歴史に学ぶ後継者経営 武田信玄のケース

私主に日本の歴史から後継者経営に学べる題材をとって、皆さんと一緒に後継者経営とは、を考えて参りたいと思います。

四回目は、戦国時代の台風の目であった武田信玄の事業承継です。事業承継には寛容な心が必要であり、また目先の利益にとらわれて「義」を破ってはいけません。そうでないと、悲劇を招くことになりかねません。

 

後継者の皆様

 

後継者の学校パートナーにして後継者の歴史の語り部(笑)、石橋治朗です。

 

私はこのブログを通じて、事業承継はどのようにすればうまくいくのか、後継者経営にはなにが大切なのだろうか、創業者経営とはなにが違ってくるのかについて、主として日本の歴史を題材にして皆さんと一緒に考えていきたいと思っております。

 

前回から、日本史の華、戦国時代に舞台を移して、いきなりのボスキャラ中のボスキャラである織田信長を取り上げました。

 

そして戦国シリーズの第二回目は、戦国時代はこの人を抜きにして語ることができない、やはりボスキャラの一人である武田信玄を取り上げたいと思います。

 

織田信長も、ドラマや小説に取り上げられることが多い人物ですが、武田信玄も多いですよね。戦国ゲームでの評価(能力パラメータ)も極めて高いです。

 

武田信玄という名前、いかがですか。重々しい名前で、重厚なイメージを感じませんか。

実は、もともとは「晴信」という諱(昔の成人名)だったのですが、出家して「信玄」と名乗るようになりました。

 

「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」という格言でも有名です。

 

しかし、信玄(晴信)自身は、信心深そうな名前とは、あるいは格言とは真逆な人生を送ることになります。

 

実は、信玄も後継者です。というか、それなりに血筋のいい武家は、事業承継をすることを前提としています。武士にとって大切な仕事(存在意義)は、「家を継ぐ」ことと「名を挙げる」ことです。

 

信玄が生まれた「武田氏」は、由緒正しい清和源氏を源流とする「甲斐武田氏」という、武士の超名門の宗家です。甲斐は今の山梨県ですね。有名どころのおぼっちゃま、といったところでしょうか。

 

しかしながら時代は戦国。武田氏も代を追うごとに衰微して、内乱状態となっていましたが、17代目の当主である武田信虎が一族の争いをおさめて、甲斐国を統一しました。信玄はその信虎の長男として、この世に生を受けました。弟の一人に、後に信玄の貴重な右腕の一人となる信繁がいます。

 

しかしながら、よくある話ですが、父の信虎と長男の信玄こと晴信はそりが合いませんでした。信虎はおとなしくて鈍重な晴信よりも、利発な信繁をかわいがります。

 

普通の家庭であれば、男同士の親子の不仲は「よくあるね~」で住む話です。創業者と後継者ですと、会社の中がぎくしゃくして周りが大変な思いをしたりしますが、まあ、それだけの話ですよね。

 

しかし、武田家は武家ですね。武家は、皆さん腰に刀というコワい一物を帯びております。

武家での不仲は、刃傷沙汰という物騒な事態になりかねないのです。

 

武田信虎がどのように考えていたか、真実は不明なのですが、武田晴信にしてみると廃嫡される(跡継ぎの身分を剥奪される)という危惧を抱くような情勢だったのは間違いありません。

廃嫡されると、最悪の場合、晴信は切腹を命じられることもあります。現に、後にそのような事件が武田氏を襲いますが、それはまた後の話。

 

さて、晴信はどのような行動に出たでしょうか。

 

なんとなんと、父の信虎を国外に追放してしまいます。

 

信虎を、同盟を結んでいる今川家(駿河や遠江、今の静岡県から愛知県の一部までの守護大名)へ追放してしまい、晴信自身が武田家の当主としておさまります。

事実上、武田家を「乗っ取って」しまったわけですね。

 

背景には、家臣団と信虎の対立があったと言われています。

武士同士の対立は、お互いの命をかけているところもあるので、晴信の行動はやむを得ないのかもしれません。

しかしながら、この行動は後々の武田家に暗い影を落とすきっかけになります。

 

その後、晴信は家臣団を掌握して信濃(今の長野県)へ侵攻を開始して、信濃の各地の大名を併呑して勢力を大きく拡大します。関東地方の北条氏や今川氏といわゆる甲相駿三国同盟を結び、背後の安全も確保します。

もともと、武田晴信の心底には京都へ武田の旗を立てるという野望があり、そこへ向けて、着々と準備を進めていました。

 

しかし、北信濃の村上氏を攻めたことをきっかけとして、10年近くに及ぶ「越後の虎」こと上杉謙信との抗争、いわゆる「川中島の戦い」に巻き込まれ、貴重な時間を空費することになります。

 

そんな中、戦国時代の勢力地図を一変させる驚天動地の出来事が起こります。

 

前回にご登場いただいた、尾張のボスキャラ織田信長が、戦国時代の代表的なやられ役である今川義元を「桶狭間の戦い」で敗死させます。

今川家も足利幕府における名門であり、東海道におけるバランサーとしての役割を果たす貴重な存在でした。

今川家の後継者は今川氏真、蹴鞠(貴族のサッカーのような遊び)の名手であるということだけが取り柄の、暗愚な後継者(いやな響きですが)で有名です。

今川家の領地には、貴重な物産の集結地である港があります。水運が当時の中心的な運送手段だったので、港を支配していることは経済的にも軍事的にも、計り知れないほど有利だったのです。

 

名門の跡継ぎが愚か(何回聞いてもいやな響きです)で、しかもその支配地には莫大な富がある。

 

隣には、山が多くて農地に恵まれないが、強大な軍事力を有している有能で野心的な大名がいる。

 

要するに、飢えた野良猫の目の前にでっぷりと太ったネズミがのこのこと現れたわけです。

どのような結末を迎えるか、誰の目にも明らかですね。

 

しかしながら、武田と今川は同盟を結んでいて、信玄(すでに出家していました)の長男である義信の正室(奥さん)は今川義元の娘です。

嫁の実家を攻めることなんて、できるのでしょうか。

当然のことながら、武田義信は猛反対します。

またしても、武田家の父と長男の対立です。家臣たちは、信虎と晴信の対立が脳裏に浮かびます。

しかし一方で、今回は武田家にとっては貴重な領土を拡大できる千載一遇のチャンスでもあるのです…

 

