「らりるれろのまほう」という本を読みました

後継者の学校パートナー、中小企業診断士の岡部眞明です。

「らりるれろのまほう」という本を読みました。20篇ほどの詩が収められている小さな詩集です。著者は、1992年生まれといいますから今年で24歳の溝呂木梨穂さんという女性です。

梨穂さんは、生後すぐに脳に酸素が行かないというトラブルで、脳に重度の障がいをおってしまい、体の自由と言葉を失ってしまいます。2012年5月20日まで。

この日国学院大学の柴田保之教授と出会います。教授は、重度・重傷障がい児の教育について研究しているそうです。この先生(の通訳?)を通して、彼女の中にある言葉が文字になりました。

彼女の詩を、ほんの一部だけ紹介します。

 

人間として生まれて生きて来たけれど

私は誰にも振り返られることもなく

理想だけを糧にして生きてきた

夜の暗闇の中でも

人間としての理想は決して捨てずに

ただ未来だけを信じて生きてきた・・・

(「緑の声と光」より抜粋)

 

理想の未来に向かって

私はこの場所をそろそろ旅立つ日が来ようだ

しかし私は決して忘れないこの暗闇の世界を・・・

(「暗闇の世界から」より抜粋)

 

彼女が、20数年間紡いできた言葉とその世界は、あくまで透徹して力強い。彼女のような重度の障がいを持つ人たちの中にこんな世界があるなんて、恥ずかしいことだけれど今まで気が付きませんでした。

普通に考えれば、当たり前のことなんです、同じように感じ考えていることは。むしろ、耳と目と頭(心)だけで他者との関係を構築しなければならない彼女にとって、内面世界が研ぎ澄まされていくことも。

今回、彼女の本を知り、彼女の世界を垣間見ることができて、「世の中もまんざら捨てたもんじゃないなぁ」と、何故か気分がよくなりました。

差別するつもりなどまったくないのですが、気の毒な人という障がいを持つ人に対する先入観が私の世界も狭めていたのです。

私たちの思考のプロセスは、一定の考え方や習慣を前提になりがちです。それらが先入観となって時として誤った判断をもたらすことになります。思考プロセスを先入観から解き放ちゼロベースで考えることの大切さに、この本を読んで学ぶことができました。

また、コミュニケーションとは、人の内面を引き出す大きな力であることを改めて確認することもできました。

梨穂さんの現在は、小さいころからお母さんの愛情をいっぱい受けて来たからであることは、もちろんです。梨穂さんがお母さんと柴田先生の支えを受けて、これからも素晴らしい詩を作り続けてほしいと思います。また、もっと多くの梨穂さんにも。

そうすれば、世の中もっとまんざら捨てたもんじゃなくなるかもしれません。

愛情をいっぱい受けるといえば、事業承継においても「先代の愛情をいっぱい受けた」大切な従業員を引き継いでいくわけですから、この詩を噛み締めて「明るみ」に向かっていかなければなりませんね。

(出典「こころの詩集 らりるれろのまほう」溝呂木梨穂(ダーツ出版))

台風10号の被災地でのボランティア活動への誘い

後継者の学校パートナー中小企業診断士の岡部眞明です。

台風10号の直撃を受けてひと月経過しようとしている岩手県の被災地にボランティア活動に行ってきました。

きっかけは、ある岩手県議会議員から打ち合わせの相手に入った電話でした。「ボランティアが不足している。特に、平日が・・・。」

幸い?仕事があまり混んでいなかった9月28日と29日、人的被害のいちばん多かった岩泉町と市街地が冠水した久慈市で活動しました。

前日の27日深夜に文部科学省の方の参加も得て東京を出発、29日深夜に帰る強行軍でしたが、現地の被災した方々にお話を聞いたり、久慈市長、岩泉町長とも面会させていただくことができました。

作業は、家の中や敷地内の泥の掻きだしが主なものでしたが、ご存じのように天候が不順な日が続いた今年ということもあったのでしょうか、被災ひと月が経とうとしている泥は、まさに泥炭のような状態で厚く縁の下や家の周りに積もっていました。

岩泉町では農家での作業、久慈市では体の不自由な息子さんを持つおばあさんの家の周りの泥だしでした。岩泉町では、田んぼが川原のように小石で覆われてしまっていましたし、いたるところで車がひっくり返っていました。もちろん、盛岡市や隣の久慈市とをつなぐ道路や橋は復旧工事のために工事中のところが何か所もありました。

久慈市市内では、ひと月たった今でも各戸で泥だし作業に追われていました。早朝のボランティアセンターに私たちを訪ねてくれた伊達町長は、20名の死者がでたうえに、いまだに行方不明者もいて、家のなくなった方が300世帯に上る惨状に打ちひしがれているようにも見えました。70億円にも上る被害を受けた久慈市の遠藤市長は、国や県をはじめとする関係各方面への支援要請に飛び回っている様子で、被害の状況を丁寧に説明してくれました。

雨が運んだ土砂は厚く積もっており、さらに縁の下など狭いところから掘り出す作業はとても被災された個人の家で処理しきれるものではありません、だからこそひと月という時間が経過した今も、復旧作業が行われているのでしょう。

「水は、胸まで来たんだよ。ほれほれ、ここまで泥の跡がついているでしょう。」「冷蔵庫もテレビもみんなダメになっちゃったんだ。」「ケルヒャー。泥の中から救い出したんだよ。長靴の泥落してってくれよ。」「初めてのことで、びっくりしちゃったよ。」作業をしながらのからっとした会話に、皆さんの強さや優しさを、そして、無念さを感じることができました。作業終了後の私たちのバスに何度も頭を下げるおばあさんに、まだまだ続く被災地のつらい現実も感じました。

支援要請に走り回ってる遠藤市長も早朝から町内で陣頭指揮を執っていた伊達町長からも、復旧への並々ならぬ意思があふれて見えました。

現場でしか感じ取ることができない現実というものは、もちろんあるのですが。現地でしか感じられないことは、つらい状況におかれた人の思いや人の真実なのだと思います。

ボランティアでわかることは、実は多いのです。ほんのちょっとの活動で、人のことが勉強できる、実は貴重な機会であったりします。まだまだ、需要はあります。出かけてみてはいかがでしょう。高速道路の無料措置もあります。(手続きは少し面倒ですが)

