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歴史に学ぶ後継者経営 石田三成の挑戦(3)

私主に日本の歴史から後継者経営に学べる題材をとって、皆さんと一緒に後継者経営を考えて参りたいと思います。今回は、「関ヶ原の合戦」の片方の主役だった、石田三成の行跡に後継者としての生き様のヒントが得られないか、皆さんとみて参りたいと思います。

 

後継者の皆様

 

後継者の学校パートナーで、日本の歴史を愛する石橋治朗です。

 

私は主として日本の歴史から題材をとって、事業承継や後継者経営のありかたを皆さんと考えていきたいと思っています。

 

今回もまた、石田三成の続きです。

 

関ヶ原の戦いで、260万石という強大な国力と、豊臣政権における5大老の筆頭という権威、そして圧倒的な戦歴をもつ徳川家康に対して、19万石の国力しかない石田三成がどうやって挑戦したのか。

その秘密を、今回もまた続けて考えたいと思います。

 

前回、石田三成の挑戦を探る鍵が、当時の三成をはやした次の歌にあると申し上げました。

「治部少(じぶしょう・三成のこと)に 過ぎたるものが二つあり

島の左近に 佐和山の城」

 

「島の左近」、島左近は前回申し上げましたね。

今回は、「佐和山の城」です。

 

「佐和山の城」とは、現在の彦根市にある佐和山城のことです。城は現存していませんが、城跡が彦根城のすぐそばにあり、電車の車窓から眺めることができます。城跡といっても、単なる山なのですが。

 

もともとは六角氏や浅井氏の城だったようです。秀吉の時代になって、三成が佐和山19万石の領主を任されて、佐和山城に入りました。

 

石田三成は、城主になってすぐに、佐和山城を徹底的に改修します。改修どころか、ほとんど別の城に作り替えます。

標高が232mもある山の上に、5層(5階建て)もの大天守を築くのです。

 

秀吉の築いた大坂城、徳川家康が徳川幕府を開いてから築いた江戸城も、それぞれ天守は5層でした。

19万石ごときのちっちゃな大名が築くような規模の城ではありません。だからこそ、「過ぎたるもの」と歌われたわけですね。

もちろん、三成にはそれだけの大きな城を作った目論見がありました。

 

彦根市をGoogle mapなどで見てください。

地形がわかる地図だともっといいのですが、岐阜から滋賀県へとたどってみると、関ヶ原付近は南北の山に挟まれていて、滋賀県に入ると平地が広がるような地形になっていますね。

彦根は、関ヶ原を通り抜けて平地に入ったすぐのところに位置しています。

 

岐阜方面から滋賀県を通って大阪に攻めてくるような敵は、大軍であるほど関ヶ原を通らざるを得ず、その関ヶ原を過ぎると彦根に突き当たります。

ここに強力な要塞を作れば、関ヶ原に敵を封じ込めることができます。

 

豊臣秀吉が、石田三成を佐和山城に入れた理由がわかりますね。また、三成も自分の役割を十二分に理解していました。

仮に徳川家康が大軍で攻めてきても、持ちこたえられる城を築いたわけです。

 

また、当時の城は単に敵が攻めてきたときにこもる「軍事目的」だけのものではなく、内政や外交の拠点であり、かつ城の周りには「城下町」ができるため、経済の中心としての機能も果たしていたわけです。

 

特に、佐和山城は日本の五街道の一つである「中山道」に面していて、旅人の往来が多い場所でした。そこに見上げるような立派な城がそびえ立っていると、いやでも人目につくようになります。当時は、みな徒歩で旅をしていましたから、道中は退屈なんですね。立派な建造物があると、ついつい見とれてしまうわけです。「なんて、すごい城なんだろう!なぜ、こんな鄙びた場所にこんな立派な城があるのか!」と。

その評判は人から人へと伝わり、ついには世間の評判になります。世間の評判が高くなるにつれて、佐和山の人たちは佐和山城を誇りに思うようになり、また石田三成への忠誠心も高くなるのです。

 

関ヶ原の合戦のあとで、石田三成の領地を任された井伊直政(徳川家の重臣)は、その佐和山城を使わずにこれを徹底的に破壊して、改めて新しく彦根城を築きました。おそらく、石田三成への領民の思いを消すためでしょうか。いかに、佐和山の人たちが佐和山城を誇りに思っていたか、石田三成を信頼していたかがうかがえるエピソードです。

 