さて、信玄はどのような行動に出たでしょうか。

 

また、やってしまいました。

 

長男の義信を廃嫡して後に切腹させ、義信の嫁は実家に帰してしまいます。

デジャヴ、というか懲りないというか…。

義信に賛同していた家来たちも、一網打尽で粛清されてしまいます。

 

晴れて家中の意見を統一(?)した信玄は、徳川家康と組んで今川の領土に攻め入り、駿河国と念願の港を手中におさめることになります。こうして、武田家は一気に国力を高めることになりました。

 

でも、その代償として、武田信玄の手はべっとりと血塗られることになりました。

どんなに手を洗おうと、数珠を数えながら読経しようと、決してその血をぬぐうことはできません。

 

そんな信玄を織田信長は、「信玄坊主」と揶揄します。

法衣を纏おうが数珠を手にしようがお寺に多額の財産を寄進しようが、その手は血で汚れた破戒僧に過ぎない、とでもいうように。

 

国力を高め、上杉謙信を越後(今の新潟県)に封じ込めて、いよいよ信玄は念願の西上作戦を開始して京都を目指します。

しかし、そのときすでに信玄の身体は病魔に蝕まれていました。

 

甲斐国から東海道に現れた武田信玄の軍列は、今でも伝説となっております。脇目も振らず私語もせず、咳一つ聞こえない、見事に統制された軍列が粛々と京都を目指して進軍していきます。武田軍の強さは、信玄の意のままに一糸乱れず動く、機械のような統制の強さでした。

しかし、それは本当の強さだったのかどうか。もしかすると、親父を追い出し長男に腹を切らせる信玄への畏怖だったのかもしれません。

 

武田軍に侵入された徳川家康は、その重厚な隊列に対して果敢に挑みますが、三方原でフルボッコにされ、散々に破られて逃走し、恐怖のあまり脱糞してしまいます(笑)

とはいえ、家臣たちはそんな不甲斐ない家康を身を挺して守り、身代わりになって死ぬ家臣も出しながら、なんとか浜松城まで帰還させます。

 

家康を難なく破って勝ち誇った武田軍ですが、のちに信玄の死で西上をあきらめて国に帰ります。

 

信玄は、自分の亡き後のことを心配して、新たな後継者となっていた勝頼に「三年間は喪に服して、国をまとめるように」と遺言します。

 

しかし、信玄に対する恐怖でまとまっていたに過ぎなかった家臣団をまとめる力は勝頼になく、長篠の戦いで信長に惨敗し、家康にはだんだんと領地を侵食され、最後には家臣団のみならず親類からも裏切られて、逃避行のなか山中で寂しく切腹し、ここに武田家は滅亡しました。

「人は城、人は石垣、人は堀」どころではない、お互いの信頼感に乏しい内情だったということですね。

 

武田が滅んだのは、勝頼が暗愚だったせいと言われていますが、私はどちらかというと信玄に原因があると思っています。

信虎を追放したのはやむを得ない事情もありましたが、義信と対立したときにその自らの行為が記憶によみがえり、義信を恐れて結局は切腹させるという暴挙に及んでしまいました。

 

その信玄の行為により、家臣たちは信玄を恐れるようになったのではないでしょうか。表向きは忠誠を誓っていても、心の中はどうだったでしょうか。恐怖による統制は、後の反動がより怖いのです。

 

そもそも、戦国時代の家臣は主人に対してよく背きました。織田信長にしろ徳川家康にしろ、あるいは上杉謙信にしても、家臣にはしょっちゅう背かれ、裏切られています。むしろ背くのが家臣の仕事のひとつ、とでもいうように。あるいは、それが人情の一つの側面なのかもしれませんね。

 

背くことに対して厳しく対応することも時には必要ですが、多くの場合に彼らは背いた家臣たちを赦しています。

のちに逆境で助けてくれるのは、むしろかつて背いた家臣だったりもします。

 

武田家の失敗で私たち後継者が学べるのは、「承継には寛容な心が必要」であり、「目先の利益にとらわれて、義を破ってはいけない」ということだと思います。

「寛容」と「正義」を喪ったとき、人は傲慢になるとともに信望を喪うことになるのではないでしょうか。

 

次回は、信玄とは対照的に、その「義」を愚直に守り切った上杉謙信を取り上げたいと思います。

 

ブログを読んで興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非後継者の学校の説明会にご参加下さい。

その前に、まず後継者インタビュー(無料)を受けてみて下さい。時間はそれほどかかりません。だいたい、30分~1時間ほどです。

事業承継に関する自身の悩みが整理され、すっきりすると好評です。お気軽にお問い合わせいただければと思います。

 

後継者の学校
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深山の桜

後継者の学校パートナー、中小企業診断士の岡部眞明です。

桜の季節になりました。東京では3月21日に開花宣言が出されました。満開は、3月末頃になるとのことです。

 

今回は、桜の季節になって、昔読んだ雑誌(「致知」)に載っていた和歌をおもいだしました。

「あれを見よ みやまの桜 咲にけり 真心つくせ 人知らずとも」

このうたは、松原泰道というお坊さんが紹介したとされているものです。

山道を歩いていくと、だんだん足取りも重く、視線も足元におとしがちになってしまいます。そんな時、稜線の木立の切れ目で、ふと目をあげると、向かい側の山々の雄大な姿が飛び込んでくる瞬間があります。新緑に染まり始めた山々の中に、一本、満開の桜の薄桃色。桜好きの私(千葉県佐倉市に住む前から、桜が好きです。)でなくとも、思わず見とれてしまう光景ですよね。

桜の花は、だれかに見てもらおうとして咲いているわけではありません。だれかに美しいと褒めてもらおうとして咲いているわけでもないのです。桜の花にしてみれば、ただ、咲いているだけのことなのです。

ただ自分の役割として美しく咲く桜の花は、実をつけ、世代をつないでいくという大きな役割を担っています。桜はそのはかなさが日本人の美意識に重なっているといわれます。その美しさは、その役割の大きさゆえの、そして、そのただ全うするだけで散っていく潔さゆえのものなのかもしれません。

経営の現場、会社の現場ではどうでしょうか?