農家に迷い込んだ野良ネコ「ネコ助」も人懐っこかったし、ホテルで飲んだ地酒もおいしかったなぁ。

気づきという点では「後継者の学校ベーシックコース」はまさに「気づき」のコースです。

無料説明会も始まっております。

ご興味のある方はぜひ

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歴史に学ぶ後継者経営 真田丸④(真田昌幸)

samurai

私主に日本の歴史から後継者経営に学べる題材をとって、皆さんと一緒に後継者経営を考えて参りたいと思います。今回からは、「真田丸」から題材をとって、真田昌幸の後継者としての成長を見て参りたいと思います。真田丸、お勧めですので見てください。昌幸、信之、信繁それぞれがそれぞれの承継をしていきます。

 

後継者の皆様

 

後継者の学校パートナー、今年はすっかり「真田丸」ウオッチャーとなっています石橋治朗です。

 

私は主として日本の歴史から題材をとって、事業承継や後継者経営のありかたを皆さんと考えていきたいと思っています。

 

ようやく、数ヶ月にわたって(ブログはたったの4回ではあるのですが(汗))、見て参りました「真田丸」も、今回で一応区切りになります。

 

前回まで、主家であった武田家が滅び、自分の居城である岩櫃城へ帰って知謀を巡らせた上で自らを織田信長に首尾良く売り込んだところまではよかったものの、本能寺の変により再び戦国の混乱に巻き込まれて、すっかり困り果てた真田昌幸の去就を見て参りました。放映されたのは、もう半年前になるのですが…(汗汗)

 

ところで、真田昌幸が巻き込まれた、本能寺の変に端を発する甲信地方の混乱は、「天正壬午の乱」と呼ばれています。天正10年(1582年)の干支が「壬午」だったからです。

これは、どのくらいすごい混乱なのでしょう。おそらく、こないだのリーマンショック程度は、「乱」とさえ言われない程度のものかもしれません。少々ショックは強かったけれども、単なる景気変動に過ぎないからです。

「乱」というのは、あらゆる秩序が失われ、人々がお互いに疑心暗鬼に陥って、明日生きていけるかわからない、そういう状況をいうのでしょう。「真田丸」でも、信之と信繁が人質を伴って新府城から岩櫃へ落ち延びる道中は、命と財産を狙われる危険に絶えず襲われていました。そんな思いをしてたどり着いた岩櫃城は、新府城や安土城に比べれば粗末でみすぼらしかったとしても、どれだけ心強い存在だったでしょう。

 

そのような極限の状況の中で、家族と家臣と国人たちを敵から守らなくてはならない、しかし味方はおらず見渡せば皆敵ばかりにみえる状況の中で、真田昌幸が背負っていた責任感とプレッシャーはいかほどのものか、それもまた穏やかな時代に生きるわたしたちの想像をはるかに絶するものがあります。

その中でいかに的外れであったりピントがはずれていたり、あるいは臆するような行動を取ったとしても、決して責められるべきではありません。とはいえ、事態を打開しなければ、武田のように真田も滅び、真田親子の首は桶に入れられて見世物としてさらされるのです。そのような時代でした。

 

さて、本能寺の変で自分の知謀で勝ち取ったと思ったものが全てひっくり返された昌幸は、自らの知謀でさんざん振り回して心に傷を負わせた信之に助けを求めます。

昌幸から見ると、信之(源三郎)は杓子定規で考え方が硬いように思われ、逆に信繁(源二郎)は素直で知恵が回るけれども、思慮深さに欠けるように感じます。いずれにしても、まだ自分の手足になるには両人とも頼りない存在。

しかし、この絶体絶命のピンチの場面で、昌幸は二人から起死回生の大事な気づきを得ることになります。

 

昌幸から意見を求められて、信之は「我らは織田家についたのだから、家臣としての道を貫き、滝川一益を助けて明智を討伐し、織田信長の仇を討つべき」と進言します。信之は常に、まっすぐな原則論、王道を述べるんですね。そこが昌幸から「面白くない」と酷評されるゆえんですが。

しかし、このまっすぐさが昌幸の琴線に触れることになります。ずっと、大名たちの裏をかくことに熱中するあまりに、すっかり策におぼれかかっていた自分の現状に気づかされるのです。

昌幸は言わんことか「なぜ、もっとそれを早く言わない」と信之をとがめます。信之は立腹して「ずっと、申しておりました!」と返しますが。そりゃ怒りますよね。信之はぶれていないのですから。

 

真田昌幸は、信之の進言に従って滝川一益に助太刀を申し出ますが、それまで散々に策におぼれすぎたしっぺ返し、一益から信用されず逆に人質を求められてしまいます。こうしてみると、自分の策謀は全く的を射ていなかったことに改めて気づかされるのですが、それでもそのことに気づかないよりはよほどにいい。

ただし、いざというときのために、巨大な勢力である北条にも真田信伊から気脈を通じておく策も忘れないのですが…

 

そこへ、安土から真田信繁が命からがら逃げ帰ってきます。一緒に人質として同行していた姉の村松殿を護りきることができず、すっかり意気消沈して帰ってきます。

昌幸も、羽柴秀吉が明智を討滅したとの報を聞いて、滝川一益が天下を取る目がなくなったことを嘆きます。

「わしの肩入れした者は、ことごとく運を逃す。源三郎教えてくれ…わしは、疫病神か?」

自分が頼ろうとした大名たちは、ことごとくつまづいてしまう。いったい、この先誰に頼ればいいのか…

 

お互いに意気消沈した二人は、示し合わせたわけでもないのに物見櫓へ登ります。

 

そこからは、はるかに真田の里が見渡せます。

 

信繁は、「ここで姉上と追いかけっこをしておりました…」と述懐します。

 

昌幸は、「力が欲しいのう…織田や北条や上杉と対等にわたりあえるちからが…」と自らの悲運を嘆きます。

 

二人は、それぞれ違った思いを胸に真田の里を眺めます。

 

