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トランプ大統領とブッシュ元大統領

後継者の学校パートナー中小企業診断士の岡部眞明です。

トランプ大統領の発言に関連して何度か取り上げさせてもらいました。入国規制の問題や貿易についてなど、発言の内容はそんなにおかしくないのですね。でも、マスコミとの関係は最悪であるようにみえます。トランプ大統領が乱発する「フェイクニュース」という言葉は今年の流行語大賞にノミネートされるのではないかという勢いですね。

たしかに、マスコミと時の政権の間は、だいたい良好であることはないようです。それは仕方のないところです。マスコミは権力の番人といったりしますが、時の権力の動向について、私たち国民に知らせるという重要な役割を果たしています。一方で、第4の権力といったりもします。司法、行政、立法に次ぐ権力という意味で、報道を通じて一般国民を一定の方向に誘導して、民意を背景に大きな権力となっているということですね。

トランプ大統領は行政の長ですから、当然に国民から負託された正当な権力を有していますからそれを行使すること自体は当然である訳です。ただし、法治国家である限り「法律の許す範囲で」ですね。

王権神授説という言葉を世界史で習いました。「王様の権利は神から与えられたものであり、誰も反抗できない。」というものでした。確か、イギリスの革命のときにそれに反抗したのが最初だったのではないかと思い調べてみました。1628年に「議会の承認なしに課税しないこと・法律によらなければ逮捕できない」ということを国民の権利として明確にした(権利の請願(世界史の窓http://www.y-history.net/appendix/wh1001-028.html))とありました。

トランプ大統領も自らのルーツであるヨーロッパの歴史はご存じでしょうから、400年後に王権神授説を持ち出すほど時代錯誤ではないと思います。

権力の正統性はどこから来るのでしょうか?それは権威だと私は思います。王権神授説では、神というキリスト教から与えられたという宗教的権威です。トランプ大統領の場合は、国民の多くが支持し、法律に定める手続きによって選ばれたというアメリカ国民の支持と法律という権威に裏打ちされています。日本の天皇陛下の場合は、2千年も続く歴史と伝統に基づく権威だと思います。それに加え、天皇家が常に国民をともにあったことに対する国民からの支持が常にあったわけです。信長や秀吉、家康も天皇という権威を後ろ盾があったからこそ国を治めることができました。

と考えていくと、結局、民衆の支持が権威の創り出すのであり、権力の根源であることに思い至ります。

そこでブッシュ元大統領に登場願います。アメリカNBCでのインタビューのなかで、トランプ大統領に関連した質問に答えたものです。

「私は、メディアは民主主義にとって不可欠だと考える。私のような人々に説明責任を果たさせていくため、メディアは必要だと思う。権力には時に高い依存性があり、(人々を)むしばむものだ。権力を乱用する者の説明責任をメディアが追及していくことが重要だ。」(米43代大統領ジョージ・W・ブッシュ)

これに対して、トランプ大統領が障害のある記者をばかにするような物まねをしたことを取り上げましたが、この二人の大統領の発言や行動どちらが大統領らしく思えるでしょうか。

大衆の支持には、品位とか品格も必要です。小学校の学級委員をしていたとき「岡部君は無責任だと思います。」といわれ、なぜそのように言われたかわからなかったのですが、その発言にたいする答えを、いまだに探している私ですが、学級委員でさえそうなのです。ましてや、大統領ですから、その地位にふさわしい行動や振る舞い発言を求められるのは当然のことなのではないでしょうか。(時々は、親近感をアピールしてもよいかもしれませんが)

トランプ大統領が、アメリカとしては巨大ではないにしても、オーナー経営者であることが気になります。誰も、意見を言うことができない。すべて一人で決めてしまう。「俺がやらないと誰がやるんだ!」「アメリカを偉大にするにはこの道しかないんだ!」「誰もわかっちゃいない。文句を言うやつはみんな首だ!」(テレビ番組の「ファイヤー!」で人気だったそうですが)

こんな人、近くにいませんか?

 

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歴史に学ぶ後継者経営 石田三成の挑戦(最終回)

私主に日本の歴史から後継者経営に学べる題材をとって、皆さんと一緒に後継者経営を考えて参りたいと思います。今回は、「関ヶ原の合戦」の片方の主役だった、石田三成の行跡に後継者としての生き様のヒントが得られないか、皆さんとみて参りたいと思います。

 

後継者の皆様

後継者の学校パートナーで、日本の歴史を愛する石橋治朗です。

 

私は主として日本の歴史から題材をとって、事業承継や後継者経営のありかたを皆さんと考えていきたいと思っています。

 

なお、今回以降も、また前回以前も、歴史の解釈に関しては全く私の私見であることを、あらかじめお断りしておきます。

 

今回は、石田三成の最終回です。

 

関ヶ原の戦いで、260万石という強大な国力と、豊臣政権における5大老の筆頭という権威、そして圧倒的な戦歴をもつ徳川家康に対して、19万石の国力しかない石田三成は、着々と力をつけて堂々と挑戦しました。

 

徳川家康は、豊臣政権が文禄・慶長の役(朝鮮侵攻)で大名たちや領民たちを疲弊させていること、豊臣政権だけが富むような施策に対して、世間の見る目が厳しくなっていることを、政権の重臣として肌で感じていて、秀吉亡き後は自分が政権を取った方が豊臣政権よりも世の中をよくできる、と思っていました。

 

そういう意味では、あくまで豊臣政権への忠誠心だけで行動していた石田三成よりは、家康の方がはるかに視野が広かったと思われますし、その考え方を支持する大名が多かったのは事実です。

 

ただし、たとえ人心を失うような政治をしていたとしても、権力を握っていたのは豊臣家であり、豊臣家に対して忠誠心を持っている大名は多かったこと、またそのような家康の動きに反感を抱いている大名もいました。

 

三成が挙兵していたという報を聞いて、宇都宮まで進んでいた徳川家康はいったん江戸に引き返します。ともに従軍した武将たちは、ほとんど全て家康側(東軍)につくことを誓いました。

一方、三成に味方して豊臣側についた武将たちは、「西軍」と呼ばれます。西軍は石田三成がとりまとめ役でしたが、表には出ないようにとの島左近のアドバイスを受け入れて、毛利輝元に総大将を依頼しました。

 

