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日本の首都を作った徳川家康(後編)|歴史に学ぶ後継者経営 徳川家康の軌跡⑩

私は、主に日本の歴史から後継者経営に学べる題材をとって、皆さんと一緒に後継者経営を考えて参りたいと思います。9回目の今回もまた、江戸幕府を開いた徳川家康の生涯から、後継者としての生き様のヒントが得られないか、皆さんとみて参りたいと思います。

9回目は、日本の首都である東京の礎を築いたのは、実は徳川家康であったこと、そしてそこには家康の大英断があったこと、という前回からの続きです。家康が感じた、関東への移動のメリットとはなにか、です。

 

後継者の皆様

 

後継者の学校パートナーで、日本の歴史を愛する石橋治朗です。

 

私は主として日本の歴史から題材をとって、事業承継や後継者経営のありかたを皆さんと考えていきたいと思っています。

なおこのブログは全て、歴史に関する考え方については全くの私見であることを、あらかじめお断りしておきます。

 

北条氏を降し、東北の大名も支配下に置いて、文字通り天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は、政権の礎を盤石にするべく、東海・甲信地方の大勢力であった徳川家康に関東への移動を命じます。実力者である家康を、箱根の向こうへ封じ込めるのが狙いでした。

しかし、徳川家康はそれを受けて、1月足らずの間に電光石火ともいえる尋常でない早さで移動を完了してしまいます。

しかも、北条氏のいた小田原城ではなく、掘っ立て小屋のような江戸城へと入りました。

 

実は、徳川家康は北条氏を攻める前に、予め関東地方を詳しく調査して、移動を命じられた場合はむしろメリットの方が大きいと判断していたのです。

 

家康が考えたメリットは以下の通りです。

・既に天下は定まって敵のいない今、防衛のために荒れ地となっていた江戸を開発すれば国力が飛躍的に高くなる。

・河川が多いということは、陸上輸送よりも水上輸送が主であった時代においては、物流網を構築しやすい。

・北条氏が治めていた地を引き継ぐのは、前回書いたようなデメリットはもちろんあるが、法制度が統一されていたためむしろ統治はしやすい。

・先祖代々治めていた地から引き離されることは、不便もあるが、昔のしがらみを断ち切って新しい制度を作ることができるし、家康の求心力はむしろ高まる。

・豊臣政権に臣従した以上、秀吉の下ではどのような取り扱いを受けることも覚悟していた。

 

江戸は、利根川、荒川、多摩川という大河川が東京湾に注ぐその河口に位置しているため、前回も申し上げましたが、大雨が降るとすぐに氾濫するような湿地帯でした。北条氏は、小田原城の防衛のために、江戸城の周りをあえて湿地帯のままで放置していたため、寒村があるだけの寂れた土地であったのです。

 

しかし、豊臣による天下統一がなされた今となっては、湿地帯のまま放置しておく必要はありません。治水事業で氾濫を防止すれば、広大な平野は利用しがいのある領地に化けます。

また、河川が多いというのは、徒歩や馬しか陸上の移動手段がなく、舟による水運が主体であった当時としては、交通の便がいいというメリットがありました。現に、秀吉が作った大坂も河川の多い地で、舟運により商業都市として大きな発展を遂げています。

つまり、デメリットは視点を変えれば、あるいはうまく生かせば大きなメリットに変わりうるのです。

 

また、関八州は領民に対して善政を敷いていた北条の支配のもとで、統一された制度が浸透していました。

それまでの家康の領地は、出身の三河国、その次に増やした遠江国、駿河国、甲斐国、信濃国と、全てそれぞれ統治の制度が違っていたため、代官(知事)もそれぞれ置く必要があり、余計なコストがかかっていたという事情がありました。

ところが、関八州は代官が一人ですむのです。これは大きなコストカットになりました。

 

そして、三河国にしろ他の国にしろ、もともと住み着いていた豪族たちを家臣にしたわけですから、家康としてはそこに遠慮もあったわけです。

しかし、まるごと全員移転してしまうと、家康も白紙の出発となりますが、家臣たちも同じです。過去のいろいろなしがらみがなくなって、改めて主従関係がゼロから出発するわけですから、家康の権威はより強くなるというわけです。

また、昔から続いていた不合理なしきたりや制度も、この移転で全て白紙にすることができました。

 

秀吉からは、箱根の向こうに追いやられて、監視役をいっぱいつけられたわけですが、もともと豊臣政権に臣従した時点で、家康はこのような取り扱いを受けることは覚悟していました。

むしろ、自分から積極的に秀吉の意向に従ってやろう、というくらいの気構えをもっていました。

本当は主人以上に有能な人間が、反抗するどころか主人の半分嫌がらせみたいな扱いにも黙々と従う姿を見ると、主にとっては反抗されるよりも不気味な存在になります。いわゆる「器が大きい」存在ですね。

このような家康の姿勢は、豊臣政権においてその存在感をいっそう際立たせる効果がありました。

 

家康は関東に移ると、ただちに伊奈忠次に命じて河川を改修し、新田開発と検地を行います。河川の改修は、やがて規模が大きくなり、ついには利根川を移動させる大事業に結実します。江戸時代以前は、江戸湾に注いでいた利根川は、この事業によって千葉の銚子を河口として太平洋へ注ぐようになります。

 

家康が命じた大改造によって、寒村だった江戸は、1609年頃には15万人の都市へと発展します。

江戸幕府が家康によって開かれた後は、天下の首府として大発展を遂げ、江戸時代の中頃には100万人のメガポリスに変貌したのでした。

 

徳川家康は、統治制度も全て一から見直して合理的なものに変更し、東の果てに置かれたおかげで朝鮮の役への参加も免れ、着々と天下を取るための力を蓄えます。

 

秀吉が老衰で亡くなった時点では、家康の存在感と実力は他の大名よりも抜きん出たものになっていました。

 