自分を振り返ってみますと、社長の顔色が気になるし、コストダウンのためには少しだけ品質を落とすのもやむを得ないと考えたりすることもありがちだったりします。

でも、会社の役割は世の中の役に立つこと、そして、従業員やその家族に幸福をもたらすことですよね。その決断は、日々の仕事は、本当に世の中のため、家族や社員の幸福のためになっていますか?そのことに思いをいだして、会社の、自分の役割を考えてみることも必要なことです。

社是とか企業理念として、会社やその関係の人々と共有できれば、お客様との価値観の共有できて、企業価値のアップにもつながってきます。

このうたを詠んだ人はわからないそうですが、人知れず咲いて、訪れる人々の心をとらえ続けている桜の姿に、人としての在り方を映し出しています。

勿論、私などは、他人の評価に気一喜一憂、「ちょっとならいいんじゃないの?」とすぐ考えてしまうのですが。だからこそ、時々(ときどきですよ)思い出して、わが身を振り返ってみることが大事なのだと思います。(でなければ、今頃、どんなことになっていたのかと、思いやられます。)

後継者の学校では、ひとの思いにこだわります。

 

後継者(経営者)の方! まずは

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無料で受けられて、気持ちがすっきりするとのお声をいただいております。 後継者インタビューについては下記から詳細をご覧ください。

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後継者はつらいよ ~涙の辛子レンコン編③~

後継者の学校のパートナーの児玉秀人です。

私はメーカーに勤めていたことがあります。営業のマネージャーだったころ、九州地区の販売網を構築しに毎月通っていたことがあります。その頃に出会ったある後継者の方のお話です。

 

後継者の学校のパートナーコンサルタントの児玉秀人です。

 

前回までのお話を整理すると、

 

社長は創業者の長男(3代目)

専務は次男

常務は3男

 

後継者候補のAさん(3代目の長男)

 

次期社長はだれになるのか?

 

社内でも皆が気にしていた・・・そんな状況で、 Aさんは部下からの突き上げを食らうのです。

 

社員の前で「私は皆さんと同じ一社員だから・・・」

 

と言えば言いうほどモヤモヤとしたものがこみ上げる・・・ お酒の席で愚痴り愚痴る

といった状況でした。

 

「親父もどうしたいのかはっきり言ってくれない」

そうこぼすAさんに今アドバイスするとしたら?

 

・あなたはどうしたいの?

・後継社長になるのだったら、今何をすべきだと思いますか?

・今後、会社をどうしていきたいですか?

・会社の現状は?

・株式の保有状況は?

・財務状況は?

・社長のセカンドキャリアはどうする?

・親族の皆さんへのポジションは?

・・・

・・・

 

こんなことを聞いてあげるのですが、

当時の私はただただ・・・うなずきながら聴くことしかできませんでした。

 

そんな時、突然、Aさんが感動し始めました!!

「児玉さん、そんなに共感してくれるなんて嬉しいよ。。。」

 

私「???」

 

Aさん「わかってくれるのは児玉さんだけだ!飲もう!!」

 

私「???」

 

 

突然スイッチが入ったAさんにほだされて、深酒をする出張の夜でした。

 

今更、言えるはずもないことですが

Aさんの話を聞いているとき

 

つい、

 

辛子レンコンを一口で食べてしまい

涙目でAさんの話を聞いていたということを・・・

 

別に共感して涙したわけではないけど、

Aさんにエールを送りたい夜だったことは覚えています。

 

 

・・・それから2年後

Aさんは常務取締役になりました。

後継社長は前専務の叔父さんが就任。

 

Aさんは次期社長です。

後継社長への道は続いていきます。

 

 

おわり

 

 

このエピソードに胸がざわついた

そんな後継者(経営者)の方! まずは

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「後継者と共に強い会社をつくるヒトとおカネの専門家」

児玉秀人でした。

 

メディカル、デンタルのサポートをしています。

「クリニックの財務が劇的によくなる秘密の方法」教えます。

 

財務状況を改善したら次はヒト。

「業績が30%向上する人事評価システム」教えます。

私が得意なのは以下です。

 

・人材採用・育成相談、人事評価システムの提供

・資金調達のための経営改善計画書の作成

・設備投資と事業計画に基づいた財務計画の策定

・Web戦略相談など

 

2代目が、父親よりも会社を上手く経営する8つのポイント No.8 ポイント その⑤

お前のモノは俺のもの、俺のモノは俺のもの!
ド勘違いはいけません!!

会社と家は別ものなんだよ。

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みなさん

こんにちは

後継者の学校パートナーの千野康幸です。

2代目が、父親よりも会社を上手く経営する8つのポイントと言うタイトルで書かせて頂いております。

前回はポイント④として「目的・目標を持て」!について書きました。

明確な意思は、あるべき自分を作り上げる、だからこそ目的・目標を持たなければならないという内容でした。

 

さて、今回はポイント⑤として、

会社と家は別もの!混同しない です。

 

他人の家に遊びに行った時ってさ~

特別じゃない?

なんかこう解放感あってさ~

人のマンガ1巻から読みまくってさ~

片づけないで帰っちゃうと、なんか王様気分じゃない?

 

あと、懸賞ハガキなんかの切手!

会社のモノを使うと、当たる率上がんない?

外れてもさ、会社のモノだし~

懐痛まないしね~

 

ってバカ!

リアルにバカ!!

 

ジャイアニズム全開だな!

 

見た?

「マルサの女」って映画

冒頭さ、コロッケ屋さんに税務署が来てさ、自分の家で消費した分のコロッケ売り上げに入れたか?って

修正申告(税金の計算をやり直す)喰らっちゃうの。

 

コロッケ屋さんが「自分のモノを食べたって良いだろ!」って怒っているんだけどね。

でもね~

会社のモノなんだよね・・・それ

 

個人事業でも自分で消費するものと、事業の経費として使うものと別なんです。

 

良く、キャバクラ行くじゃない?

なに?

行かない?