落ち行く夕陽が差し掛かる、信濃の雄大な山々の美しさ、細やかに手入れがなされたまばゆいような田園風景、もう少しすると豊かな収穫をもたらすであろう畑と甲斐甲斐しく働く百姓の姿、路を盛んに行き交う行商たちの列、そして戦国のなかにあって無邪気にじゃれあう元気いっぱいな子供たち…

 

信繁が、独り言のように

「私は、この景色を見るといつも思うのです。たとえ領主が変わっても、この信濃の景色が変わるわけではない。いつも静かに、あの山々はそこにある。人間のいさかいを笑っているように。

私は、この景色が好きです。信濃は、日本国の真ん中ですから。信濃に生まれたことを、誇りに思います。

父上の子として生まれたことを、誇りに思います」

 

昌幸は里を眺めながら、電気で打たれたようにはっと気づくのです。

 

力がない、と思い込んでいたのは自分だと。

なぜ、北条も上杉も徳川も信濃をうかがうのか。

信濃が豊かな土地だからだ。信濃を欲しいからだ。

信濃には、よい材木が獲れる山々がある。それを運ぶ川も流れている。よい馬も育つ。

街道が通り、人が集まる。東と西を結ぶ、要の土地なのだ。

力がないなんてとんでもない、この信濃がある限り、自分たちは大名たちと対等にわたりあえるのだと。

 

そして何よりも、真田には人がいる。真田を信頼して慕ってくれる民たち、武田に比べれば土臭いけれども忠誠心のあつい家臣たち、そして父親である自分を誇りに思ってくれている息子たち。

これ以上、自分は何を求めるのだと。十分すぎるほどではないか…

 

真田昌幸は、決意します。

 

もう大名たちの顔色をうかがうのはごめんだ。信濃を使って、餓狼のように欲深な大名たちを操ってやる。隙あらば打ち倒す。

そして、この真田をなんとしても守りきってみせると。

大ばくちを打ってやる!と覚悟を決めます。そう、やっと腹が据わったのです。

 

腹が据わると、不思議なことに迷いが消えて、どんどんと打ち手が出てくるのです。これまでのように、周りが困惑するような策ではなく、味方を生かし敵を縦横無尽に欺く打ち手が。策ではなく知謀がわいてくるのです。

息子たちや家臣が昌幸を見る目も変わってきます。父を見上げる信繁の目が輝いてきます。それまで疑いと戸惑いで父を眺めていた信之も、信服するようになります。

 

それにしても、これまで真田昌幸のやることなすことは、なぜ空回りしてしまったのでしょうか。

それは、自分は力のない、誰か大きい勢力に頼らなくては生き延びられない「国人」だと思い込んでいたこと、つまり国人としての「自己概念」で行動していたからだと思います。

 

しかし、国人として行動すると打ち手は限られるんですね。誰につけばいいかをまず見極めなくてはならないし、その相手の力と心理を読まなくてはならない。

これは、安定した状況で力関係がはっきりとわかるのであれば、ある程度打ち手は明確になりますが、天正壬午の乱のような混乱の極みのなかでお互いに疑心暗鬼になっている状況では、ほとんど打ち手がありません。選択肢が少なければ、どんなにすごい知謀の持ち主でも、宝の持ち腐れになってしまいます。

 

でも、自分に軸を持ったちからのある大名であればどうでしょうか。そのちからを生かしていけば、どんなに周りが混乱していても打ち手はあるものなんです。

 

真田昌幸は決してちからがないわけではなかったのです。それに気づかなかっただけなのです。でも、すっかり自分を国人だと思い込んでいて、自分のちからをありのままに見ることができなかったのです。このように、周りとずれている自己概念、自己認識で行動していると、現状を変えることはなかなかできないのです。

 

でも、策を考えるのに疲れ果てて、ゼロベースに立ち返って真田の里をぼんやりと眺めたおかげで、昌幸は自分の持っているちからを客観的に見ることができたのです。

 

つまり、真田昌幸は自己を客観視することによって、自己概念が変わったということなんです。

もっと言えば、自己概念が「国人」から「大名」へと成長したのです。

 

会社で例えると、課長から部長、部長から社長へ成長するように。ここで言うのは地位ではなくて、「自己概念」ですが。

いや、戦国にあっては、もっと切実なことかもしれません。もし真田が大名にならず国人の自己概念のままであれば、大名たちに引きずり回された挙げ句に滅亡したかもしれないからです。

 

自己の客観視によって、自分が持っているちからを正しく把握することができる。ちからがあるとわかれば、「決意と覚悟」も定まります。ちからがないのに覚悟って定まらないと思いませんか。例えば、借金ばかりあって売上がない会社を継ごうと思っても、覚悟ってできませんよね。昌幸も同じです。国人ではとても頼りなさ過ぎて覚悟なぞできなかったけど、「ああ、信濃って実は恵まれた国なんだ。それを押さえてる自分には立派なちからがあるから、大名に頼らなくても自立できるんだ」と覚悟が定まり、「よし、絶対に奴らには負けない!真田を守りきってみせる!」と決意ができたのです。

 

真田昌幸は、こうして「国人」から「大名」へと成長して、天正壬午の乱を乗り切り、上田城の戦いで徳川軍を打ち破って、戦国に一躍その名を轟かせることになるのです。

 

こうしてみると、正しい自己概念を持つことはすごく大切なことですね。自己概念が変わることで、現状への意味づけが変わり、自分の行動が、目の色が段違いに変わるのです。後継者の学校では、キャリアの視点から後継者の「自己概念」に切り込むプログラムを準備しています。これって、すごいことなんですよ。期待してもらって全然構いませんよ。期待してください!

