カテゴリー別アーカイブ: 中小企業診断士 岡部眞明

論理的判断は理にかなっているのか

後継者の学校パートナー中小企業診断士の岡部眞明です。

今年初めてのブログです。前回のから2か月以上経ってしまいました。

少しばかり、言い訳を言わせていただくと、年末らしく「2017年を振り返って」と題して投稿させていただこうと思っていました。しかし、2017年の日本企業を振り返るとすれば、やはり、「不正」「ねつ造」について書かなければならないことになってしまいます。「一体何回書けば終わりになるのか?」と気が滅入ってしまって、筆(キーボードを打つ手)が進まないのです。

いくら批判してみても、彼らの行為には、(彼らなりの)合理的な理由(=論理)がある(はずな)のです。そうでなければ、こんなにも多くの大企業で起こるはずがない(はずな)のです。

そこで今回は、二年越しの宿題になった論理的な判断について考えてみたいと思います。

論理的な考え方は、「経営学」の世界では、ロジカル・シンキングと格好よく言い直して使われたりしています。

なるほど、会社では「ああすればこうなって、この部分はコストに見合う利益があがらないから削ることにしよう」とか、「統計的に考えて、この商品は女性層に受け入れられそうだから、生産量を増やそう」とかいうことはよくききますね。

ところが、往々にして削った機能が原因で故障が起きたり、受けるはずの商品が意外に受けが悪かったりして、なかなか思い通りにはいかないものです。

それはそうですよね、今まで問題がなかったからといって将来もそうなるのかは保証の限りではないし、統計だって過去の出来事の集計や分析である限り、将来の出来事を正確に言い当てることなんてできない(はずな)のです。論理的思考の典型ともいえるスーパーコンピュータを使っても、明日の天気予報が外れるんですから。

もちろん、私たち人間は経験や過去の教訓に学んで未来を予測し現実に対処し繁栄をしてきたわけです。しかし、その結果は必ずしも正しいと言えることばかりではなかった、例えば、地球温暖化問題や私の人生のように・・・。

これは人間の知識の形成過程が経験によらなければならないという超えることができない限界があるためで仕方がないことなのです。

かのドイツの哲学者ヘーゲルは「ミネルバの梟は夕暮れに飛び立つ」という有名な言葉を残しています。これは、人間のことを考える哲学は、夕暮れに現れる梟のように(ミネルバはギリシャの女神アテナ(ゼウスの子)のことで、梟とともに智の象徴とされています。日本では「福朗」のお土産もありますね)現実の出来事におくれて現れるという意味で、我々人間の認知能力の悲しい現実を表しているのだそうです。

論理的であることには、常に認知的な限界を持っているのですね。

また、私たち人間は論理だけで考え、行動しているわけではありません。私たちの経験は感情も作りだします。思考とその結果の限界を補完しているのが感情といえます。

私たちは、理屈に合わないことに対して怒ったりしますし、悲しい経験や嬉しい経験が糧になって努力を重ねて成功するなどということもよく聞きますが、感情が私たちの行動に強い影響を及ぼしていることは実感としても納得できると思います。

そして、私たち人間は自我を持っています。自我とは、自分が自分である根本といえるものですが、これも自分を取り巻く人々や物事との関係や経験から形作られています。

私はこうしていわば他人から創り上げられた自我というフィルターを通して世の中で起きる様々なことを経験し生活しているわけで、そのうえで論理や感情が生まれるわけです。

この様に論理的思考そのものに認知的な限界があるうえに、人間の行動には感情や自我の介在があり論理的思考だけでは説明できないのです。

このブログを書いている最中、星野仙一さんの訃報が流れました。星野さんといえば、闘将と呼ばれ強力な個性で闘争心むき出しの姿がすぐに浮かびますが、その一方で選手やスタッフの奥さんお誕生日に花束を贈るなど、細やかな心遣いの人であったそうです。

星野さんの野球理論の話はあまり聞いたことがありませんが、人間としての感性が人を惹きつけ、そう強いとは思えない3つの球団を優勝に導いたのです。

論理は勿論大切ですが、物事を論理通り進めるのは人の力なのです。人は論理だけでは動かない、むしろ、論理では動かない。人を論理通り動かす仕組みを常に供給することこそ経営者(リーダー)の仕事ですね。

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止まらない製造業の不正

経営者の学校パートナー中小企業診断士の岡部眞明です。

今年もあと二か月足らずとなってしましました。

異常な暑さと寒さが交互に訪れた10月も、連続して二つの台風が、列島に大きな被害を残して走り去っていきました。

台風に引き込まれた寒気をともなって、木枯らし1号が吹き荒れ、晩秋の装いが増していく時期になりました。

これからは、だんだんと寒さが増して冬に向かっていくこの時期に、もっと寒いニュースが駆け巡っています。

ニュースの源は、神戸製鋼、日産自動車そしてスバルも加わりました。

神戸製鋼は供給するアルミ・銅製品、鋼板など供給先が500社以上に及び各社での品質検査に係る賠償等の経費が膨大になり決算見込みが立たない事態になっています。

日産自動車は、先月末から国内向けの全車種の製造を中止していましたが、製造再開を発表した途端、今日は、検査員の試験での不正が報道されました。

スバルでも無資格検査対応に100億円の追加費用が見込まれると発表しています。

今年を振り返ってみると、私のブログの題材に大企業の不祥事が度々取り上げることになってしまいました。

最初は、フォルクスワーゲンでした。その頃は、日本の製造業は大丈夫、「他山の石」とすべしと思っていましたが、相前後して、旭化成、東芝、神戸製鋼、日立、スバル・・・。

日本の製造業は、大丈夫なのでしょうか?