いや、行け!理由はないが

 

その支払いは個人的に楽しんだものなら、経費ではないが、

お客さんの接待で使ったら、接待交際費になる

(必ず成るとは言えませんが・・・)

 

違いは、事業を行うために必要だった支出だったか否か

(キャバクラが必要だったかは、大変疑問だが・・・)

 

 

世の中、こんなことってよくある事です。

でも、なぜこれが今回のポイントなのか?

これらのことは、経営体する甘えだって気づいて欲しい。

 

会社を設立した創業者は自分のお金を出資して事業を始めます。

経営する人は、会社にお金が足りないと、自分のお金を出して経営します。

 

そんな状況が、会社の金は自分のモノって感覚になってしまいます。

でも、考えてみて下さい。

これが会社の失敗の元だって。

 

どこまでなら良いと思いますか?

会社は自分のモノと考えるのは。

 

自分の消費するものを費用にするとどうなるか?

本来の会社に必要な費用、原価などの情報に正確さがなくなります。

その間違った情報で、本当の経営って出来るのでしょうか?

 

さらにその考えが進んでいくと、自分家の家事や行事を社員に手伝わせていないですか?

やって当たり前、言うこと聞いて当たり前って感情になってませんか?

 

創業者一族だけが特別だと感じてませんか?

 

社員、会社とは契約の上で成り立っています。

契約にはルールがあり、対等の立場で考えるものです。

もちろん力学的なものが働き、簡単には対等と言えない現実があるでしょう。

しかし、やはり契約する以上私は対等で平等だと思っています。

力学が働くのは、力が足りないからで努力で解消できることが殆んどだからです。

だからこそ、会社での仕事と、社長の個人的作業とは区別しなけばなりません。

 

また、会社内で父親と親子になっていませんか?

社長が親、専務子供・・・

会社内では、社長です。

会社内では、専務です。

 

社長が親だからって対応が親子になっていませんか?

また、社長の方も専務の進言を子供だからって不当に退けていませんか?

 

会社内の役割を家族関係に置き換えていないでしょうか?

例えばあなたが社長で兄、弟が専務。

弟がなんでも言うこと聞くと思っていませんか?

 

 

会社と家庭を混同するとどうなるのか?

混同すると経営にダイレクトに響きます。

 

経営者としての甘えを増長させていくのです。

 

会社のモノを自分のモノと考える経営者は、使い込みが多くなっていきます。

社員は自分が雇っていると考える経営者は、社員を手下だと勘違いしていきます。

会社内での役割を家族関係と混同する経営者は、自分の家での出来事だと思い込みます。

 

その結果どうなるのか・・・

使い込みが多くなれば、

真実の経営に必要な数字が分からず、

経営戦略が正確に立てられません。

 

社員を手下だと勘違いしていると、

誰もあなたについて来なくなるでしょう。

 

自分の家での出来事だと思っていると、

経営に必要な意見に耳を傾けることが出来ず、家族と揉め事に発展し、

場合によっては某大手家具屋さんのような事態になります。

 

会社のすべては、自分のモノとは別のモノと考えなければならないのです。

 

誰もがつい考えてしまう、やってしまう事ですが、

自分を厳しく律していれば、正しい会社の現状を見据えることが出来ます。

正しい現状が分からなければ、経営判断は正確に出来ません。

 

経営を上手にするために、会社と家とは線引きし厳しく自分を律しましょう!

仕事とプライベートは別なのです!!

 

事業承継について学びたい方
後継者経営について学びたい方は

後継者の学校では無料セミナーを行っています。

公開セミナーは詳しくはこちらをごらんください。

http://okawara.wix.com/school-k-program

 

ベーシックプログラムについてはこちらをごらんください。

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将来輝く後継者のみなさまに出会えることを楽しみにしています。

また、当プログラムの卒業生の経営者の仲間もみなさんが参加して仲間になっていただくことを心待ちにしておりますので、

一度セミナーに来ていただければと思います。

歴史に学ぶ後継者経営 織田信長のケース

私主に日本の歴史から後継者経営に学べる題材をとって、皆さんと一緒に後継者経営とは、を考えて参りたいと思います。

三回目は、戦国時代のボスキャラ、織田信長の後継者時代のエピソードから。事業承継は、一日にして成らず、であります。

 

後継者の皆様

 

後継者の学校パートナーにして後継者の歴史考証家(笑)、石橋治朗です。

 

私はこのブログを通じて、事業承継はどのようにすればうまくいくのか、後継者経営にはなにが大切なのだろうか、創業者経営とはなにが違ってくるのかについて、主として日本の歴史を題材にして皆さんと一緒に考えていきたいと思っております。

 

前回までは、江戸時代のお話でした。江戸時代は、本来は非常に面白いんです。しかしながら、やっぱり「地味な時代」なんですね。書いていて、あるいは読んでいて、面白い!と思えるのは戦国時代とか、江戸時代の終わり、「幕末」ですよね。

 

そこで、しばらくは戦国時代に舞台を移したいと思います。

戦国シリーズの第一回目は、なんといってもボスキャラ中のボスキャラ、織田信長を取り上げたいと思います。

 

ブログを読まれている方は、戦国ゲームの代表作である「信長の野望」というゲームをされたことがある人が多いのではないでしょうか。私も、このゲームにはまり、そのおかげで歴史に興味を持つようになりました。

 

戦国ゲームには、実に様々な武将が出てきますけれども、なかでも織田信長はゲームの名前に使われてしまうほど、時代を代表する存在であります。信長を取り扱った著書もいっぱいありますよね。著名な経営者、創業者で織田信長の生き方にインスパイアされている人も多いです。ソフトバンクの孫正義氏は自らを織田信長に例えるほどです。

 

「日本史において唯一の創造的天才」「日本史に革命を起こした男」「日本には収まりきらないほどのスケールの大きさ」

などなど…

 

しかし!

