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三菱自動車の燃費データ不正に考える

後継者の学校パートナー、中小企業診断士岡部眞明です。

三菱自動車の燃費データの不正が発覚しました。三菱自動車は、過去に2000年と2004年の2度のリコール隠しを行い刑事事件にもなっています。にもかかわらず、また、意図的に不正が行われてしまいました。

三菱グループからの支援を受け、再生を誓ってからわずか12年、順調に見えていた業績はこの不正に支えられていたことになります。

この事態に、「三菱ブランドを傷つける。」「いや、日本ブランドへの信頼をも毀損する。」と、我が国の産業界自体にも大きな影響を与えかねない事態になっています。

三菱自動車のブランドイメージは、リコール隠し以降そんなによくはないとおもいますが、三菱グループといえば、そのブランドイメージは「安定」「勝者」と、安心感とか信頼感につながります。三菱グループ内では、「三菱は国家なり」というくらい社会に貢献する企業としての自負や責任感は大きいものがあるようです。

三菱グループが共有する企業姿勢、企業活動の道しるべとされているものに「三綱領」というものがあります。

いわく、

「立業貿易(全世界的、宇宙的視野に立脚した事業展開を図る。)」

「処事光明(公明正大で品格ある行動を旨とし、活動の公開性、透明性を堅持する。)」

「所期奉公(事業を通じ、物心共に豊かな社会の実現に努力すると同時に、かけがえのない地球環境の維持にも貢献する。)」

(4代目三菱商事社長岩崎小彌太)。

まさに日本から世界そして地球規模までを視野にいれています。

三菱自動車はどうでしょうか。

「Drive@earth」「@earth TECHNOLGY 環境への貢献・走る歓び・確かな安心」

今となっては、ブラックジョークのようです。

明治の殖産興業、我が国の近代化を支え、成長してきた三菱の企業理念は素晴らしいものだと思います。先人たちが、誠実に企業離縁を守り、営々として積み上げてきた三菱の企業イメージ「安定」や「勝者」が、三菱自動車が守らなければならないものが、「社会」や「地球」から「勝者としての会社」や「安定した会社」という、自分たち自身が入社以前に持っていた三菱のイメージになっていしまっていたのではないでしょうか。

今回、世の中の注目は「三菱ブランド」「日本ブランド」のことで、ブランドとの関係が多かったように思います。企業がつくりだすブランドに対し、消費者側に作られる記憶の総合がブランドイメージです。

ブランドとは、「販売者ないし販売グループの製品やサービスを識別し、それらを競争他者から差別化するために付される名前、言葉、記号、シンボル、デザインないしはこれらの組み合わせからなるもの。」と定義されます。

形だけの差別化は、遅かれ早かれ模倣されコモデティ化されてしまいます。他社が絶対に真似できない差別化要因は何でしょうか、それは組織です。組織のメンバー(社員)、伝統的活動、能力、風土がつくりだす力です。その組織に方向性を与えるものが、企業理念です。

先輩は、現場でその高い理念を実践してきたからこそ、今日の「安定」「勝者」というブランドイメージを確立できたのです。そして、いまそのイメージにとらわれて、三菱自動車という会社は存続の危機を迎えています。理念と現場の具体的行動が遊離してしまった結果です。社員一人ひとりが、本当に地球環境のことや信頼される技術のことそしてお客様のことを考えていたら、虚偽の性能表示なんてありえません。それより、ダイハツやスズキに勝つこと、売上を優先したから、今回の結果があるのです。

「あの会社は変わらないよ。」そうかもしれませんが、いや、そうであればなおさら考える必要がありませんか。「自分の会社は大丈夫?」

対岸の火事とか他山の石という言葉あります。企業理念を美しい言葉で飾ることは、そんなに難しいことではありません。はやり言葉、今でいえば、地球環境、社会貢献、安全・安心・・・。三菱の理念は、素晴らしいものです。

企業理念が一つ一つの商品やサービス、社員一人ひとりの行動と結びついて具体的に力とすることが経営者の仕事です。そして、お客様や従業員とその家族、世の中を幸せにすることが使命なのです。

「ブランド価値は、玉ねぎにそっくりだ。何枚もの層をむいていくと、中心には芯がある。それは、ブランドの場合、最後の最後まで一緒にいてくれる顧客である。(P&G前CEOエドウィン・アーツ「ブランド論」(デービット・アーカー)より」

 

 

