【後継者の事例】事業承継の準備をしないで経営者になってしまった後継者

株式会社T食品工業
売上高20億円、従業員50名
*関連会社あり

田中正(父)65歳:代表取締役会長
田中一郎(兄)40歳:代表取締役社長 ※後継者
田中次郎(弟)35歳:従業員
田中勝(叔父)60歳:取締役営業部長

 

加工食品の製造、販売を業とする株式会社T食品加工の後継者,田中一郎さんは、3年前に代表取締役社長に就任しました。ただ,その際同時に,父で前社長の田中正さんが、代表取締役会長に就いたため、実質的な経営権は父の正さんが握ったままで,一郎さんが経営者として意思決定することはあまりありませんでした。

でも,一郎さんは、それでもよかったのです。
自分が経営する自信はなかったし、むしろ、まだ元気な父が経営をしてくれるなら、自分は何もしないでよいと思い。気が楽になっていました。

一郎さんは、後継者の時、銀行が主催する後継者塾に200万円を出して通ったことがありました。ですが,今となっては何を勉強したのか、まったく残っていなかったので、経営することに対してはよくわからず、受け身だったのです。

そんなある日、父で会長の正さんが突然倒れました・・・。
幸い、命に別状はありませんでしたが、長期入院をすることになってしまいました。

病室のベッドの上で父である正さんは、一郎さんに告げました。
「おれはもう経営することはできない。お前も、もう社長なのだから自分で経営をはじめてくれ。」
といって、印鑑と通帳を渡したのです。
「え・・・」
突然の申し出に、言葉を失ったのですが、少しして気を取り直し、
「今、おれがやらなければだれがやるんだ!」と、
ふつふつと「親父の代わりに、やってやる!」という気持ちが
湧きあがってきました!

しかし・・・実は、そこから地獄の日々が始まったのでした・・・。

次の日、一郎さんが会社に行くと,従業員はみんな,会長の事情を知っていて、全体的に重い空気になっていました。

「これからは、おれがしっかりしないといけない。おれがみんなをひっぱるんだ!」
そう思い、一郎さんは気持ちを高めて、全従業員を集めて話をしました。

「親父が倒れたことは、みんな知っていると思う。
これからはおれが経営者となって、この会社を導いていこうと思います。みなさんよろしくお願いします。」

従業員はみんな,一郎さんの話を聞いていましたが、だれも反応しませんでした。
いえ、反応できなかったのでしょう。一郎さんは,従業員の目が,期待ではなく、不安に溢れているように感じました。

夕方になり、3人の社員が一郎さんのもとを訪ねました。

(従業員)「こんな時に申し訳ないが、やめさせてほしい。」
(一郎)「え、なんで?」
(従業員)「俺たちは、会長に育てられて、会長に恩義があるから今までやってきたが、一郎さんの経営についていくつもりはない。」

一郎さんは、従業員との信頼関係を作るためのコミュニケーションをほとんどしていなかったので、こんなときに引き留めるすべを知りませんでした・・・。結果、引き留めも虚しく、3人は辞めていきました。

また、一郎さんは、決算書を見たことはありますが、財務のことはよくわからず、会長と経理担当に任せていました。
しかし,経営するためには、財務を知らないといけないだろうと思い、一郎さんは,経理担当に
「会社の財務について教えてほしい!」
と相談をしましたが、帰ってきた返事は、
「一郎さんは、財務なんてみなくても大丈夫です!自分がちゃんとやってますから!財務状態も良好ですし!」
といったものでした。
それを聞いて少し安心したのですが、なにか違和感も感じた一郎さん。友達である税理士の山田さんに当社の財務状態を確認してほしいと相談をしました。

そして,なんとか情報をかき集め、山田さんに確認をしてもらうと,その結果、
「複数の会社を経由する取引等をしていて、実際の財務状態が見えにくい状態になっている。情報が足りないので定かではないが、もしかしたら実質的には赤字かもしれない。また、もしかしたらだれかが横領しているかも・・・」
ということが判明したのです。

一郎さんは、自分は社長だったのに何も知らなかったと反省するとともに、でもそれを知って、経営者としてどうすればいいんだろう・・・とさらに頭を悩ませてしまいました。

このように,蓋を空けてみると,事業自体はうまくいっていなかったのです。食品加工の現場には日々出向き、関わっていたのに、うまくいっていなかったなんて、一郎さんはまったく知りませんでした・・・。

事業を立て直さなければ・・・・・でも、経営者として何をすればよいのだろう・・・。

一郎さんは、事業が赤字、財務状態は不明確、しかも人が辞めていく,という状態で、
それでも、なんとか会社を復活させなければ!と、寝ずに1から勉強をしたり、さまざまな人に相談したりして、苦しみながら必死に経営して、もがきました。

しかし、やることすべてが裏目にでていくのです。

専門家とともに新たな評価制度を導入し,従業員のモチベーションアップと働き方改善を試みましたが、逆に従業員から信用を無くすことになりました。

このように一郎さんは、専門家に相談していたし、経営の勉強もしていたので、経営のための知識はなんとか得ていましたが、「後継者が経営する」ということがどういうことかまったくわかっていなかったのです。