江戸にいる家康、大坂にいる三成、それぞれ味方を一人でも多くすべく、各地の大名に書状を送ります。

 

名目上の主君は豊臣であるものの、トップに力量があるのは徳川であるため、各地の大名の判断は複雑になります。

表向きは西軍についたものの、裏では家康に使者を送って忠誠を誓っているようなケースがかなり多かったようです。

このそれぞれの大名の思惑が、関ヶ原の戦いをより複雑なものにしました。

 

戦いのための準備を一通り終えて、徳川家康は西へと向かいます。

 

家康西上の報を受けて、石田三成も大垣城に入りますが、前に申し上げたとおり徳川家康は城攻めを苦手としていたので、三成の佐和山城へ向かうふりをして誘い出そうとします。

一方、三成も野外で堂々と決戦して勝つ自信があったため、大垣城を出て関ヶ原で待ち構えます。

 

こうして、さほど広くはない関ヶ原に、東軍約7万5千人、西軍約11万人もの兵士が布陣しました。

 

意外と三成が頑張ったどころか、むしろ西軍の方が多いではないか!と思われる方も、もしかするといらっしゃるかもしれません。

 

明治時代にドイツから招聘された、戦略戦術に長けた参謀将校であるクレメンス・メッケルは、関ヶ原の戦いの布陣を見て即座に「西軍の勝ち」と断定したという話が知られています(これは創作という説もありますが)。

 

しかしながら、先ほども触れたとおり関ヶ原の戦いは極めて「政治的」な戦いであり、東軍のほとんどは徳川家康に忠誠を誓っていたのに対して、西軍で石田三成の指揮のもとに動いたのは3万人もいないような状況でした。

あとは、「日和見」をしていたのです。どちらかが勝ちそうになったら、そちらに味方しようと。

実質的には、東軍7万5千人対西軍3万人ですから、やはり東軍の方が優勢だったわけですね。

 

様々な思惑が交差する中、いよいよ関ヶ原の戦いの幕が上がります。

 

東軍の先鋒の武将たち、福島正則、黒田長政、細川忠興らは、みな「三成憎し」で家康に味方した者たちでした。争って、自分こそ憎き三成の首を上げてやろうと、石田三成隊へ殺到します。

 

石田三成隊の総大将は、当然のこと、島左近です。

 

この日の島左近の戦いぶりは、のちのちまで語り継がれるほど激しいものでした。

乱戦の中央に、鬼神のごとく馬上で仁王立ちとなり

「かかれえーっ、かかれえーっ」

戦場で鍛えた、低く鋭く響き渡る塩辛声で叱咤する声に応えるように、三成の兵士たちは攻めてきた東軍を苦もなく蹴散らします。

この一戦にかける三成の意気込みで一つになった士卒たちの形相をみて、東軍の武将である田中吉政は怖気をふるいます。

「こいつら、死ぬ覚悟で戦っている」と。

 

細川忠興は、戦いから10年たっても、この島左近の突撃の夢にうなされたと述懐しています。

 

石田三成を「ソロバンしかできない、腰抜け侍」と普段から罵っていた福島正則や黒田長政も、島左近の猛烈な突撃に防戦一方となります。

 

東軍に不利となってきた戦況を見つめる徳川家康の顔に、次第に焦りの色が見え始めます。つい、癖となっている指の爪を噛む仕草が激しくなります。

圧勝するどころの話ではない。目の前で東軍が敗北しつつある。周りで日和見している武将たちが、心変わりするかもしれない。

一人の武将が寝返ると、周りの武将たちも雪崩を打ったように西軍へ味方するのは目に見えています。そうなれば、さしもの徳川軍も敗亡せざるを得ない。

 

今川義元、織田信長、豊臣秀吉に仕え、若い頃からこき使われてきた苦労にじっと耐えてきた己の人生。

苦労も知らない、豊臣の小憎らしい若造に、自分と家臣たちが営々と積み上げてきたものをひっくり返されてなるものか。

 

徳川家康は、臆病なほど慎重なことで有名でしたが、生きるか死ぬかの土壇場になると人変わりがしたように大胆になります。この相反する二面性が、もしかすると家康に天下を取らせたのかもしれません。

 

部下を呼び、家康は命じます。

 

「松尾山に鉄砲を撃て」

 

部下は耳を疑います。松尾山には、東軍への裏切りを約した小早川秀秋1万5千人が布陣しています。もしも、鉄砲を撃って怒らせでもしたら、西軍に寝返られ、東軍は敗亡しないとも限りません。

 

「いいから行け!金吾(小早川秀秋のこと)につるべ打ちで撃ってやれ!何をぼやぼやしているのだと」

 

徳川家康の陣から撃ちまくられた小早川秀秋は、その気迫に震え上がり、松尾山から西軍へと攻め下ります。松尾山から一番近くに布陣していたのは、大谷吉継でした。反撃もあえなく吉継は戦死して、島左近も鉄砲で撃たれて屍をさらし、西軍は敗北しました。

 

石田三成は戦場から落ち延びますが、山中で捕縛されて京都で打ち首にされます。関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康に上杉景勝と直江兼続は降伏し、はるか北国へと押し込められることになります。

 

3年後に徳川家康は征夷大将軍に就任して、江戸に徳川幕府を開くことになるのは、ご存じの通りです。

 

石田三成は徳川家康に敵対したために、江戸時代は散々な汚名を着せられます。

 

しかし、多くの大名が強い徳川家康になびく中、豊臣を守ろうと立ち上がった石田三成の勇気と忠誠心は、江戸時代であっても心ある人々、例えば水戸光圀などには賞賛されていました。

強大な家康に徒手空拳で立ち向かった三成の勇気を思えば、汚名ぐらいはむしろ名誉なことかもしれません。どうでもいい敵ならば、憎まれることはないからです。

 

何よりも、石田三成が自ら証明したように、普段から必要な努力を惜しまなければ、たとえ圧倒的な敵を相手にしても対等に戦えるところまで持っていくことができること、これは私たちに大きな勇気とヒントを与えてくれますね。

 

一時的な人の評判やその時の気分に流されず、長い目で見て自分にとって必要な努力を営々と続けること、自分がしなければならないことをたとえ嫌われてもやり続けること、そうすることによって人からの本当の信頼を得ることができるということを、石田三成の生涯は教えてくれるように思います。

 