ある事業が有利か不利か、それは現時点ではなく将来の可能性も合わせて考えてみると、デメリットと思っていたことが実はメリットになることもあり得ます。

SWOT分析などで事業の可能性を考える時は、環境や前提を自分で変えられるかどうか、も合わせて考えてみると、答えが全く逆になることもあるでしょう。

 

徳川家康は、秀吉の密かな目論見を全てひっくり返すことで、より大きな飛躍を遂げることができました。

そしてその飛躍は、現代においても「東京」という形で日本人に大きな恩恵を与えているわけです。

器の大きい人がすることは、多くの人に計り知れない影響を与えるということです。

 

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経営において、無謀な冒険は禁物 ~歴史に学ぶ後継者経営 徳川家康の軌跡⑤~

私は、主に日本の歴史から後継者経営に学べる題材をとって、皆さんと一緒に後継者経営を考えて参りたいと思います。

4回目の今回もまた、江戸幕府を開いた徳川家康の生涯から、後継者としての生き様のヒントが得られないか、皆さんとみて参りたいと思います。

4回目は、力をつけてきた家康が、「暴挙」とも言える行動に出て徳川家は存亡の危機に直面しますが、そこで家康がなにを学んだか、というところに焦点を当てます。

 

後継者の皆様

後継者の学校パートナーで、日本の歴史を愛する石橋治朗です。

 

私は主として日本の歴史から題材をとって、事業承継や後継者経営のありかたを皆さんと考えていきたいと思っています。

なおこのブログは全て、歴史に関する考え方については全くの私見であることを、あらかじめお断りしておきます。

 

後継者のみならず経営者にとって、で力をつけて成功しつつあるときに、一番落とし穴に入りがちなリスクがあるものです。

成功体験を積み重ねることは成長していくことにおいて大事ですが、成功しているときこそ勇み足に注意したいものです。

 

徳川家康も、独立して三河一向一揆を鎮圧して内部を固め、武田信玄と協力して今川家を滅ぼして遠江国を領土に加えました。

これまで三河国(愛知県東部)だけだった領地が、今の静岡県西部まで広がったことになります。

 

今川義元の下で、厳しい戦いに駆り出されていた三河の武士たちは、そのおかげで戦いにめっぽう強く、「尾張(織田家)の武士3人に三河武士1人が匹敵する」との評判をとりました。今川義元の軍師であった太原雪斎から采配(戦いの指揮)を学んだ家康のもとで、織田信長を助けて姉川の合戦(織田・徳川連合軍対浅井・朝倉連合軍の戦い)に大苦戦の末かろうじて勝ち、おかげで家康は「東海道一の弓取り(名将)」とまで呼称されるようになります。

 

自信を深めつつあった家康と三河武士たちに、しかし大きな試練が訪れることになります。

 

室町幕府の15代将軍である足利義昭を擁して京都へ攻め上った織田信長は、天下の政治を巡って義昭と対立するようになります。

義昭は各地の戦国大名たちに密書を送り、信長包囲網を形成して、自分にとって邪魔な存在となりつつあった信長を京都から追い落とそうと画策していました。

 

その信長包囲網で最も強力な勢力であったのは、甲斐国(山梨県)と信濃国(長野県)を支配していた、かの武田信玄です。

「風林火山(疾(はや)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如し)」の軍旗で有名ですね。

武田信玄の配下の兵士たちは、伝説的な名将である信玄によって鍛え上げられ、磨き込まれた精兵たちでした。

やはり、信玄に見込まれた選り抜きの武将たちの指揮のもと、上杉謙信や北条氏康たちと幾度となく戦って、ほとんど負けたことがありません。

かろうじて、「軍神」と称された上杉謙信の越後軍団だけが、武田軍団と対等の戦いができたと言われています。

 

武田信玄と国境を接していた家康は、次第に武田信玄と対立するようになり、その武田軍からの強烈な圧力に耐えていました。

しかし、武田信玄は足利義昭からの依頼に応えて、ついに「山」が動き出しました。

 

元亀3年(1572年)10月、武田信玄は甲府を出発し京都を目指して西上を開始します。

 

信玄の本隊が青崩峠を越えて東海道へ出たときの様子は、伝説として語られています。

その行軍は粛々として、二万人が踏みならす地響きのみが聞こえ、私語する者や脇見をする者は一人もなく、あたかも一匹の巨大な猛獣が突き進むさまを見ているようだったとのことです。

武田軍は徳川領内の城を一撃で粉砕して、悠々と進撃します。

 

織田信長からは3千人の援軍が徳川軍に加わり、この一大危機への対処について軍議を開きます。

当然のことながら、強い武田軍への勝ち目は万に一つもない、浜松城へ籠城すべきと言う意見が大勢を占めました。

 

しかし、普段は人一倍慎重な家康が、この時ばかりは狂ったように城を出て野戦で戦う!と強硬に主張して、家臣や援軍としてきている織田家の武将たちは度肝を抜かれます。

武田軍は、遠江国の主要な城を落とした後、浜松城を素通りして、浜松の北にある三方ヶ原へと進軍しようとしていました。

 

家康が出戦論を唱えたのは、次のような判断によるものでした。

・籠城していると、遠江国の他の武将たちが武田家に寝返る恐れがある。

・近畿で苦戦している織田信長への体面もある。

・遠江国の地形をこちらは熟知しているのだから、うまく背後から突けばたとえ人数で劣っていても勝つチャンスはある。

 

しかし、おそらくそれらの判断以上に、数々の合戦に勝利してきた自らの手腕に、家康が自信を持ち始めていたことが大きいでしょう。

たとえ、武田信玄が名将であっても、武田軍がいかに強くても、今の自分なら互角以上に戦える自信がある。

 