 

ブログを読んで興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非後継者の学校の説明会にご参加下さい。

その前に、まず後継者インタビュー(無料)を受けてみて下さい。時間はそれほどかかりません。だいたい、30分~1時間ほどです。

事業承継に関する自身の悩みが整理され、すっきりすると好評です。お気軽にお問い合わせいただければと思います。

 

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実録 事業承継~社員の気持ち③~

河合さん

中小企業の事業承継において、最も一般的な親から子への承継。株の引き継ぎがスムーズであることや周囲の納得感が得られやすいなど、メリットはたくさんあります。

しかし一方で、親子とはいえ、全く異なる考え方を持った後継者が社長になり、組織をまとめていくのは簡単なことではありません。

しかし、後継者が事業承継のタイミングでするべきことをしっかりすれば、必ず強い組織になるのです。

では、後継者がするべきこととは何でしょうか?

 

後継者の学校大阪校を担当しております税理士の河合です。

中小企業の事業承継は、M&Aなど様々な取り組みが活発になってきていますが、やはり親から子へと引き継がれる場合が多いです。

様々な苦労をしながら育ててきた会社を引き継いでもらうのは、他人よりも我が子であるほうが嬉しいという親の心情もありますが、株の引継がスムーズにできること、社員のなかからの登用よりも他の社員からの納得感が得やすいことなどが、その理由として挙げられます。

しかし、実際現場に入ってみると、古参社員との軋轢、先代が採用した社員と後継者が採用した社員の間の考え方の違いなどなど、泥臭い人間関係の中にどっぷり浸かり、疲れ切ってしまう後継者も少なくありません。

しかし、軋轢をマイナスな出来事ととらえるのか前向きに考えるのかにより、結果は全く異なります。前回ご紹介しましたように、まずは後継者が社員の気持ちを理解することが大切です。

 

後継者が組織をまとめるための第一ステップ

トップが交代するという会社の大きな変化を目前にした時、社員は当然不安や期待といった複雑な思いを抱きます。(その理由は前回の記事を参考にしてください。)

「従来のやり方では効率が悪い」とか「もっと営業の仕方を変えなければならない」とか「基本的な制度もないようでは会社といえないから形を整えなければならない」とか、後継者としては、できていないところが目につき、当然しなければならないこととして「現状を変えよう」、「良くしよう」とやっきになることが多くあります。しかし、その時の社員の気持ちはどうでしょうか?先代社長とともにずっと作り上げてきたやり方を否定され、すぐさま別の方法に変えろと言われても、頭でそれが必要と分かっても、行動に移すことは難しいというのが本音です。嫌々やることに成果はついてくるでしょうか?

そこで、後継者がしなければならないこと。それは、社員ひとりひとりと向き合うということです。当然でしょ?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、実はひとりひとりと向き合ったことがない後継者の方が多いのも事実です。社員ひとりひとりの家族構成は知っていますか?生年月日は?好きな食べ物、嫌いな食べ物は?後継者の中には、いつも近くにいるのに知らないことが多いことにびっくりされる方もいらっしゃいます。

確かに、自分のことをどう思っているか分からない、社長の息子(娘)だからといっていつも何か見えない距離を感じている社員と向き合うのは、勇気がいります。でも、ひとりひとりと話してみれば、知らなかったことが色々見えてきます。決して単なる「仲良し」になることをお勧めしているわけではありません。媚びるわけでもありません。「私はこう考えていますがあなたはどうですか?」とこれからの会社の方針について語り、合意形成をしていくのです。

これが、後継者が組織をまとめるための第一ステップです。いかがですか?事業承継は創業と違い、既に様々なものが動いていて、一見なんの問題もないように見えます。だからといって、なんとなく過ごしていると、なんとなく時は過ぎ、いつのまにか後継者はいてもいなくても大して影響のない人になってしまいかねません。事業承継を成功させるためには、後継者が主体的に動くことがとても重要なのです。

 

後継者の学校では、このようなテクニックではなく押さえるべきポイントをしっかり理解し、実践に移していただける仕組みがたくさん入っています。

また、お得に参加できる「放課後勉強会」や無料で受けられる「後継者インタビュー」好評実施中です。ご興味のある方は是非ホームページ(http://school-k.jp/)からお問い合わせください!

 

クリニックの事業承継⑱ まず何をすべきか?

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後継者の学校のパートナーの児玉秀人です。

私はクリニックの相談にのらせていただくことが多いです。クリニックの経営は財務のこと人事採用教育のこと、相続問題にマーケティングのことなど相談事は多岐にわたります。クリニックの事業承継は一般と何が違うのでしょうか。そのあたりをつづっていきたいと思います。本日は、今すべきことについてです。

後継者の学校のパートナーコンサルタントの児玉秀人です。

 

あなたが事業承継の重要さに気づいたとしたら、今何をすべきなのか。

 

  1. 環境整備

まずは環境整備です。準備の最初の一歩です。いわば準備のための準備です。

ここの手を抜かないことが、事業承継に関わらず、全ての仕事の基本になります。

□    要らないものを捨てる

□    書類の整理・整頓・ファイリング

□    材料、備品、倉庫の整理・整頓

 

  1. 現状把握

自院の隠れた問題を明らかにし、自院の価値と可能性を明らかにする。

□ 財務の実態

実態BS・実態PL・資金繰り・個人との貸借

□ 法務の実態

契約・許認可・コンプライアンス・紛争

□ 事業の実態

市場環境・顧客・商品・競合・SWOT分析

 

  1. 自社の磨き上げ

□ 業務の改善・無駄な経費支出を削減する。
□ 貸借対照表のスリム化(資産の処分)する。
□ 自院の強みを認識し、より強化する。
□ 勝ち戦のできる事業に選択と集中を行う。
□ 業務の権限委譲を進める。
□ 公私を分ける。(資産の貸借・車・交際費)
□ 社内規程・マニュアル・各種書類を整備する。
□ コンプライアンスを徹底する。

 

  1. 可能性を探る

事業承継のすべての形態の可能性を探る。

□ 親子間承継
□ 親族への承継
□ 従業員への承継
□ 他人への承継(M&A)
□ 社会への承継(積極的清算・廃業)

 

  1. カタチの仮決定

事業承継のすべてのカタチの中で、複数の選択肢を仮決定する。

例えば、親子間での承継を進めながら、M&Aで売却して別の場所に新規開業するなどの選択肢を複数決定する。これは仮決定なので、あとで変えてもよい。

  1. 同時進行

仮決定した事業承継のカタチを複数同時に進めていく、この過程を詳細に記録する。

 