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歴史に学ぶ後継者経営 石田三成の挑戦(4)

私主に日本の歴史から後継者経営に学べる題材をとって、皆さんと一緒に後継者経営を考えて参りたいと思います。今回は、「関ヶ原の合戦」の片方の主役だった、石田三成の行跡に後継者としての生き様のヒントが得られないか、皆さんとみて参りたいと思います。

 

後継者の皆様

 

後継者の学校パートナーで、日本の歴史を愛する石橋治朗です。

 

私は主として日本の歴史から題材をとって、事業承継や後継者経営のありかたを皆さんと考えていきたいと思っています。

 

今回もまた、石田三成の続きです。

 

関ヶ原の戦いで、260万石という強大な国力と、豊臣政権における5大老の筆頭という権威、そして圧倒的な戦歴をもつ徳川家康に対して、19万石の国力しかない石田三成がどうやって挑戦したのか。

その秘密は、紹介した歌にあるように、三成が大きな代償を払って重臣を招いたこと、また身分不相応なほどの大きな城を築いたことで、三成が大名として飛躍的に力をつけたことにあると前回まで申し上げました。

 

初回で申し上げたとおり、石田三成は「へいくゎい者」(横柄者)と呼ばれていたように、無愛想で冷たい、とりつく島もない官僚のような印象を相手に与えていました。そのおかげで、豊臣政権の中では人気がなかったと言われています。

 

しかし、三成が豊臣政権の中でそのような態度を取らざるを得なかったのは、それなりの事情があります。

 

豊臣政権は、秀吉が子飼いの部下の中から取り立てたり、あるいは大きな利益を餌にして味方につけたりした武将が大名の多くを占めていました。野心と勢いはあるが、統制が取れていないのです。大坂城内で平気で泥酔して暴れたり、口論がエスカレートして取っ組み合いの喧嘩になったり、あるいは戦いで周りの動きなど一切構わずに、自分の手柄をたてようと抜け駆けしたおかげで、他の武将が危機に陥ったりするなど、様々なトラブルを起こす武将が多かったようです。

 

そのような中で、武将たちに対してしっかりとしたまともな統制を取ろうとすると、それをする人間は自然と嫌われ者になるのは、世の習いですね。その嫌われ役を、政権のトップである秀吉は当然やりませんので、そういう汚れ仕事は、部下に回ってくるのは時代を問いません。

 

石田三成は、豊臣政権の中での自分のすべきことを理解して、几帳面なほどにそれを実行しただけなんですね。ただし、秀吉が存命のあいだは、三成は自らの職務だけ考えていれば十分でしたが、後継者が育っていなかった秀吉亡き後の豊臣政権にあっては、もう少し政治的な動きが求められていたのです。その変化に適応するだけの力が三成には不足していたのに対して、経験豊富でスタッフも充実していた家康はうまく対応することができました。どのような違いがそこにあったのか、それはまた稿を改めて申し上げたいと思います。

 

そのように、石田三成が自らの職務に忠実であるほど、特に「武断派」と呼ばれる武闘派の武将(普通の会社で言うと、「現場」ですね)からは嫌われましたが、一方でストイックなほどに自らを高め、嫌われることもいとわずに自分の職務に邁進する三成に惚れ込む人たちもいたのです。

 

前々回で紹介した島左近もその一人であり、また武将として活躍した舞兵庫などもそうですが、一般的に世に知られているのは豊臣政権を同じ官僚として支えた大谷吉継と、上杉景勝の右腕であった直江兼続の二人でしょうか。

 

大谷吉継は、石田三成と同様に、少年の頃に秀吉に見込まれて取り立てられ、秀吉をして「大軍を紀之介(吉継の幼名)の采配に任せてみたい」と言わしめるほどの器量がありました。三成とは肝胆相照らす仲であり、無二の親友と言ってもいい間柄だったのです。

 

二人の間柄を示すエピソードを紹介したいと思います。

 

後年、大谷吉継は重病(ハンセン氏病と言われています)を患い、顔を布で隠していました。ある日、茶会に呼ばれましたが、吉継はお茶を飲んだときにうっかりと膿を茶碗の中に落としてしまいます。当然、参加者はお茶を飲むふりをして茶碗に口をつけませんでしたが、三成は膿ごとそのお茶を飲み干して、さらにお代わりを所望したと伝えられています。それを見ていた吉継がどう思ったか、申し上げるまでもないかと思います。

 

一方、直江兼続と三成の強い絆も有名です。直江兼続は、ご存じの通り義を重んじる上杉家の重臣ですが、自身も義理堅く剛毅な人柄で知られていました。

あるときに、秀吉の居城であった伏見城内で、仙台の伊達政宗が金の小判を、「皆見たことがないだろう」と半分自慢げに出席者に見せていたところ、兼続は小判を扇子の上に載せて受け取りました。政宗は兼続が遠慮しているのだろうと、「手に取って見よ」と言ったところ、「小判など、武士の手の汚れになるわ」と扇子で投げて返したそうです。

兼続の誇り高さ、気の強さが推し量れるエピソードですね。

 

直江兼続が上杉家と上杉景勝を強く想う心、そして石田三成が豊臣家と豊臣秀吉に抱く熱い忠誠心、似た者同士が一晩明かしてお互いの主君について語り合った夜もあったのではないでしょうか。

 

石田三成、大谷吉継、直江兼続は、三人ともそれぞれ秀吉亡き後の豊臣政権について憂慮していましたが、思いも空しく秀吉は病死してしまいます。

 

豊臣秀吉の死後、三人が懸念していたとおり、秀吉の遺言に反して徳川家康が大名との婚姻政策を進めたため、石田三成が奉行としてその行為を弾劾します。しかし、三成は家康党である加藤清正や福島正則から命を狙われて、家康の仲介で和解する代わりに豊臣政権からの引退を強制されることとなります。

 

石田三成という弾劾者がいなくなったことで、徳川家康の行動を縛る者は中央にいなくなりました。暗に反家康党とみられていた会津の上杉家が、家康に近い家臣を追放したり、国境の城を修築したりしていることについて家康がとがめたところ、「直江状」と呼ばれる直江兼続からの反論が来たことを受けて、徳川家康は会津を征伐することを決意します。

 

