カテゴリー別アーカイブ: 人・組織・風土

後継者にまつわる小説あれこれ(その10)

司法書士の木村貴裕です。

小説は気軽に読めて、でも何か気づきを得たり、力がわいてくることってありますよね。

ほんの少しでも何か感じてもらえそうなものをこれから少しずつ紹介したいと思います。

後継者の学校パートナーブログですので、もちろん後継者や事業承継に関するものを。

 

後継者の学校パートナーで司法書士の木村貴裕です。

私は通勤時間をもっぱら読書にあてております。

地下鉄なので外の景色を眺めても面白くもなんともないという理由もありますが。

 

経営書ではなくあまり肩のこらない小説ばかりなのですが、結構事業承継にからむ話もあります。

後継者や後継者候補の方に何か少しでも感じてもらえるものがあればと思い、今まで読んだ中から、後継者や事業承継に関係するものを何冊か紹介します。

 

今回紹介するのは、

 

「被取締役新入社員」安藤祐介 著(講談社)

 

被取締役は、「とりしまられやく」と読みます。

過去にドラマにもなったようですが、残念ながら私は知りませんでした。

 

小中高といじめられ続け、何をしても失敗続き、28歳独身で不細工な、(ひどい表現ですが)史上最低のダメ男が、なぜか一流企業に採用される。

それは、ある特命を遂行するためだった。

 

ということで、その任務は、天性のダメ人間ぶりを発揮し、ストレスのはけ口になることにより他の社員の心に余裕を持たせ、それにより社内の士気向上を図り、ひいては業績アップにつなげていくという無茶苦茶なもの。

当初は上層部の思惑通りに事が運ぶのですが、、、

 

今回は主人公でなく、ある大手企業で社長まで上り詰めた優秀な父を持つ、主人公の同僚に焦点をあてたいと思います。

 

彼は、コネで入社したという負い目もあり、父を見返したい一心で仕事に取り組んでいます。

(ちょっとチャラい印象なのですが。)

順調に見えた矢先、あることをきっかけにダメ人間だった主人公が仕事で成果を出し始めるのと反対に、焦りも手伝ってか失敗の連続に。

 

退職まで考えた後、自分を改めます。

「悟りでも開いたのではないかと思うくらい、人に対する接し方が、劇的に変わった。(文中まま)」

 

上司の陰口を言わなくなり、先輩を敬い、時には頼り、肩の力が抜けた感じで仕事に取り組みます。

 

主人公が与えた影響が大きいようです。

 

主人公が後半で一つの大きな仕事を成し遂げるのですが、その時の主人公の心境に、

「自分ひとりではなく、チームプレーで成し遂げた仕事だ。」

「自分にできないことは、他の人間の力を借りればいい。」

とあり、それを

「そんな当たり前のこと」と考えている場面があります。

 

後継者や後継者候補の方は、当然これから一人で仕事をしていくのではありません。

目標に向かって周りの人と一緒に仕事に取り組んでいくことになります。

 

小説の主人公も、同僚も、それぞれのプロジェクトでは中心となって、いわゆるリーダーとなって仕事に取り組みます。

リーダーシップを発揮しなければならない場面です。

 

人は当然それぞれ違います。

でも特に肩書きを与えられると「リーダーは、」「トップは、」こうでなくてはと、身近で優秀な人と同様になろうとしてしまいがちです。

 

皆さんは、リーダーシップとはどのようなものだと考えますか。

あなたの考えているリーダーシップが、あなたを縛って、悪いことにあなたにリーダーシップを発揮させていないのかもしれませんよ。

 

続きは、後継者の学校で。

 

最後は、ちょっともったいぶってみました。

 

後継者の学校では、後継者や後継者候補が、リーダーシップを発揮するためのプログラムを用意しています。

 

ご興味のある方は、一度ご連絡下さい。

 

小説の帯に「元気が出るお仕事小説」とありますが、偽りなしです。

一度手にとってみてください。

 

この話が少しでも何かのきっかけになれば幸いです。

 

後継者の学校
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気になる方は、ぜひ一度、後継者インタビューをお試しくださいね。

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オリンピック代表を逃した北島康介選手

後継者の学校パートナーの岡部眞明です。

現在、リオオリンピックの代表選考会がいろいろな競技で開催されています。

先日、オリンピック5大会連続出場の北島康介選手は100メートル平泳ぎ決勝に臨みました。準決勝では、派遣標準記録の59秒63を切る59秒62をマークして1位で決勝進出を果たしたので、世の中の期待は大きく膨らみました。しかしながら、結果は59秒93で、小関也朱篤選手(59秒66)に次ぐ、第2位。リオオリンピックへの切符を手にすることができませんでした。

レース直後のインタビューでの北島選手の発言です。「自分らしくないレースをしてしまった。他を気にせず、自分らしく行こうとしていたんだけれど、それができずに消極的になってしまった。緊張感を味方につけることができずに、力を発揮できなかったのは、自分以外のなにものでもない。」

私は、この言葉にスポーツの素晴らしさを感じました。

北島選手の昨年は、日本代表にもなれず。引退も考えたといいます。33歳という年齢や彼の輝かしい栄光を考えれば、誰しも納得する結論だったと思います。でも、「自分の人生をかける価値のあるところ(オリンピック)」に戻るために、現役の道を選んだのです。

「毎日、紙一枚を重ねていく努力が大切ですから」といって、風邪をひいたときでも1日しか練習を休まなかったそうです。

自分の限界まで追い込んだ厳しいトレーニングを何か月、何年も続けて、その結果が思い通りになるとは限らない。でも、良い結果を求めて自分のできる限りの努力を注いでいく。今回、北島選手には、思い通りの結果はもたらせられませんでした。(北島選手は、「インタビューの最後に、「200メートルがありますから、頑張ります!!」と言っていましたが、残念ながら現実的には無理な気がしています。」しかし、北島選手がレース直後のインタビューでの発言「力を発揮できなかったのは、自分以外のなにものでもない。」は、北島選手自身は、「負けていないこと」を証明しています。自分の積み上げた努力の大切さを理解し、その結果を謙虚に受け止める。北島選手自身は、レース結果をはるかにこえた、ひととして、何を感じていくべきかを、私たちに教えてくれています。

世界の第一線で戦うスポーツ選手の精神的なプレッシャーは、私には、もちろんわかりません。オリンピックのために、世界一になるために注いだ時間とエネルギー、涙や葛藤がどんなに大きくても、その結果を成果という形で保証してくれるものは何もない。喜びは分かち合えるけど、悲しみはすべて自分自身で受け止めるしかない。でも、周りの人と喜びを分かち合えることを目指して努力を積み重ねる。

こんなことが経験できるスポーツってすごいと思いませんか?