歴史に学ぶ後継者経営 上杉謙信のケース

私主に日本の歴史から後継者経営に学べる題材をとって、皆さんと一緒に後継者経営とは、を考えて参りたいと思います。五回目は、川中島の戦いで武田信玄と抗争を繰り広げた、上杉謙信の事業承継です。事業承継には理念が必要であり、理念は貫き通すことによって「価値」となり「ブランド」となるのです。

 

後継者の皆様

 

後継者の学校パートナーにして後継者の歴史評論家(笑)である、石橋治朗です。

 

私はこのブログを通じて、事業承継はどのようにすればうまくいくのか、後継者経営にはなにが大切なのだろうか、創業者経営とはなにが違ってくるのかについて、主として日本の歴史を題材にして皆さんと一緒に考えていきたいと思っております。

 

前回は、戦国時代の中心的な存在であったにもかかわらず、名家であった武田家を滅ぼすこととなった武田信玄を取り上げました。

 

そして戦国シリーズの第三回目は、その信玄と宿命の対決を繰り広げた、武闘派ボスキャラの一人である上杉謙信を取り上げたいと思います。

 

上杉謙信、島津義弘、真田信繁(幸村)

戦国ゲームでの武闘派ビッグスリーです。

特に「信長の野望」で謙信が騎馬隊を率いているときは要注意です。

中途半端な戦闘力のキャラクターが周りをうろうろしていると、謙信の騎馬隊から突撃を受けて戦死します。

バージョンによっては、突撃するときに青い稲妻が走るのですが、実際に謙信が率いる部隊からは青い光が立ち上っていたという伝説があるくらいです。馬上の謙信を見たら、逃げるにしかず。戦国ゲームでの大原則の一つです。

 

上杉謙信、別の名を長尾景虎といいます。関東管領という室町幕府における重要な役職を代々上杉家が務めていましたが、長尾景虎は請われて上杉家を相続しました。そのときに、上杉謙信へ改名したわけです。

もともとは、越後(今の新潟県)の守護代を務めていた長尾家の後継者でした。

 

越後、新潟県ですが、地図をご覧になっていただいて、新潟県の長さを指で測って東海道や九州で比べてみてください。

東海道ですと東京から名古屋近辺まで、九州だと縦の長さが新潟県の長さとほぼ同じです。実は、端から端まで330キロもあります。

要は、国が広いんですね。

 

広いので、なかなかまとまりません。信濃(長野県)も広いので統一した大名が現れず、武田信玄により征服されましたが、越後の長尾家も家中の争いでばらばらでした。

 

長尾景虎は父為景の四男として生まれますが、武田信玄と同じく為景から疎まれて、お寺に入れられます。もともと信仰心は篤い方でしたが、戦争ゲームに熱中しすぎてお寺から見放されます(笑)父為景が没した後で、兄の晴景とともに越後統一のために戦いますが、戦場にデビューした当初からあまりにも強すぎて、晴景と不仲になります。しかしながら、家臣団の推薦もあって晴景に替わって当主になり、22歳の時に越後を統一します。

 

越後の戦国大名となった景虎ですが、その後も重臣である北条高広に背かれたりと、家中はなかなかまとまりません。それに嫌気がさしたのか、27歳の時に隠居と出家を突然宣言して、高野山へと出発してしまいます。

 

慌てた家臣たちは景虎を追い、説得して連れ戻します。家臣の懇願もあって景虎は出家を思いとどまりましたが、そのときに自らの決意を家臣たちに宣言します。

 

領土を拡大するためではなく、「義」のために戦うこと

一族の争いを絶つために、女性との交わりを絶つこと

自分は毘沙門天(戦いの仏神)の生まれ変わりであること

 

それを聞いた家臣たちの反応はおそらく、「はぁ~…なんすかそれ?」だったことだろうと思います。武士の生き甲斐は命を懸けて領土を拡大することであり、子孫を残して家を継承していくことです。最後の戦争オタク宣言は百歩譲るにしても。まあ、若君の短気にはやった妄言だろうと、たかをくくって聞き流したことでしょう。

 

しかしながら、景虎は大まじめでした。基本的に、この人は言葉は悪いですが、クソ真面目で常に本気な人です。

信長にしろあるいは景虎にしろ、何かをなす人はクソ真面目で本気なのかもしれません。

 

武田信玄の回で申し上げましたとおり、信玄に領土を奪われた村上氏を助けて雪深い北信濃で10年にもわたって川中島の戦いを繰り広げ、関東では北条氏康から攻められた上杉氏を助けて、自らが養子になることで上杉家を復興し、あるいは信長によって追放された足利義昭のために京都を目指したりと、「義」のための戦いに明け暮れることとなります。