こうして、大将が主戦論を唱えているわけですから、家臣や織田家の武将たちは押し切られ、浜松城を出て武田軍の後を追うことになります。

 

粛々と浜松の北を進軍する武田軍は約3万人、徳川・織田連合軍は1万5千人、圧倒的に人数が劣勢ですが、背後を突かれると確かにあっけなく大軍が負けることもあります。

桶狭間の戦いでの今川義元のように。

あるいは、徳川家康は桶狭間の戦いでの織田信長を意識したのかもしれません。

しかし、武田信玄は今川義元ではありませんでした。

 

浜松の北に、三方ヶ原という台地があり、武田軍はそこを登っていくところでした。家康としては、敵に気づかれないように後をついていき、三方ヶ原を下ろうとしたときに背後から攻め下れば、勝機があると考えていました。

高い所から下にいる敵を攻撃するのが、一番有利だからです。

 

ところが、武田信玄はそのような家康の目算は百も承知でした。

わざと本陣を通常とは逆に先行させて、家康が台地を登ってきたところで軍勢を反転させ、あっという間に行軍隊形から戦闘用の陣形に変換したのです。

そのまま、追いすがってくる徳川軍を待ち構えていました。

坂の上に万全な魚鱗の陣(楔のような縦に鋭い陣形)で待ち構えている武田軍を見て、徳川家康は罠にかかったことを悟ります。

武田信玄は、家康の心の動きまで全て計算して、最初から城を攻めずに徳川軍を誘い出して撃滅するつもりだったのです。

百戦錬磨の武田信玄の方が、徳川家康よりもはるかに役者が上でした。

 

家康は、破れかぶれの鶴翼の陣(横に広がる陣形)で武田軍に対抗しようとします。戦いの火蓋が切られ、さすがに強い徳川軍は持ちこたえますが、織田の援軍が潰乱して一気に敗勢となり、散々に徳川・織田連合軍は打ち破られます。

 

家康を始めとして、徳川・織田連合軍は散り散りになって武田軍から逃げます。家康も単騎命からがら逃げますが、武田軍の追い討ちにあって危うく捕まりそうになりました。

しかし、忠実な三河武士たちが家康の窮地を救います。

三河一向一揆で、一揆側についたものの許されて帰参した夏目正吉は、その恩を返そうと家康の名を名乗って武田軍の追撃の群れの中へ突撃して戦死します。

そのような家臣たちが、他にも何人もいました。

家臣たちは、家康あっての徳川家であることを、過去の辛酸をなめた経験から、心に刻んでいたのです。

そしてまた、このような徹底的な敗北を経験することで、そのような家臣たちの強い思いを家康も思い知らされることとなりました。

 

命からがら浜松城へと逃げ帰った家康は、その敗北して憔悴した姿を絵師に描かせます。

これがかの有名な「顰像(しかみぞう)」です。

家康はこの絵を生涯座右に置いて、自分の思い上がりの戒めとしたと伝えられています。

 

この戦いの後、徳川家康は無理な戦いをしなくなります。勝てる情勢になるまで、勝てる戦力を持てるまで辛抱強く粘り強く待つようになり、むやみやたらと決戦をしなくなります。

家臣たちにとって自分がなくてはならない存在であると同様に、自分にとって家臣は何よりも大切な存在なのであり、彼らの命を損ねるような戦いをしてはならないと、三方ヶ原の戦いの痛切な敗北経験から学んだのでした。

 

そして、この経験が「天下分け目の戦い」と言われる関ヶ原の合戦で生きることになります。

大垣城に籠城する石田三成をおびき出すために、徳川家康は大垣城を素通りして、三成の居城である佐和山城へ向かいます。

家康の目論見通りに、三成は大垣城を出て関ヶ原へ向かわざるを得なくなりました。

痛烈な敗北の経験が、後々の大勝利に生かされたわけです。

 

また、強大な武田信玄に挑戦した「無謀」な経験は、家康の声望を高めました。

「三河殿(家康の通称)は、かの信玄公に挑んだお方」として、後年になってカリスマ的な尊敬を受けることになります。

関ヶ原の戦いの頃になると、武田信玄も上杉謙信も伝説的な存在であり、そのレジェンドたちと互角に戦った家康に戦いを挑むこと自体が「無謀」なことになったのです。

家康に挑戦したのは、かの石田三成だけでした。

無謀な経験は、家康のいろいろな意味での財産になったと言えるでしょう。

 

自信があるときほど、過信へつながりやすい落とし穴があること、そして忠実な部下たちこそが経営者にとって何よりも財産であり、何よりも尊重しなければならないこと。

いくら成功を積み重ねても、一度の痛烈な敗北が命取りになることがある。成功以上に大敗のリスクを徹底的に避けることが重要であること。

それを、三方ヶ原での家康の敗北から私たちも学ぶことができます。

これもまた、事業承継の本質の一つです。

経営の本質でもありますね。

 

「事業承継の本質」については、後継者の学校の入門講座でわかりやすくお伝えしております。学校はどうかな、と思う人でも、無料ですのでお気軽に出席してみてください。

 

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▼後継者が経営者となり先代を超えていく者達の学び場

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歴史に学ぶ後継者経営 徳川家康の軌跡③ 「独立しようとするときに、後継者は何をすべきでしょうか」

私主に日本の歴史から後継者経営に学べる題材をとって、皆さんと一緒に後継者経営を考えて参りたいと思います。

今回からは、江戸幕府を開いた徳川家康の生涯から、後継者としての生き様のヒントが得られないか、皆さんとみて参りたいと思います。

久しぶりの2回目は、独立できるようなチャンスが到来したときに、後継者はどのような振る舞いをすればいいのか、それを家康が実際にとった行動からヒントを得たいと思います。