後継者の皆様には朗報です。

 

実は、織田信長もれっきとした後継者なんです。

 

しかも、後継者時代には「うつけ者」「たわけ殿」(愚か者)と、親戚一同のみならず家来からも総スカンでした。こんな愚かな長男が継いだら織田家の将来が不安なので、弟の信行を後継者にしようという動きもあったほどです。

要するに、後継者時代の織田信長は家中から軽んじられ、馬鹿にされていたんですね。

 

なんか、そういう話を聞くとちょっと嬉しくならないですか(笑)

私は少し、嬉しくなったりします。

 

嬉しくなるところが、後継者の罠の一つなんですが(笑)

 

織田信長が「うつけ者」と呼ばれていたのは、考えていることや行動があまりにも独創的であり、合理的でありすぎて時代のはるか先を走っていたために、周りから理解されなかったせいですね。

そもそもが、私のような凡人とはスケールが違うので、比較のしようがないのに、ついつい比較してしまうところが甘いところです。とうてい信長になぞ、なれっこないのに…。

 

そんな、孤独な後継者時代を過ごした信長にも、理解者はありました。

 

一人は、実の父親である織田信秀です。

 

織田信秀も、同時代で見ると優れた武将であり、独立した戦国大名でした。領国は尾張国(今の名古屋付近)の一部で、織田の同族同士で領土を争っていましたが、知謀や武力に優れ、有力な部下を育成する力もあり、一代で織田家の中でも有力な存在へ勢力を拡大しました。

しかし、脳溢血(流行病とも言われている)で42歳の若さで世を去っています。

 

織田信秀は、長男信長の悪評を知っていながら、決して後継者の立場から外すことなく、隣国の美濃国(今の岐阜県)で強力な存在となりつつあった斎藤道三の娘と政略結婚をさせて、信長の地歩を固めています。周りの評判に流されることなく、自分の眼で信長の潜在的な能力について確信を持っていたのかもしれません。

 

もう一人の理解者は、その美濃国の斎藤道三でした。

 

斎藤道三は、戦国時代の代名詞ともいえる「下克上」(地位が低いが実力を持っている者が、地位が高いが能力の低い者に取って代わること)の例として語り継がれる存在です。

 

僧侶から商人になり、縁を頼って美濃国の家臣へと転身し、知謀によって美濃国の守護大名である土岐頼芸を追放して当主に上り詰めました。

 

斎藤道三の行跡は「美濃の国盗り」とも呼ばれていますが、近年では斎藤道三の所行は二代にわたるという説が有力になっています。

 

そんな道三が、先ほども申しましたとおり眼に入れても痛くないほどの存在であった娘、「濃姫」と呼ばれることになる「帰蝶」を信長に政略結婚で嫁がせることになります。

 

そこはやはり戦国時代、織田家に濃姫を送り込み、「うつけ者」と評判だった信長の代にあわよくば乗っ取ってやろうという計算ずくも道三になかったとは言えないでしょう。

 

縁談によりかつて戦った織田家との関係が縁結びによって改善した頃を見計らって、斎藤道三は織田信長との会見を申し込みます。

舅として、あるいはライバルの領主として、将来の領主の器を見極めてやろうと思ったのかもしれません。

 

会見は、お互いの国境近くにある正徳寺(聖徳寺)というお寺で行われることになりました。

 

斎藤道三は、忠実な家臣である猪子兵助らを引き連れて、密かに信長が通るであろう道中の小屋に隠れます。噂ではたわけ殿で名高い信長が、どんな格好で来るのか陰からのぞき見てやろうという魂胆です。

 

やがて現れた信長の姿は、やはりたわけ殿と評されるのにふさわしいものでした。

 

髪は茶筅髷(ポニーテールですね、要するに…)、上半身は浴衣を半身裸でまとい、刀はあろうことかわらの縄で腰に巻いて、腰回りには他に麻縄で火打ち袋やひょうたんをいくつもぶら下げ、袴は虎と豹の皮を四色に染め分けた半袴だったようです。前を向かず、半身でぶらぶら馬にまたがってゆらゆらとやってきました。原始人というか、野蛮人というか…

マジメな三つ揃いスーツの政治家の列に、ギンギラギンのふざけた格好をした暴走族のあんちゃんがひとり混じっているという感じといえば、わかりやすいでしょうか。

 

斎藤道三の家来たちは、これをみて一斉に吹き出し、「うわさに違わない愚か者でございますな!」と喜びます。

 

しかしながら、その中で斎藤道三だけは押し黙り、行列をじっと見つめています。

 

野蛮人の信長が引き連れてきた行列の槍は、鮮やかな朱塗りの三間半(約7メートル)で統一されています。一間半(約3メートル)が常識だった当時では常識破りな長さです。長い槍は、訓練されていない兵士でもそのリーチの長さを生かして驚くべき威力を発揮することができます。

 

さらに驚くべきは、その後に現れたおびただしい数の鉄砲隊です。戦国時代を終わらせることになる武器になりますが、当時では入手も困難で目が飛び出るほどの価格だった鉄砲を、これだけ揃えているような大名はそうそういません。

 

驚きを胸にしまいこみ、斎藤道三は会見に臨みます。

婿が珍妙な格好をしているのに、舅が正装をする必要もないだろうと、道三は普段着で座って待ちました。

 

そこへ、いよいよ織田信長が登場します。

 

その姿を見て、またもや道三はあっと度肝を抜かれます。

 

先ほどの野蛮人はどこへやら、髪をつややかに折髷に結い上げて、褐色の長袖に長袴、大小の刀をぴたりと帯び、これ以上ない見事な若殿ぶりで織田信長が現れました。

道三の前まで静かに歩みを進め、挨拶をして対面に座ります。

肩すかしを食わされてバツが悪い思いで苦虫をかみつぶした道三が、目の前に座っています。

 

無言のまま対面し、二人は別れます。

 

帰り道、道三は猪子兵助に信長を見た感想を尋ねます。兵助はにこやかに「殿にとっておめでたいことでございます」と、信長のうつけ者ぶりを揶揄します。

 

それを聞いた道三は、「おめでたいのはその方の頭よ。俺の子らはあのうつけ殿の門前に馬をつなぐ(家来になる)ことになるだろう」と呟きます。

 

舅である斎藤道三が、織田信長の資質を見抜いた瞬間でした。

 

二人の父、実父と舅に認められた織田信長は、信秀の死で織田家を継承し、尾張に責めてきた今川義元を桶狭間の戦いで打ち破り、斎藤道三の死後に美濃国を攻め取って、京都へと織田の旗を進める足がかりを作ります。その後の活躍は、歴史が証明すると通りです。その活躍を、後継者時代に認めてくれた二人は見ることはありませんでした。