さらに石田三成が徹底しているのは、城の外観が立派であるのに対して、内装は極めて質素だったことです。内壁を塗ることもなく、床は板張りで、庭にも大したお金をかけていませんでした。まさしく実用一点張りの城だったのです。城内に金銀の蓄えもほとんどありませんでした。いかに、三成が自分のためではなく、豊臣秀吉に尽くすため、あるいは領民のためにお金を使っていたかがわかります。

 

この佐和山城があるおかげで、徳川家康の行動も大きく影響を受けます。城を攻めるのを極端に苦手としていた家康は、関ヶ原の合戦の直前に石田三成が大垣城に籠もっていたことをみて、より強固な佐和山城へ籠もられないように、大垣城を迂回して佐和山へ向かいます。それを見た石田三成がそうはさせじと家康を先回りすることで、関ヶ原で戦いが起きることになるわけです。

 

石田三成は、自分に足りないところ、また自分がするべきこと、準備することをよく心得ていて、そのためだけにお金を使ったのです。すなわち、「人」と「器」に投資したわけですね。立派な武将と城を持つことで、石田三成の力量に対する世間の信用力はぐんと上がりました。

 

島左近を招き、佐和山城を築いた石田三成は、どのように家康に挑戦したか、それをさらに見ていきたいと思います。

 

ブログを読んで興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非後継者の学校の説明会にご参加下さい。

その前に、まず後継者インタビュー(無料)を受けてみて下さい。時間はそれほどかかりません。だいたい、30分~1時間ほどです。

事業承継に関する自身の悩みが整理され、すっきりすると好評です。お気軽にお問い合わせいただければと思います。

 

後継者の学校 http://school-k.jp/

入国禁止措置と企業のあり方

後継者の学校パートナー中小企業診断士の岡部眞明です。

トランプ大統領が就任してひと月がたとうとしています。矢継ぎ早に発布していた大統領令もこの頃は少し落ち着いてきたようです。今回は、前回予告した通り1月27日に出された中東・アフリカ7か国から市民入国を禁止する大統領令について考えてみます。

大統領令で指定された7か国は、イラク、シリア、イラン、スーダン、リビア、ソマリア、イエメンで、テロ支援国家、内戦状態・政情不安が続いていることが理由として挙げられたようです。

この大統領令が発布されると正規なビザを持っている人々までも入国できずに、アメリカのみならず各国の空港で大きな混乱が引き起こされました。

大統領令に異議を唱えた司法省のトップはその日のうちに解任されたりして、さすがアメリカとびっくりするやら、納得するやら、トランプ政権の船出は、ある意味ダイナミック(ハチャメチャにも見えますが)なものです。(あくまで、現在進行形なので)

その後、というより発布直後から、この大統領令に対する批判は、アメリカ政界の与野党問わず、法曹界からも批判続出で、ワシントン州の連邦地裁が効力の停止の決定をし、政権側が控訴する騒ぎとなりましたが、結局、大統領令の差し止めが決定しました。

政権側は、控訴をあきらめ、新たな入国管理措置を講ずることとなり、この大統領令による混乱は、当面回避されることになりそうです。

この大統領令は、シリアからの難民は無期限停止としているものの、他の国からの難民の受け入れは90日あるいは120日間停止することと、生体認証による出入国管理システムの整備を進めるなどの内容であり、まったく正しいとは言わないまでも、全くダメという内容でもないのです。

そもそも、自分の国に誰(何)を入れて、誰(何)を入れないかは、まったく100%その国の判断によることになっています。私たちが、アメリカに行くとき(短期)に入国のための査証(ビザ)が不要なのは、アメリカ人が日本に来るときに同じ扱いになっているからです(うちの国の人を受け入れてくれるなら、同じ条件であなたの国からの人も受け入れますよ)。これを互恵協定といいますが、今回の大統領令にも、互いの協定が本当に互恵関係になっているかを再検討するとなっています。

政権側は、大統領令は「合法で適切」であり、「大統領令は国土を守るためのもので、大統領には米国民を守る憲法上の権限と責任がある」(http://www.bbc.com/japanese/38866319)と表明しています。

注目すべきは、この大統領令については、調査の時期や機関によっても違いがありますが、ほぼ50%の人が支持しているという事実です。これは、移民に対するこの原則は十分に説得力と実行力を持っているということを示しています。

一方で、雇用問題では概ね協力姿勢だったアマゾンなどの大企業が、「アップルは移民なしに成り立たない」(ティム・クック)、「移民がこの会社とこの国、そして世界にもたらすポジティブな力を目の当たりにしてきた」(インテルCEOサティア・ナデラ)など、一斉に反発しています。