後継者の皆様

後継者の学校パートナーで、日本の歴史を愛する石橋治朗です。
久しぶりに、投稿させていただきます。

私は主として日本の歴史から題材をとって、事業承継や後継者経営のありかたを皆さんと考えていきたいと思っています。
なおこのブログは全て、歴史に関する考え方については全くの私見であることを、あらかじめお断りしておきます。

 

後継者、あるいは後継者以外の経営者でも同じですが、ふとしたときに大きなチャンスが転がり込んで来ることがあります。

ずっと親会社に首根っこを押さえられていた状況から解放されて独立できるような、ある意味で人生を変えるようなチャンスが巡ってくるとき、それが思いがけないことであればあるほど、かえって戸惑ったりもします。

あるいは、有頂天になってしまって、後で思わぬ失敗を招いてしまうような行動をとってしまいかねないリスクもあります。

 

このようなときに、何を心がけて行動すればいいのでしょうか。
この場合に注意すべきは、地に足をつけた行動をすることですね。
地に足をつけた行動とは、受けていた恩や義理を忘れないように心がけることです。
そうすれば、大きな失敗をすることはありません。
徳川家康は、賢明にもそのように行動しました。

 

それは、かの名高い「桶狭間の戦い」の時です。

よく知られているように、尾張国(名古屋市周辺)へと進出してきた今川義元の軍勢を織田信長は迎え撃ち、桶狭間と呼ばれる地において奇襲攻撃をかけて、今川義元を戦死させました。

このときに、徳川家康は三河国の家来たちを率いて、今川勢の一番先頭に立って激戦を交え、大きな手柄を立てます。
しかし、後方で今川の軍勢が負けて逃げ帰ってしまったため、前線で置いてきぼりとなってしまいます。幸い、織田信長は今川義元を打ち破るので精一杯で、孤立した家康の軍勢を攻める気配はありません。

前回申し上げましたとおり、三河国は今川家の子会社みたいなもので、その支配のもとに戦争のたびに便利使いされるような扱いを受けていました。
しかし、力を持った武将であった今川義元が倒れ、後継者として今川氏真が後を継ぐこととなります。今川氏真は、蹴鞠(サッカーのような遊戯)が得意だけの、極めて凡庸な武将でした。
今川家も、義元の急死により、大混乱のなかにあります。

夢にまで見た、戦国大名として独立できる、これ以上ない千載一遇のチャンスとは、まさにこのときのことです。
今川家が三河国の徳川家(当時は松平家)を支配するに至った経緯は、弱みにつけ込んだ不当なやり方であって、逆に今川家に弱みがある今このときに、徳川家康が独立しても、決して攻められる道理はありません。むしろ、戦国の世においては賞賛される行動でしょう。

では、徳川家康はどのように行動したのでしょうか。

家康は、自分の居城であった岡崎城(愛知県岡崎市)には帰らずに、織田家との前線にずっと居続けました。というのも、岡崎城には今川家の家臣がいたからです。
今川家の許可が出ないので、岡崎城には入らない、という理由です。
家康は、今川家が危機に陥ったからといって、手のひらを返すような行動は慎んだわけです。

 

それどころか、三河国にある織田家の砦などを攻撃し、今川氏真にも「是非一緒に、今川義元の仇をうちましょう。私が先鋒を勤めます」と催促します。

手のひらを返すどころか、今川義元から受けた恩を返すような行動に出ました。
味方である今川家からは、「お若いのに、なんと義理堅い律儀な三河殿(家康)」との評判を得ます。

もちろん、この家康の行動には二面性があります。
今川家からは、こき使われもしたけれども、織田家からも守ってもらったわけで、その恩と義理はあったわけです。それは、たとえ状況が変わっても、守らなくてはならないものです。
一方で、今川氏真が噂通りには暗愚ではなく、もしかすると隠れた能力をもっているかもしれません。それを確かめるまでは、軽率な行動は慎まなくてはならないのです。仇討ちの催促をしたのは、そこを確かめる意味合いもありました。

このときの家康の行動は、味方だけではなくて敵方も注視していました。
織田信長ですね。
織田信長は、三河国の武士の強さに舌を巻くと同時に、軽挙妄動しない家康の義理堅さも高く評価しました。
この若く、よく働いて、しかも信じられないほどに義理堅さをもっている家康と、同盟を組むことができたならば、自分は美濃国(岐阜県)の攻略に専念できる。
そうですね。本当の実力は、味方よりもむしろ敵方の方が的確に評価していることが多いのです。

結局、今川氏真は家康からの仇討ちの催促には乗らず、岡崎城から今川家の家臣は退去します。
人がいなくなった城を放置しておくのは危険、という理由で、徳川家康は自分の城を取り戻しました。
そして、父親の仇も討てないとは、という今川氏真の評判が落ちたところを見計らって、今川家に預けられていた人質を家臣の計略で取り戻し、晴れて今川家から独立することとなります。
隣の尾張国の織田信長とは、戦国時代において最も強固と言われた同盟を、本能寺の変まで変わることなく組むことになるのです。
この独立については、今川氏真は非難したものの、敵味方ともに天晴れな行動として賞賛しました。

ここで、もしも徳川家康が今川家の弱みにつけ込んで、これまでの恩や義理を足蹴にするように独立したらどうなったでしょうか。
そのときはよくても、周りからの信頼は得られず、今川家と織田家から早々に攻められて滅ぼされてしまったかもしれません。

徳川家康は、独立に当たって踏まえるべき順番を間違えなかったのです。新しくきたチャンスよりも、それまで受けたものをまず大切にしました。それをしっかり踏まえた上で、チャンスをつかんだわけです。

実は、チャンスの時ほど行動するのは難しいのかもしれませんね。
チャンスの時に、どのように行動したらいいか。
それを学ぶには、歴史をしっかりと押さえることと、事業承継の本質をつかむことが肝要です。

歴史はこのブログで学んでいただくとして、「事業承継の本質」については、後継者の学校の入門講座でわかりやすくお伝えしております。学校はどうかな、と思う人でも、無料ですのでお気軽に出席してみてください。