 

当然のことながら、家臣からはブーイングです。懇願して謙信に戻ってもらった手前、面と向かって言う家臣はおりませんでしたが、一銭にもならない戦いばかりしやがってと不満はたまります。

さほど景虎と戦う気のなかった武田信玄からは、迷惑顔で物好きな輩との陰口を叩かれる始末。

隔絶した戦闘力を持っていたので周りの大名からは畏怖されましたが、戦う割になんの成果もあげないので、当時は少々軽く見られていたようです。

 

戦いに明け暮れた挙げ句に、また出陣しようとしていた寒い日の朝、上杉謙信は脳溢血により倒れて帰らぬ人となりました。

戦う一生であったのに、得られた領土はほんのわずかでした。

全うしたのは、「義」と「不犯」だけです。

振り返ってみれば、なんとも空しい人生だったと、あるいは思われるかもしれません。

 

しかしながら、上杉謙信の真価はその死後に評価されることとなります。

 

相続争い(謙信は後継者を指定しなかったので)に勝って、謙信の後を継いだ上杉景勝は、本能寺の変による信長の死で九死に一生を得ます。

景勝は機敏に豊臣秀吉と同盟して、会津一二〇万石の当主となり、豊臣家における奉行の一人にまで出世します。

景勝の能力も秀吉から評価されておりましたが、それ以上に「上杉は謙信公以来、義を重んじる家であり、決して裏切らない」という声望が高まっていたからです。

 

どんな方法を使っても領土を拡大することに価値があった戦国時代から、世の中は大きく変わっていました。「義」を守る武士こそが真の武士であると、評価されるようになってきていたのです。

 

豊臣秀吉が亡くなり、その子である秀頼が幼少であったために、また戦乱の日が到来します。

豊臣との「義」を守るか、勢いのある徳川につくか、右往左往する大名のなかで、上杉家の姿勢はみじんも動きません。

 

かぶき者の前田慶次は、「武士をみたいなら上杉家に行け」と食客になります。

 

関ヶ原の戦いを経て、西軍側であった上杉家は敗者となり、徳川家による処分を受けることになります。

 

上杉景勝は重臣の直江兼続とともに謝罪のため上洛しますが、「真の武士」である上杉家の行列を見ようという観衆が絶えなかったそうです。

 

徳川家康も、敵対したとはいえ「義」を重んじる上杉家の方針は、これから平和な時代を作る上で欠かせない理念だと考えて、改易(家の断絶)せずに残すこととしました。

上杉謙信の「義」の理念は、敵からも評価されるほどに当時において重視される「価値」になっていたということですね。かの信玄も、死の床で後継者の勝頼に「自分の亡き後は景虎を頼れ」と言い残したと伝えられています。

 

しかし、敗者ですから一二〇万石から三〇万石まで減封されます。いわば売上が四分の一となったわけですから、家臣への給与は払えなくなります。「上杉家」の家来は武士の鑑、どこからも引く手あまたであり、再就職には困りません。上杉景勝は家臣たちに再就職を進めます。

 

しかし、家臣は一人も辞めませんでした。

上杉家の一員として、窮乏に耐える生活を選びます。

目の前の栄進よりも、謙信公の理念に殉じる方を選んだわけですね。

裏切りが続出してみじめに滅亡した前回の武田家とは、なんとも違うと思いませんか。

 

上杉謙信の掲げた「義」は、当初は全く理解されなかったものの、家臣たちと共有することで上杉家の「理念」になり、継続していくことで次第に「価値」として認められるようになり、さらに磨き上げていくことで「真の武士」という「ブランド」となりました。

 

後継者経営においても、創業者が遺そうとした価値や理念を発見し、それを継続し共有していくことで、お金では測ることのできない「価値」を遺せるようになるのではないでしょうか。

 

ブログを読んで興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非後継者の学校の説明会にご参加下さい。

その前に、まず後継者インタビュー(無料)を受けてみて下さい。時間はそれほどかかりません。だいたい、30分~1時間ほどです。

事業承継に関する自身の悩みが整理され、すっきりすると好評です。お気軽にお問い合わせいただければと思います。

 