  1. ひとつに絞る

最終的に複数の選択肢から一つに絞る。一つに絞れない場合は1からやり直す。

 

自身人生をかけた大仕事なので、納得いくまでやりきることが大事です。

 

 

このエピソードに胸がざわついた

そんな後継者(経営者)の方! まずは

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「後継者と共に強い会社をつくるヒトとおカネの専門家」

児玉秀人でした。

 

メディカル、デンタルのサポートをしています。

「クリニックの財務が劇的によくなる秘密の方法」教えます。

 

財務状況を改善したら次はヒト。

「業績が30%向上する人事評価システム」教えます。

私が得意なのは以下です。

 

・人材採用・育成相談、人事評価システムの提供

・資金調達のための経営改善計画書の作成

・設備投資と事業計画に基づいた財務計画の策定

・Web戦略相談など

歯科後継者塾|歯科の事業承継を5日間で学ぶ

 

オリンピック選手にみるモチベーション

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後継者の学校パートナー中小企業診断士の岡部眞明です。

リオデジャネイロオリンピックが終わりました。閉会式の日本のプラグラムは本当に素晴らしく、日本という国の伝統とセンス、サブカルチャーの魅力を如何なく示すものでした。

メダル獲得数も41個と過去最高となりました。もちろん、メダルを獲得できなかった人も含めてこの大きなスポーツ大会に参加したすべての選手の頑張りは無条件に賞賛されるべきもので、その一人ひとりにもたらされた結果に価値の差はありません。

そして、この大会に臨むにあたって、「地獄のような練習」(シンクロナイズド・スイミングチーム)を耐えてきた選手たちのモチベーションの高さは並大抵のものではなかったと思います。

この高い並外れたモチベーションの根源はどこにあったのでしょうか。

試合後の選手のコメントやエピソードから類推することにしましょう。

女子レスリング吉田沙保里選手は、4連覇を逃した後「気持ちで負けてしまった。ずっと恐怖で、重圧はすごくあった」と、霊長類最強女子といわれるくらい強い自分が負ける恐怖を語っています。また、女子200メートル平泳ぎ金籐理絵選手は、前回ロンドンオリンピックの代表選考にまけた悔しさを克服し、「どんな結末になっても今回が最後」と臨んだリオで金メダルに輝きました。

男子水泳で金銀銅のメダルを獲得した萩野公介選手は、去年の骨折で出場できなかった世界選手権でのライバル瀬戸大也選手の活躍を見て「俺は何をやっているんだ」と発奮したといいます。

吉田選手は、負けるという恐怖心から逃れることがトレーニングのモチベーションとなったといえますし、金籐選手は、ロンドンオリンピック選考会落選の悔しさから、萩野選手はライバルの活躍が発奮材料になったのです。

モチベーションが高い人といえば、いつも前向きで元気いっぱいの太陽のような、わが千葉県知事森田健作さんの若い時の(もちろん役の上ですが)のような人をイメージする人が多いかもしれませんが、あんがい、人のやる気って、マイナスの感情から生まれる場合も多いのではないでしょうか。

もちろん、(役の上の)森田健作さんのような人は、何に対しても前向きで、少々の失敗は気にせずに仕事をこなしてくれるでしょう。一方で、失敗することが怖くて、用意周到に仕事に備える人は、堅実に仕事をしてくれます。

森田健作さんと吉田選手たちの共通点は何でしょうか。失敗をしても気にしない人と失敗を恐れる人のモチベーションを考えるうえでの共通点は何でしょうか。それは、前を向いていることだと思います。一方は、成功するという確信に向かって、もう片方は、失敗して悲しむ後ろ向きの自分に背を向けて。

会社組織には、いろいろな人がいます。違った人かいるから組織の力になります。その人毎にモチベーションの形は千差万別です。そして、会社で起こる出来事も、人間関係も千差万別。

そんな人や組織、出来事をまとめ上げるリーダーシップも決まった形はありません。

常に動いている会社をまとめる経営という仕事も、喜んだり、悔しがったりモチベーションを刺激してくれる仕事ですね。

この話が少しでも何かのきっかけになれば幸いです。

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後継者にまつわる小説あれこれ(その13)

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司法書士の木村貴裕です。

小説は気軽に読めて、でも何か気づきを得たり、力がわいてくることってありますよね。

ほんの少しでも何か感じてもらえそうなものをこれから少しずつ紹介したいと思います。

後継者の学校パートナーブログですので、もちろん後継者や事業承継に関するものを。

 

後継者の学校パートナーで司法書士の木村貴裕です。

私は通勤時間をもっぱら読書にあてております。

地下鉄なので外の景色を眺めても面白くもなんともないという理由もありますが。

 

経営書ではなくあまり肩のこらない小説ばかりなのですが、結構事業承継にからむ話もあります。

後継者や後継者候補の方に何か少しでも感じてもらえるものがあればと思い、今まで読んだ中から、後継者や事業承継に関係するものを何冊か紹介します。

 

今回紹介するのは、

 

「これは経費で落ちません! 経理部の森若さん」青木祐子 著(集英社)

 

タイトル、そして裏表紙に、「営業部のエースが持ち込んだ領収書には「4800円、たこ焼き代。」」とあったので、てっきり池井戸潤著の「不祥事」に登場する花咲舞のような女性が主人公の話かと勘違いしていました。

勝手な予想に反して、大変おとなしく波風を立てるのを嫌う女性でした。

 

主人公の視点を中心に、たまに他の登場人物の視点を交えて、社内の人間模様を描く作品です。

読後、主人公(のような女性?)に会ってみたいと思ったし、その先の物語が気になるというなかなか楽しめる作品でした。

 

が、しかし、どうも納得のいかない部分が多いのです。

 

本意ではありませんが、作品にけちを付けているように受け取られるだろうなぁというのを覚悟の上で申し上げると、

いくつか生じる問題の解決方法に「それで良いのでしょうか、森若さん。」と問いたい気持ちがわき上がってきます。

 

コンプライアンス上問題だ、と大上段にかまえるつもりはありませんが、今回は小さな問題かもしれないが、小さなほころびがやがて大きなほころびになりはしないかと不安になります。