事業を継ぐために何を学んだらいいんだろう、何をしたらいいんだろうか、と思う人は、後継者インタビュー(無料)を受けてみて下さい。

時間はそれほどかかりません。だいたい、30分~1時間ほどです。
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運が良い人について考える。

後継者の学校パートナーの中小企業診断士岡部眞明です。

渡部昇一さんが亡くなって5カ月が経とうとしています。

渡部昇一さんといえば、保守の論客として有名ですが、我が国の歴史や国際社会における我が国のあり方、教育問題などなど切れ味鋭い論評は、私たちに人生から国際問題まで多くの気づきを与えてくれていました。

渡部さんは努力ということについて度々語っています。

よく話されるのが、アメリカ留学の選に漏れたときのことです。

「着ているものがだらしない」という(貧乏学生だったようなのでみすぼらしい服装だったのでしょうが、理由にもならない)理由から面接で不合格になるのですが、腐らずに勉強したおかげで、後にイギリス、ドイツに留学するチャンスをつかんだのです。もし、アメリカに留学していたら本職の英語の国で英語を学ぶこともなかっただろうし、ドイツ語をマスターすることもなかったと言っています。(「人生の手引書」(扶桑社新書))

また、「よい運というのは仮装してやってくるということです。最初は貧乏とか、逃げ出したくなるような形でやってくる。しかし、私はその貧乏のために、否応なく勉強したおかげで、まったく確率を超えた偶然がしばしば起こり、よい運に恵まれた。」(渡部昇一 「渡部昇一一日一言」出版記念会公演会)とも。

そして、渡部さんの本職?は、英語学者ですが、『英語の「ハッピー」という言葉は、語源をたどると「ハプニング(=出来事)」と同じである。同じく、日本語の「幸せ」はもともと「仕合わせ」、つまり、「事の成り行き」という意味だった。』(「人生の手引書」(扶桑社新書))と言っています。

目の前に起こる出来事に一喜一憂せず、目標に向かって努力する。その結果は、事の成り行きであって、それを受け入れることも重要だということでしょう。

しかし、氏はそこに甘んじるべきではないと言います。欲求の5段解説で知られるマズローを引用して「自分が不平不満を感じているとき、それがそのレベルのものなのかを見る必要があるという。そして、そのレベルが高ければ高いほど、いい傾向だというのである。」(前掲書)と、『「事の成り行き」を受け入れた後は、その原因を内に求め高次の不満を抱いて、さらに努力せよ。』と叱咤してくれます。

陽子崩壊を観測するための実験装置で偶然「ニュートリノ」を発見した小柴昌俊教授や間違え作ってしまったグリセロールとコバルトをもったいないと使って「ソフトレーザー脱離イオン化法」を開発した田中耕一さんを例に「幸運は準備された心に味方する」と、決して「事の成り行きだけではない」と励ましくれます。

我が国はこのところ、毎年のようにノーベル賞受賞者を輩出していますが、小柴さんや田中さんだけでなく、山中さんも、大隅さんも大村さんも・・・(たくさん,いすぎて。嬉しい悲鳴です)努力の人でした。凡人の私への救いでもあります。

済んだことに対してどう評価するのか、何にでも感謝して満足する心も大切ですが、不満を感じるからこそ、人は向上できるのです。

「棚からぼた餅」。思いがけない幸運が舞い込んでくることをいいますが、ぼた餅が棚から落ちてくるときに棚の下にいなければ、他の人がそのぼた餅を手にするところを見て指をくわえることになるだけですね。

棚から落ちてくるぼた餅を手に入れるためには、棚の下にいなくてはならないのです。そして、棚の上には何があるのか、知っている必要があるのです。そこで、ラッキーもそう簡単に手に入れられないと考えるのは、普通の人です。経営者なら、自社とその置かれた環境を理解して、行動を起こせば成果(=幸せ)は手に入れられると考えるのです。

そのうえで、求めた幸せをもたらしてくれるのは、やっぱり「事の成り行き」であることを受け入れる心もまた必要です。

でも、常に自省する心、そして自分を高みへ進めたいという向上心も持ち続けたいものです。

事業を進める過程での戦略や取組みとその結果を受け入れながらも、自省して成長する社長の成長と会社、従業員の成長は相似形です。

クリニックの事業承継⑰ 今考えるべきこと

後継者の学校のパートナーの児玉秀人です。

私はクリニックの相談にのらせていただくことが多いです。クリニックの経営は財務のこと人事採用教育のこと、相続問題にマーケティングのことなど相談事は多岐にわたります。クリニックの事業承継は一般と何が違うのでしょうか。そのあたりをつづっていきたいと思います。本日は、今考えるべきことについてです。

 

後継者の学校のパートナーコンサルタントの児玉秀人です。

 

事業承継に取り組むにあたって、今考えることはなんでしょうか?

もう一度、立ち止まって考えてみましょう。

 

そもそも事業そのものの過去はどうだったのでしょう。

例えば歯科事業であれば、かつては歯科医院の前に行列を作って

診てもらえるまで痛みに耐えて待っている患者さんであふれていました。

 

その時代に大切だったことは「いかに早くたくさんの患者さんを診てあげられるか」でした。

悪くなるまで行かなくていい。ただでさえ混んでいるのに・・・

こんな風に来院者は考えていたかもしれません。

 

現状はいかがでしょうか?

過去の成功に囚われている医院の多くは苦しんでいます。

一方でファンを増やして来院者であふれる医院があるのも事実です。

 

将来はどうなっていくのでしょうか?

保険診療の範囲は?

点数の改正は?

訪問診療の可能性は?

 

すでに、さんざん話し合われていることかもしれません。

 

 

では、実家の医院のことはどうでしょうか?

