入れる環境にない。

さらに再開発で整備された新しい幹線道路沿いには最新のデザインで建てられたビルのテナントに多くの新規開業医院がひしめいている。

 

大先生から引き継いだ価値あるものは何でしょうか?

それはもしかしたら【腕のいい技工士】さんかもしれません。

 

事業承継とは「価値あるもの」受け取り

「新しい価値」を創り出すことですから

この場合に取れる戦略はこうです。

 

現在の立地に「歯科技工所」を設立します。

過密競争で近くに密集している歯科医院に営業に出向き、医院は閉めてしまいます。

【腕のいい技工士さん】という「価値」を受け取り

【近くて質の良い技工サービス】という新たな価値を生みだすのです。

 

ご自分は違う立地で別の医院を経営してもよいでしょう。

 

これが「創業戦略」です。

 

 

このように「事業承継」とは「新規開業」では得られない

素晴らしい選択肢に満ち溢れた希望なのです。

 

世間一般の常識に取らわれずに「ゼロベース」で

考えることが重要です。

 

 

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歯科後継者塾|歯科の事業承継を5日間で学ぶ

歴史に学ぶ後継者経営 真田丸②(真田昌幸)

私主に日本の歴史から後継者経営に学べる題材をとって、皆さんと一緒に後継者経営を考えて参りたいと思います。

今回からは、「真田丸」から題材をとって、真田昌幸の後継者としての成長を見て参りたいと思います。真田丸、お勧めですので見てください。昌幸、信之、信繁それぞれがそれぞれの承継をしていきます。

 

後継者の皆様

 

後継者の学校パートナー、石橋です。

 

私は主として日本の歴史から題材をとって、事業承継や後継者経営のありかたを皆さんと考えていきたいと思っています。

 

前回からの続きで、今年のNHK大河ドラマ「真田丸」を取り上げて、後継者とは、ということについて考えてみたいと思います。前回が、5月末というのは伏せておきたい事実ではございますが…大変ご無沙汰いたしまして、申し訳ございません。

前回では、「真田丸」を見てみたら期待以上に面白かったこと、そして1話から6話までに描かれている真田昌幸の後継者としての成長から、私たち後継者も学べそうな気がしたことを申し上げました。

 

ただ、大河ドラマの1話から6話といえば…お正月から2月の寒い頃までのお話しです。もう梅雨も終わろうとする今頃になって、書く話ではないですよね。もうすっかりそんな頃の話など忘れておられる方も多いと思いますので、あらすじと一緒に真田昌幸の成長を見ていきたいと思います。

 

また、前回でも真田昌幸について簡単に紹介しましたが、真田家と真田家が置かれていた時代や環境について、少し説明させていただく必要があると思います。「真田丸」は話の展開上、武田家の滅亡から始まっているのですが、その関係でそれまでの真田家の成り立ちなどの説明を省略しています。大河ドラマは、45分×50回あまりという制約があるので、致し方ないのでしょう。

 

その補足の意味で、少々まどろっこしいとは思いますが、「真田丸」に至るまでの真田昌幸について、今回は申し上げたいと思います。

 

 

真田昌幸は、「戦国キャラ」で分類すると、いわゆる「知謀派」です。

「知謀派」は、毛利元就のところでも紹介しましたね。

「知謀派」と言っても様々でして、ライバルの国の武将を寝返らせる(こちらの味方につける)「調略」を得意とする武将や、敵方を混乱させる「謀略」を得意とする者、戦場において相手の意表を突く戦術を得意とする武将なども、「知謀派」と言われたりします。

 

「知謀派」にはそれぞれ、得意不得意があります。「調略」で有名なのは言うまでもなく羽柴(豊臣)秀吉ですね。「謀略」は毛利元就でしょうか。

 

真田昌幸は、「知謀派」の中でも、相手の意表を突く戦術に長けていたタイプだと私は思います。小集団を意のままに操って、複雑な地形を利用した芸の細かい戦術の使い手でですね。これは、真田昌幸が生まれ育った環境が影響しています。

 

真田昌幸は、信濃国の小県郡(上田市のあたり)の生まれです。北陸新幹線に乗られたことがある人はご存じかもしれませんが、安中榛名を過ぎて富山に出るまでの長野県の区間は、トンネルに入ったり出たりの繰り返しです。

 

そうなんですね。信濃国は今の長野県とほぼ同じですが、山々のあいだに小さな盆地があってそこに人が住んでいるような土地柄なのです。耕作できる土地は狭く地質も痩せていて収穫が少ないため、人口は少なく、それぞれの盆地を小さな豪族(国人・国衆と呼ばれている)が治めていました。あまり、大きな勢力(いわゆる大名)は育ちにくい環境でした。

 

なおかつ、地形が複雑なため攻める方に厳しく守る方に有利です。領地を拡げようとしても、はるばる山を越えていかないといけないので、時間も手間もかかります。

このような環境では、少ない人数を使って、入り組んだ地形を利用した複雑な戦術が有効です。美濃(岐阜県)や近江(滋賀県)の平野で大兵力同士の戦いをしていた織田信長などとは、対照的ですね。