でも、これって、経営に似ています。従業員やその家族、お得意様、もちろん自分の家族も。みんなの幸せを求めて日々励んでいる仕事、うまくいけばいいけれど、もちろんそればかりじゃない。むしろ、うまくいかないことの方が多いくらいです。

それでも、「人生をかける価値のある場所」がそこにあるんです。

男子100メートル平泳ぎと同じ日に行われた、もう一つの決勝種目女子100メートルバタフライで優勝した池江離花子選手は、57秒71で1位となりオリンピック代表の切符をつかみました。それまで、日本記録連発の15歳は、レース後のインタビューで号泣、しばし言葉になりませんでした。飛ぶ鳥を落とす勢い少女が、戦っていたものすごいプレッシャーから、解放された瞬間でした。こんな、チャーミングな涙も用意してくれていました。

良い時も悪い時もすべて含んで自分が成り立ていることを、改めて実感させられた日でした。

「晴れてよし曇りてもよし富士の山」(山岡鉄舟)

ということで、納得しつつ酔いつぶれた夜でした。

後継者の学校は、日常からもヒントを見つけようとしています。

 

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歴史に学ぶ後継者経営 上杉謙信のケース

私主に日本の歴史から後継者経営に学べる題材をとって、皆さんと一緒に後継者経営とは、を考えて参りたいと思います。五回目は、川中島の戦いで武田信玄と抗争を繰り広げた、上杉謙信の事業承継です。事業承継には理念が必要であり、理念は貫き通すことによって「価値」となり「ブランド」となるのです。

 

後継者の皆様

 

後継者の学校パートナーにして後継者の歴史評論家(笑)である、石橋治朗です。

 

私はこのブログを通じて、事業承継はどのようにすればうまくいくのか、後継者経営にはなにが大切なのだろうか、創業者経営とはなにが違ってくるのかについて、主として日本の歴史を題材にして皆さんと一緒に考えていきたいと思っております。

 

前回は、戦国時代の中心的な存在であったにもかかわらず、名家であった武田家を滅ぼすこととなった武田信玄を取り上げました。

 

そして戦国シリーズの第三回目は、その信玄と宿命の対決を繰り広げた、武闘派ボスキャラの一人である上杉謙信を取り上げたいと思います。

 

上杉謙信、島津義弘、真田信繁(幸村)

戦国ゲームでの武闘派ビッグスリーです。

特に「信長の野望」で謙信が騎馬隊を率いているときは要注意です。

中途半端な戦闘力のキャラクターが周りをうろうろしていると、謙信の騎馬隊から突撃を受けて戦死します。

バージョンによっては、突撃するときに青い稲妻が走るのですが、実際に謙信が率いる部隊からは青い光が立ち上っていたという伝説があるくらいです。馬上の謙信を見たら、逃げるにしかず。戦国ゲームでの大原則の一つです。

 

上杉謙信、別の名を長尾景虎といいます。関東管領という室町幕府における重要な役職を代々上杉家が務めていましたが、長尾景虎は請われて上杉家を相続しました。そのときに、上杉謙信へ改名したわけです。

もともとは、越後(今の新潟県)の守護代を務めていた長尾家の後継者でした。

 

越後、新潟県ですが、地図をご覧になっていただいて、新潟県の長さを指で測って東海道や九州で比べてみてください。

東海道ですと東京から名古屋近辺まで、九州だと縦の長さが新潟県の長さとほぼ同じです。実は、端から端まで330キロもあります。

要は、国が広いんですね。

 

広いので、なかなかまとまりません。信濃(長野県)も広いので統一した大名が現れず、武田信玄により征服されましたが、越後の長尾家も家中の争いでばらばらでした。

 

長尾景虎は父為景の四男として生まれますが、武田信玄と同じく為景から疎まれて、お寺に入れられます。もともと信仰心は篤い方でしたが、戦争ゲームに熱中しすぎてお寺から見放されます(笑)父為景が没した後で、兄の晴景とともに越後統一のために戦いますが、戦場にデビューした当初からあまりにも強すぎて、晴景と不仲になります。しかしながら、家臣団の推薦もあって晴景に替わって当主になり、22歳の時に越後を統一します。

 

越後の戦国大名となった景虎ですが、その後も重臣である北条高広に背かれたりと、家中はなかなかまとまりません。それに嫌気がさしたのか、27歳の時に隠居と出家を突然宣言して、高野山へと出発してしまいます。

 

慌てた家臣たちは景虎を追い、説得して連れ戻します。家臣の懇願もあって景虎は出家を思いとどまりましたが、そのときに自らの決意を家臣たちに宣言します。

 

領土を拡大するためではなく、「義」のために戦うこと

一族の争いを絶つために、女性との交わりを絶つこと

自分は毘沙門天(戦いの仏神)の生まれ変わりであること

 

それを聞いた家臣たちの反応はおそらく、「はぁ~…なんすかそれ?」だったことだろうと思います。武士の生き甲斐は命を懸けて領土を拡大することであり、子孫を残して家を継承していくことです。最後の戦争オタク宣言は百歩譲るにしても。まあ、若君の短気にはやった妄言だろうと、たかをくくって聞き流したことでしょう。

 

しかしながら、景虎は大まじめでした。基本的に、この人は言葉は悪いですが、クソ真面目で常に本気な人です。

信長にしろあるいは景虎にしろ、何かをなす人はクソ真面目で本気なのかもしれません。

 

武田信玄の回で申し上げましたとおり、信玄に領土を奪われた村上氏を助けて雪深い北信濃で10年にもわたって川中島の戦いを繰り広げ、関東では北条氏康から攻められた上杉氏を助けて、自らが養子になることで上杉家を復興し、あるいは信長によって追放された足利義昭のために京都を目指したりと、「義」のための戦いに明け暮れることとなります。