後継者の学校

http://school-k.jp/

事業承継の現場から -そこの後継者のあなた。自社に企業理念はありますか?-

後継者の学校パートナーの高浜亮です。

経営理念や企業理念という言葉はよく耳にしますよね?ふたつとも同義語だという考えもありますが後継者の学校ではこのような定義をしています。

企業理念とは自社の存在価値。つまりなんのために自分の会社はあるのかを明文化したもので、

最上位概念に位置するもの。

経営理念とは経営者がどのような経営をするかを明文化したもので、企業理念の下の概念です。

後継者の方と話しているとこんな質問をされることがあります。「企業理念って小さい会社でも必要ですか?作る意味ってありますか?」今回はある事業承継をされたばかりの後継経営者の相談事例から答えを探していきたいと思います。

 

企業理念は小さな会社でも必要かということですが、結論から言うと、必要かというよりも、なくてはならないものだと言えます。なぜかといいますと・・・

 

2月の最初に最近、事業承継をされた40歳の社長が来られました。業種はガス販売業で社員は6名の会社です。現在の状況や社長になってからのことをいろいろと聞いていきますと、大きく分けて2つの悩みを抱えていらっしゃるようです。

 

まず1つ目の悩みは自社の将来の見通しが見えないということ。

細かく聞くと、まず現在の顧客は高齢の方が多いため将来的には顧客は減少してしまい先細りになってしまうのではないかということ。

さらにガスに変わるエネルギーによって単価が下がってくる可能性があるということ。のふたつが不安な要素ということです。

このようなことは、この業界だけではなくいろんな業界が抱える問題でもあります。

 

2つ目の悩みは自分の考えや方向性を社員が理解してくれていないのではないか。ということです。

この悩みは引き継いでしばらくすると多くの後継者の方が陥る悩みです。特にやる気があって自社を成長させていきたいという想いが強い社長ほど悩みます。

 

2つの悩みを聞かせていただいた後、「社長の会社は何のために存在していますか?その想いを表現するような企業理念はありますか?」と聞いたところ

 

「お客様や地域に貢献したいという想いはありますが、言葉にはしっかりしていません。」という返答でした。

 

そこで、別日に1日かけて企業理念を策定していきました。ちなみに企業理念は1日でできるものでは

ありません。また、社長が一人で作るよりも社員と一緒に作っていったほうがいいものです。

今回はたたき台という意味で、社長が大切に思うキーワードを出していき、何のために存在したいのかを考えていかれました。明文化するというのは簡単なようでなかなか大変なのですが、ああでもないこうでもないと理念作成を進め、最終的にぬくもりというキーワードを使った企業理念のたたき台が出来上がりました。

 

その企業理念のたたき台を自社に持ち帰り、社員を交えて企業理念について話し合いを行い、自分たちが何をやっていくかを毎月話し合う場を設けて進んでいっています。

 

後日、社長からこんな感想をもらいました。

 

「うちみたいな小さい会社が理念とかをつくるのは何か抵抗がありましたが、実際にたたき台を作って社員の皆と話すといろいろと意見が出てきますし、そんな場を共有することで全体のモチベーションも上がってきているんです。今まで、皆が言うことを聞いてくれていないと感じていたのは、何のためにをしっかり伝えて、一緒に考える時間をもたなかったからなんだと分かりました。

また、企業理念に沿って考えると既存のガス販売だけではなく新たなサービスやエリアへの展開もできるのではないかという考えも生まれてきました。気持ちがずいぶん楽になり、前向きになりました。頑張ります!」

 

つまりは大きかろうが小さかろうが企業である限りは必ず企業理念はなくてはならないものなんです。そして企業理念があることで自社に大きな大黒柱ができ、会社が存在し続ける限りそこに集う人たちの礎になるのではないでしょうか?

 

後継者の学校では企業理念の作り方や必要な要素、企業理念を用いたマネジメント手法を学ぶことができます。現在、後継者の学校は東京校、大阪校、熊本校の全国3ヶ所で開催される予定です。

プレセミナーも各地で開催していますのでお気軽にご参加されてみたら宜しいかと思います。

 

ご興味のある方は是非ホームページ(http://school-k.jp/)からお問い合わせください!