 

でも、実父や舅が認めてくれたからといっても、信長が何もしていなかったわけではありません。

 

むしろ、周りの悪評をよそに、自ら信じるところに従って黙って努力し続けていたのだと思います。

 

自分なりに、合理的な軍備は何か、合理的な服装は何か、考えに考えてそれをつきつめたのが道三の見た信長の姿であり、当然にそのような努力は武将の後継者として必要な他の分野にも及んでいたことでしょう。

 

道三との会見の時も、おそらく信長は密かに道三のことを調べ上げ、隠れて自分の行列を見るだろうということ、あるいは会見で普段着で来るだろうということも予想して、計算してあのような行動をとったのでしょう。そして、賢明な道三はそのことにも気づいたはずです。

 

織田信長は、たとえうつけ者、たわけ殿と呼ばれようとも、必要なときが来れば抜くことができるように自分の心の刃、能力の刃を研ぎ続けていたのだろうと思います。

 

後継者は、いつ承継の時が来るかわからないのです。信長も、おそらく想定よりは5年くらい承継は早かったことでしょう。でも、事業承継は一日にして成らず。思い立ったときから努力し続けなければ、間に合いません。

 

皆さんも、周りにどう思われようとも、そのいつか、のために自分の心と能力の刃を研ぎませんか。

 

ブログを読んで興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非後継者の学校の説明会にご参加下さい。

その前に、まず後継者インタビュー(無料)を受けてみて下さい。時間はそれほどかかりません。だいたい、30分~1時間ほどです。

事業承継に関する自身の悩みが整理され、すっきりすると好評です。お気軽にお問い合わせいただければと思います。

 

後継者の学校
http://school-k.jp/

マネジャーからリーダーへ

後継経営者が事業承継を踏まえ、社内でマネジャーとして経験を積んでいることも多いと思います。でも、マネジャーとリーダーたる経営者は、本質的に異なる役割を担うものです。この違いを理解し、新たな役割を全うする覚悟を持つことが大切です。

 

後継者の学校パートナーの知識茂雄です。

後継経営者は、承継すべき会社内で仕事を覚えていくことも多いと思います。

一つの部門を任され、マネジャーとして経験を積んでいく方もいらっしゃいます。

一見、そのキャリアの積み方はスムーズな事業承継を実現するやり方のようにも思えます。

でも、そこには一つの大きな壁があるのです。

なぜならば、経営者とはリーダーであり、マネジャーではありません。

マネジャーの経験をいくら積んでも、簡単にリーダーにはなれないのかもしれません。

組織行動学者のハロルド・J・レビットは、リーダーとマネジャーの違いをこう表現しています。

「リーダーとは道を切り開く人であり、マネジャーとは問題を解決する人である」

”与えられた”問題を解決する立場から、”自ら”道を切り開く立場へ。

そこには、大きな、大きな意識の改革が必要なのかもしれません。

しっかりとリーダーとして生きていく覚悟を決めることも必要でしょう。

そして、そうやって覚悟を決めた人は、何もないところから道を切り開いてきた創業者の偉大さに気づき、感謝の念を抱くでしょう。

創業者とその仲間が築き上げてきた、”既にある”自社のリソースのありがたみに気づくでしょう。

そして、それがまた、後継者としてリーダーの役割を全うする覚悟を強固なものにし、一歩を踏み出す勇気につながるのだと思います。

現経営者にとっても、後継者にとっても、事業承継とは多くの場合初めてのことです。

だから、どうやって良いのかわからなくて当然。

でも、だからこそ本当はどういうものなのかを知ることが大事です。

知ることで、意識を変える、覚悟を決めることが大事であることに気づく。

そして、一旦覚悟を決めてしまえば自分から見た世界の見え方が変わります。

そこに本質的な学びを加えることで、本物の経営者になっていくのだと思います。

 

「後継者の学校」では、事業承継の本質を捉えた学びを提供しています。

まずは、「後継者インタビュー」を受けてみませんか?今抱えている悩みを語るだけでもすっきりしますよ!

ご興味のある方は是非ホームページ(http://school-k.jp/)からお問い合わせください!

 

人・組織・風土づくりの第一歩とは?

笠井さんこんにちは。後継者の学校パートナー 人・組織の専門家 笠井智美です。

自社を良くするヒントは、自社の中にあります。会社の現状を把握しながら、 会社の過去と現在を把握し、未来にどんな価値を生み出せるのかを探っていきましょう。 今回は、人・組織・風土についてのお話です。

 

前回は、経営の4つの要素の中の、

事業の現状を知ることについてお伝えしました。

そして、現状把握をするために、

環境整備のお掃除を始めましょう!と、

お伝えさせていただきました。

(前回までのブログはこちら↓)

http://blog.school-k.jp/category/writer/kasai-t/

 

いかがでしたか?

やってみました?(^^)

実際にやってみた方は、

少しずつ変化が現れてきているはずです。

 

環境整備に取り組むと、

業務の流れが理解でき、物の配置について社員さんとの会話も増え、

社員さんお一人お一人の考え方や特徴も、

なんとなーく、わかってくるものですよね。

 

と、いうことで、今日は経営の4要素「人・組織・風土」の

現状把握をする観点をお伝えしますね。

 

・会社の組織図、経営理念、意思決定の仕組み、

人事制度はどうなっているのか?

 

・会社の風土は、どうなのか?

 

・会社のキーマンとなる人物は誰か?

社員間のパワーバランスや派閥はどうなっているか?

 

・社員の年齢構成はどうなっているか?

(技能やスキルの伝承がスムーズにできるのか?)