 

当然のことながら、家臣からはブーイングです。懇願して謙信に戻ってもらった手前、面と向かって言う家臣はおりませんでしたが、一銭にもならない戦いばかりしやがってと不満はたまります。

さほど景虎と戦う気のなかった武田信玄からは、迷惑顔で物好きな輩との陰口を叩かれる始末。

隔絶した戦闘力を持っていたので周りの大名からは畏怖されましたが、戦う割になんの成果もあげないので、当時は少々軽く見られていたようです。

 

戦いに明け暮れた挙げ句に、また出陣しようとしていた寒い日の朝、上杉謙信は脳溢血により倒れて帰らぬ人となりました。

戦う一生であったのに、得られた領土はほんのわずかでした。

全うしたのは、「義」と「不犯」だけです。

振り返ってみれば、なんとも空しい人生だったと、あるいは思われるかもしれません。

 

しかしながら、上杉謙信の真価はその死後に評価されることとなります。

 

相続争い(謙信は後継者を指定しなかったので)に勝って、謙信の後を継いだ上杉景勝は、本能寺の変による信長の死で九死に一生を得ます。

景勝は機敏に豊臣秀吉と同盟して、会津一二〇万石の当主となり、豊臣家における奉行の一人にまで出世します。

景勝の能力も秀吉から評価されておりましたが、それ以上に「上杉は謙信公以来、義を重んじる家であり、決して裏切らない」という声望が高まっていたからです。

 

どんな方法を使っても領土を拡大することに価値があった戦国時代から、世の中は大きく変わっていました。「義」を守る武士こそが真の武士であると、評価されるようになってきていたのです。

 

豊臣秀吉が亡くなり、その子である秀頼が幼少であったために、また戦乱の日が到来します。

豊臣との「義」を守るか、勢いのある徳川につくか、右往左往する大名のなかで、上杉家の姿勢はみじんも動きません。

 

かぶき者の前田慶次は、「武士をみたいなら上杉家に行け」と食客になります。

 

関ヶ原の戦いを経て、西軍側であった上杉家は敗者となり、徳川家による処分を受けることになります。

 

上杉景勝は重臣の直江兼続とともに謝罪のため上洛しますが、「真の武士」である上杉家の行列を見ようという観衆が絶えなかったそうです。

 

徳川家康も、敵対したとはいえ「義」を重んじる上杉家の方針は、これから平和な時代を作る上で欠かせない理念だと考えて、改易(家の断絶)せずに残すこととしました。

上杉謙信の「義」の理念は、敵からも評価されるほどに当時において重視される「価値」になっていたということですね。かの信玄も、死の床で後継者の勝頼に「自分の亡き後は景虎を頼れ」と言い残したと伝えられています。

 

しかし、敗者ですから一二〇万石から三〇万石まで減封されます。いわば売上が四分の一となったわけですから、家臣への給与は払えなくなります。「上杉家」の家来は武士の鑑、どこからも引く手あまたであり、再就職には困りません。上杉景勝は家臣たちに再就職を進めます。

 

しかし、家臣は一人も辞めませんでした。

上杉家の一員として、窮乏に耐える生活を選びます。

目の前の栄進よりも、謙信公の理念に殉じる方を選んだわけですね。

裏切りが続出してみじめに滅亡した前回の武田家とは、なんとも違うと思いませんか。

 

上杉謙信の掲げた「義」は、当初は全く理解されなかったものの、家臣たちと共有することで上杉家の「理念」になり、継続していくことで次第に「価値」として認められるようになり、さらに磨き上げていくことで「真の武士」という「ブランド」となりました。

 

後継者経営においても、創業者が遺そうとした価値や理念を発見し、それを継続し共有していくことで、お金では測ることのできない「価値」を遺せるようになるのではないでしょうか。

 

ブログを読んで興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非後継者の学校の説明会にご参加下さい。

その前に、まず後継者インタビュー(無料)を受けてみて下さい。時間はそれほどかかりません。だいたい、30分~1時間ほどです。

事業承継に関する自身の悩みが整理され、すっきりすると好評です。お気軽にお問い合わせいただければと思います。

 

後継者の学校

http://school-k.jp/

当たり前の枠の外にこそ、可能性がある

笠井さん後継者の学校パートナー 人・組織・風土づくりの専門家 笠井智美です。

あなたの会社や業界には、どんな“当たり前”が存在しているでしょう?自分たちが知らず知らずのうちに、基づいていること、信じ込んでしまっていることに気づくことで、経営革新の扉が開きます。

こんにちは。後継者の学校パートナー

人・組織・風土づくりの専門家 笠井智美です。

人や組織の成長プロセスをデザインして、

そこに集う人たちが自ら望む未来を実現するお手伝いをしています。

前回は、経営の4つの要素の中の、人・組織・風土づくりに必要なコミュニケーションについて、“褒める”と“認める”の違いを例に、お伝えさせていただきました。

社員さんが本来持っている能力を発揮するには、

どんなチーム作り、組織作りがいいのか、

まず、現状の社員さんたちの状態をよく観てあげることから始まります。

そして、そこにいる人達をよく観察していると、

会社の風土=会社としての「思考・行動の当たり前」も観えてきます。

「当たり前」というのは、ある意味“盲点”でもあります。

なぜなら、私たちの脳には、

情報を出来るだけ省エネで処理しようとする性質があり、

ある一定の“枠組み”で物事を捉えるからです。

そうなると、その“枠組み”の外のことは、視野に入ってきません。

見えていない=盲点ですよね。

だからこそ、枠組みの外には、可能性があると言えます。

「わが社にとって当たり前だから」、

「業界にとって常識だから」、となっていたら、

私たちは通常、わざわざ改めて「何故そうなの?」

「ホントにこれでいいの?」「他にないか?」なんて、

探ろうとしなくなります。

枠組みの中に映っている当たり前の景色を。

何の疑いもなく毎日見て過ごしていきます。

でも、もしその景色を違うところからみたら、

どう見えるでしょうか?

