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歴史に学ぶ後継者経営(徳川家光)

私主に日本の歴史から後継者経営に学べる題材をとって、皆さんと一緒に後継者経営とは、を考えて参りたいと思います。その第一回目は、徳川家光に学ぶ「後継者の決意と覚悟、そして諸大名との契り直し」です。

後継者の皆様

 

はじめまして!

 

今回、初めてブログを上梓いたします。私は後継者の学校パートナーの石橋治朗と申します。

公認会計士、税理士の資格を有しておりますが、後継者支援を中心として活動しております。どうぞ、今後ともよろしくお願いいたします。

 

私はこのブログを通じて、事業承継はどのようにすればうまくいくのか、後継者経営にはなにが大切なのだろうか、創業者経営とはなにが違ってくるのか、を皆さんと一緒に考えていきたいと思っております。

そして、それを考えて行くにあたって、私は主として日本の歴史からヒントを得たいと思います。歴史を学ぶことが昔から好きというのもあるのですが、日本は世界でも有数なほど歴史の長い国であり、過去の事跡がたくさん残っていることにいつも感謝します。

その中には、当然のことながら、後継者にとって有益な行跡やエピソードがいっぱい詰まっております。

それらを紹介しつつ、皆さんや私にとってそこから何か得られないだろうか、それを一緒に考えていきたいと思います。「温故知新」という言葉を一度は耳にされたことがあると思いますが、過去の事跡に学ぶことで、新しい知恵や発見があるかもしれません。

そして、自らの宿命を受け入れて、運命を切り拓くことで日本の歴史を形作ってきた人たちの生き様を見つめることで、私たちもまた、連綿と続く日本の歴史に貢献できる存在になれる、垂直に生きる存在になれるのではないでしょうか。そのような志を持って、このブログを始めたいと思います。

 

初めてとなる今回、皆さんに紹介したいのは、徳川家光のエピソードです。

 

徳川家光、ご存じでしょうか。江戸時代の徳川幕府、三代目の将軍です。

かの有名な、徳川幕府を創設した初代将軍である徳川家康の孫であり、二代目将軍の徳川秀忠の嫡男です。

 

NHKで日曜に放映されている大河ドラマですと、相当前に放映された「春日局」に徳川家光は出てきます。

しかし、テレビの歴史ドラマといえば戦国時代か江戸幕末と相場が決まっているので、戦国時代が終わった平穏な時代の徳川将軍というのは、知名度は高い方ではないですね。

 

しかし、徳川家光は将軍という地位を確立したという意味で、日本の歴史に画期的な寄与を果たした人物だと私は思っております。

 

徳川家光の祖父と父である徳川家康と秀忠は、関ヶ原の戦いを始めとする自らの輝かしい戦歴と実力により、徳川幕府の諸大名から将軍と認められた存在です。いわば、自分の実力で事業を作り上げた創業者ですね。

しかし、徳川家光は全く合戦の経験がありません。合戦の経験がなく、その実力も未知数であるという、ある意味で典型的な後継者ですね。合戦の経験がないというのに将軍に就任していいのか?

周りからそう思われても仕方がないですし、普通そう思いますよ。

まして当時は、日本でも有数の実力主義だった戦国時代が終わったばかりであり、自分の実力で領土を広げた腕自慢の合戦名人があまた残っていました。

これまで自分の頭を押さえていた家康と秀忠がいなくなった時が絶好のチャンス、そのときが来たら素人の将軍をとっととやっつけて幕府をひっくり返しあわよくば自分の天下、と思った大名は少なくなかったかもしれないのです。

 

 

そのような、ある意味で非常に緊迫した状況を前にして、徳川家光はどのような行動を取ったでしょうか?

 

 

 

将軍職を家光に譲った後も後見人としてサポートしていた徳川秀忠が1632年に逝去し、いよいよ徳川家光が単独で将軍を務める時がやってきます。

徳川秀忠の葬儀が終わったところで、徳川家光は江戸城の大広間に諸大名を集め、なんと次のように堂々と言い放ちます。

 

「東照宮(徳川家康)が天下を平定なさるに際しては、あなた方の力を借りた。秀忠公も元はあなた方の同僚であった。しかし、わたしは生まれながらの将軍であるから前二代とは格式が違う。

従って、あなた方のあつかいは以後、家臣同様であると心得られたい。もしもそれに異論がある者は、遠慮せずともよい。早々に国に戻って戦の準備をなされよ!」

 