福島正則、黒田長政、細川忠興など家康党と呼ばれる秀吉の家臣を率いて、徳川家康は会津を目指して東へ下りますが、その隙をついて石田三成は家康討伐のために関西で挙兵します。

 

実は、「直江状」による家康への挑発は石田三成と直江兼続との密謀だったと伝えられています。その確証はないとも言われていますが。

そして、実は三成の挙兵も徳川家康の目論見通りであり、石田三成側についた軍勢を、豊臣政権の家康党の武将とともに打ち破ることで、徳川政権を強引に成立させてしまおうというシナリオだったとも言われています。

 

徳川家康とも意思疎通のあった大谷吉継は、強大な家康には到底三成の勝ち目がないとみて挙兵をとどまるように説得しますが、最終的には三成の熱意に押し切られて、三成と志をともにすることを決意します。

 

こうして、石田三成は徳川家康との戦端を開くことになったのです。

しかし、決して三成は独りで立ち上がったわけではなく、有力な協力者がいたわけですね。大きい志を持って、孤独であってもぶれずにすべき努力をし続けていれば、必ずそれを見てくれる人はいるのです。もしも三成がその場の状況に左右されているだけの人間であれば、そもそも家康への挑戦すらできなかったことでしょう。

 

徳川家康への石田三成の挑戦がどのような結末を迎えたか、次回は最終回です。

 

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入国禁止措置と企業のあり方

後継者の学校パートナー中小企業診断士の岡部眞明です。

トランプ大統領が就任してひと月がたとうとしています。矢継ぎ早に発布していた大統領令もこの頃は少し落ち着いてきたようです。今回は、前回予告した通り1月27日に出された中東・アフリカ7か国から市民入国を禁止する大統領令について考えてみます。

大統領令で指定された7か国は、イラク、シリア、イラン、スーダン、リビア、ソマリア、イエメンで、テロ支援国家、内戦状態・政情不安が続いていることが理由として挙げられたようです。

この大統領令が発布されると正規なビザを持っている人々までも入国できずに、アメリカのみならず各国の空港で大きな混乱が引き起こされました。

大統領令に異議を唱えた司法省のトップはその日のうちに解任されたりして、さすがアメリカとびっくりするやら、納得するやら、トランプ政権の船出は、ある意味ダイナミック(ハチャメチャにも見えますが)なものです。(あくまで、現在進行形なので)

その後、というより発布直後から、この大統領令に対する批判は、アメリカ政界の与野党問わず、法曹界からも批判続出で、ワシントン州の連邦地裁が効力の停止の決定をし、政権側が控訴する騒ぎとなりましたが、結局、大統領令の差し止めが決定しました。

政権側は、控訴をあきらめ、新たな入国管理措置を講ずることとなり、この大統領令による混乱は、当面回避されることになりそうです。

この大統領令は、シリアからの難民は無期限停止としているものの、他の国からの難民の受け入れは90日あるいは120日間停止することと、生体認証による出入国管理システムの整備を進めるなどの内容であり、まったく正しいとは言わないまでも、全くダメという内容でもないのです。

そもそも、自分の国に誰(何)を入れて、誰(何)を入れないかは、まったく100%その国の判断によることになっています。私たちが、アメリカに行くとき(短期)に入国のための査証(ビザ)が不要なのは、アメリカ人が日本に来るときに同じ扱いになっているからです(うちの国の人を受け入れてくれるなら、同じ条件であなたの国からの人も受け入れますよ)。これを互恵協定といいますが、今回の大統領令にも、互いの協定が本当に互恵関係になっているかを再検討するとなっています。

政権側は、大統領令は「合法で適切」であり、「大統領令は国土を守るためのもので、大統領には米国民を守る憲法上の権限と責任がある」(http://www.bbc.com/japanese/38866319)と表明しています。

注目すべきは、この大統領令については、調査の時期や機関によっても違いがありますが、ほぼ50%の人が支持しているという事実です。これは、移民に対するこの原則は十分に説得力と実行力を持っているということを示しています。

一方で、雇用問題では概ね協力姿勢だったアマゾンなどの大企業が、「アップルは移民なしに成り立たない」(ティム・クック)、「移民がこの会社とこの国、そして世界にもたらすポジティブな力を目の当たりにしてきた」(インテルCEOサティア・ナデラ)など、一斉に反発しています。

企業が大規模化しグローバル化し、従業員の国籍も多様化していく中で、一つの統一したシステムとして機能していくためには、同じ価値観のもとに糾合する文化と価値観が必要とされていることを強く意識させるものでした。

翻って、わが日本は、難民の受け入れ人数の累計(平成18~27年)が、284人であり(法務省統計)、今回の大統領令による今年度受入数を5万人まで(11万人から半減)とは比べ物になりませんが(こと難民移管する限り、大統領令より何百倍も自国民の安全を守っていることになります)、企業の現状では、国際的な展開をしている企業だけではなく、国内にとどまっている企業についても、外国人労働者の問題は(欧米の難民問題は、労働力不足を補うことから始まっていることをみても)避けて通ることはできない問題ではないでしょうか。

ドラッカーは、日本の明治以降の発展を「近代国産業国家という新しい目的のために、日本独自の共同体伝統および人間の価値観をはたらかせた事実こそ、なぜ日本が成功したかを示している」(ドラッカー全集5「伝統的経営仮説の終焉」ダイヤモンド社)と言っています。

国際間の距離が、物理的にも、技術的にも縮まり、地域の伝統や価値観が日々、直接接触する世の中で、それらを融合する役割を否が応でも担わなければならない時代になっているように思えます。宗教的にも寛容な日本の役割が求められているのではないでしょうか。

 

このように移民や外国人労働者という観点から

「文化違いを受入れ、発展させる」ことは

事業承継にもつながることではないでしょうか。

 

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歴史に学ぶ後継者経営 石田三成の挑戦(2)

私主に日本の歴史から後継者経営に学べる題材をとって、皆さんと一緒に後継者経営を考えて参りたいと思います。

今回は、「関ヶ原の合戦」の片方の主役だった、石田三成の行跡に後継者としての生き様のヒントが得られないか、皆さんとみて参りたいと思います。

 

後継者の皆様

後継者の学校パートナーで、日本の歴史を愛する石橋治朗です。

 

私は主として日本の歴史から題材をとって、事業承継や後継者経営のありかたを皆さんと考えていきたいと思っています。

 