例えば日清食品のカップヌードルの開発秘話は、

当たり前の枠が外れたことで、

世界的な大ヒット商品が生まれたという見方ができます。

当時、拡大を続けてきた国内の即席めん市場が

翳りを見せ始めていました。

日清食品の創業者 安藤百福氏は、

丼にお湯を入れるだけで食べられるチキンラーメンを

海外で商品展開しようと、欧米に視察旅行に行きます。

アメリカのスーパーに商談に行き、試食をしてもらおうとしますが、

日本には当たり前にある「丼やお箸」がありません。

すると、商談相手はチキンラーメンを小さく割って紙コップに入れ、

お湯を注いでフォークで食べ始めたのです。

その光景に、安藤氏は衝撃を受けます。

フォークで食べられる容器入りインスタントラーメン「カップヌードル」は、

こんなきっかけで生まれ、世界に広がっていきました。

風土や文化などの“当たり前”が違うところに触れると、

自分たちが“無意識に基づいているもの”に気づきます。

そこに気づくと、違う枠組みからの景色も見ることができるのです。

経営革新は、自分たちの当たり前を、

「本当にそうか?」「他にないか?」と疑うことから始まります。

まだ、どっぷりと会社の中に浸かっていない、

後継者のあなただからこそ、

会社の盲点が見えるかもしれませんね!

後継者の学校は、後継者を経営者に育てるプログラムをご用意しています。

詳しくはホームページをご覧ください

後継者の学校
http://school-k.jp/

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後継者が知っておきたい“褒める”と“認める”の違い

笠井さんこんにちは。後継者の学校パートナー 人・組織の専門家 笠井智美です。

今回は、人の力を引き出すコミュニケーションについてお伝えします。自律的な社員を育てるためには、褒めて育てるのか、認めて育てるのか?そもそも、“褒める”と“認める”の違いってどんなことなのでしょうか?

前回は、経営の4つの要素の中の、

人・組織・風土づくりについて、お話しさせていただきました。

今回は、その中で少し触れた、“認める”ということについて、

掘り下げてみたいと思います。

 

現経営者のカラーに染まっている会社の中で、

後から入ってきた後継者さんが次の時代を担っていくには、

社員さんに、いかに力を貸してもらえるか、

いかに力を発揮してもらうかが重要になってきます。

 

後継者であるあなたが、社員さんと信頼関係を構築し、

リーダーとして認められなければ、

これから行っていく改革案に聴く耳を持ってもらうことも、

力を発揮してもらうこともできません。

 

そのためには、まず、あなたが社員さん一人ひとりの、

課題もいいところも含めて、“認める”ことが第一歩となります。

 

ところで、似たような意味に使われることが多い言葉に、

“褒める”という言葉があります。

 

“褒める”と“認める”、いったいどう違うのでしょうか?

 

褒めるというのは、基準が褒める側にあります。

「○○ができたから、えらいね。」

「100点取ったから、すごいね。」みたいな感じです。

つまり、背景に上下関係や評価の質があります。

 

他人に評価されるためにやるということは、裏を返せば、

誰かに評価されなければやらないということでもあります。

つまり、受け身の状態ですね。

 

また、個人が評価されることが動機付けで動く環境では、

他人と協力することよりも、

自分が評価されることにエネルギーを注ぎ、

“本質的な”チームや組織での結果に機能しなくなります。

 

そもそも他人の評価で動いているということは、

自律的な社員になるはずはないのです。

 

そればかりか、やらされ感が募り、

メンタル不全の引き金になりかねません。

 

成果主義で、比較や評価でがちがちにしながら、

自律的な社員、自ら考えて会社のために動く社員を育てたいなんて、

相反することなのかもしれませんね。

 

昇進や給与の額を決める人事評価制度は必要ですが、

人材育成や、組織の活性化、風土づくりは、

互いに尊重しあうコミュニケーションのベースがあってこそです。

 

では、“認める”というコミュニケーションとは、

具体的に言うと、どんなことでしょうか?

 

「あなたのこんなところが(こうしてくれたことが)、

私にとってこんな風に助かっている。ありがとう。」

 

このように、評価の基準を満たしていることではなく、

その人が貢献してくれていることへの気づきや感謝、

つまり自分やチームへの影響を伝えるコミュニケーションです。

 

自分が人の役に立っている、リーダーやチームや会社の

役に立っているという貢献を本人が認識することは、

自分が周りに影響を与えられる存在であるという自己効力感

(自己に対する信頼感、有能感)が高まることにつながり、

全体性から自分の役割を認識した、

自発的な行動への動機づけにもなっていきます。

 

しかし、悲しいかな、

他人の欠点や、できていないところに目がいきやすいのも

人間の性ですね。

 

だからこそ、意識して、ささいなことでいいので、

いいところや、貢献してくれていることや、

お陰様を見つけて、

社員さんに伝えてあげてほしいのです。

 

それを見つければ見つけるほど、

あなたの社員さんを見る目が変わり、

社員さんを信頼でき、社員さんも、

それを伝えてくれるあなたを、

リーダーとして信頼してくれます。

 

できないことや知らないことがいっぱいある、

身の丈のままの後継者であるあなたを、

リーダーとして認めて、協力してくれるようになるでしょう。

 

また、自分より勤続歴が長く、現場の仕事を知っている社員さんとも、

“認める”コミュニケーションなら、信頼関係を築くことができますよね。

 

そして、コミュニケーションは伝搬します。

あなたが社員さんを“認める”コミュニケーションをしていれば、

きっと、社員さん同士が互いに認め合い育ちあう風土が

できてくるはずです。

 

もちろん、現経営者にも、その貢献を認めるコミュニケーションを、ね!