 

「放っておいたら後々大きな問題に発展するかもしれない。ああ、社内のこのたるんだ空気をなんとかしたい。」と。

でもこの思いをストレートにぶつけるとどうなるのでしょうか。

 

実はここで考えたいのは、後継者が第三者的な目で社内を見ると、色々改善したいところが目に付き、それらに着手するも、社員からはどんどん浮いた存在になっていく。

正論を言い、正しい行いをしているはずなのに、皆からはうっとうしがられ疎外感を味わう。

 

そういう経験をされた後継者も少なくないのではないでしょうか。

 

この「将来的に問題になる前になんとかしたい。」という思いは間違っているわけではありません。

会社を少しでも良くしたいという気持ちは大切です。

 

でもそれを行動に移す前に知っておきたいこと、注意しなければならないことがあります。

 

後継者候補、もしくはもう後継社長となっているかもしれませんが、まだ会社に馴染んでいない浮いた存在のままで、ストレートに正論をぶつけても良い反応は返ってこないでしょう。

 

後継者の学校では、後継者や後継者候補のために、人・組織の問題や独自のリーダーシップ論など事業承継に関する幅広い内容のプログラムを用意しています。

 

ご興味のある方は、一度ご連絡下さい。

 

今回紹介した小説は、「風呂ソムリエ 天天コーポレーション入浴剤開発室」という話の続編のようです。

そちらも読んでみようと思います。

 

もしよろしければ、皆様も一度手に取ってみて下さい。

 

この話が少しでも何かのきっかけになれば幸いです。

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気になる方は、ぜひ一度、後継者インタビューをお試しくださいね。

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歴史に学ぶ後継者経営 真田丸③(真田昌幸)

samurai

私主に日本の歴史から後継者経営に学べる題材をとって、皆さんと一緒に後継者経営を考えて参りたいと思います。今回からは、「真田丸」から題材をとって、真田昌幸の後継者としての成長を見て参りたいと思います。真田丸、お勧めですので見てください。昌幸、信之、信繁それぞれがそれぞれの承継をしていきます。

後継者の学校パートナー、この頃はすっかり「真田丸」ウオッチャーである石橋治朗です。

私は主として日本の歴史から題材をとって、事業承継や後継者経営のありかたを皆さんと考えていきたいと思っています。

 

前々回からの続きで、今年のNHK大河ドラマ「真田丸」を取り上げて、後継者のあり方を考えてみたいと思います。

今回取り上げるのは第6話くらいまでですね。前回からも時間がたってしまい、既にだいぶ昔の話ですので、ご覧になられている方はもう忘れちゃったよ、と思われるかもしれませんが、どうかおつきあいください(汗)。

 

さて、前回は「真田丸」以前の真田家の話、当時真田家が置かれていた環境や歴史について、少し説明させていただきました。今回から、いよいよ「真田丸」での真田昌幸について、お話ししたいと思います。

 

武田家が滅び、真田昌幸は本拠である岩櫃城へ戻って今後の方針を考えます。

 

ただし、真田家は独立した大名ではなく、「国衆」と呼ばれる地方の有力者の一つに過ぎません。信濃の大名は武田家であり、国衆はその武田家に協力する代わりに庇護を受けている、いわば大企業の系列会社のような存在でした。「国人」とも言われたりします。

大名から見ると、国衆は平時には自分の手の届かない地元住民を代わりに治めてくれて、合戦になった時には兵士を連れてきて一緒に戦ってくれる頼もしい存在である一方で、いつ何時敵方にいつ寝返るかもわからない存在でもありました。自分の家臣とは違って、人質を取って警戒する一方で、丁重に扱っていたようです。「真田丸」の中で、武田勝頼が真田昌幸の人質を解放したのは、いかに昌幸が勝頼から信頼され感謝されていたかを示すエピソードです。

 

また国衆にとっては、大名は自分たちを守ってくれる、頼れる存在でした。

それがいなくなってしまったのですから、一大事です。

 

まして、真田家が治めていたのは信濃から上野(今の群馬県)にまたがる地域であり、北は上杉、上野の南には北条、甲斐国(今の山梨県)からは織田が迫ってきていて、元々は武田家の敵方になったり同盟を組んだ相手だったりと、過去のいきさつが複雑な相手ばかりに囲まれています。一方と手を組めば、他の相手を敵に回すことになる。しかも過去のいきさつから考えると、手を組んだ相手が100%信頼できるとはとても言えない。

 

このような困難な「外患」(外からの脅威)に加えて、真田昌幸は「内憂」も抱えています。国衆たちです。

武田家からは、真田家が有力な国衆であると扱われていましたが、それはあくまで武田家内部の話で、当の国衆たちはそのように思っていません。人によって違いはあるものの、真田家を含む北信濃と上野の国衆は皆平等な立場だと認識しています。特に「黙れ、小童!」の室賀正武ですね(笑)もう、古いですが…(汗)

 

従って、昌幸がいろいろな案を出しても、自分の利害やメンツにとらわれて全くまとまりません。

 

また、当の真田昌幸はどうだったのでしょうか。

 

前回申し上げましたとおり、真田昌幸は外様でありながら、武田家のエリートコース、大企業で言うとオーナー一族の親類にもなれるチャンスがありました。そこから兄たちの死や武田家の滅亡によって、一気に中小零細企業のような真田家の当主に「落ちぶれた」わけです。

 

そういう経験をした真田昌幸の意識って、どうでしょうか?想像してみてください。

 

自分や自分の周りの全てが武田家に比べると頼りない存在だなあ~と、思ってしまうのも無理はないですよね。

 

武田一族や家臣たちに比べると、意識も能力も低いのに我欲だけは一人前な国衆たち。

完成前だったが立派だった新府城に比べると、貧弱そのものの岩櫃城。

広大な領土と金山(「真田丸」では触れられていませんが武田家の財力を支えていた)を持っていた武田家に比べて、真田の領土は貧しく兵士も少ない。

そして、自分の危機感をよそにわかりきってることばかり言う長男と脳天気な次男坊。

 