 

・社員一人一人のプロフィールや背景

(個人の価値観、思考や行動の特性、家族構成や家族の状況)

 

・社員一人一人の業務スキルや帰属意識の度合い、社内での役割

 

大企業では、転勤・転属や毎年の新卒採用などで新陳代謝を良くして

組織活力をあげることをしています。

 

しかし、雇用の人数が少ない規模の中小企業では、

長期間 同じ場所・同じ顔ぶれで仕事をしていくことが多いですよね。

 

もちろん、アットホームで良い面もありますが、

考え方が似通ってきて、視野が狭くなり、

発想力や想像力が鍛えにくい状況にもなります。

 

もしかしたら上司との関係性の中で、

意見があっても、言わないようにしていることがあるかもしれません。

言っても無駄と、思っているかもしれません。

 

人は、その人が置かれている状況や、

本人の内面的な状態などによって、

本来持っている力を発揮したり、しなかったりするものです。

 

どんなにいい業務の仕組みを考えても、

改革案を出しても、

人が動かなければ、運用はできませんし、定着もしません。

また、特に少人数の会社では、

人間関係のしこりが際立ちやすいという側面もあります。

 

大事なことは、社員さんたちの力を

最大限発揮してもらえる環境を創ることです。

 

そのためには、あなたと社員さんが信頼関係で結ばれ、

あなたが求心力を持ちながら、

社員さん同士が互いに認め合い、

ともに成長しあう風土を創っていくことなのです。

 

経営は人。

 

手始めに、人・組織・風土の現状把握を通して、

社員さんたちの良いところをたくさん発見していただきたいと思います。

 

そして発見した良いところや貢献してくれていることを、

さりげな~く、言葉にして、ご本人に伝えてあげてくださいね。

 

人は、自分をちゃんと見ていてくれて、

認めてくれる人を信頼するものです。

 

逆に、この程度にしか思われていないのかなど、

“本人”が正当に評価されていないと感じているときは、

マネジメントへの不信感も募るし、力も発揮してくれません。

 

一人一人を「認める」コミュニケーションを実践していただければ、

きっとあなたと社員さんたちとの信頼関係が増して、

互いに認め合い、尊重しあう風土づくりの第一歩になるはずです。(^^)

 

 

後継者の学校は、後継者を経営者に育てるメソッドをご用意しています。

詳しくはホームページをご覧ください

 

後継者の学校
http://school-k.jp/
後継者の経営、後継者の勉強、後継者主導の事業承継を学びたいなら「後継者の学校」へ

 

気になる方は、ぜひ一度、後継者インタビューをお試しくださいね。

後継者インタビューお申し込みはこちらから

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http://school-k.jp/interview/

 

金魚のお話

後継者の学校パートナー中小企業診断士の岡部眞明です。

今日は、金魚のお話です。

「皆さんが、金魚を飼っているとします。ところが、金魚鉢を床に落としてしまいました。

金魚鉢は割れ、金魚は床ではねています。そんな時、皆さんはどうしますか?」

この原稿を書いているのは、今は、3月11日です。東日本大震災から、5年目を迎えました。そして、今日は、あの時と同じ金曜日です。

なので、昨年、韓国の高校生が岩手県の陸前高田市を訪問したときに、復興の取組みについてレクチャーしていただいた、なつかしい未来創造(株)の田村満社長が、高校生になげかけた質問の言葉から始めさせていただきました。

震災当時、田村社長は(株)高田自動車学校を経営(現在も社長です。)していました。この、自動車学校は高台にありましたので、被害は少なかったといいます。そこで、支援物資の配布や、自衛隊の前線基地として使われていました。(私も、岩手県には何度か支援に

入りましたが、高田自動車学校の練習コースは勿論、敷地全部にトラックと人が満杯の状態でした。)

その後、田村社長をはじめとする地元企業の社長さんたちは、陸前高田市などと協力して震災復興事業に取り組みます。

そのなかで、復興まちづくりの会社として、立ち上げたのが、なつかしい未来創造(株)だったというわけです。

さて、みなさんの答えは「急いで、金魚を掬って水の中に入れる。」ですよね。金魚をほおっておいて、金魚鉢の替えを探す人は、あまり(まったく)見たことはありませんね。

田村社長は、津波被災地のかさ上げや強大な堤防ばかりの復興事業ではなく、(もちろん、必要なものもありますが)人々の心や暮らしの復興こそが重要だと言いたかったのだと思います。地震のない韓国の高校生たちも真剣な表情でうなずいていました。

会社に引き戻して考えてみると。会社を大きくすること、売上を上げることに、(ここでは、金魚鉢=器としての会社)目が行きがちの毎日ですが、何のための会社か?と考えてみます。

 

次は、銀座九兵衛店主今田洋輔さんの言葉です。

「法政大学の坂本光司先生が、会社というのは社員の生活をよりよくするための手段だ、と書かれているのを読んで、なるほどなぁと思いました。私も面接の時によく言うんですが、仕事というのはもちろん報酬を得るためにやるというのもあるけれども、やって楽しいとか、この道を突き詰めたいというような気持ちがなければ続かないと思うんです。会社というのは、そういう社員一人ひとりの思いを実現するための手段だと私は考えています。そのためには商売も上手くいっていなくてはいけないし、それによってまた社員の生活がよくなるし、表裏一体なわけです。」(「致知」2016.2月号)

会社とは、会社に関係するすべての人を幸せにするためにあるんですね。中身の状態を保つための器ですよね。器だけしかない器は、器の意味がない!これは、後継者の学校の根っこにある考え方と一緒です。というより、そのものです。

みんなを幸せにする、その責任と特権を持っている経営者って、やっぱりすごいですね。

そんな経営者を目指して学んでいきたいものです。

後継者の学校では無料セミナーを行っています。

公開セミナーは詳しくはこちらをごらんください。

http://okawara.wix.com/school-k-program

 

ベーシックプログラムについてはこちらをごらんください。

http://okawara.wix.com/school-k-program#!blank/acty5

 

将来輝く後継者のみなさまに出会えることを楽しみにしています。

また、当プログラムの卒業生の経営者の仲間もみなさんが参加して仲間になっていただくことを心待ちにしておりますので、

一度セミナーに来ていただければと思います。

 

後継者の学校パートナー、FPの江浦誠です。

はじめての投稿ですので、今回は自己紹介から。 現在の仕事、生命保険の販売に携わり20年になります。その直前10年は、不動産広告7年・不動産実務3年です。もっと前は求人広告3年。 (書きながら、相続・事業承継絡みの気がしてきました。)
『相続』をあらためて強く意識したのは、この生命保険との関わりからです。 広告をいただいていた不動産業のお客さまを訪ね、 『やっと保険のことを相談できそうだ。』の言葉を聴いたときから。