と考えてみると、フォルクスワーゲンを含めたこれらの企業は全て世界を舞台に戦う世界企業なのです。

世界企業のなかに、我が日本の企業が名を連ねるのは当然なのですが、できればこんな形でない方がよかった。

世界市場で戦う大企業で相次いで起こる不祥事、それも皆企業の存続さえも危うくしかねない深刻な影響を及ぼす事態にまで追い込まれることになるにも関わらず。

「優秀な(であるはずの)企業トップにそのような顛末に思いが至らないはずはない。」はずなのですが・・・。

世界企業の戦場は、「花形商品」をもたらす最先端技術にしのぎを削る一方で、その財源は「金のなる木」である主力商品から供給される資金による構造になっていると言えます。

主力商品の市場は、商品としては成熟しているがゆえにコモデティ化が進み、厳しい価格競争にさらされています。

その製造現場では、当然のようにコストダウン圧力が強くなってきます。

考えてみれば、先にあげた世界的製造業の問題は、製造部門でいえば直接利益を生み出さない「コストセンター」である検査部門における不正であることに気が付きます。

結局、最大の固定費、人件費が最大の削減対象になった結果が今の事態です。

「最先端の生産設備と最先端の生産技術があれば、最先端の製品となる。従って、検査は不要、コストそのものでしかない。」実に論理的です。しかし、その目線の先は、工場の門までしか届いていません。

品質には、工程の設計にあたって目標とする最も高い品質である設計品質、製造にあたり標準となる製造品質、使用にあたり標準となる仕様品質、メーカーが消費者に対し保証する保証品質があります。

当然、設計品質が一番厳しくて、一番低い保証品質が全ての製品で確保されるように製造品質の最低ラインに品質検査基準が設けられていて、使用品質が確保される仕組みになっています。

だから、メーカーは保証品質を確保できる(はずな)のです。

このように、品質管理の視線は、工場の門の更にその先にある顧客が評価する品質(知覚品質)までも届かせるものなのです。

わが日本のものづくりに話を戻すと、江戸末期から黒船来訪に始まった世界デビューは、イタリア、中国との絹糸市場競争において、当時日の出の勢いのアメリカ市場での圧倒的勝利からの紆余曲折を経て、現在の地位を築くに至ります。

それは、アメリカ市場向けに太く改良された製糸と富岡製糸場で知られる上州座繰による生産性の向上であると言われています。
問題があるときこそ、初心に戻れとよく言います。

フォルクスワーゲンはともかく、日本のものづくりの原点は、知覚品質までを見据えた生産工程管理にあると言えるのではないでしょうか。

雑誌「致知」に坂村真民のこんな詩がありました。
期待を込めて紹介します。

しっかりしろ
しんみん
しっかりしろ
しんみん
しっかりしろ
しんみん
しっかりしろ
しんみん
しっかりしろ
しんみん
どこまで書いたら
気がすむか
もう夜が明けるぞ
しっかりしろ
しんみん

(「坂村真民が目指したもの」西澤孝一(坂村真民記念館館長)、横田南嶺(臨済宗円覚寺派管長)による対談【致知】2017.12)

いい詩ですね。自戒を込めて・・・。

 

人生の後半を考える

後継者の学校パートナー中小企業診断士の岡部眞明です。

少し前、休日というのに年寄りの常で早起きした朝、NHKのインタビュー番組を何気なく見ていました。
ジャズシンガー織戸智恵さんが出演していて、自分のこれまでを振り返るという内容だったと思います。何気なく眺めていた番組の最後に、60歳になった自分のこれからをお話になった言葉の内容に感動しました。

『(今まで一生懸やってきて、皆さんのおかげここまで登ってこられた)これからは、人生の下り坂をしっかり、ゆっくり降りて行こうと思う。やる気というのは体重計に乗ってもわからない、だから、齢をとってもいくらでも、やる気をもてる。(後から来る人のために)「私を見なさいと」言ってあげたい。そう言えるように頑張りたい』
ジャズシンガーとして、アメリカや日本で活躍する一方で、シングルマザーとして子育て、最近では、お母さんの介護を懸命に、しかも明るくなさっている姿でマスコミに登場したりしていらっしゃいます。

普通、このうちのひとつだけでも大変だろうと思うのですが、自分に与えられた役割を、やり抜いて行こうとする強い意思とやりきった自信、彼女の人生観が見えてきて、爽快感を覚えます。