「真田丸」の真田昌幸は、胡桃をもてあそびながら独り苦悩します。

自分が頼ることができるのはなにもない。頼れるのは、武田信玄の薫陶を受けた己の知謀のみ。この知謀でしか、この難局は打開することができない。そう思い込んでいます。

 

でも、果たして本当に、そうなのでしょうか。昌幸は自分の知謀しか頼ることができないのでしょうか。真田家はよるべなき存在なのでしょうか。

 

ところで、皆さんは「キャリア理論」というものをご存じでしょうか。

古い話をしていたのに、突然「キャリア」とかカタカナ用語を持ち出して、ごめんなさい。

でも、この時期の迷っている真田昌幸を考える上で、「キャリア理論」を使うのが非常にぴったりなのです。

「キャリア理論」とは、「キャリア」に関する理論ですね。当たり前か。

「キャリア」とは、皆さんご想像の通り狭い意味では「職歴」「経歴」を意味しますが、本来はもっと広い、人の「人生」について考えるものなのです。仕事も含めて、どうすれば自分の人生を有意義なものにすることができるのか、それをいろいろな人が考えている、非常に奥の深い学問です。決して、大学やハローワークの「就職相談」だけではないのです。

 

その「キャリア理論」で非常に大切な概念として、「自己概念」というものがあるのです。「自己概念」とは、文字通り「自己」に関する「概念」です。これも当たり前か。

非常に簡潔に言ってしまうと、自分や自分に近い人たちは、自分をどのようにとらえているか、考えているのか、ということです。家族をみてみると、親は自分を自分の子供の親と考えているし、子供は自分を親の子供と考えています。これはあまりいい例ではないかもしれません。会社で言うと、新入社員は新入社員としての、課長は課長としての、社長は社長としての自己概念を持っています。

 

自己概念の重要性は、自分をどうとらえているかというそのものよりも、自分をどうとらえるかによってその人の行動に影響を及ぼす、ということにあります。新入社員は新入社員の行動をしますし、課長も社長もそれぞれ課長と社長の行動をします。もしも、ここで新入社員が社長のような、あるいは社長が課長のような行動を取ったらどうなるでしょうか?自分も周りも混乱しますね。自己概念が自分の行動や周囲と一致していると、割と物事は上手くいきますし、不整合を起こしているといろいろなあつれきが起こったり、自分のしたいことがうまくいかなかったりします。

自己概念は、本当はもっと深い概念なのですが、今回はこの辺にしておきますね。

 

さて、この「自己概念」という考え方を真田昌幸に当てはめてみるとどうでしょうか?

 

昌幸は、先ほども述べたとおり真田家を「頼りない、ちからのない“国人”」ととらえています。昌幸の場合不幸なのは、かつて強大な武田家の一族に連なるところまで登り詰めたところから、あれよあれよという間に地方の一豪族の当主にまで身を落としてしまったという意識があるために、余計に真田家を小さい存在だととらえてしまっているのですね。

 

それを示す象徴的なシーンがあります。

 

昌幸は、信之(源三郎)に「わしは海を見たことがない…山育ちだから」と述懐します。そして、「国衆(国人)は、力のある大名にすがるしかないのだ…」と呟きます。

しかしながら、武田家で武藤喜兵衛のときに、昌幸は家康を三方ヶ原の戦いで追い詰めていたはず。三方ヶ原は浜名湖の東側にあり、海はすぐそこです。信之からそれを聞かされた高梨内記も「そんなことはないはず…」といぶかります。

ここで「海」とは、「港」のことなんですね。有力な大名は、交易の拠点となる良港を有していました。武田信玄は、清水港が欲しいがあまりに、同盟を破って今川を攻めたくらいです。

自分は国衆であり、国衆は大名にすがるしかない、という自己概念から、思わずこのような一言が出てしまったのですね。

私も、これを聞いていて思わず膝を打ってしまいました。三谷幸喜、芸が細かい!と。

 

そのような自己概念を持っていると、どうなるでしょうか。昌幸の行動は「国人」という枠に押し込められて、いや自ら押し込めているために、非常に選択肢が少なくなってしまいます。そのような状況では、得意の知謀も飛躍のためのつばさを失ってしまっているも同然です。

 

武田が滅亡し、織田が攻めてきているいま、北の上杉に掛け合うか、北条に頭を下げるか。

 

真田昌幸は、皆の意表をついて、敵方と思われた織田に売り込んで、見事に成功させます。それはよかったのですが、一本気だけれども少々知恵の回らない長男を謀略のだしにつかい、心に傷を負わせてしまいます。得々としている父親を見て、源三郎は情けないとともに不信感を抱きます。昌幸は確かに、知恵は回るけれども、なぜかそれに心から納得することができない思い。なぜなんだろう…

 

織田信長に、真田家を高く売り込んで得意の絶頂にいた昌幸に、しかしながらこれ以上ない天の鉄槌が下ります。

 

本能寺の変!

 

真田昌幸が「知恵」を絞ってこねくりあげたものが、全て粉々に砕け散ります。

 

源三郎と二人になった昌幸は、こともあろうにもてあそんだ長男に対して「俺はどうしたらいいんだ!」とすがります。どの面下げて、とはこのことですが…

でも、ここで徹底的に、心の底から自分の「知恵」に自信を喪ったことが、昌幸が変わってゆくきっかけとなります。

そして、二人の息子たちが、昌幸を変えていくのです。

二人のそれぞれの個性で…

 

変わった真田昌幸は、国衆としてうろうろしていた真田家を、戦国を生き抜いて明治まで続く大名へと変えていきます。

 

ようやく、次回完結編です。

 

ブログを読んで興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非後継者の学校の説明会にご参加下さい。

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実録 事業承継~社員の気持ち②~

中小企業の事業承継において、最も一般的な親から子への承継。株の引き継ぎがスムーズであることや周囲の納得感が得られやすいなど、メリットはたくさんあります。

しかし一方で、親子とはいえ、全く異なる考え方を持った後継者が社長になり、組織をまとめていくのは簡単なことではありません。後継者が事業承継のタイミングでするべきことをしっかりすれば、必ず強い組織になるのです。