そのお客さまの『相続』と『事業承継』の話しを食い入るように聞かせていただき、当事者として経験したこと・親(先祖さま)への思い・子供への思い、そして事業存続・事業承継への思い。

そして、なぜあの言葉が出たのか。 今後のことの成就させるためには、ご自身の本業である不動産だけでなく、生命保険の大きな役割があること。

今までその願いがなかなか理解してもらえなかったこと等を聞かせていただきながら、次代への引継ぎのために常に側に居てくれるようにお願いをされました。

8年程前には、友人が立ち上げた相続専門の会社に役員として籍を置いた時期もありますが、大半は、相続発生後の相談に応じる形でした。 あのお客さまの時ほどの強い思いを持って対処した事例になかなか出会いませんが、あの時のことが、その後の『相続』への指標になっています。

“軍師アカデミー”で『相続』と『事業承継』の違いが明確になりました。“後継者の学校”パートナーになることで、その後継者に専門的に寄り添えると確信しています。

今年は申年。 冒頭に出たお客さまの近くに『木葉猿』があります。 皆さんご存知の『見猿・聞か猿・言わ猿』の三猿です。

これから皆さんと共に後継者の方々のお役に立つためにも、『“逆”三猿』を目指します。 『しっかり見て・しっかり聞いて・先方に思いの丈を包み隠さず言ってもらう』 そのためのスキルアップに精進いたします。 どうぞ、今後ともよろしくお願いいたします。

 

後継者の学校では無料セミナーを行っています。

公開セミナーは詳しくはこちらをごらんください。

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ベーシックプログラムについてはこちらをごらんください。

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将来輝く後継者のみなさまに出会えることを楽しみにしています。

また、当プログラムの卒業生の経営者の仲間もみなさんが参加して仲間になっていただくことを心待ちにしておりますので、

一度セミナーに来ていただければと思います。

後継者にまつわる小説あれこれ(その7)

司法書士の木村貴裕です。

小説は気軽に読めて、でも何か気づきを得たり、力がわいてくることってありますよね。

ほんの少しでも何か感じてもらえそうなものをこれから少しずつ紹介したいと思います。

後継者の学校パートナーブログですので、もちろん後継者や事業承継に関するものを。

 

後継者の学校パートナーで司法書士の木村貴裕です。

私は通勤時間をもっぱら読書にあてております。

地下鉄なので外の景色を眺めても面白くもなんともないという理由もありますが。

 

経営書ではなくあまり肩のこらない小説ばかりなのですが、結構事業承継にからむ話もあります。

後継者や後継者候補の方に何か少しでも感じてもらえるものがあればと思い、今まで読んだ中から、後継者や事業承継に関係するものを何冊か紹介します。

 

今回紹介するのは、

 

「シャッター通りに陽が昇る」広谷鏡子 著(集英社)

 

この小説を読んでいるときに、中学生の息子から「何を読んでるの?」と問われたので逆に「シャッター通りって何か知ってる?」と問い返すと、「さびれた商店街」という簡潔明瞭な回答をしたので感心しておりました(はい、親ばか丸出しです)。

 

いきなり余談から始まりましたが、

 

さて物語は、瀬戸内の城下町を舞台に、かつては賑わっていた商店街の復興に主人公が立ち上がり、個性豊かな人たちと共に奮闘します。

 

こう書くと聞こえは良いのですが、

果物屋の一人娘でアラフォーの主人公は、大学から一人東京で過ごしていたのですが、父が病に倒れたことをきっかけに、退職し地元へ戻ってきます。

失恋もし仕事にも行き詰まり感もあって、正直ちょっとこれ幸いという感じで。

カバー裏の説明でも「ドロップアウトして戻ってきた」と書かれています。

 

両親からは家を継げと直接言われたことはないが、周りからは将来はお婿さんをもらって家業を継ぐということが当たり前のように思われているのに嫌気がさし、高校卒業を機に東京へ出て行きます。

 

上京する頃は、家業に対して抱く印象は垢抜けせずぱっとしないもの、それにも増して自身が小さな町に縛られ、何やらレールをしかれているような感じがたまらなく嫌になっている状態でした。

 

継ぐのが当たり前。

 

後継者候補の方たちも、周りからそのような目で見られることが多く、中には主人公のように選択肢の無い閉塞感を抱き、反発する方も少なくないと思います。

 

積極的に「継ぐ」という意思決定をした人のほうが少ないかも知れませんね。

この場合の「積極的な」には、「決まっているのだから仕方が無い」とか「漠然とそう思っていたから、はなから他の選択肢なんて考えなかった」というのはもちろん除きます。

 

物語の主人公は、行きがかりで参加することになった商店街の復興事業に関わっていくいくうちに、両親への感謝や地域への愛情、色々な思いを深めていく中で家業を継ぐことを決意し覚悟を決めます。

 

家業の果物屋について何も知らなかったということも知り、復興事業を進める中で仲間や友人の指摘で自身の長所や短所を知り、それらを素直に受け止め、不安を抱えながらもわくわくした気持ちを抱きながら、自身の成長と事業の成功を目指して歩み始めます。

 

タイトルから受ける印象のとおり、明るい読後感の一冊です。

一度手にとってみてはいかがでしょうか。

 

消極的だったり漠然とした気持ちからの行動、と、自身の本心から決意覚悟しての行動。

当然、前者より後者の方が力が発揮できるのは想像に難くないと思います。

 

後継者の学校では、主人公がたどった、自己と事業の客観視や積極的な決定覚悟を促すプログラムを用意しています。

ご興味のある方は、一度ご連絡下さい。

 

後継者の学校では無料セミナーを行っています。

公開セミナーは詳しくはこちらをごらんください。

http://okawara.wix.com/school-k-program

 

ベーシックプログラムについてはこちらをごらんください。

http://okawara.wix.com/school-k-program#!blank/acty5

 

将来輝く後継者のみなさまに出会えることを楽しみにしています。

また、当プログラムの卒業生の経営者の仲間もみなさんが参加して仲間になっていただくことを心待ちにしておりますので、

一度セミナーに来ていただければと思います。