 

 

後継者の学校は、後継者を経営者に育てるプログラムをご用意しています。

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歴史に学ぶ後継者経営 武田信玄のケース

私主に日本の歴史から後継者経営に学べる題材をとって、皆さんと一緒に後継者経営とは、を考えて参りたいと思います。

四回目は、戦国時代の台風の目であった武田信玄の事業承継です。事業承継には寛容な心が必要であり、また目先の利益にとらわれて「義」を破ってはいけません。そうでないと、悲劇を招くことになりかねません。

 

後継者の皆様

 

後継者の学校パートナーにして後継者の歴史の語り部(笑)、石橋治朗です。

 

私はこのブログを通じて、事業承継はどのようにすればうまくいくのか、後継者経営にはなにが大切なのだろうか、創業者経営とはなにが違ってくるのかについて、主として日本の歴史を題材にして皆さんと一緒に考えていきたいと思っております。

 

前回から、日本史の華、戦国時代に舞台を移して、いきなりのボスキャラ中のボスキャラである織田信長を取り上げました。

 

そして戦国シリーズの第二回目は、戦国時代はこの人を抜きにして語ることができない、やはりボスキャラの一人である武田信玄を取り上げたいと思います。

 

織田信長も、ドラマや小説に取り上げられることが多い人物ですが、武田信玄も多いですよね。戦国ゲームでの評価(能力パラメータ)も極めて高いです。

 

武田信玄という名前、いかがですか。重々しい名前で、重厚なイメージを感じませんか。

実は、もともとは「晴信」という諱(昔の成人名)だったのですが、出家して「信玄」と名乗るようになりました。

 

「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」という格言でも有名です。

 

しかし、信玄(晴信)自身は、信心深そうな名前とは、あるいは格言とは真逆な人生を送ることになります。

 

実は、信玄も後継者です。というか、それなりに血筋のいい武家は、事業承継をすることを前提としています。武士にとって大切な仕事(存在意義)は、「家を継ぐ」ことと「名を挙げる」ことです。

 

信玄が生まれた「武田氏」は、由緒正しい清和源氏を源流とする「甲斐武田氏」という、武士の超名門の宗家です。甲斐は今の山梨県ですね。有名どころのおぼっちゃま、といったところでしょうか。

 

しかしながら時代は戦国。武田氏も代を追うごとに衰微して、内乱状態となっていましたが、17代目の当主である武田信虎が一族の争いをおさめて、甲斐国を統一しました。信玄はその信虎の長男として、この世に生を受けました。弟の一人に、後に信玄の貴重な右腕の一人となる信繁がいます。

 

しかしながら、よくある話ですが、父の信虎と長男の信玄こと晴信はそりが合いませんでした。信虎はおとなしくて鈍重な晴信よりも、利発な信繁をかわいがります。

 

普通の家庭であれば、男同士の親子の不仲は「よくあるね~」で住む話です。創業者と後継者ですと、会社の中がぎくしゃくして周りが大変な思いをしたりしますが、まあ、それだけの話ですよね。

 

しかし、武田家は武家ですね。武家は、皆さん腰に刀というコワい一物を帯びております。

武家での不仲は、刃傷沙汰という物騒な事態になりかねないのです。

 

武田信虎がどのように考えていたか、真実は不明なのですが、武田晴信にしてみると廃嫡される(跡継ぎの身分を剥奪される)という危惧を抱くような情勢だったのは間違いありません。

廃嫡されると、最悪の場合、晴信は切腹を命じられることもあります。現に、後にそのような事件が武田氏を襲いますが、それはまた後の話。

 

さて、晴信はどのような行動に出たでしょうか。

 

なんとなんと、父の信虎を国外に追放してしまいます。

 

信虎を、同盟を結んでいる今川家(駿河や遠江、今の静岡県から愛知県の一部までの守護大名)へ追放してしまい、晴信自身が武田家の当主としておさまります。

事実上、武田家を「乗っ取って」しまったわけですね。

 

背景には、家臣団と信虎の対立があったと言われています。

武士同士の対立は、お互いの命をかけているところもあるので、晴信の行動はやむを得ないのかもしれません。

しかしながら、この行動は後々の武田家に暗い影を落とすきっかけになります。

 

その後、晴信は家臣団を掌握して信濃(今の長野県)へ侵攻を開始して、信濃の各地の大名を併呑して勢力を大きく拡大します。関東地方の北条氏や今川氏といわゆる甲相駿三国同盟を結び、背後の安全も確保します。

もともと、武田晴信の心底には京都へ武田の旗を立てるという野望があり、そこへ向けて、着々と準備を進めていました。

 

しかし、北信濃の村上氏を攻めたことをきっかけとして、10年近くに及ぶ「越後の虎」こと上杉謙信との抗争、いわゆる「川中島の戦い」に巻き込まれ、貴重な時間を空費することになります。

 

そんな中、戦国時代の勢力地図を一変させる驚天動地の出来事が起こります。

 

前回にご登場いただいた、尾張のボスキャラ織田信長が、戦国時代の代表的なやられ役である今川義元を「桶狭間の戦い」で敗死させます。

今川家も足利幕府における名門であり、東海道におけるバランサーとしての役割を果たす貴重な存在でした。

今川家の後継者は今川氏真、蹴鞠(貴族のサッカーのような遊び)の名手であるということだけが取り柄の、暗愚な後継者(いやな響きですが)で有名です。

今川家の領地には、貴重な物産の集結地である港があります。水運が当時の中心的な運送手段だったので、港を支配していることは経済的にも軍事的にも、計り知れないほど有利だったのです。

 

名門の跡継ぎが愚か(何回聞いてもいやな響きです)で、しかもその支配地には莫大な富がある。

 

隣には、山が多くて農地に恵まれないが、強大な軍事力を有している有能で野心的な大名がいる。

 

要するに、飢えた野良猫の目の前にでっぷりと太ったネズミがのこのこと現れたわけです。

どのような結末を迎えるか、誰の目にも明らかですね。

 

しかしながら、武田と今川は同盟を結んでいて、信玄(すでに出家していました)の長男である義信の正室(奥さん)は今川義元の娘です。

嫁の実家を攻めることなんて、できるのでしょうか。

当然のことながら、武田義信は猛反対します。

またしても、武田家の父と長男の対立です。家臣たちは、信虎と晴信の対立が脳裏に浮かびます。

しかし一方で、今回は武田家にとっては貴重な領土を拡大できる千載一遇のチャンスでもあるのです…

 

さて、信玄はどのような行動に出たでしょうか。

 

また、やってしまいました。

 

長男の義信を廃嫡して後に切腹させ、義信の嫁は実家に帰してしまいます。

デジャヴ、というか懲りないというか…。

義信に賛同していた家来たちも、一網打尽で粛清されてしまいます。

 