後継者が組織をまとめていくときに立ちはだかる壁がいくつかあります。その一つが古参社員との関係です。

 

後継者の学校大阪校を担当しております税理士の河合です。

中小企業の事業承継は、M&Aなど様々な取り組みが活発になってきていますが、やはり親から子へと引き継がれる場合が多いです。大切に我が子のように、あるいはそれ以上の想いで育ててきた会社を引き継いでもらうのは、他人よりも我が子であるほうが嬉しいという親の心情もありますが、株の引継がスムーズにできること、社員のなかからの登用よりも社員から納得感が得やすいことなどが、その理由として挙げられます。

しかし、実際現場に入ってみると、古参社員との軋轢、先代が採用した社員と後継者が採用した社員の間の考え方の違いなどなど、泥臭い人間関係の中にどっぷり浸かり、疲れ切ってしまう後継者も少なくありません。

 

後継者と古参社員との間に軋轢が生まれやすいのは何故か

古参社員という言葉にどんなイメージを持たれますか?言い換えるとベテラン社員、古株など「頼れる存在」というイメージもあれば、「変化に抵抗する勢力」というイメージを持たれる方もいらっしゃるのではないでしょうか?後継者にとってみれば、子供のころから自分の事を知っているため頭の上がらない、少し煙たい存在という場合も多く見うけられます。

後継者が親の会社に入る際には、100%継ぐと決まっているわけではなくても自分なりに決意をして入社するという場合もあれば、親に言われて仕方なく入社する、周りの雰囲気を感じて何となく入社するといった具合に色々なパターンがあります。いずれにしても、周りの目、後継者自身の意識などから、元々何の関係もない会社に就職するのとは全く異なる立場で入社することになります。

その違いは一般的な就職と比較するとよくわかります。通常、就職する際には、面接を受けたり、同業他社も含めて会社のことを調べたり、入社した場合の自分の将来像を描いたりというプロセスを経て、自分で納得して入社します。このプロセスは古参社員も経験しています。そして、社内で様々な教育を受け、仕事も覚え、同僚や上司との関係性を深める中で立場も確立し、この会社で働いていて良かった(良かったとまではいかなくても、少なくとも悪くない)と感じています。時間をかけて会社のカラーに染まっていくのです。

でも、後継者は違います。後継者はいずれ自分が経営するかもしれないという目で、様々なものを見て考えます。しっかり考えれば考えるほど、これまでのやり方が古いと感じたり違和感があったりと、色々変革したいと思うようになることも多いでしょう。そんな変革を進めていこうとする後継者の姿は、古参社員にはどのように映るでしょうか?

入社以来、時間をかけて馴染んできた組織が大きく変わってしまうことに、誰でも多かれ少なかれ不安を感じるというのは良く理解できます。それは、変化した後会社がどのようになるのか分からないという不安、先代に対して抱いている尊敬の念が踏みにじられたように感じる瞬間の怒りなどなど、様々な気持ちが交錯して、素直に改革に協力的になれなかったりするのです。

後継者は、その気持ちを理解するところから始めなければなりません。この視点が抜けてしまうと、組織をまとめていくのにかなり遠回りをしてしまうことになるかもしれません。

 

後継者の学校では、このようなテクニックではなく押さえるべきポイントをしっかり理解し、実践に移していただける仕組みがたくさん入っています。

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クリニックの事業承継⑰ 今考えるべきこと

後継者の学校のパートナーの児玉秀人です。

私はクリニックの相談にのらせていただくことが多いです。クリニックの経営は財務のこと人事採用教育のこと、相続問題にマーケティングのことなど相談事は多岐にわたります。クリニックの事業承継は一般と何が違うのでしょうか。そのあたりをつづっていきたいと思います。本日は、今考えるべきことについてです。

 

後継者の学校のパートナーコンサルタントの児玉秀人です。

 

事業承継に取り組むにあたって、今考えることはなんでしょうか?

もう一度、立ち止まって考えてみましょう。

 

そもそも事業そのものの過去はどうだったのでしょう。

例えば歯科事業であれば、かつては歯科医院の前に行列を作って

診てもらえるまで痛みに耐えて待っている患者さんであふれていました。

 

その時代に大切だったことは「いかに早くたくさんの患者さんを診てあげられるか」でした。

悪くなるまで行かなくていい。ただでさえ混んでいるのに・・・

こんな風に来院者は考えていたかもしれません。

 

現状はいかがでしょうか?

過去の成功に囚われている医院の多くは苦しんでいます。

一方でファンを増やして来院者であふれる医院があるのも事実です。

 

将来はどうなっていくのでしょうか?

保険診療の範囲は?

点数の改正は?

訪問診療の可能性は?

 

すでに、さんざん話し合われていることかもしれません。

 

 

では、実家の医院のことはどうでしょうか?

 

大先生が開業した時のエピソードは聞いたことがありますか?

あの時は大変だった・・・とか

あの時はものすごく嬉しかった・・・とか

あの時が一番「医師になってよかったと思ったなあ」・・・とか

 

現状はどうでしょうか?

足りないものばかり目についてませんか?

自分がお金出して医院を買う前提で真剣に現状を見れてますか?

 

この医院の将来はどうなりますか?

どうして行きたいですか?

 

どんな承継のカタチがベストだと思いますか?

自身はどうしたいですか?

現実的にはどんな障害がありますか?

 

 

このまま手を打たないとどうなりますか?

 

立ち止まって考えてみてください。

 

事業承継について考えるということは

「人生」について考えるということです。

 

 

このエピソードに胸がざわついた

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「後継者と共に強い会社をつくるヒトとおカネの専門家」

児玉秀人でした。

 

メディカル、デンタルのサポートをしています。

「クリニックの財務が劇的によくなる秘密の方法」教えます。

 

財務状況を改善したら次はヒト。

「業績が30%向上する人事評価システム」教えます。

私が得意なのは以下です。

 

・人材採用・育成相談、人事評価システムの提供

・資金調達のための経営改善計画書の作成

・設備投資と事業計画に基づいた財務計画の策定

・Web戦略相談など

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