今回は、前回からの石田三成の続きです。

 

関ヶ原の戦いで、260万石という強大な国力と、豊臣政権における5大老の筆頭という権威、そして圧倒的な戦歴をもつ徳川家康に対して、19万石の国力しかない石田三成がどうやって挑戦したのか。

その秘密を、今回は探っていきたいと思います。

 

石田三成の挑戦を探る鍵は、当時の三成をはやした歌にあるように思います。

 

「治部少(じぶしょう・三成のこと)に

過ぎたるものが二つあり

島の左近に 佐和山の城」

 

石田三成は、自分の欠点の一つとして、戦場での経験が浅く、また謀略が不得意であることをよくわかっていました。

秀吉から近江国(滋賀県)の水口4万石を任されたときに、自分の右腕となってくれる部下を召し抱えることを決意します。

 

しばらくして、秀吉がふと気になって、

「佐吉(三成の幼名)よ、そなたを大名に取り立ててやったが、どれだけの家来を召し抱えたのだ?」と三成に質問します。

計算に明るいしっかりものの佐吉のことだから、さぞ多くの家来を召し抱えたに違いない、と秀吉は考えました。

 

すると三成は

「一人です」と答えます。

 

秀吉は驚いて、「一人とはどういうことだ?」と尋ねると、三成は、

「筒井家の牢人、島左近を召し抱えました」と答えるので、秀吉は苦笑します。

「島左近ほどの名士が、そちのような小身者のところに来るわけがないではないか」

 

島左近(しまさこん)。

 

またの名を、島清興(しまきよおき)ともいいます。

大和国(奈良県)の筒井順慶の重臣として活躍し、戦闘の指揮の巧みさと外交や謀略に明るい名士として、その名が知られた存在でした。

蒲生氏郷や豊臣秀長にも仕えたようですが、当時としては高齢でもありその後は隠居していたようです。

様々な仕官(リクルート)の話もありましたが、全て断っていました。

 

石田三成からの誘いも,当然のことながらいったんはにべもなく断ります。

島左近にしてみれば、豊臣家の若造が、身に余る出世をしたばかりに頭に血が上ったのだろう、くらいにしかとりません。

4万石ごときの大名が、なにを血迷ったのかと。

 

しかし、三成はあきらめません。

島左近に出した条件が、破格でした。

 

4万石のうち、2万石(1万5千石という説もあります)を与えるから来てくれと。

今で言えば、4億円の売上(利益ではありません)のうち半分を毎年差し上げるということですね。

ほとんど、あり得ない条件です。

1万石以上が「大名」と呼ばれていたのですから、同じ国に大名が二人いることになります。一緒に社長をやってくれというのと同じですね。しかも、経費は全部三成持ちです。

 

さすがに、島左近も心が動きますが、やはり仕官するつもりはないけれども、せっかくの申し出なので三成に会って断ろうと面会に応じました。

 

しかし、島左近は結局三成の申し出を受け入れます。2万石の誘惑に負けたわけではありません。

他の大国に行っても、それくらいはとれる島左近です。たたき上げの海千山千の軍師であった島左近は、三成の裏表のない一途な正義感の強さにすっかり魅了されてしまったのです。

 

いい人材を手に入れるためには、売上の半分をあげることもいとわない。

秀吉はその話を聞いて、大笑いするとともに、昔の自分を見るように三成を頼もしく思います。

三成は、大名となったことに満足しない、大望を抱く男だと。

 

島左近を右腕としたことで、石田三成軍団は格段に強力な存在となります。

後から加わった、歴戦の指揮官として知られる舞兵庫や蒲生頼郷とともに、関ヶ原の戦いで伝説的な強さを発揮することとなります。

 

また、島左近は戦いだけでなく、情報収集や各種の謀略にも手腕を発揮することとなります。

 

この島左近が、冒頭の歌の「島の左近」に当たるわけですね。

最初は、「過ぎたる」ものであったかもしれないけれども、この主従は最後は一枚岩のようになるのです。優れた家臣を召し抱えることで、三成自身も成長したわけですね。

大名も、会社と同じで「人材」が大切なのです。

 

次回は、後半の「佐和山の城」に触れますね。

 

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歴史に学ぶ後継者経営 石田三成の挑戦

私主に日本の歴史から後継者経営に学べる題材をとって、皆さんと一緒に後継者経営を考えて参りたいと思います。今回は、「関ヶ原の合戦」の片方の主役だった、石田三成の行跡に後継者としての生き様のヒントが得られないか、皆さんとみて参りたいと思います。

 

後継者の皆様

 

後継者の学校パートナーで、日本の歴史を愛する石橋治朗です。

 

私は主として日本の歴史から題材をとって、事業承継や後継者経営のありかたを皆さんと考えていきたいと思っています。

 

しばらく、時間が空いてしまいました。皆様、いかがお過ごしでしょうか。

 

私は、年に何度か東京から大阪へ新幹線で行くことが多いのですが、途中で関ヶ原付近を通過するたびに「関ヶ原の合戦」に思いをはせることがあります。

 

その「関ヶ原の合戦」を、学生(中学・高校?早熟な人は小学校かも、ですね)の時に初めて習ったときに、皆さんはどのように思われましたか?

 

私は、率直に「石田三成?誰だろう?」と思いましたね。

 

何しろ、関ヶ原の戦いは「天下分け目の戦い」とも言われた大きな戦いです。その片方が徳川家康という押しも押されもせぬ江戸時代の創始者であるならば、相手は「豊臣秀吉」でないととても釣り合いませんよね。

まあ、当時は歴史に無知だったので、豊臣秀吉が生きてたら起きるはずのない戦いということまでには思いが及びませんでした。秀吉亡き後の、覇権を争う戦いですからね。

 

しかしながら、無知でありながらも私の素朴な疑問はそれほど的を外していなかったと思います。東軍の大将である徳川家康の国力は石高にして約260万石、西軍を仕切った石田三成は同じく19万石、約13倍もの開きがあります。

 

260万石と19万石、これはどのくらいの違いかというと、単純に260万人の人口がいる国と、19万人の国との違いと考えてください。家康が使える兵力は、約6~7万人、三成の使える兵力は5千人でした。やはり、10倍以上の差があります。

 

いかに、徳川家康の力が隔絶していたかわかりますね。

 