晴れて家中の意見を統一(?)した信玄は、徳川家康と組んで今川の領土に攻め入り、駿河国と念願の港を手中におさめることになります。こうして、武田家は一気に国力を高めることになりました。

 

でも、その代償として、武田信玄の手はべっとりと血塗られることになりました。

どんなに手を洗おうと、数珠を数えながら読経しようと、決してその血をぬぐうことはできません。

 

そんな信玄を織田信長は、「信玄坊主」と揶揄します。

法衣を纏おうが数珠を手にしようがお寺に多額の財産を寄進しようが、その手は血で汚れた破戒僧に過ぎない、とでもいうように。

 

国力を高め、上杉謙信を越後(今の新潟県)に封じ込めて、いよいよ信玄は念願の西上作戦を開始して京都を目指します。

しかし、そのときすでに信玄の身体は病魔に蝕まれていました。

 

甲斐国から東海道に現れた武田信玄の軍列は、今でも伝説となっております。脇目も振らず私語もせず、咳一つ聞こえない、見事に統制された軍列が粛々と京都を目指して進軍していきます。武田軍の強さは、信玄の意のままに一糸乱れず動く、機械のような統制の強さでした。

しかし、それは本当の強さだったのかどうか。もしかすると、親父を追い出し長男に腹を切らせる信玄への畏怖だったのかもしれません。

 

武田軍に侵入された徳川家康は、その重厚な隊列に対して果敢に挑みますが、三方原でフルボッコにされ、散々に破られて逃走し、恐怖のあまり脱糞してしまいます(笑)

とはいえ、家臣たちはそんな不甲斐ない家康を身を挺して守り、身代わりになって死ぬ家臣も出しながら、なんとか浜松城まで帰還させます。

 

家康を難なく破って勝ち誇った武田軍ですが、のちに信玄の死で西上をあきらめて国に帰ります。

 

信玄は、自分の亡き後のことを心配して、新たな後継者となっていた勝頼に「三年間は喪に服して、国をまとめるように」と遺言します。

 

しかし、信玄に対する恐怖でまとまっていたに過ぎなかった家臣団をまとめる力は勝頼になく、長篠の戦いで信長に惨敗し、家康にはだんだんと領地を侵食され、最後には家臣団のみならず親類からも裏切られて、逃避行のなか山中で寂しく切腹し、ここに武田家は滅亡しました。

「人は城、人は石垣、人は堀」どころではない、お互いの信頼感に乏しい内情だったということですね。

 

武田が滅んだのは、勝頼が暗愚だったせいと言われていますが、私はどちらかというと信玄に原因があると思っています。

信虎を追放したのはやむを得ない事情もありましたが、義信と対立したときにその自らの行為が記憶によみがえり、義信を恐れて結局は切腹させるという暴挙に及んでしまいました。

 

その信玄の行為により、家臣たちは信玄を恐れるようになったのではないでしょうか。表向きは忠誠を誓っていても、心の中はどうだったでしょうか。恐怖による統制は、後の反動がより怖いのです。

 

そもそも、戦国時代の家臣は主人に対してよく背きました。織田信長にしろ徳川家康にしろ、あるいは上杉謙信にしても、家臣にはしょっちゅう背かれ、裏切られています。むしろ背くのが家臣の仕事のひとつ、とでもいうように。あるいは、それが人情の一つの側面なのかもしれませんね。

 

背くことに対して厳しく対応することも時には必要ですが、多くの場合に彼らは背いた家臣たちを赦しています。

のちに逆境で助けてくれるのは、むしろかつて背いた家臣だったりもします。

 

武田家の失敗で私たち後継者が学べるのは、「承継には寛容な心が必要」であり、「目先の利益にとらわれて、義を破ってはいけない」ということだと思います。

「寛容」と「正義」を喪ったとき、人は傲慢になるとともに信望を喪うことになるのではないでしょうか。

 

次回は、信玄とは対照的に、その「義」を愚直に守り切った上杉謙信を取り上げたいと思います。

 

ブログを読んで興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非後継者の学校の説明会にご参加下さい。

その前に、まず後継者インタビュー(無料)を受けてみて下さい。時間はそれほどかかりません。だいたい、30分~1時間ほどです。

事業承継に関する自身の悩みが整理され、すっきりすると好評です。お気軽にお問い合わせいただければと思います。

 

後継者の学校
http://school-k.jp/

マネジャーからリーダーへ

後継経営者が事業承継を踏まえ、社内でマネジャーとして経験を積んでいることも多いと思います。でも、マネジャーとリーダーたる経営者は、本質的に異なる役割を担うものです。この違いを理解し、新たな役割を全うする覚悟を持つことが大切です。

 

後継者の学校パートナーの知識茂雄です。

後継経営者は、承継すべき会社内で仕事を覚えていくことも多いと思います。

一つの部門を任され、マネジャーとして経験を積んでいく方もいらっしゃいます。

一見、そのキャリアの積み方はスムーズな事業承継を実現するやり方のようにも思えます。

でも、そこには一つの大きな壁があるのです。

なぜならば、経営者とはリーダーであり、マネジャーではありません。

マネジャーの経験をいくら積んでも、簡単にリーダーにはなれないのかもしれません。

組織行動学者のハロルド・J・レビットは、リーダーとマネジャーの違いをこう表現しています。

「リーダーとは道を切り開く人であり、マネジャーとは問題を解決する人である」

”与えられた”問題を解決する立場から、”自ら”道を切り開く立場へ。

そこには、大きな、大きな意識の改革が必要なのかもしれません。

しっかりとリーダーとして生きていく覚悟を決めることも必要でしょう。

そして、そうやって覚悟を決めた人は、何もないところから道を切り開いてきた創業者の偉大さに気づき、感謝の念を抱くでしょう。

創業者とその仲間が築き上げてきた、”既にある”自社のリソースのありがたみに気づくでしょう。

そして、それがまた、後継者としてリーダーの役割を全うする覚悟を強固なものにし、一歩を踏み出す勇気につながるのだと思います。

現経営者にとっても、後継者にとっても、事業承継とは多くの場合初めてのことです。

だから、どうやって良いのかわからなくて当然。

でも、だからこそ本当はどういうものなのかを知ることが大事です。

知ることで、意識を変える、覚悟を決めることが大事であることに気づく。

そして、一旦覚悟を決めてしまえば自分から見た世界の見え方が変わります。

そこに本質的な学びを加えることで、本物の経営者になっていくのだと思います。

 

「後継者の学校」では、事業承継の本質を捉えた学びを提供しています。

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人・組織・風土づくりの第一歩とは?