 

大先生が開業した時のエピソードは聞いたことがありますか?

あの時は大変だった・・・とか

あの時はものすごく嬉しかった・・・とか

あの時が一番「医師になってよかったと思ったなあ」・・・とか

 

現状はどうでしょうか?

足りないものばかり目についてませんか?

自分がお金出して医院を買う前提で真剣に現状を見れてますか?

 

この医院の将来はどうなりますか?

どうして行きたいですか?

 

どんな承継のカタチがベストだと思いますか?

自身はどうしたいですか?

現実的にはどんな障害がありますか?

 

 

このまま手を打たないとどうなりますか?

 

立ち止まって考えてみてください。

 

事業承継について考えるということは

「人生」について考えるということです。

 

 

このエピソードに胸がざわついた

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児玉秀人でした。

 

メディカル、デンタルのサポートをしています。

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・資金調達のための経営改善計画書の作成

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・Web戦略相談など

歯科後継者塾|歯科の事業承継を5日間で学ぶ

実録 事業承継~社員の気持ち①~

中小企業の事業承継は、親から子へというのが一般的です。そして、事業承継というと株の話とほぼ同じと考えられて、株の移転をするために株価を下げるにはどうしたらいいか、という話が中心となることが多いです。確かに株の移転をどうするかは頭の痛い課題です。しかし、株の移転を考えるのと同時に、必ずしなければならないことがあります。それは、後継者にしかできないことなのです。

 

後継者の学校大阪校を担当しております税理士の河合です。

中小企業の事業承継は、M&Aなど様々な取り組みが活発になってきていますが、やはり親から子へと引き継がれる場合が多いです。大事に大事に育ててきた会社を引き継いでもらうのは、他人よりも我が子であるほうが嬉しいという親の心情もありますが、株の引継がスムーズにできること、社員から納得感が得やすいことなどがその理由として挙げられます。

しかし、実際現場に入ってみれば、古参社員との軋轢、先代が採用した社員と後継者が採用した社員の間の考え方の違いなどなど、泥臭い人間関係の中にどっぷり浸かり、疲れ切ってしまう後継者も少なくありません。

 

軋轢が生じるのは悪いこと?

もちろん、人間関係が円滑で、事業も好調、資金にも心配が無い状態で会社を引き継ぐことができれば、これほど幸せなことはありません。しかし、今の社会環境を考えると、同じことをしていれば事業は安泰というわけではありません。以前は事業の寿命は30年などと言われていましたが、現在では10年、事業内容によっては5年くらいで全く新しい事業展開をしていかないと、生き残れない時代になってきています。

だから、仮に何の心配もない状態で事業を引き継いだとしても、変化に対する適応力がなければ、自然と淘汰されてしまう可能性が高いと言う意味で、安心してはいられません。

ところで、一般的に人は変化を嫌います。ましてや事業承継という会社の根幹が揺るがされるような出来事が起こるときに、社員は何を考えるでしょうか?

先代(親世代)が採用した社員は、「これまでの仕事はどうなるんだろうか」、「急に方針転換なんてことになって、やることが無くならないだろうか」「恩のあるオヤジさんの言うことはもちろん聞くが、俺はボンに雇われたわけではないからな」と、自分の立場や仕事内容の変化に不安を感じたり、あからさまに「後継者になんかついていくもんか」という態度になったりするかもしれません。しかし、一方で、「最近はオヤジさんの体調も良くないみたいだし、ボンが継いでくれるとなると、この会社はなくならないということだな」「ちょっと会社の調子が悪そうだったけど、ボンが新しい流れを入れてくれることによって、良くなるかもしれないな」といった感じで、期待しているところもあるでしょう。

また、後継者(子世代)が採用した社員は、「いよいよ我がリーダーの出番だ」と期待しているかもしれませんが、やはり体制が変わることに「これからどうなるんだろう」と不安も感じています。

社員ひとりひとりが期待と不安を感じている状態ですから、ちょっとした変化があれば、軋轢が生じ、大騒ぎになることもあります。元々揉めることが好きな人はあまりいないと思いますが、特に後継者の中には社員間の軋轢に苦手意識を持っている方が多いように感じます。

しかし、軋轢が生じることは、決して悪いことではありません。むしろ、うまく乗り切ることができれば、後継者が組織での存在を確立し、組織をまとめることができる良いチャンスにすらなるのです。

 

後継者の学校では、このようなテクニックではなく押さえるべきポイントをしっかり理解し、実践に移していただける仕組みがたくさん入っています。

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クリニックの事業承継⑮ クリニック後継者の承継戦略

後継者の学校のパートナーの児玉秀人です。

私はクリニックの相談にのらせていただくことが多いです。クリニックの経営は財務のこと人事採用教育のこと、相続問題にマーケティングのことなど相談事は多岐にわたります。クリニックの事業承継は一般と何が違うのでしょうか。そのあたりをつづっていきたいと思います。本日は、クリニック後継者の承継戦略についてです。

 

後継者の学校のパートナーコンサルタントの児玉秀人です。

 

クリニックの事業承継と言えば一番気になるのが「立地」です。

 

開業当時は付近に同様のクリニックはなく、地域の人すべてが

自分のクリニックに来てくれる。

行列を作って待ってくれる。

そんな状態だったかもしれません。

 

そんな時期であれば、少々立地が悪くても問題はなかったはずです。

それも時の流れの中で変化していったはずです。

 

例えば雑居ビルの3階でエレベータ無しとか

住宅街のど真ん中でその周りの人以外は見つけられないとか

区画整理で大通りが出来て、クリニックの前を誰も通らなくなったかもしれません。

 

そんなクリニック(歯科医院の場合)の事業承継をするとします。

 

クリニックのコンサルと言われる人たちはきっとこういうでしょう。

「先生の実力ならもっと生かせる立地があるはずです」

「事業承継などせずに新規開業した方がいいです!」

 

本当にそうでしょうか?