「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖も、吾往かん」

私が、高校1年生の体育祭で知った言葉を思い出します。(孟子だそうですが)
北海道小樽市にあるその高校では、体育祭はクラス対抗の「ムシロ旗」作品展がありました。

ムシロ旗と言えば、江戸時代の農民一揆を思い出す方もいると思いますが、我が校のムシロ旗は、8畳分の畳をつなぎ合わせ、カラフルな絵と共にクラスの主張を書き、やぐらを組んで立て、絵もさることながら、その主張で自分たちの心意気を示すのです。

初めての体育祭で上級生のあるクラスが立てたムシロ旗が「千万人と雖も、我往かん」
未来へ向かう私の胸に響く言葉でした。

単身アメリカに渡ってジャズの世界に飛び込んだ織戸さんも「千万人と雖も、我往かん」と希望と不安の人生を踏み出したのでしょう。(私もそのはずでした)
そして、子供を育て、介護を続け、人生の終盤近くになって「ゆっくり下っていく私を見なさい」というと言える人生は、絶対に充実しているものに違いありません。

遥かな夢と強い意思をもって歩み始めた道が、そろそろ終わりを迎えようとするとき、終わり方を考えることはとても大切だと思います。
終わり方はそれまでの人生があってこそなのですが、人生の終わりに臨む自分の姿を考えて進んでいくのも人生です。
社長ならずとも誰しも、せっかく頑張ってきた自分の人生の下り坂を堂々と下る姿見せられるようになりたいものですね。

充実した人生を後に続く人に示すのも、先に歩む人の責任でもあります。

「人を見るにただその半截を見よ」(人生は、後半が大事)は菜根譚の言葉ですが、終わりよければすべてよしとも言いますが、終わり方がとても大事です。
私といえば、志の竜頭蛇尾と言われないためにも、人生の終わりをもう少し先延ばしするしかないかもしれません。残念ながら。

 

事業を継ぐために何を学んだらいいんだろう、何をしたらいいんだろうか、と思う人は、後継者インタビュー(無料)を受けてみて下さい。
時間はそれほどかかりません。だいたい、30分~1時間ほどです。
ご自分の事業承継の「現在」が整理され、すっきりすると好評です。お気軽にお問い合わせいただければと思います。

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意見の対立を考える

経営者の学校パートナー中小企業診断士の岡部眞明です。
1925年にアメリカで起きた「スコープス裁判」をめぐるお話です。
スコープスとは、アメリカ南部テネシー州にあるデイトンという町の臨時教員「ジョン・トーマス・スコープス」のことです。彼は、何をしたのか。生物の授業で「ヒトの進化」について生徒に教えたのです。
「何が問題なの?」そう思いますよね。彼は、法学部卒業で正式な生物の教師ではなかったから?そもそも、フットボールのコーチのはずなのに・・・、越権行為?
ではなく、進化論を学校教育の場で教えることを禁止するテネシー州法違反に問われたのです。

この裁判は、進化論を是とする人(進化論派)と聖書の書かれた事実「神が自分に似せて人間を造った」が正しいとする人(創造派)との論争の場になり、全米の注目を集め「モンキー裁判」と呼ばれるようになりました。

そう、人間はサルから進化したのか否かが争われたからですね。
神がこの世を造ったことが書かれている創世記は聖書の冒頭にあります。
「神は、6日掛かってこの世を造り、最後の6日目に「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう、そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう」と人を造られた。

そして、全てを造った7日目に神は休まれた。(それで、「日曜日はお休み」なんですね)」([聖書 スタディ版]新教出版 要約)
「この世のすべての生き物を支配する我々人間が「地の獣」サルから進化したなどという誤った考えを子供たちに教えるなんてとんでもない。」創造論者は主張します。
進化論者の主張は、ご存じのように「突然変異によって獲得した、環境に適した形質が受け継がれる」というチャールズ・ダーウィンの自然淘汰説が中心です。
ところが、創造論者は、「キリンの首が高いところの葉っぱを食べるために伸びたのなら、首があの長さになる中間の長さの首を持つキリンがいたはず(中間型の不存在)」とか、「アメーバ―が進化して人間になるなんて、鉄くずが嵐でかき混ぜられて飛行機ができるような話だ(あり得ない)、そもそも、進化の過程など誰も見たことがない(創世記とお互い様)」
裁判の結果は、コープス氏の100ドル罰金で決着したのですが、アメリカにおけるこの論争は続きました。
決着を図ろうとした出来事があります。日時は、残念ながらわからなかったのですが、イリノイ州オーロラ市で行われた、決闘です。

開催中の博覧会場に線路を引き、機関車「進化号」と「非進化号」を正面衝突させ、脱線した方が負けというものです。
神は正しい方を勝たせるはずというわけですね。
果たして結果は、・・・。時速48㎞で衝突した機関車は、両方とも脱線して結論は出ませんでした。(「人生の鱗 第五十話 決闘」武田邦彦ブログ 要約)
これを、なんてくだらないと考えるとただの笑い話ですが、実は、不完全性の定理のお話です。
アメリカで、そんなことが起きている頃オーストリアの数学者クルト・ゲーデルが証明した定理です。