笠井さんこんにちは。後継者の学校パートナー 人・組織の専門家 笠井智美です。

自社を良くするヒントは、自社の中にあります。会社の現状を把握しながら、 会社の過去と現在を把握し、未来にどんな価値を生み出せるのかを探っていきましょう。 今回は、人・組織・風土についてのお話です。

 

前回は、経営の4つの要素の中の、

事業の現状を知ることについてお伝えしました。

そして、現状把握をするために、

環境整備のお掃除を始めましょう!と、

お伝えさせていただきました。

(前回までのブログはこちら↓)

http://blog.school-k.jp/category/writer/kasai-t/

 

いかがでしたか?

やってみました?(^^)

実際にやってみた方は、

少しずつ変化が現れてきているはずです。

 

環境整備に取り組むと、

業務の流れが理解でき、物の配置について社員さんとの会話も増え、

社員さんお一人お一人の考え方や特徴も、

なんとなーく、わかってくるものですよね。

 

と、いうことで、今日は経営の4要素「人・組織・風土」の

現状把握をする観点をお伝えしますね。

 

・会社の組織図、経営理念、意思決定の仕組み、

人事制度はどうなっているのか?

 

・会社の風土は、どうなのか?

 

・会社のキーマンとなる人物は誰か?

社員間のパワーバランスや派閥はどうなっているか?

 

・社員の年齢構成はどうなっているか?

(技能やスキルの伝承がスムーズにできるのか?)

 

・社員一人一人のプロフィールや背景

(個人の価値観、思考や行動の特性、家族構成や家族の状況)

 

・社員一人一人の業務スキルや帰属意識の度合い、社内での役割

 

大企業では、転勤・転属や毎年の新卒採用などで新陳代謝を良くして

組織活力をあげることをしています。

 

しかし、雇用の人数が少ない規模の中小企業では、

長期間 同じ場所・同じ顔ぶれで仕事をしていくことが多いですよね。

 

もちろん、アットホームで良い面もありますが、

考え方が似通ってきて、視野が狭くなり、

発想力や想像力が鍛えにくい状況にもなります。

 

もしかしたら上司との関係性の中で、

意見があっても、言わないようにしていることがあるかもしれません。

言っても無駄と、思っているかもしれません。

 

人は、その人が置かれている状況や、

本人の内面的な状態などによって、

本来持っている力を発揮したり、しなかったりするものです。

 

どんなにいい業務の仕組みを考えても、

改革案を出しても、

人が動かなければ、運用はできませんし、定着もしません。

また、特に少人数の会社では、

人間関係のしこりが際立ちやすいという側面もあります。

 

大事なことは、社員さんたちの力を

最大限発揮してもらえる環境を創ることです。

 

そのためには、あなたと社員さんが信頼関係で結ばれ、

あなたが求心力を持ちながら、

社員さん同士が互いに認め合い、

ともに成長しあう風土を創っていくことなのです。

 

経営は人。

 

手始めに、人・組織・風土の現状把握を通して、

社員さんたちの良いところをたくさん発見していただきたいと思います。

 

そして発見した良いところや貢献してくれていることを、

さりげな~く、言葉にして、ご本人に伝えてあげてくださいね。

 

人は、自分をちゃんと見ていてくれて、

認めてくれる人を信頼するものです。

 

逆に、この程度にしか思われていないのかなど、

“本人”が正当に評価されていないと感じているときは、

マネジメントへの不信感も募るし、力も発揮してくれません。

 

一人一人を「認める」コミュニケーションを実践していただければ、

きっとあなたと社員さんたちとの信頼関係が増して、

互いに認め合い、尊重しあう風土づくりの第一歩になるはずです。(^^)

 

 

後継者の学校は、後継者を経営者に育てるメソッドをご用意しています。

詳しくはホームページをご覧ください

 

後継者の学校
http://school-k.jp/
後継者の経営、後継者の勉強、後継者主導の事業承継を学びたいなら「後継者の学校」へ

 

気になる方は、ぜひ一度、後継者インタビューをお試しくださいね。

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東の空に見える明け方の光

後継者の学校パートナー中小企業診断士の岡部眞明です。

今日は、ちょっと格調高く(?)万葉の歌人柿本人麻呂の句から始めましょう。

東(ひんがし)のかぎろひのたつ見えてかえり見すれば月かたぶきぬ

「かぎろひ」を、ネットで調べてみると「東の空に見える明け方の光。曙光(しよこう)」

とあります。

これを現代的に、直訳すると、

「夜明け時、明け方の東の空を見ると太陽が昇る光がさしているのが見える。振り返って、西の空をみると、満月の月がまさに沈もうとしている。」

とでもなるのでしょうか。

大宇宙の大きな営みを詠んだこの歌からは、朝の澄み切った空気を胸いっぱいに吸って大地を踏みしめ、これから始まる新しい一日に向かっていく、人麻呂の気概が感じられます。

人麻呂の生きた飛鳥時代は、聖徳太子が「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子にいたす。つつがなきや。」と、隋の皇帝に送り、冊封体制からの離脱を表明したことは昔習いましたよね。この頃から、我が国は「日本」となります。

聖徳太子が、大国「隋」の皇帝に自分も同じ「天子」であることを表明することは、とても勇気のいることだったのではないでしょうか。でもそのおかげで、現代まで続く独立の基礎をつくり上げることができたのです。

人麻呂は、聖徳太子より100年ほど後の人のようですが、人麻呂をはじめとする万葉の歌人たちは、和歌という日本文化の基礎を創りました。

この時代の人々が、日本の基礎を創ってくれました。そのおかげで、今の私たちの生活があるわけです。

昔に生きた人々の、時代を超えた視野や天地の感謝する心を一つひとつ積み重ねて、一つの国の生活や文化がはぐくまれてきたのです。

私たち一人ひとりの祖先も確実に飛鳥時代に生きていましたし、その後の時代もずーっと暮らしてきてくれたので、今の私たち一人ひとりの今の生活があるわけです。

そう思うと、人麻呂も聖徳太子も、信長も、秀吉も、家康も、うちの頑固な先代社長もいとおしくなりませんか?