 

ただし、東海道や北陸道と並び東西を結ぶ東山道(中山道)が通っており、人の往来は少なくはなかったようです。

 

そのように小さい豪族同士が争っているところへ、甲斐国から大勢力を率いた武田信玄が侵攻してきて、最終的には信濃は武田家に併呑されます。ただし、信玄をもってしてもそれは簡単な事業ではなく、武田家は様々な国人たちに協力を求めます。

真田家は当時の当主である真田幸隆が積極的に武田家に協力しました。優れた知謀を使ってめざましい活躍をして、たちまちに信玄の信頼を得ます。

真田昌幸は真田幸隆の三男でしたが、真田が武田の家臣となった証として人質になり、武田家に送られます。

もっとも、真田一族は優秀であり武田家での働きも高く評価されていたので、人質というよりもスカウトされて英才教育を受けさせてもらえたようなものです。それはまた、武田の懐柔策の一つでもありました。

 

「真田丸」7話の中で真田昌幸が「わしもカンだけで生きておる。だがわしのカンは、場数を踏んで手に入れたカンじゃ」というくだりがあります。これは、実は正しくはありません。真田昌幸は武田信玄の生前、「信玄の眼」と呼ばれたほどに認められ、信玄から期待をかけられておりました。

武田信玄は、自他認める学問好きであり、四書五経を始めとして一通りの学問は全て修めており、目をかけた家臣にも必ず学問をさせたはずです。武田信玄を尊敬していた徳川家康も、同様に熱心な学問好きでした。

 

基本的な学問を修めていないと、人を率いる武将としての働きはできないと当時は考えられていました。主だった武将には、必ずアドバイザーのような僧侶がいます(武田信玄の場合は快川紹喜)。信玄から命じられて、真田昌幸も一通り以上の学問は修めていたことでしょう。

 

そのように、武田信玄から大きな期待を受けて、信玄の親衛隊としてそばに仕えていた昌幸は、その期待のあらわれとして、跡継ぎがいなかった武田家の親類(信玄の母の一族である大井氏の支族)である「武藤氏」の養子に入り、「武藤喜兵衛」と称します。「真田丸」でも、三方ヶ原の戦いで徳川家康を追い詰めた「武藤喜兵衛」の話が出てきますね。いわば、選ばれて親会社の社長の一族になったようなものです。将来は、武田氏の親類族として、武田家を支えることが期待されていたわけですね。

 

しかし、前回でも申し上げたように、昌幸と同様に武田家に仕えていた二人の兄が長篠の戦いで戦死します。二人とも同時に失うのですから、いかに過酷な戦いだったかがわかりますが、これで昌幸は武田家の一族になれるという夢のような立場から、真田家の跡継ぎとして真田姓に戻ることとなります。兄たちを失った悲しみと合わせて、少々複雑な、残念な気分だったかもしれません。

 

追い打ちをかけるように、長篠から7年後、織田軍が攻めてきて親会社である武田家が滅亡してしまいます。国人衆として武田家を支えていた真田家は支柱を失い、途方に暮れることとなります。

 

ここから、真田昌幸の苦闘が始まります。さて、真田昌幸はこの苦境をどのように越えていくのか。次回、見て参りましょう!

 

 

というわけで、延々と退屈な説明を聞かせてしまい申し訳ございません。書いているこの私も退屈でしたが、これを書いておかないと次回につながらないのです。次回からいよいよ本番ですので、こうご期待です!

 

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事業承継に関する自身の悩みが整理され、すっきりすると好評です。お気軽にお問い合わせいただければと思います。

 

 

後継者の学校

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クリニックの事業承継⑭ 本質(若先生の視点)

後継者の学校のパートナーの児玉秀人です。

私はクリニックの相談にのらせていただくことが多いです。クリニックの経営は財務のこと人事採用教育のこと、相続問題にマーケティングのことなど相談事は多岐にわたります。クリニックの事業承継は一般と何が違うのでしょうか。そのあたりをつづっていきたいと思います。本日は、事業承継における本質を若先生の視点で考えてみます。

 

後継者の学校のパートナーコンサルタントの児玉秀人です。

 

後継者というのはとても特殊な立場にいます。

ある若先生は父親の医院で精神的に追い込まれ、心の健康を害してしまいました。

一時は本当に自分でもわけが分からなくなり、命の危険さえ感じたということです。

あの時、後継者の学校のような「同じ立場の仲間」がいれば・・・と

しみじみおっしゃっていたのが非常に印象的でした。

 

なぜ、そのような状態になってしまうのでしょうか?