すっごく難しくて、誤用誤解が多いというこの定理ですが、恐れずに解釈すると「ある理論体系に矛盾がなければ、その体系自身に矛盾がないことを証明できない」ということ(のよう)です。
「我が家の孫の澄香ちゃんは絶対、隣の花子ちゃんよりかわいい(我が家では矛盾はありません)のですが、隣のおじちゃんは絶対花子がかわいい(これも、全く矛盾はありません)と言います。このどちらがかわいい問題は、隣と我が家の間では決着がつきません。
決着をつけるには、評定する向かいの佐藤さんのおじさんにお願いするしかない。」ということに、よく似ています。

お互いが、同じ問題で対立する場合は、両者を統合する上位の観点(メタ概念)が必要ということです。
アメリカの出来事も、創造論と進化論、決着のつかないこの問題を「神」に委ねたわけです。委ねられた、神の方も、迷惑なので両方とも脱線させたのでしょうが、こんなことってあなたの会社でもありませんか。
社内の出の対立やトラブルが膠着状態なんてこと。

無いに越したことはありませんが、そんな時、問題の所在を俯瞰する(メタな)見方で対応することが大事なのです。「企業理念の実践のために、その問題はどんな意味があるのか」とか。
ところで、アメリカのピュー・リサーチ・センターが2015年11月明らかにした調査によると 、アメリカ人の6割が進化論派になったとか。(日経ビジネスON LINE 要約)あのときの神の判断は正しかったのか、そうでなかったのか。

 

後継者の学校では事業承継の本質と

後継者経営の不易の価値について学び

あらゆる学びの実践力の基礎を作ります。

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運が良い人について考える。

後継者の学校パートナーの中小企業診断士岡部眞明です。

渡部昇一さんが亡くなって5カ月が経とうとしています。

渡部昇一さんといえば、保守の論客として有名ですが、我が国の歴史や国際社会における我が国のあり方、教育問題などなど切れ味鋭い論評は、私たちに人生から国際問題まで多くの気づきを与えてくれていました。

渡部さんは努力ということについて度々語っています。

よく話されるのが、アメリカ留学の選に漏れたときのことです。

「着ているものがだらしない」という(貧乏学生だったようなのでみすぼらしい服装だったのでしょうが、理由にもならない)理由から面接で不合格になるのですが、腐らずに勉強したおかげで、後にイギリス、ドイツに留学するチャンスをつかんだのです。もし、アメリカに留学していたら本職の英語の国で英語を学ぶこともなかっただろうし、ドイツ語をマスターすることもなかったと言っています。(「人生の手引書」(扶桑社新書))

また、「よい運というのは仮装してやってくるということです。最初は貧乏とか、逃げ出したくなるような形でやってくる。しかし、私はその貧乏のために、否応なく勉強したおかげで、まったく確率を超えた偶然がしばしば起こり、よい運に恵まれた。」(渡部昇一 「渡部昇一一日一言」出版記念会公演会)とも。

そして、渡部さんの本職?は、英語学者ですが、『英語の「ハッピー」という言葉は、語源をたどると「ハプニング(=出来事)」と同じである。同じく、日本語の「幸せ」はもともと「仕合わせ」、つまり、「事の成り行き」という意味だった。』(「人生の手引書」(扶桑社新書))と言っています。

目の前に起こる出来事に一喜一憂せず、目標に向かって努力する。その結果は、事の成り行きであって、それを受け入れることも重要だということでしょう。

しかし、氏はそこに甘んじるべきではないと言います。欲求の5段解説で知られるマズローを引用して「自分が不平不満を感じているとき、それがそのレベルのものなのかを見る必要があるという。そして、そのレベルが高ければ高いほど、いい傾向だというのである。」(前掲書)と、『「事の成り行き」を受け入れた後は、その原因を内に求め高次の不満を抱いて、さらに努力せよ。』と叱咤してくれます。

陽子崩壊を観測するための実験装置で偶然「ニュートリノ」を発見した小柴昌俊教授や間違え作ってしまったグリセロールとコバルトをもったいないと使って「ソフトレーザー脱離イオン化法」を開発した田中耕一さんを例に「幸運は準備された心に味方する」と、決して「事の成り行きだけではない」と励ましくれます。

我が国はこのところ、毎年のようにノーベル賞受賞者を輩出していますが、小柴さんや田中さんだけでなく、山中さんも、大隅さんも大村さんも・・・(たくさん,いすぎて。嬉しい悲鳴です)努力の人でした。凡人の私への救いでもあります。

済んだことに対してどう評価するのか、何にでも感謝して満足する心も大切ですが、不満を感じるからこそ、人は向上できるのです。

「棚からぼた餅」。思いがけない幸運が舞い込んでくることをいいますが、ぼた餅が棚から落ちてくるときに棚の下にいなければ、他の人がそのぼた餅を手にするところを見て指をくわえることになるだけですね。