企業が大規模化しグローバル化し、従業員の国籍も多様化していく中で、一つの統一したシステムとして機能していくためには、同じ価値観のもとに糾合する文化と価値観が必要とされていることを強く意識させるものでした。

翻って、わが日本は、難民の受け入れ人数の累計(平成18~27年)が、284人であり(法務省統計)、今回の大統領令による今年度受入数を5万人まで(11万人から半減)とは比べ物になりませんが(こと難民移管する限り、大統領令より何百倍も自国民の安全を守っていることになります)、企業の現状では、国際的な展開をしている企業だけではなく、国内にとどまっている企業についても、外国人労働者の問題は(欧米の難民問題は、労働力不足を補うことから始まっていることをみても)避けて通ることはできない問題ではないでしょうか。

ドラッカーは、日本の明治以降の発展を「近代国産業国家という新しい目的のために、日本独自の共同体伝統および人間の価値観をはたらかせた事実こそ、なぜ日本が成功したかを示している」(ドラッカー全集5「伝統的経営仮説の終焉」ダイヤモンド社)と言っています。

国際間の距離が、物理的にも、技術的にも縮まり、地域の伝統や価値観が日々、直接接触する世の中で、それらを融合する役割を否が応でも担わなければならない時代になっているように思えます。宗教的にも寛容な日本の役割が求められているのではないでしょうか。

 

このように移民や外国人労働者という観点から

「文化違いを受入れ、発展させる」ことは

事業承継にもつながることではないでしょうか。

 

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歴史に学ぶ後継者経営 石田三成の挑戦(2)

私主に日本の歴史から後継者経営に学べる題材をとって、皆さんと一緒に後継者経営を考えて参りたいと思います。

今回は、「関ヶ原の合戦」の片方の主役だった、石田三成の行跡に後継者としての生き様のヒントが得られないか、皆さんとみて参りたいと思います。

 

後継者の皆様

後継者の学校パートナーで、日本の歴史を愛する石橋治朗です。

 

私は主として日本の歴史から題材をとって、事業承継や後継者経営のありかたを皆さんと考えていきたいと思っています。

 

今回は、前回からの石田三成の続きです。

 

関ヶ原の戦いで、260万石という強大な国力と、豊臣政権における5大老の筆頭という権威、そして圧倒的な戦歴をもつ徳川家康に対して、19万石の国力しかない石田三成がどうやって挑戦したのか。

その秘密を、今回は探っていきたいと思います。

 

石田三成の挑戦を探る鍵は、当時の三成をはやした歌にあるように思います。

 

「治部少(じぶしょう・三成のこと)に

過ぎたるものが二つあり

島の左近に 佐和山の城」

 

石田三成は、自分の欠点の一つとして、戦場での経験が浅く、また謀略が不得意であることをよくわかっていました。

秀吉から近江国(滋賀県)の水口4万石を任されたときに、自分の右腕となってくれる部下を召し抱えることを決意します。

 

しばらくして、秀吉がふと気になって、

「佐吉(三成の幼名)よ、そなたを大名に取り立ててやったが、どれだけの家来を召し抱えたのだ?」と三成に質問します。

計算に明るいしっかりものの佐吉のことだから、さぞ多くの家来を召し抱えたに違いない、と秀吉は考えました。

 

すると三成は

「一人です」と答えます。

 

秀吉は驚いて、「一人とはどういうことだ?」と尋ねると、三成は、

「筒井家の牢人、島左近を召し抱えました」と答えるので、秀吉は苦笑します。

「島左近ほどの名士が、そちのような小身者のところに来るわけがないではないか」

 

島左近(しまさこん)。

 

またの名を、島清興(しまきよおき)ともいいます。

大和国(奈良県)の筒井順慶の重臣として活躍し、戦闘の指揮の巧みさと外交や謀略に明るい名士として、その名が知られた存在でした。

蒲生氏郷や豊臣秀長にも仕えたようですが、当時としては高齢でもありその後は隠居していたようです。

様々な仕官(リクルート)の話もありましたが、全て断っていました。

 

石田三成からの誘いも,当然のことながらいったんはにべもなく断ります。

島左近にしてみれば、豊臣家の若造が、身に余る出世をしたばかりに頭に血が上ったのだろう、くらいにしかとりません。

4万石ごときの大名が、なにを血迷ったのかと。

 