さらに、徳川家康は豊臣政権において、5大老と呼ばれる重臣たちの筆頭であり、かつ織田の時代からの豊富な戦歴を持つ、権威と実力においても他を圧倒する存在でした。

 

はっきり申し上げると、徳川家康に石田三成が戦いを挑むなど、「無謀」「無茶」「怖いもの知らず」以外のなにものでもないのです。

 

でも、今回から始まる「石田三成」では、この「無謀さ」をテーマにしたいと思います。

常識的に考えれば惨敗どころか全く勝負にならないであろうこの「無謀な」戦いは、実はかなりいい勝負になります。

東軍の圧勝どころか、徳川家康はすんでのところで天下を取り落とすところまで行くのです。

当時の下馬評でも、あるいは現代においても、無謀な戦いであるという下馬評を、どうやって三成はひっくり返すところまで持って行けたのか。ここに、後継者が学ぶべきヒントが埋まってやしないか?と思うのです。

 

ほう、いい勝負まで持って行けたということは、石田三成はすごくできる奴なんじゃないか。優秀だから、周りの人がついてきたんでしょう!

皆さんは、もしかするとそう思われたでしょうか?

 

当時の石田三成の評価は、実務能力は有能だけど、戦場ではたいしたことはない、というものでした。

飛び抜けて優れた官僚ではあるが、武将としては平凡というのが正直なところでしょう。

 

でも、10万人とも言われる東軍(家康の率いた軍勢)に対抗できる勢力を揃えたんだから、さぞ石田三成には人気や人望が備わっていたんじゃないでしょうか、と思われる方も、ひょっとしたらいらっしゃるかもしれません。

 

石田三成の当時の人物評は、当時の言葉で表すと「へいくゎい者」です。

現代語で言うと、「横柄」「傲慢」ですね。

 

超がつくほど管理能力に優れ、豊臣秀吉の絶大な信頼があり、豊臣家の政治は三成なしには成り立ちませんでした。それほどの能力を持ちながら、他人からは恐れられ、嫌われていました。

もっとも、それは石田三成の場合、豊臣秀吉の権威を借りてというわけではなく、持って生まれた性格だったと思います。

頭の回転が速く、思考が明晰で先が見えすぎる人は、ついつい他人がバカに見えてしまうんですね。

石田三成の場合、それを隠さなかったので、人望があるどころか嫌われ者だったと申し上げても言い過ぎではありません。

 

武将としてたいしたことがなく、人望も全くなかった石田三成が、いったいどうやって歴史上に残るような合戦をまとめることができたんでしょうか?

 

これって、後継者でなくても興味ありますよね。

 

まして、事業を承継しようとしている後継者は、家康に挑む三成のような、ある種無謀な戦いをしようとしているといっても、言いすぎではないですよね?もちろん、皆さんが三成のように性格が悪い、と申し上げているのではないですよ。

 

資質もたいしたことなく、人から嫌われていた三成でさえ、家康と勝負できたんです。

でも、それはもちろん、三成が尋常ではない努力をしていたからです。

そこに、事業承継という勝負をしようとしている後継者が学ぶべきことがあるんじゃないか、ということです。

 

次回から、石田三成の尋常ではない努力を、見ていきたいと思います。

 

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アメリカ大統領選挙で、地方を考える

後継者の学校パートナー、中小企業診断士の岡部眞明です。

先日、インターネットニュースにアメリカ大統領選挙の最終集計結果が出ていました。当選したトランプ候補は、6,220万票、敗れたクリントン候補の得票数が6,420万票だということでした。つまり、得票数が少ない候補が当選したわけです。これは、アメリカ大統領の選挙制度が、大統領を選ぶのは各州に配分された選挙人と呼ばれる人達で、11月8日に行われたのは選挙人を選ぶ選挙だからです。(選挙人の本投票は、12月15日)

このことは、みなさんも、前からあるいは今回の選挙を通じて理解されたことと思います。獲得した選挙人の数では、トランプ候補が306人(57%)、クリントン候補が232人(43%)で、トランプ大統領の誕生という結果になったことは、皆さんご存じのとおりです。この選挙人の数は、合わせて538人(306+232)で、全米で一番多いのは、カリフォルニア州で55人、激戦州といわれたフロリダ州は29人です。一方、少ない方では、中部の各州やアラスカ州が3人、ちなみにハワイ州は4人です。週ごとの人数はどのように決まっているのでしょうか、調べてみました。

これは、連邦議会議員の数と同じ人数が割りあてられています。連邦議会は、ご存じのとおり、上院・下院2院ですが、上院は各州2人ずつの100人、下院は各州の人口に応じて435人が割り振られています。このほかに、連邦議会に議員を送っていない首都ワシントンDCに3人割り振られていて、合計538人となる訳です。

ここで各州の人口を見てみましょう、一番多いのはカリフォルニア州で3,725万人、一番少ないのはワイオミング州の56万入、選挙人一人あたりの人口は、カリフォルニア州677千人、ワイオミング州は188千人で(上院議員一人あたりでは、カリフォルニア州、18,627人対282千人)、約3.6倍(上院議員では、66倍)の差があります。

ところで、両候補の勝敗を色分けしたアメリカの地図をニュースでご覧になった方も多いと思います。中西部の多くの州がトランプ氏の共和党の赤で塗られ、面積の上ではトランプ氏の圧勝に見えます。

面積を見てみましょう。一番広いのは、アラスカ州で66万平方マイル、一番狭いのは、ロードアイランド州は1.5千平方マイル、首都ワシントンは68平方マイルとなっていますが、トランプ氏が制した州の総面積は212万平方マイル(56%)、方や、クリントン氏は167万平方マイル(44%)と意外と接戦でした。両者が制した州ごとの人口を比べると、トランプ氏174百万人(57%)、クリントン氏167百万人(43%)  (出典;Wikipedia)

と、以外にも選挙人の獲得数と近い結果となっています。

ここで、高校のとき政治経済で習った(はずの)国を形作る3要素を思い出してみましょう。領土、国民、主権だったはずですね。領土がなくては国はあり得ません。だから、尖閣諸島、竹島、北方領土は重要なのです。(領海という意味でも)。もちろん、国民がいなくては国家とは言えません。領土・領海や自国民を統治する主権があって初めて国家として成り立ちます。(クルド人問題など民族としての主権をもてない人々の悲惨はニュースでたびたび目にします。)国家が成り立つまでの歴史や文化を含めて統合するのが国家の条件と言えるでしょう。