棚から落ちてくるぼた餅を手に入れるためには、棚の下にいなくてはならないのです。そして、棚の上には何があるのか、知っている必要があるのです。そこで、ラッキーもそう簡単に手に入れられないと考えるのは、普通の人です。経営者なら、自社とその置かれた環境を理解して、行動を起こせば成果(=幸せ)は手に入れられると考えるのです。

そのうえで、求めた幸せをもたらしてくれるのは、やっぱり「事の成り行き」であることを受け入れる心もまた必要です。

でも、常に自省する心、そして自分を高みへ進めたいという向上心も持ち続けたいものです。

事業を進める過程での戦略や取組みとその結果を受け入れながらも、自省して成長する社長の成長と会社、従業員の成長は相似形です。

籠池夫妻逮捕で考える補助金で注意すべきこと

後継者の学校パートナー中小企業診断士の岡部眞明です。

森友学園を巡る国の補助金を不正受給したとして、逮捕された籠池夫妻が、大阪府の補助金の不正受給で再逮捕されました。罪状は、どちらも詐欺罪だとのことです。

詐欺罪は、刑法に定めがあり、ご存じのように刑事罰が科せられます。

(刑法第246条)
1.人を欺いて財物を交付させた者は、10年以下の懲役に処する。
2.前項の方法により、財産上不法の利益を得、又は他人にこれを得させた者も、同項と同様とする。

人をだまして、お金を手に入れたのですあれば、詐欺罪罰せられて当然ですよね。

ご本人たちの群を抜いたユニークさ?はともかくとして、私たちがお世話になる補助金の使い方を「罰則」という切り口から考えてみるのも経営者として必要なことです。

籠池夫妻の場合は、「詐欺」という刑法に定める罪ですが、経営の現場でお世話になる「ものづくり補助金」(革新的ものづくり・商業・サービス開発支援補助金)や「持続化補助金」(小規模事業者持続化補助金)などの国の補助金制度を規定する「補助金適正化法」(補助金等にかかる予算の執行の適正化に関する法律)にも、籠池夫妻のような(というより、詐欺とまでは言えないような)不正を罰する規定があるのをご存じでしょうか。

そのうち、特に私たちに関係がありそうなものを見てみましょう。

 

第29条  偽りその他不正の手段により補助金等の交付を受け、又は間接補助金等の交付若しくは融通を受けた者は、五年以下の懲役若しくは百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。

2  前項の場合において、情を知つて交付又は融通をした者も、また同項と同様とする。

 

量刑は、5年と刑法よりは軽いですが、罰金百万円も合わせて課せられる可能性もありますし、不正を見逃した方も罰せられる可能性があるのです。(役人が厳しいのも理由がないわけではないんですね)

罰則規定は次の条文にも、

第30条  第11条の規定に違反して補助金等の他の用途への使用又は間接補助金等の他の用途への使用をした者は、三年以下の懲役若しくは五十万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。

とあります。第11条は、「目的以外に使ってはいけない」と規定されています(長いので引用はやめておきます)。すなはち、目的以外のものに使うと、懲役3年、罰金50万円なのです。

次は、

第31条  次の各号の一に該当する者は、三万円以下の罰金に処する。

一  第13条第2項の規定による命令に違反した者

二  法令に違反して補助事業等の成果の報告をしなかつた者

三  第23条の規定による報告をせず、若しくは虚偽の報告をし、検査を拒み、妨げ、若しくは忌避し、又は質問に対して答弁せず、若しくは虚偽の答弁をした者

 

なんか軽い感じですね。3万円の罰金ですから・・・。でも、念のため、第1号にかいてある第13条を確認すると、

 

第13条  各省各庁の長は、補助事業者等が提出する報告等により、その者の補助事業等が補助金等の交付の決定の内容又はこれに附した条件に従つて遂行されていないと認めるときは、その者に対し、これらに従つて当該補助事業等を遂行すべきことを命ずることができる。

2  各省各庁の長は、補助事業者等が前項の命令に違反したときは、その者に対し、当該補助事業等の遂行の一時停止を命ずることができる。

となっていいて、きちんと事業を進めていなかったら、補助金の執行停止を命令するし、それでも聞かなかったら罰金ですよということですし、第2号、第3号は、報告書をキチンと出さなかったり補助金の調査に非協力的だったりした場合も罰金ですということを言っているわけでして、結構厳しい罰則が用意されているんです。

 

このほかにも、この法律には罰則が続いていますが、県や市町村から交付される補助金ももともとの財源が国の補助金である場合がほとんどですから、皆さんは間接補助事業者としてこの法律の縛りを受けることになります。

補助金の申請や交付の段階で、籠池さんのように大胆に振舞える大物?はそう多くはありませんが、事業が終わったときの説明が十分でなかったり、事業の成果と補助目的との関係がうまく説明できなかったりすることは、起こりうることです。罰金とまではいかなくとも、最終的に補助金返還や経費の一部や全部が補助目的にそぐわないとの判定がくだされて、結局、補助金が下りなかったということもあるのです。お金を使ってしまった後に、あてにしていたお金が来ない、つまり、結局、すべて自腹ということです。