後継者にまつわる小説あれこれ(その5)

後継者の学校パートナーで司法書士の木村貴裕です。

小説は気軽に読めて、でも何か気づきを得たり、力がわいてくることってありますよね。

ほんの少しでもそのようなものを感じてもらえるものをこれから少し紹介したいと思います。

後継者の学校パートナーブログですので、もちろん後継者や事業承継に関するものを。

 

後継者の学校パートナー司法書士の木村貴裕です。

私は移動の時間はもっぱら読書にあてております。

地下鉄に乗ることが多く外の景色を眺めても面白くもなんともないという理由もありますが。

 

経営書ではなくあまり肩のこらない小説ばかりなのですが、結構事業承継にからむ話もあります。

後継者や後継者候補の方に何か少しでも感じてもらえるものがあればと思い、今まで読んだ中から、後継者や事業承継に関係するものを何冊か紹介します。

 

今回紹介するのは、

 

「極楽カンパニー」原宏一 著(集英社)

 

「天下り酒場」など著者の作品を数冊を立て続けに読んで、「握る男」がちょっと事業承継ともいえる話だったのですが、今回はこの小説を取り上げたいと思います。

書店員さんが火を付けた作家さんということのようで、書店員さんありがとうございます。重版され面白い小説を手に取ることができるようにしてくれて。

 

定年後、暇をもてあましていた主人公が、意気投合したもう一人の定年退職者と「会社ごっこ」を始めて、それがやがて全国的な広がりをみせていく、という話。

なんかこの要約ではあまり内容がわかりませんよね。

まぁそれは皆さんが手に取ってみてのお楽しみとしておきましょう。

 

この小説からは、「企業理念」を取り上げたいと思います。

 

創業者?の二人は、まず企業理念を作ることから始めます。

「ごっこ」らしい企業理念ですが、主人公は以後忠実にそれに従って会社を経営していこうとします(経営と言ってもあくまでも「ごっこ」ですが)。

 

あなたの職場に企業理念というものはありますか。

無いところも多いのではないでしょうか。

ここでは特に無いといけないという話をするつもりはありません。

無くても事業活動にさほど影響がないこともあるいでしょうし、例えあったとしても、実際とかけ離れてしまっているということもあるかもしれません。

 

創業者のもとでは、創業者の考え、指し示す方向がそもそも会社の指針であり、従業員はそれに従い一つにまとまって行動するという形でしょう。

 

しかし、事業承継したばかりの後継者に同じような求心力があるかというと、なかなか難しいものがありますよね。

 

そんな後継者経営においては、企業理念が重要になってくると思います。

企業理念として、その会社の存在意義、不易なる価値を見いだし掲げることにより、皆が一つの方向を向いて行動に移していくことができるからです。

 

もちろん、後継者が独りよがりで考えたものでは、皆がそっぽを向いてしまう可能性もありますので注意が必要です。

 

小説のごっこ会社はバカバカしいくらい様式にこだわります。ごっこだから当たり前ですが会議のための会議など、現実では無駄だと切り捨てられている行動もきちんとします。

 

そして、「現実の社会ではただのお題目になってしまっている企業理念も、額面どおりに実現する会社にしよう」と話し合います。

現実の会社は理念の実現を目指して行動していないと皮肉っています。

 

後継者が企業理念に取り組む際には、その前提として現状把握も必要になるでしょう。

地に足の付いていない理念を掲げても、誰も納得しませんし求心力は生まれません。

 

それにより組織が活力を持ち、その実現のために行動できるものであるべきだから、一朝一夕ではできないかもしれませんが、企業理念の再構築には取り組むべき価値があります。

 

最後に、著者の特徴は、荒唐無稽な設定から、いつの間にやら妙な現実感を伴って話に引き込まれる話の運びにあります。

一度手にとってみて下さい。

 

この話が少しでも何かのきっかけになれば幸いです。

 

ちなみに、いま後継者の学校プログラムベーシックコースが4月から開講しますので、

東京校では、その直前の2月と3月にですので公開セミナーを実施しています。

無料でご案内しておりますので、ご興味のある方はぜひご参加ください。

 

公開セミナーは詳しくはこちらをごらんください。

http://okawara.wix.com/school-k-program

 

ベーシックプログラムについてはこちらをごらんください。

http://okawara.wix.com/school-k-program#!blank/acty5

 

将来輝く後継者のみなさまに出会えることを楽しみにしています。

また、当プログラムの卒業生の経営者の仲間もみなさんが参加して仲間になっていただくことを心待ちにしておりますので、

一度セミナーに来ていただければと思います。

 

 

後継者の学校プログラムの内容について気になる方は、下記から詳細をご覧ください。

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プログラム参加はちょっとなあ・・・という方は、

まず、後継者インタビューを受けてみてはいかがですか?

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後継者インタビューについては下記から詳細をご覧ください。

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