 

一般的に「事業承継」もしくは「医院継承」と呼ばれているものの多くは

【現在の診療を現在の立地でやる】

これを指していることが多いのです。

 

これだと確かに苦しさだけが残ってしまい

若先生の良いところが生かせないかもしれません。

 

事業承継とは診療(事業)と立地を引き継ぐことではありません。

 

大先生から「価値あるもの」を引き継いで

若先生が「新たな価値」を創り出すことなのです。

 

事業と立地に価値がある場合とそうでない場合は当然あり得ます。

それでは事業と立地に価値が無い場合「事業承継」は出来ないのでしょうか?

 

 

そんなことはありません。

そんな狭い考え方で事業承継をとらえていると

暗い話にしかならないのがほとんどです。

 

私が事業承継の相談にのっていると

最後に相談者は必ずこう言います。

「なんかワクワクしますね!」

 

事業承継は下記のように考えるのです。

 

図1

※資料提供 軍師アカデミー/歯科後継者塾

 

一般的なのは

①    一般承継戦略

これは今の立地で今の診療スタイルで承継する方法

②    新事業戦略

今の立地で新しい診療スタイルで場所や人・組織を承継する方法

これは現在の主流ではないでしょうか

③    新医院戦略

診療スタイルは変えないが、例えば住宅街の裏通りから

大通り沿いや駅近くに立地だけ変更する戦略

立地以外の良いものは引き継ぐので、新規開業とは違う。

④    創業戦略

これも新規開業とは違います。事例で説明します。

 

例えば、その歯科医院ではとても腕のいい歯科技工士さんを雇っていたとします。

ところが、35年前に開業したので時の流れと共に近隣の再開発で現在の立地は裏通りになってしまい、人の往来はまばら。

大先生の診療スタイルもオーソドックスで、現在来ている患者様も高齢で自分の学んできた予防のスタイルを受け入れる環境にない。

さらに再開発で整備された新しい幹線道路沿いには最新のデザインで建てられたビルのテナントに多くの新規開業医院がひしめいている。

 

大先生から引き継いだ価値あるものは何でしょうか?

それはもしかしたら【腕のいい技工士】さんかもしれません。

 

事業承継とは「価値あるもの」受け取り

「新しい価値」を創り出すことですから

この場合に取れる戦略はこうです。

 

現在の立地に「歯科技工所」を設立します。

過密競争で近くに密集している歯科医院に営業に出向き、医院は閉めてしまいます。

【腕のいい技工士さん】という「価値」を受け取り

【近くて質の良い技工サービス】という新たな価値を生みだすのです。

 

ご自分は違う立地で別の医院を経営してもよいでしょう。

 

これが「創業戦略」です。

 

 

このように「事業承継」とは「新規開業」では得られない

素晴らしい選択肢に満ち溢れた希望なのです。

 

世間一般の常識に取らわれずに「ゼロベース」で

考えることが重要です。

 

 

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クリニックの事業承継⑪ 業界の誤解と一般の誤解

後継者の学校のパートナーの児玉秀人です。

私はクリニックの相談にのらせていただくことが多いです。クリニックの経営は財務のこと人事採用教育のこと、相続問題にマーケティングのことなど相談事は多岐にわたります。クリニックの事業承継は一般と何が違うのでしょうか。そのあたりをつづっていきたいと思います。本日は事業承継における業界の誤解と一般的な認識の誤解についてです。

 

後継者の学校のパートナーコンサルタントの児玉秀人です。

 

クリニックの事業承継における業界の誤解について少し触れたいと思います。

 

◆事業承継はメンドクサイだけで何のメリットもない

 

こう思われている先生、それ以上にこう思われているコンサルタント

と呼ばれる人たちの多さにびっくりします。

 

クリニックの事業承継のことを「医院継承」と呼ぶケースがあります。

同じような意味に感じますし、医療の業界では「医院継承」の方が

メジャーなようです。

 

私はこれらを明確に区別しています。

 

医院継承とは既存の医院を文字通り引き継ぐことです。

既存の設備や建物、診療スタイルや患者さん・・・

先代の想いやスタイルをきれいに受け継ぐ後継者・・・

 

こう書くと美しいですね。

 

こういう形ですと確かにうまくいくケースが見当たりません(笑)

 

ところがクリニックの事業承継の定義は

先代の事業(クリニック)の良いところを生かし

後継者の強みをプラスする。

 

場合によっては地域や社会に承継することも

視野に入れる。

 

新事業や新天地での展開だって

視野に入ってくる。

 

聞くだけでワクワクしますよね。

(この辺はプログラムで詳しく触れます)

 

つまり業界の誤解とは

「事業承継」という一連の流れの

ほんの一部分しか見ていないために

起こると言えるかもしれませんね。

 

 

そして一般社会の誤解は

 

◆事業承継で残すものなど何もない

◆事業承継は親主導(経営者主導)で進めるものだ

◆事業承継は相続と同じようなものだ

 

以上のようなものです。

 

これがなぜ誤解と言えるのか?

後継者の学校の門をたたいてみてください。

 

 

 

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後継者にまつわる小説あれこれ(その11)

司法書士の木村貴裕です。

小説は気軽に読めて、でも何か気づきを得たり、力がわいてくることってありますよね。

ほんの少しでも何か感じてもらえそうなものをこれから少しずつ紹介したいと思います。

後継者の学校パートナーブログですので、もちろん後継者や事業承継に関するものを。

 

後継者の学校パートナーで司法書士の木村貴裕です。

私は通勤時間をもっぱら読書にあてております。

地下鉄なので外の景色を眺めても面白くもなんともないという理由もありますが。

 

経営書ではなくあまり肩のこらない小説ばかりなのですが、結構事業承継にからむ話もあります。

後継者や後継者候補の方に何か少しでも感じてもらえるものがあればと思い、今まで読んだ中から、後継者や事業承継に関係するものを何冊か紹介します。

 

今回紹介するのは、

 

「盗賊会社」星新一 著(新潮社)

 

星新一さんと言えばショートショート。

ショートショートと言えば星新一さん。

なんですが、これ平成生まれの方とかにも通じますか?