「創業・事業承継補助金」もそうですが、補助金を上手に活用するには、補助目的との整合を考えたり、上手に説明したりと経験やノウハウの必要になったりするのです。

このような時流の事も押さえつつ
事業承継においては

本質的なことをしっかりと押さえておかなければ
大火傷をします。

大切なことは後継者の学校で。

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ウルトラマラソンで考える社長の年齢と事業承継

後継者の学校パートナーの中小企業診断士岡部眞明です。

先日、岩手県で開催された「岩手銀河100㎞チャレンジマラソン」に参加しました。結果は二年ぶりの完走。

制限時間14時間ぎりぎりの13時間31分1秒の817位、60代男性の部83位という成績でした。

今年は、強い風が吹き、時より雨も混じる寒いコンデションでしたが、そのコンデションが功を奏したのか、完走者が例年よりずいぶん多かったようです。(参加者は、約2,500人位?)

この大会は、このところ毎年参加していますが、今回は4回目です。完走できたのは今回を含めて2回目、完走率は50%。これをどう見るか?私個人のことはこれくらいにして、私の成績から見えてく、元気な高齢者の姿です。

私は、制限時間まで30分しか残っていない、ほぼビリ(完走を報告した電話での女房の第一声です)の順位です。

私の順位から全完走者数を840人、60歳以上を90人と推定することにします。完走者のうち60歳以上の割合は10.7%です。

日本全体の60歳以上の割合は、33.0%(総務省統計局ホームページ「日本の統計」から筆者計算)と比べると少なく見えますが、若い人に混じって、10人に一人は60歳以上の人が100㎞の距離を走りきったのですから、高齢者(統計上は65歳以上ですが)パワーに改めて脱帽といったところでしょうか。

ところで、日本の社長の平均年齢は、上昇を続け2016年では、61.19歳、年齢分布では70代以上が全体の24.12%で増加傾向(60代社長の割合は減少傾向)ということです。

(「2016年全国社長の年齢調査」(株)東京商工リサーチホームページより)

この二つからは、60代になっても体力的にも元気で、70代になってもまだまだ頑張っている日本の社長の元気な姿が見えてきます。

なるほど、事業承継が進まないはずですね。

「元気で頑張っているんだからいいことじゃないですか。」

もちろん、そのとおりです。でも、事業承継について、一般的に言われているように、「とにかくきちんと、サラリーマンが定年退職する年齢までには、事業承継を考えないとダメ、無責任」とまでは言わなくてもいいのではないでしょうか、とも言えそうです。だって、元気なんですから、100㎞完走するくらい。

私が出場した大会が開催されたのは、6月11日、一月前です。筋肉痛が回復し、トレーニングを開始できたのが2週間後、足のマメが何とか治ったのは昨日です。(なので、ブログを書く気力も回復したのでしょう)

私の40代の100キロマラソン所要時間は8時間、表彰台には駆け上がるほどで、筋肉痛はありませんでしたし、休養も自分へのご褒美としての1週間だけでした。

確実に、落ちているのです、体力も気力も。でも、世間で言われていることに合わせる必要はありません。

61.19歳社長の体力は、100㎞完走する人と同じくらいあるのです。しかし、落ちてきていることも認めなければなりません。統計の社長のように70歳代になだれ込むのではなく、今から、じっくり進めればいいのです。

自分の人生、自分の会社なのですからね。でも、自分の会社は、ずーっと続いてほしいですよね。自分らしく、しっかり続いてくれるように、今からでも遅くありません。

始めましょう、事業承継。自分らしく。

後継者の学校
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職分に徹する

後継者の学校パートナーの中小企業診断士岡部眞明です。

私の故郷、北海道の「ソメスサドル」という会社をご存じでしょうか。

北海道砂川市に本社、工場を構える馬具、革製品メーカーです。

内外の一流ジョッキーが使う鞍を手がけ、宮内庁に馬具を収めている国内唯一の馬具メーカーです。

そして、鞄やベルトなどの高級革製品を製作するだけではなく、修理まで全て行うという会社で、最近話題になった銀座シックスに出店しているというすごい会社です。と、ここまで書きましたが、私自身、まったく存じ上げませんでした(すみません)、北海道関係者の小さな集まりで社長である染谷昇氏のご講演をお聞きするまでは。

 

私が、あえて実名でご紹介したいと考えたのは、先に述べたようなすごい会社だからではありません。社長のご講演の中で触れられた企業理念にビビット(ずいぶん昔の松田聖子さんみたいですが)来たからです。

 

《企業理念》
道具屋であることを誇りに持ち、社員とその家族が幸せになること。
《行動基準》
お客さまから一流と評価される、ものづくりとサービスを提供する。
北海道企業として、地域の活性化に貢献すること。

 

