私主に日本の歴史から後継者経営に学べる題材をとって、皆さんと一緒に後継者経営を考えて参りたいと思います。今回からは、江戸幕府を開いた徳川家康の生涯から、後継者としての生き様のヒントが得られないか、皆さんとみて参りたいと思います。
後継者の皆様
後継者の学校パートナーで、日本の歴史を愛する石橋治朗です。
私は主として日本の歴史から題材をとって、事業承継や後継者経営のありかたを皆さんと考えていきたいと思っています。
なおこのブログは全て、歴史に関する考え方については全くの私見であることを、あらかじめお断りしておきます。
前回まで、関ヶ原の戦いの主人公の一人であった石田三成を見て参りましたが、今回からはもう一人の主人公である徳川家康の生き方を紹介して参りたいと思います。
徳川家康。
戦国時代を終わらせて260年以上に及ぶ江戸の泰平の世をもたらした、織田信長、豊臣秀吉に続く戦国ビッグ3の一人ですね。
そんな凄い人から、後継者が学ぶことなんてあるのだろうか、とひるむ方もいらっしゃるかもしれません。
うむ、確かに。
書いている私も、「徳川家康か…ちょっと、大きく出てしまったなあ」と、ひるむ心があります。
あるいは、信長や秀吉に比べて、地味すぎて面白くない、と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
確かに、その二人が派手なので、比較すると家康は地味ですね。この頃は、大河ドラマでも脇役ばかりです。
でも、ひるむ方には、徳川家康も後継者だったし、秀吉はともかくとして、現代の起業家に神のようにあがめられている織田信長だって、もともとは後継者だったんだよ、と申し上げたいと思います。このブログでも、以前に取り上げたことがありますね。二人とも、確かに創業者としての一面を持っているけれど、最初は後継者としてキャリアを始めているのです。
また、後継者というのは、実は様々な要素、側面を持っているのです。創業者(先代)が健在の時は部下であるとともに後継者であり、事業を承継した後は経営者であり、新しい事業を始めたら創業者にもなるわけです。そう考えると、実は後継者は事業承継だけ学べば足りるわけではありません。経営のやり方も、アントレプレナーシップ(起業)も、学ぶことは必要です。
徳川家康の生涯は、地味ではあるけれど、今川義元の人質から始まり、長く今川、織田、豊臣の家臣や同盟者を経て、最後に天下人となるという、大変に複雑で紆余曲折を経た人生なので、一見すると派手な信長や秀吉よりも、参考になるヒントは多いんじゃないか、と私は思っています。
そんな徳川家康の人生を、現代の経営者で表現すると、下記のようになるのではないかと考えます。
「散々に親会社にこき使われてきた子会社が、親会社の内紛に乗じてM&Aで事業を乗っ取り、天下人となった」
あるいは、家康が遺したと伝えられている、下記の遺訓(格言)が一般的には知られていますね。
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」
これは、実は徳川家康が遺した言葉ではないようですが、家康の人生を表すにふさわしいので、遺訓として言い伝えられているようです。私も、そのように思います。
とはいえ、これから皆さんと見ていくうちにご理解いただけると思うのですが、決して家康は「重荷」をイヤイヤ背負っていたわけではないんです。むしろ、重荷を背負うことで自分を鍛える喜びさえ感じていたように思います。重荷を背負わされているとストレスがたまる一方ですが、重荷を背負うことで自らを鍛えているのであれば、自分の足腰が強くなっていく楽しみがありますよね。
歴史に名を残すような人たちは、おそらく自らが背負わされたマイナスの「宿命」を、そのように前向きに受け入れることで、自分の「運命」を切り開く原動力に変えているのではないでしょうか。
では次回から、徳川家康がこの世に生まれ落ちたときに、どのような「宿命」「重荷」を背負わされていたか、まずはそこから始めたいと思います。
ブログを読んで興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非後継者の学校の説明会にご参加下さい。
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事業承継に関する自身の悩みが整理され、すっきりすると好評です。お気軽にお問い合わせいただければと思います。
後継者の学校