アメリカは、建国の歴史から各州は相当高い国並みの自治権があたえられています。従って、領土、住民、行政権限が連邦政府と同様に尊重される制度になっているといえるでしょう。だから、日本でなら最高裁で争われるほどの1票の格差(66倍)の選挙制度のもとで、議員や大統領が選ばれていて、総得票では上回っていた候補が敗北宣言を行うということが起こるわけです。

中西部は、比較的人口が少なく広い面積を持つ州が多い傾向にあります。選挙人が3名、上院議員が2名ずつ与えられているこれらの州は、人口ではなく領土に選挙権を与えられているように見えます。(地図を見てください。)

田舎と言えるこれら人口の少ない州にも、地域特有の歴史や文化をはぐくむ人々があり暮らしがあります。多数決という民主主義の原則からみると、一見不合理に見える今回のアメリカ大統領選挙結果から見えるのは、少数意見の尊重と、地域文化の尊重という大きな役割が与えられている国家の制度の在り方を考えさせられる良い機会でした。

ところで、シリコンバレーやオースティンといったアメリカベンチャー企業の聖地となった都市の発展のそもそものきっかけは、「モリル法」という、地方大学に土地を与える法律だったことを御存知でしょうか。アメリカの州立大学は、この土地とカーネギー等の名門私立大学に対するある種の劣等感から起業を振興した結果が、アメリカの今がつくられているといっても過言ではないのです。

土地は、すなわち領土です。そこには、人々の暮らしや思いが当然あるのです。

日本も地方の土地と文化、人々を大切にすることを考えなければならないと思います。

参議院選挙区の合区が実施される今、地方大学、中小企業こそが、その実力を発揮すべき時なのです。

後継者の学校では会社と文化、人々を大切にすることを考えていくプログラムです。

一度、ホームページをのぞいてみてください。
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実録 事業承継~社員の気持ち③~

河合さん

中小企業の事業承継において、最も一般的な親から子への承継。株の引き継ぎがスムーズであることや周囲の納得感が得られやすいなど、メリットはたくさんあります。

しかし一方で、親子とはいえ、全く異なる考え方を持った後継者が社長になり、組織をまとめていくのは簡単なことではありません。

しかし、後継者が事業承継のタイミングでするべきことをしっかりすれば、必ず強い組織になるのです。

では、後継者がするべきこととは何でしょうか?

 

後継者の学校大阪校を担当しております税理士の河合です。

中小企業の事業承継は、M&Aなど様々な取り組みが活発になってきていますが、やはり親から子へと引き継がれる場合が多いです。

様々な苦労をしながら育ててきた会社を引き継いでもらうのは、他人よりも我が子であるほうが嬉しいという親の心情もありますが、株の引継がスムーズにできること、社員のなかからの登用よりも他の社員からの納得感が得やすいことなどが、その理由として挙げられます。

しかし、実際現場に入ってみると、古参社員との軋轢、先代が採用した社員と後継者が採用した社員の間の考え方の違いなどなど、泥臭い人間関係の中にどっぷり浸かり、疲れ切ってしまう後継者も少なくありません。

しかし、軋轢をマイナスな出来事ととらえるのか前向きに考えるのかにより、結果は全く異なります。前回ご紹介しましたように、まずは後継者が社員の気持ちを理解することが大切です。

 

後継者が組織をまとめるための第一ステップ

トップが交代するという会社の大きな変化を目前にした時、社員は当然不安や期待といった複雑な思いを抱きます。(その理由は前回の記事を参考にしてください。)

「従来のやり方では効率が悪い」とか「もっと営業の仕方を変えなければならない」とか「基本的な制度もないようでは会社といえないから形を整えなければならない」とか、後継者としては、できていないところが目につき、当然しなければならないこととして「現状を変えよう」、「良くしよう」とやっきになることが多くあります。しかし、その時の社員の気持ちはどうでしょうか?先代社長とともにずっと作り上げてきたやり方を否定され、すぐさま別の方法に変えろと言われても、頭でそれが必要と分かっても、行動に移すことは難しいというのが本音です。嫌々やることに成果はついてくるでしょうか?

そこで、後継者がしなければならないこと。それは、社員ひとりひとりと向き合うということです。当然でしょ?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、実はひとりひとりと向き合ったことがない後継者の方が多いのも事実です。社員ひとりひとりの家族構成は知っていますか?生年月日は?好きな食べ物、嫌いな食べ物は?後継者の中には、いつも近くにいるのに知らないことが多いことにびっくりされる方もいらっしゃいます。

確かに、自分のことをどう思っているか分からない、社長の息子(娘)だからといっていつも何か見えない距離を感じている社員と向き合うのは、勇気がいります。でも、ひとりひとりと話してみれば、知らなかったことが色々見えてきます。決して単なる「仲良し」になることをお勧めしているわけではありません。媚びるわけでもありません。「私はこう考えていますがあなたはどうですか?」とこれからの会社の方針について語り、合意形成をしていくのです。

これが、後継者が組織をまとめるための第一ステップです。いかがですか?事業承継は創業と違い、既に様々なものが動いていて、一見なんの問題もないように見えます。だからといって、なんとなく過ごしていると、なんとなく時は過ぎ、いつのまにか後継者はいてもいなくても大して影響のない人になってしまいかねません。事業承継を成功させるためには、後継者が主体的に動くことがとても重要なのです。

 

後継者の学校では、このようなテクニックではなく押さえるべきポイントをしっかり理解し、実践に移していただける仕組みがたくさん入っています。

また、お得に参加できる「放課後勉強会」や無料で受けられる「後継者インタビュー」好評実施中です。ご興味のある方は是非ホームページ(http://school-k.jp/)からお問い合わせください!