 

昭和43年に刊行されたものが文庫になっているのですが、「色あせない」という言葉はまさにここで使いたい。

 

「本質的なもの」とか「真理」とか言ってしまうと何かたいそうで違ってしまいそうな、でもそう表現したくなるような、生活や商売、現象や心理など、今の話ばかり。

 

今回は表題の「盗賊会社」を取り上げます。

れっきとした泥棒を営業とする会社の社員が主人公の話です。

 

カバーの内容紹介を抜粋すると、「そんな仕事があったのかと内心うらやましがる人も多いかもしれない。平凡な日常のくり返しにあきあきしている人ならば・・・」。

 

話の中身は、仕事の内容も当然ですが、労使交渉の場面もあったりします。

ここで経営者側の言い分がでてきます。

読者としては、大変もっともな言い分だと妙に感心したりして。

でも、、、

 

ここからは、ショートショートに変な解説や解釈を入れるのは愚の骨頂とお叱りを受けるのを覚悟して少しだけ続けます。

 

面白そう(?)な仕事なのに、社員である主人公はあまり生き生きしていません。

仕事として、職場として、何かが欠けているのです。

 

経営者としては、従業員がともに頑張ってくれるような何かを示したり、伝えなければならないのでしょうね。

 

話を少し事業承継にずらせますが。

創業期はがむしゃらに突き進んできた、ともに会社を成長させてきた、ということで従業員と一体感があり、その何かは要らなかったかもしれません。

 

でも後継経営者は、その一体感を従業員と共有できる立場にはいません。

その何かが重要になってくると思います。

 

はい前回同様ですが、続きは後継者の学校で一緒に考えてみませんか。

 

後継者の学校では、後継者や後継者候補が、従業員と新たな関係をつくりだすためのプログラムを用意しています。

 

ご興味のある方は、一度ご連絡下さい。

 

36編からなるこの文庫は、1編がどれも6ページほど。

ショートショートなので当たり前なのですが、一駅かからないくらいの読みやすさ。

読書離れと言われますが、久しぶりにまたは初めて手に取るには最適の読み物だと思います。

 

このブログも一駅で読めるようにと思っているのですが、短いと中途半端になって、伝えたいことが表現できていないのではという不安で一杯です。

人に何かを伝えるって本当に難しいですね。

 

この話が少しでも何かのきっかけになれば幸いです。

 

後継者の学校
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クリニックの事業承継② 事業戦略について

後継者の学校のパートナーの児玉秀人です。

私はクリニックの相談にのらせていただくことが多いです。クリニックの経営は財務のこと人事採用教育のこと、相続問題にマーケティングのことなど相談事は多岐にわたります。クリニックの事業承継は一般と何が違うのでしょうか。そのあたりをつづっていきたいと思います。本日はクリニックの事業戦略についてです。

 

後継者の学校のパートナーコンサルタントの児玉秀人です。

 

クリニックの事業戦略というと

巷では「マーケティング」とか「集患」とか言う話になりがちですが

ここでは本質の部分についてお伝えできればと思います。

 

 

ご存知の方も多いと思いますが

日本は国民皆保険と言って

すべての国民が健康保険にて

国から医療費の一部または全部の

補助を受けることができます。

 

 

医療の公平性という大前提においては

どの医療機関で受ける治療も

保険で決められている医療行為であれば

同じ品質同じ価格で受けられることになります。

 

本当にそんなことが可能でしょうか?

 

実は一昔前は同じではないにしても

比較的どこで受診しても

差は少なかったのではないかと思われます。

 

その理由は設備と医療技術です。

 

 

医療設備と技術の進歩は

すさまじいスピードで進化しています。

 

そのスピードについていき

研鑽、研究を重ねるドクターたちは

超人的な勉強を積み重ねています。

 

 

誰もがついていけるわけではありません。

そこには意図せず差が生まれても仕方がないのです。

 

 

そして医療は地域ビジネスですから

地域の皆さんに選ばれなければいけません。

 

 

以上の観点だけでも

 

クリニックを承継するということは

 

・治療の質を担保すること

・地域の皆さんに愛され続けること

・経営的に成立させていくこと

 

これを国の委託を受けた

保険診療という枠組みの中で行っていくのです。

(保険適用外の診療も多数ありますが)

 

大変な重荷です。

 

 

ですから事業戦略と一言で言っても

経営だけする経営者とは違い

研究者であり技術者でもあり

国家資格保有の医師でもあるということで

得意なこと(現場の治療行為など)に

没頭し、ないがしろになっていることも

少なくありません。

 

治療方針はあっても事業戦略がない医院はたくさんあります。

 

事業戦略とは

「だれに」「何を」「どのように」

提供することで

生き残っていくかを

決めることですから

 

「絶対に勝てる土俵」を

設定することが必須条件です。

 

 

病院やクリニックの場合は

「だれに」は

【地域の皆さんに】となることが多いです。

 

そして「何を」は

【安全安心の医療を】になり

 

「どのように」は

【OO科にXX年携わってきた知識と経験で提供する】

となってしまうことが多いのです。

 

選択・集中・差別化することはそう簡単ではないのです。

 

 

ここが国の制度に守られてきた難しさでもあるのですが

国民の医療費が40兆円を超えた今、そんな悠長なことは言ってられません。

 

超々高齢化社会はすぐそこまできており

保険制度の改革も平成30年には大きな節目を向かえることになります。

(その話はまた今度・・・)

 

 

事業戦略なしに医院を承継するとエライことになります。

 

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