それは、創業者と後継者は立場的に決定的に違うのです。

 

創業者である大先生は医院を立ち上げ、小さな失敗を

たくさん重ねながら少しづつ組織をつくり、成長してきました。

 

その過程には、大先生の考え方、大先生の目指す理想の医院

時代背景、事業環境などなど・・・

 

大先生の理念の塊のような人材

大先生の理念の塊のような仕事の仕組み

大先生の理念の塊のような診療方針

 

つまり大先生の色に染まったもの以外は

自然に淘汰されてきたと言えます。

 

そんなところに突如帰ってくる若先生は

猛烈な違和感に襲われます。

 

こんなやり方でいいのか?

こんなことも出来ていないの?

これって今の時代まずいんじゃない・・・

 

そしてそれを口にしたとたん

大先生からの猛烈な反発にあいます。

 

最初に出てきた若先生はこの対策として

「一切話をしない」という方法をとるしかなかったそうです。

口を開けば喧嘩になる・・・

 

確かに大先生の言うとおりに従っていれば

摩擦は起きないかもしれません。

 

しかし、これでは

経営者にもなれない

勤務医でもない

知らないことばかり

見えないことばかり

 

漠然とした不安

誰にも相談できない

受け身の状態になってしまうのです。

 

このまま黙っていれば

無事院長になるのでそれまでの我慢。。。

 

本当にそうでしょうか?

最初に感じた違和感をほったらかしにして

継いでしまっても本当にいいのでしょうか?

 

もしそのまま継いでしまうと

最悪の場合、

継いでからすべての問題に直面し、

継いだことを後悔するかもしれません。

 

なぜ、このような受け身の後継者になってしまうのか?

それは性格でも能力でもありません。

世間一般の間違った常識が邪魔をしているのです。

 

後継者の学校ではこのポイントについて

とてもシンプルだがとても深い考え方をお伝えしています。

 

 

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あたり前を知る

後継者の学校パートナーの知識茂雄です。

後継者の多くは、事業承継に関して“知らない”ことで漠然とした不安を抱いています。事業承継は多くの人にとって初めての経験なのに、知らないことに引け目を感じてしまっているように思います。

また、自分と現経営者の人としての違いにも多くの人が戸惑っています。自分と現経営者を比べて、自分に務まるだろうかと思ってしまうのです。

多くのことを知らないのもあたり前、他人と自分の強みやリーダーシップの発揮の仕方が違うのもあたり前。そこに気づいたとき、人は素直に学ぶことができるようになります。

 

多くの後継者は、何かしらの漠然とした不安を抱えているものだと思います。

 

アメリカの思想家・哲学家のラルフ・ワルド・エマーソンは、「恐怖はつねに無知から生じる」と言いました。

 

そして、多くの後継者は事業承継について無知です。

 

事業承継によって、自分の身にどんな課題が降りかかってくるのか?

 

そこにどう対処すれば良いのか?

 

それがわからなければ、怖くてあたり前、不安になってあたり前です。

 

そして、そこにはもう一つのあたり前があります。

 

それは、無知であること自体があたり前であるということです。

 

なぜならば、事業承継ってほとんどの方にとって初めての経験であるはずだからです。

 

だから、知らなくて、わからなくてあたり前なのです。

 

もう一つ、後継者が気づいていないかもしれない、いや頭でわかってはいても実感できていないかもしれないあたり前があります。

 

それは、人間は一人ひとり価値観も、判断基準も、思考パターンも、得意も苦手も、長所も短所も何もかも違うということです。

 

たとえ血のつながった親子であっても…です。

 

現経営者と自分のリーダシップのあり方の違いを感じ、それを不安に思う人も多いと思います。

 

でも、そもそも違ってあたり前なのです。

 

事業承継とは、ただそのままを受け継ぐことを意味しません。

 

後継者として、既に価値あるものを引き継ぎ、より価値を生み出していく、もっと能動的なものです。

 

自分なりのやり方で、変えていけば良いのです。

 

自分の色に染めていけば良いのです。

 

たった今が無知であるのはあたり前、無知であるがゆえに不安があるのもあたり前、現経営者と自分の違いに不安があるのもあたり前、すべてがあたり前なのです。

 

あたり前なのに、何となくそのままではいけないのではないかと思い込んでしまったり、多くを知らないことに引け目を感じてしまったりと、その漠然とした不安が”知らないからこそ積極的に学ぶ”ということを阻害してしまっているのかもしれません。

 

「そうか、あたり前なのか!」

 

そう思えただけで安心感が湧いてきませんか?

 

「後継者の学校」では、皆さんが多くのことを知らないことで不安になっていることを知っています。

 

知識だけ学んでも、「こうすれば良い」と頭で理解できても、なかなか実践には至らないことも知っています。

 

だからこそ、後継者の気持ちに寄り添いながら本質的かつ実践的な学びを提供します。

 

安心して学びに来てください。

 

まずは、「後継者インタビュー」を受けてみませんか?今抱えている悩みを語るだけでもすっきりしますよ!

 

ご興味のある方は是非ホームページ(http://school-k.jp/)からお問い合わせください!