企業理念や行動基準と言えば、相当に美辞麗句を並べた抽象的なものが多いのですが(大企業では、事業が多岐にわたり、すべてが共有できる理念は抽象的にならざるを得ないという側面があります)、それらが具体的な社員の行動に結びつかなければ、外向けの宣伝文句に終わってしまう危険があるのですが、この企業理念や行動基準は言います。

「俺たちはただの道具屋だけれど、その道具屋であることに誇りを持って仕事をしよう。そして、女房も子供も、爺ちゃん婆ちゃんみんなで幸せになろうよ。そのためには、一流のものを作らなければならないし、修理もお客さんおために一流の技術で対応する準備と努力を惜しまない。そうすれば、わがふるさと北海道が元気になるために役に立てるような会社になれる。だから、頑張ろう」と。

ご講演の中で、皮革加工の職人さんたちの平均年齢は優に70歳を超えているなかで、何と当社のそれは30歳代(社長のご講演では両方正確な数字をおっしゃっていたのですが何せ認知症予備軍の身)だとか、そのような若い人たちが一流ジョッキーや宮内庁御用達の超一流品をつくることができていることが驚きを禁じ得ません。

高校を卒業したての若者が流れ作業ではなく、すべての工程を先輩社員と一緒に携わるそうですが、そのなかで技術が受け継がれて行く上下と、互いに切磋琢磨する水平の人間関係がつくられ、一流の職人が育っていくのだと思います。

 

一方で、染谷社長は毎日すべての社員に挨拶をして回るのだといいます。人と人からできている会社という組織が、まわりの人を含めて幸せを届けるためには、ここの人のみならず、むしろ人と人の間にある何かが生み出す力が必要だとお考えで、その繋がりの入り口であり基本である挨拶を率先垂範されているのだろうと思います。そして、一人ひとりの価値を大事に育てる強い意志が伝わってきます。

「職分」という言葉があります。「その職についている者がしなければならない仕事」「各人がそれぞれの立場で力を尽くしてなすべき務め」(デジタル大辞泉)という意味ですが、

武士、商人、学者、医者そして人の行い全般について、与えられた職分を全うすることで

本来もつ善なる本性に至ることを説いた江戸時代中期の思想家「石田梅岩」は、士農工商の身分制度の中で、それぞれの職分を誇りを持って全うすることを訴えています。

また、そのうえで、こんなことも言っています「或る者は心を労し、或るものは者は力を労すと日うなり。心を労する者は人を治め、力を労する者は人に治められる。人に治められる者は人を養い、人を治るものは人に養わるるは、天下の通義なり」

江戸時代、京都市井の思想が北の大地で花開いています。

すごい会社には、訳があるのですね。

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ワインの香り

後継者の学校パートナーの中小企業診断士岡部眞明です。

先日、教育テレビ「サイエンス・ゼロ」で「今宵はワイン夜話 香りのヒミツ大解明!」という番組がありました。

ワインといえば、私のようなおじ(い)さんには少しおしゃれで高級なお酒といったイメージです。でも、ワインのおいしさの大きな要素である「香り」について科学的に分析するということで、「少しは女性に薀蓄を語れるかも・・。」という下心とともに、興味深く見させてもらいました。

番組では、目隠しをし、鼻をつまんでワインをストローで飲んだ、番組MCの南沢奈央さんが、「赤ワインと白ワインの違いが本当に判らない」と驚いていました。

また、ガスクロマトグラフで数十の成分に分解された臭いを順番に南沢さんが嗅いでいましたが、マスカット、チョコレート、乳製品、薬品などと順番に出てくる臭いから感じるイメージをを報告していましたが、嫌な臭いと顔をしかめる場面も何度かありました。ワインの臭いの研究をしている東原和成東大教授によりますと、味覚には甘味、酸味、塩味、苦味、うま味の五つですが、臭いは数十万種類もあるそうです。

ワインの香りを造っているにおいの成分も数百種類あるそうで、南沢さんが嗅いだワインの臭い成分も20種類くらいあったようです。

東原教授によれば、「くさい臭いがベースにあることによって、ワインの香りが立体的になり奥深さができて、よりおいしく感じる」とのことでした。

ニュージーランドでは、近年ワインの品質があがっており、その重要な役割を果たしている「サーカロマイセス・セルビアジェ」という酵母の存在が明らかになったそうです。

野生のその酵母はワイナリーのなかには生息しておらず、6キロも離れた花などで発見されたそうです。

酵母は一人で移動できませんから、それを運んできたものを調べたところ、なんとハエらしいとのこと。

ここでも、どちらかというと嫌われ者の「ハエ」の羽が、おいしいワインをくれたキューピットの羽であったことになります。

なんと、私たちの心まで癒してくれるワインの香りやおいしさは「嫌な臭い」や「嫌なハエ」の働きなしに、私たちは享受できなかったのです。

このことから二つの気づきを得ることができました。

一つ目は、私たちが生きる地球という環境の恵みの偉大さと奥深さです。

ワインに象徴されるような、私たちが受け取る恵みは、ブドウの実や木、あるいは太陽や雨といった目に見えるものだけではなく、はるかに大きな自然の仕組みの中でもたらされているということです。