・・・・それから、2年ほど経ち、苦しみもがきながらも、なんとなく経営者としてやるべきことが見えてきたころ、父親である正さんの容態が急変し、他界しました。

母親は亡くなっていたため、相続は弟の次郎さんと一郎さんの二人で行なうことになりました。そして,生前父から仲良くするようにと言われていたので、二人は,遺産分割において会社の株式を等分するということになり、その結果,父の保有していた800株(80%)を、一郎さんが400株(40%)、次郎さんが400株(40%)で相続することになりました。
ちなみに、のこりの20%の200株は、叔父で取締役営業部長の田中勝さんがもっていました。

正さんの御葬式が終わり,相続関係の処理も終わったある日、弟の次郎と叔父が社長室にやってきて、こう告げました。
(次郎)「一郎さんの経営では会社がつぶれてしまうので、これからは俺がやるから」

(一郎)「?!。どういうこと?」

(次郎)「叔父さんと俺とで60%の株式を所有しているから、取締役を解任できるんだ。兄さんには辞めてもらうよ。」

(一郎)「!!!!!!」

一郎さんは,株式について何も知りませんでした。当たり前に相続時に二郎さんと半半にしていたのです。言うまでもなく,叔父さんの持分など頭にはありませんでした。

兄弟だから、親族だからと安心して、信用していましたが,気がついたときには時既に遅し。いままで寝ずにもがいてきた努力も水の泡、一郎さんはくやしさがこみ上げてきましたが、どうすることもできませんでした。

一郎さんはこれまでを振り返り,経営者として何も知らなかったこと、そして経営者になるまでに何の準備もしていなかったことを、深く深く後悔したのです。
これから、どう生きていけばいいんだろう・・・。

 

この事例の失敗したポイントは、こちらのコラムで解説をご覧ください。

【コラム】後継者が経営者になる準備をしていないと、会社をつぶす!?

 

職分に徹する

後継者の学校パートナーの中小企業診断士岡部眞明です。

私の故郷、北海道の「ソメスサドル」という会社をご存じでしょうか。

北海道砂川市に本社、工場を構える馬具、革製品メーカーです。

内外の一流ジョッキーが使う鞍を手がけ、宮内庁に馬具を収めている国内唯一の馬具メーカーです。

そして、鞄やベルトなどの高級革製品を製作するだけではなく、修理まで全て行うという会社で、最近話題になった銀座シックスに出店しているというすごい会社です。と、ここまで書きましたが、私自身、まったく存じ上げませんでした(すみません)、北海道関係者の小さな集まりで社長である染谷昇氏のご講演をお聞きするまでは。

 

私が、あえて実名でご紹介したいと考えたのは、先に述べたようなすごい会社だからではありません。社長のご講演の中で触れられた企業理念にビビット(ずいぶん昔の松田聖子さんみたいですが)来たからです。

 

《企業理念》
道具屋であることを誇りに持ち、社員とその家族が幸せになること。
《行動基準》
お客さまから一流と評価される、ものづくりとサービスを提供する。
北海道企業として、地域の活性化に貢献すること。

 

企業理念や行動基準と言えば、相当に美辞麗句を並べた抽象的なものが多いのですが(大企業では、事業が多岐にわたり、すべてが共有できる理念は抽象的にならざるを得ないという側面があります)、それらが具体的な社員の行動に結びつかなければ、外向けの宣伝文句に終わってしまう危険があるのですが、この企業理念や行動基準は言います。

「俺たちはただの道具屋だけれど、その道具屋であることに誇りを持って仕事をしよう。そして、女房も子供も、爺ちゃん婆ちゃんみんなで幸せになろうよ。そのためには、一流のものを作らなければならないし、修理もお客さんおために一流の技術で対応する準備と努力を惜しまない。そうすれば、わがふるさと北海道が元気になるために役に立てるような会社になれる。だから、頑張ろう」と。

ご講演の中で、皮革加工の職人さんたちの平均年齢は優に70歳を超えているなかで、何と当社のそれは30歳代(社長のご講演では両方正確な数字をおっしゃっていたのですが何せ認知症予備軍の身)だとか、そのような若い人たちが一流ジョッキーや宮内庁御用達の超一流品をつくることができていることが驚きを禁じ得ません。

高校を卒業したての若者が流れ作業ではなく、すべての工程を先輩社員と一緒に携わるそうですが、そのなかで技術が受け継がれて行く上下と、互いに切磋琢磨する水平の人間関係がつくられ、一流の職人が育っていくのだと思います。

 

一方で、染谷社長は毎日すべての社員に挨拶をして回るのだといいます。人と人からできている会社という組織が、まわりの人を含めて幸せを届けるためには、ここの人のみならず、むしろ人と人の間にある何かが生み出す力が必要だとお考えで、その繋がりの入り口であり基本である挨拶を率先垂範されているのだろうと思います。そして、一人ひとりの価値を大事に育てる強い意志が伝わってきます。

「職分」という言葉があります。「その職についている者がしなければならない仕事」「各人がそれぞれの立場で力を尽くしてなすべき務め」(デジタル大辞泉)という意味ですが、

武士、商人、学者、医者そして人の行い全般について、与えられた職分を全うすることで

本来もつ善なる本性に至ることを説いた江戸時代中期の思想家「石田梅岩」は、士農工商の身分制度の中で、それぞれの職分を誇りを持って全うすることを訴えています。

また、そのうえで、こんなことも言っています「或る者は心を労し、或るものは者は力を労すと日うなり。心を労する者は人を治め、力を労する者は人に治められる。人に治められる者は人を養い、人を治るものは人に養わるるは、天下の通義なり」

江戸時代、京都市井の思想が北の大地で花開いています。

すごい会社には、訳があるのですね。

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