ずーっと、紡いできてくれたこの会社、やっぱり、きちんと渡していかないと。

まさかと思うかもしれませんが、飛鳥時代から続いている企業を含めて、日本には1000以上続いている企業が14社もあるそうです。100年以上続いている企業は26,000社もあります。

「自分の会社ももちろんずーっと続いてほしい、いや、続いて行ってもらわないと…。」と、皆さんお考えでしょう。長く続いてきた会社には、間違いなく代々続く家訓や社是が伝わり、その成功のDNAを脈々と伝え続けています。

会社は、その時々の景気や社会の影響を大きく受け、その業績までも転換しなければならない場合もあるかもしれません。

そんなとき、社員の心を一つにするものが、家訓や社是といわれるものです。

宇宙に思いをはせる人麻呂や時代を見通す聖徳太子のように、空間と時間を大きくとらえて、従業員や家族、先代や会社の今後を考える。

たまには、早起きして朝の空気を吸うのも良いかもしれません。

もっとも、私などは、自然に早起きする年齢になってしまいましたが。

 

後継者の学校は、経営者、後継者をあらゆる面でサポートします。

公開セミナーは詳しくはこちらをごらんください。

http://okawara.wix.com/school-k-program

 

ベーシックプログラムについてはこちらをごらんください。

http://okawara.wix.com/school-k-program#!blank/acty5

 

将来輝く後継者のみなさまに出会えることを楽しみにしています。

また、当プログラムの卒業生の経営者の仲間もみなさんが参加して仲間になっていただくことを心待ちにしておりますので、

一度セミナーに来ていただければと思います。

 

どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

後継者の学校プログラムの内容について気になる方は、下記から詳細をご覧ください。

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プログラム参加はちょっとなあ・・・という方は、

まず、後継者インタビューを受けてみてはいかがですか?

無料で受けられて、気持ちがすっきりするとのお声をいただいております。

後継者インタビューについては下記から詳細をご覧ください。

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通過儀礼に学ぶ関係性再構築法

後継者の学校パートナー中小企業診断士の岡部眞明です。

今日は、昔に見たテレビからです。

何十年か前に見た、アフリカのある部族の暮らしぶりを紹介するものだったと記憶していますが、紹介したいのは、そのうちのホンの一部分です。

その部族では、子供が一定の年齢になると、特別の小屋に男女それぞれが集められ、大人になるための心構えやその部族の成立ち(神話に相当する部族に伝わる物語)やしきたり、特に、他言無用の数々の秘儀などを習う儀式が行われるとのことでした。いわゆる、通過儀礼、イニシエーションといわれるものです。

どこの社会でも、子供は次代を担う貴重な宝です。立派に未来を築いてもらうためには、自分たちの社会の成り立ちへの理解やその心構え、覚悟はどうしても必要なことです。

イニシエーションは、世界中で様々な形で行われていますが、子供から大人になる際に行われる通過儀礼としては、今では、各地で観光資源、あるいはアミューズメントとして行われているバンジージャンプの起源といわれる、バヌアツ共和国の「ナゴール」が、特に有名です。

日本でも、男子の成人の儀式「元服」は、皆さんご存知のことと思います。

どの国、どの地方の儀礼でも、「一人前の大人としての能力を認め、その覚悟を求める」という目的は共通のようです。

そのためには、それまでに社会として、家として子供を大人としてふさわしい「ちゃんとした大人」になるために教育するのです。

再び、前に見たアフリカの部族の話です。

そこでは、子供とその親の世代の関係を「シェーム」と規定しているそうです。

シェームとは「shame」、「恥ずかしい」とか「羞恥心」という意味ですよね。

子供は、親に従属して育ってきますよね、成長するに従って親へ従属から離れようとします。ありがとうと素直に言えなかったり、自分が不安に思っていることなんかを、聞けなかったりした記憶は皆さんもおありのことと思います。親の方も、子供はいつまでも子供で、自分の手元においておきたい気持ちが強かったりして、うまく関係を築けなかったりします。このようなことの原因を「シェーム」に求めたのです。

この部族では、子供たちが大人になるまで、その教育はお爺さん、おばあさんの世代が担当します。村のお爺さんおばあさんが、最初に紹介したイニシエーションの儀式が終了するまで、自分の孫を含め村の孫たちを教育します。もちろん、10日間ほど続く儀式本番の間も孫たち世代とともに小屋に缶詰になって寝食を共にします。

このシステムって、すごい知恵だと思いませんか?

当事者間だと、お互いの思いが勝ちすぎてかえってうまく関係性をつくりにくいことってよくありますね。そこで、一つ世代をまたいだお爺さんおばあさんが、教育に当たることで、円滑な関係をつくっていける。私なども、子供の頃、親に怒られて、庭の桜の木に登っていると、おばあちゃんが迎えに来てくれたものでした。

経営者の方、後継者の方もその関係について、悩んでいる方もいらっしゃると思います。従業員の方との関係も、従業員同士の関係も同じようなことが起こっているのではないでしょうか。

そんなとき、一つ別の視点から、関係性をみる役割はとても重要です。そして、専門知識があれば、もっと頼りになりますよね。

経営者の学校は、会社のそんな人間関係から会社を考えます。

 

ちなみに、いま後継者の学校プログラムベーシックコースが4月から開講しますので、

東京校では、その直前の2月と3月にですので公開セミナーを実施しています。

無料でご案内しておりますので、ご興味のある方はぜひご参加ください。

 

公開セミナーは詳しくはこちらをごらんください。

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将来輝く後継者のみなさまに出会えることを楽しみにしています。

また、当プログラムの卒業生の経営者の仲間もみなさんが参加して仲間になっていただくことを心待ちにしておりますので、

一度セミナーに来ていただければと思います。

 

どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

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Photo credit: najbo via VisualHunt.com / CC BY-NC-ND