 

オリンピック選手にみるモチベーション

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後継者の学校パートナー中小企業診断士の岡部眞明です。

リオデジャネイロオリンピックが終わりました。閉会式の日本のプラグラムは本当に素晴らしく、日本という国の伝統とセンス、サブカルチャーの魅力を如何なく示すものでした。

メダル獲得数も41個と過去最高となりました。もちろん、メダルを獲得できなかった人も含めてこの大きなスポーツ大会に参加したすべての選手の頑張りは無条件に賞賛されるべきもので、その一人ひとりにもたらされた結果に価値の差はありません。

そして、この大会に臨むにあたって、「地獄のような練習」(シンクロナイズド・スイミングチーム)を耐えてきた選手たちのモチベーションの高さは並大抵のものではなかったと思います。

この高い並外れたモチベーションの根源はどこにあったのでしょうか。

試合後の選手のコメントやエピソードから類推することにしましょう。

女子レスリング吉田沙保里選手は、4連覇を逃した後「気持ちで負けてしまった。ずっと恐怖で、重圧はすごくあった」と、霊長類最強女子といわれるくらい強い自分が負ける恐怖を語っています。また、女子200メートル平泳ぎ金籐理絵選手は、前回ロンドンオリンピックの代表選考にまけた悔しさを克服し、「どんな結末になっても今回が最後」と臨んだリオで金メダルに輝きました。

男子水泳で金銀銅のメダルを獲得した萩野公介選手は、去年の骨折で出場できなかった世界選手権でのライバル瀬戸大也選手の活躍を見て「俺は何をやっているんだ」と発奮したといいます。

吉田選手は、負けるという恐怖心から逃れることがトレーニングのモチベーションとなったといえますし、金籐選手は、ロンドンオリンピック選考会落選の悔しさから、萩野選手はライバルの活躍が発奮材料になったのです。

モチベーションが高い人といえば、いつも前向きで元気いっぱいの太陽のような、わが千葉県知事森田健作さんの若い時の(もちろん役の上ですが)のような人をイメージする人が多いかもしれませんが、あんがい、人のやる気って、マイナスの感情から生まれる場合も多いのではないでしょうか。

もちろん、(役の上の)森田健作さんのような人は、何に対しても前向きで、少々の失敗は気にせずに仕事をこなしてくれるでしょう。一方で、失敗することが怖くて、用意周到に仕事に備える人は、堅実に仕事をしてくれます。

森田健作さんと吉田選手たちの共通点は何でしょうか。失敗をしても気にしない人と失敗を恐れる人のモチベーションを考えるうえでの共通点は何でしょうか。それは、前を向いていることだと思います。一方は、成功するという確信に向かって、もう片方は、失敗して悲しむ後ろ向きの自分に背を向けて。

会社組織には、いろいろな人がいます。違った人かいるから組織の力になります。その人毎にモチベーションの形は千差万別です。そして、会社で起こる出来事も、人間関係も千差万別。

そんな人や組織、出来事をまとめ上げるリーダーシップも決まった形はありません。

常に動いている会社をまとめる経営という仕事も、喜んだり、悔しがったりモチベーションを刺激してくれる仕事ですね。

この話が少しでも何かのきっかけになれば幸いです。

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後継者にまつわる小説あれこれ(その13)

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司法書士の木村貴裕です。

小説は気軽に読めて、でも何か気づきを得たり、力がわいてくることってありますよね。

ほんの少しでも何か感じてもらえそうなものをこれから少しずつ紹介したいと思います。

後継者の学校パートナーブログですので、もちろん後継者や事業承継に関するものを。

 

後継者の学校パートナーで司法書士の木村貴裕です。

私は通勤時間をもっぱら読書にあてております。

地下鉄なので外の景色を眺めても面白くもなんともないという理由もありますが。

 

経営書ではなくあまり肩のこらない小説ばかりなのですが、結構事業承継にからむ話もあります。

後継者や後継者候補の方に何か少しでも感じてもらえるものがあればと思い、今まで読んだ中から、後継者や事業承継に関係するものを何冊か紹介します。

 

今回紹介するのは、

 

「これは経費で落ちません! 経理部の森若さん」青木祐子 著(集英社)

 

タイトル、そして裏表紙に、「営業部のエースが持ち込んだ領収書には「4800円、たこ焼き代。」」とあったので、てっきり池井戸潤著の「不祥事」に登場する花咲舞のような女性が主人公の話かと勘違いしていました。

勝手な予想に反して、大変おとなしく波風を立てるのを嫌う女性でした。

 

主人公の視点を中心に、たまに他の登場人物の視点を交えて、社内の人間模様を描く作品です。

読後、主人公(のような女性?)に会ってみたいと思ったし、その先の物語が気になるというなかなか楽しめる作品でした。

 

が、しかし、どうも納得のいかない部分が多いのです。

 

本意ではありませんが、作品にけちを付けているように受け取られるだろうなぁというのを覚悟の上で申し上げると、

いくつか生じる問題の解決方法に「それで良いのでしょうか、森若さん。」と問いたい気持ちがわき上がってきます。

 

コンプライアンス上問題だ、と大上段にかまえるつもりはありませんが、今回は小さな問題かもしれないが、小さなほころびがやがて大きなほころびになりはしないかと不安になります。

 

「放っておいたら後々大きな問題に発展するかもしれない。ああ、社内のこのたるんだ空気をなんとかしたい。」と。

でもこの思いをストレートにぶつけるとどうなるのでしょうか。

 

実はここで考えたいのは、後継者が第三者的な目で社内を見ると、色々改善したいところが目に付き、それらに着手するも、社員からはどんどん浮いた存在になっていく。

正論を言い、正しい行いをしているはずなのに、皆からはうっとうしがられ疎外感を味わう。

 

そういう経験をされた後継者も少なくないのではないでしょうか。

 

この「将来的に問題になる前になんとかしたい。」という思いは間違っているわけではありません。

会社を少しでも良くしたいという気持ちは大切です。

 

でもそれを行動に移す前に知っておきたいこと、注意しなければならないことがあります。

 

後継者候補、もしくはもう後継社長となっているかもしれませんが、まだ会社に馴染んでいない浮いた存在のままで、ストレートに正論をぶつけても良い反応は返ってこないでしょう。

 

後継者の学校では、後継者や後継者候補のために、人・組織の問題や独自のリーダーシップ論など事業承継に関する幅広い内容のプログラムを用意しています。

 

ご興味のある方は、一度ご連絡下さい。

 

今回紹介した小説は、「風呂ソムリエ 天天コーポレーション入浴剤開発室」という話の続編のようです。

そちらも読んでみようと思います。

 

もしよろしければ、皆様も一度手に取ってみて下さい。

 

この話が少しでも何かのきっかけになれば幸いです。

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