現代であれば、なんとも「上から目線」と受け取られかねない発言ですよね。いったい、あなたの祖父や父は誰のおかげで将軍になれたのか、という声が聞こえてきそうです。

 

しかしながら、その家光の発言を聞いて、独眼竜の異名で有名な伊達政宗は平伏します。

 

「滅相もございませんぬ。この政宗をはじめとして、他に異論のある者などおるはずがございません!」

 

歴戦の英雄である伊達政宗の言動に押されるように、周りの諸大名も同じように次々と平伏していきます。こうして、全ての大名が徳川家光に平伏し、家光を将軍として認めたのです。

 

 

家光がこの宣言によって成し遂げたことはなんでしょうか。私が考えるに、ここで家光は将軍と諸大名との関係を変えたのだと思います。将軍と諸大名との関係を新しい時代に合わせて結び直したということ、少し難しい(若干古風な)表現をすると「契りを結び直し」たということです。

※後継者の学校では、これを「契り結び」と言い、プログラムの中で具体的なやり方について教えています。

 

実力で諸大名の上に立っていた前二代とは違い、「生まれながらの将軍」という権威で諸大名を統治するというように、徳川家光は将軍と諸大名との関係を全く変えてしまいました。ここで注意すべきは、決して一方的に強要するのではなく、反論の余地を認めています。

まあ、反論というよりは反乱と言った方がいいのですが…。さすがに武士らしく、物騒な「反論」ではあります。

 

 

そこで諸大名が平伏することで「新しい、将軍と諸大名との関係」を受け入れたこととなり、ここに徳川家が代々将軍職により諸大名を統治する権威と正当性が確立しました。家光以降の徳川家の後継者は、生まれながらの将軍として認められることになるのですから、力関係にかかわらず他の大名が取って代わることはできなくなったのです。

 

そして、この「新たな関係」を宣言するに当たっての家光の覚悟と決意は、生半可なものではなかったと思います。家光と親密であった伊達政宗は前もって宣言の内容を聞かされていたとも伝えられていますが、その政宗もかつては秀吉や家康と天下の覇権を争った梟雄でしたから、そうそう簡単に平伏するようなタイプではありません。

たとえ将軍とはいえども、家光の決意と覚悟に隙があればあわよくば、という気持ちがなかったとは言えないでしょう。

しかし、政宗はこのときに、まさに家光の将軍としての覚悟と決意を見て取ったのではないでしょうか。この天下において将軍の後継者として生まれ落ちた孤独を受け入れて、「生まれながらの将軍」へと突き抜けようとした強い飛躍の意志を感じ取り、気がついたら自然に平伏していた。私はそのように想像します。

 

そして、将軍が就任するたびにこの決意と覚悟は継承されていき、ここに15代続くこととなる徳川家の覇権がしっかりと確立されました。

この契りには、当然のことながら自分を将軍として従う諸大名に対して、統治するという責任を負うという決意も含まれています。

 

 

この徳川家光から、後継者経営に学べることは何でしょうか。

幕府の将軍ほどの決意は、そうそう持てるものではございませんが、それでも後継者として社長に就任することはなみなみならぬ決意と覚悟を必要とすることは、皆さんもご存じの通りです。徳川家光の感じていた後継者としてのプレッシャーと孤独には、共感できるところはないでしょうか。

もしかすると自分と敵対することになり、戦場で相まみえることになるかもしれない相手に対して、家来になれと宣言することにどれほどの勇気が必要か、私は想像するだけでもその重みを感じて汗が出ます。

それでも、創業者と後継者とは違うのです。能力も、自分に従うこととなる人たちとの関係も、やるべきこともそれまでとは違うものが求められます。その違いと向き合って、現状と将来を見つめ直してそれに合った新たな理念を練り直し、その理念に基づいて自分に協力してくれる人々と新しい関係を結び直す。

これがまず後継者経営にとって大切なスタートとなるということを、徳川家光の事蹟は教えてくれているように思うのです。

 

ブログを読んで興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非後継者の学校の説明会にご参加下さい。

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長々とおつきあいいただきまして、ありがとうございました。次回以降もまた、歴史から有名なエピソード、あまり知られていないエピソードを紹介しつつ、後継者経営について考えていきたいと思っています。

 

後継者の学校

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