なので、役に立たないからとかいった単純なあるいは表面的なことで、人やことを排除することは自分自身のメリットを排除することになるということです。

もう一つは、私たち自身や社会などについてです。人は、正しいことや思いやりや優しさ、一生懸命など、いい人と評価される面だけではなく、人を妬んだり、怒ったり、時には意地悪くなったりしたりするものです。

特に、経営を考えてみると、社員やその家族に対する愛情や思いやりは、もちろん重要ですが、時には、解雇を言い渡さなければならないようなつらい局面に出会うことも覚悟しなくてはなりません。

人もワインと同じで、いろいろな側面をもっているからこそ、そして嫌な自分を(嫉妬や正義面の両方)自覚しているからこそ、さらに、そのすべての自分を、その必要なときに行動として出していける自信と覚悟があるからこそ、おいしい味が出てくるのではないかということです。

その為には、自然に自分らしく生きていくことを、失敗をして反省を積み重ねていくしかないのかもしれません。

そう簡単に深い味は出せません。ワインだって熟成が必要です。ただし、人は寝かせるだけでは熟成しませんのでお気を付けを・・・。

 

後継者の学校

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経営理念を実践する

後継者の学校パートナーの中小企業診断士岡部眞明です。

経営理念は、会社の向かう方向や考えを示すために必要なものです。

でも、それをどう実践できなければ意味がありません。

朝礼で毎日唱和する。大きく書いて壁に貼っておく。社員手帳に記載して、いつでも見て、確認できるようにしておく。すべて有効な方法です。

でも、日々の仕事にどう生かしていけばよいのでしょうか。

経営理念は、一人ひとりの社員が、生産や営業の現場で、毎日の仕事のなかで、その理念に基づいて、行動=実践しなければ意味がありません。やる気を出して。

企業理念を実践するといっても、やる気がなければ、壁中に貼っておいても(もちろん。やるなということではありません)、無理ですよね。無視されては。

やる気=モチベーションは、やりがいとか、生きがいとかという物語から生ずるものでした。それは、「何故、その仕事をするのか」とか、「何のために商品を売るのか」ということ問いに対する哲学(的な回答)が求められているのです。

企業理念とは、従業員の「何故」に対する究極の回答なのです。それは、同時に顧客の「何故」にたいする究極の回答でなければなりません。

一人ひとりの従業員のモチベーションが、一致して一つの方向へ向かわなければ、効率的ではありませんし、大きな成果を生むこともできません。

そして、日々の仕事の現場で実践していくことが何より重要ですし、そのことが、顧客満足を生み出すことになる訳です。

私が、顧客の歓びを求めてプレゼンテーションの質を高めるのは、会社の理念「顧客の喜びを追求します」だとします。

私は、顧客が商品を使用する場面の応じた最適な使用方法や、商品の特性を学習して顧客に提供することで、その商品を使う目的が達成されて、顧客の喜びにつながることになります。

経営理念は、良い製品の提供ではなく、顧客の喜びにあるわけです。よい商品を提供することは、目的ではなく、経営理念実現の手段なのです。

しかし、経営理念実現のためには、もちろん良い商品が必要ですから、製造あるいは仕入の現場では、品質をいかに向上させるかが、経営理念実現のために行うべき仕事になります。

調達部門では、良い製品を適正な価格で提供するために原材料、仕入れ商品の安全性や価格についての十分な配慮が求められるでしょうし、輸送についても同様の配慮は求められます。

このように、企業理念実現のために、私が営業の現場で、プレゼンテーションのために行った、商品知識の学習と同じように、会社の各部門で経営理念実現のために求められる具体的取組が、それぞれ決められることになります。

これと同じように、会社の各部門、各グループ、係と、経営理念実現のために「何をすればよいのか」がより具体的に下位の組織に浸透することになります。

つまり、「顧客の喜び」のために会社は「何」(どんな商品)をどうやって顧客に届けるのかが、会社全体として一つの意志を持った行動が生まれることになるわけです。

この「何」と「どうやって」を一人ひとりが現場で実践すると、私が苦手なプレゼンテーションを何とか克服したように、自信ややりがいの正のスパイラルが生まれ、更なるモチベーションのアップと、業績のアップにつながっていくことになるでしょう。(自分の話は、少し控えめに・・・)

具体的に、そのような組織の構造をつくりあげ、実践していくのはそうかんたんなことではありません。

だからこそ、多くの組織や人事管理に関するノウハウ本が読まれているわけです。それらは、ほぼそのすべて正しい主張がなされているとおもいます。(ノウハウ本はあまり好きではないというか、嫌いな部類に入りますので、ほとんど読んだことがありませんが)

しかし、会社をはじめとする組織は、(社会はと言ってもいいかもしれませんが)、人と人の関係で作られています。人生と同じように、ノウハウで解決できることはほんの少しです。難しいから、面白いのです。経営も、人生も。

これらの話は後継者の学校でも。

後継者の学校
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