しかし、三成はあきらめません。

島左近に出した条件が、破格でした。

 

4万石のうち、2万石(1万5千石という説もあります)を与えるから来てくれと。

今で言えば、4億円の売上(利益ではありません)のうち半分を毎年差し上げるということですね。

ほとんど、あり得ない条件です。

1万石以上が「大名」と呼ばれていたのですから、同じ国に大名が二人いることになります。一緒に社長をやってくれというのと同じですね。しかも、経費は全部三成持ちです。

 

さすがに、島左近も心が動きますが、やはり仕官するつもりはないけれども、せっかくの申し出なので三成に会って断ろうと面会に応じました。

 

しかし、島左近は結局三成の申し出を受け入れます。2万石の誘惑に負けたわけではありません。

他の大国に行っても、それくらいはとれる島左近です。たたき上げの海千山千の軍師であった島左近は、三成の裏表のない一途な正義感の強さにすっかり魅了されてしまったのです。

 

いい人材を手に入れるためには、売上の半分をあげることもいとわない。

秀吉はその話を聞いて、大笑いするとともに、昔の自分を見るように三成を頼もしく思います。

三成は、大名となったことに満足しない、大望を抱く男だと。

 

島左近を右腕としたことで、石田三成軍団は格段に強力な存在となります。

後から加わった、歴戦の指揮官として知られる舞兵庫や蒲生頼郷とともに、関ヶ原の戦いで伝説的な強さを発揮することとなります。

 

また、島左近は戦いだけでなく、情報収集や各種の謀略にも手腕を発揮することとなります。

 

この島左近が、冒頭の歌の「島の左近」に当たるわけですね。

最初は、「過ぎたる」ものであったかもしれないけれども、この主従は最後は一枚岩のようになるのです。優れた家臣を召し抱えることで、三成自身も成長したわけですね。

大名も、会社と同じで「人材」が大切なのです。

 

次回は、後半の「佐和山の城」に触れますね。

 

ブログを読んで興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非後継者の学校の説明会にご参加下さい。

その前に、まず後継者インタビュー(無料)を受けてみて下さい。時間はそれほどかかりません。だいたい、30分~1時間ほどです。

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歴史に学ぶ後継者経営 石田三成の挑戦

私主に日本の歴史から後継者経営に学べる題材をとって、皆さんと一緒に後継者経営を考えて参りたいと思います。今回は、「関ヶ原の合戦」の片方の主役だった、石田三成の行跡に後継者としての生き様のヒントが得られないか、皆さんとみて参りたいと思います。

 

後継者の皆様

 

後継者の学校パートナーで、日本の歴史を愛する石橋治朗です。

 

私は主として日本の歴史から題材をとって、事業承継や後継者経営のありかたを皆さんと考えていきたいと思っています。

 

しばらく、時間が空いてしまいました。皆様、いかがお過ごしでしょうか。

 

私は、年に何度か東京から大阪へ新幹線で行くことが多いのですが、途中で関ヶ原付近を通過するたびに「関ヶ原の合戦」に思いをはせることがあります。

 

その「関ヶ原の合戦」を、学生(中学・高校?早熟な人は小学校かも、ですね)の時に初めて習ったときに、皆さんはどのように思われましたか?

 

私は、率直に「石田三成?誰だろう?」と思いましたね。

 

何しろ、関ヶ原の戦いは「天下分け目の戦い」とも言われた大きな戦いです。その片方が徳川家康という押しも押されもせぬ江戸時代の創始者であるならば、相手は「豊臣秀吉」でないととても釣り合いませんよね。

まあ、当時は歴史に無知だったので、豊臣秀吉が生きてたら起きるはずのない戦いということまでには思いが及びませんでした。秀吉亡き後の、覇権を争う戦いですからね。

 

しかしながら、無知でありながらも私の素朴な疑問はそれほど的を外していなかったと思います。東軍の大将である徳川家康の国力は石高にして約260万石、西軍を仕切った石田三成は同じく19万石、約13倍もの開きがあります。

 

260万石と19万石、これはどのくらいの違いかというと、単純に260万人の人口がいる国と、19万人の国との違いと考えてください。家康が使える兵力は、約6~7万人、三成の使える兵力は5千人でした。やはり、10倍以上の差があります。

 

いかに、徳川家康の力が隔絶していたかわかりますね。

 

さらに、徳川家康は豊臣政権において、5大老と呼ばれる重臣たちの筆頭であり、かつ織田の時代からの豊富な戦歴を持つ、権威と実力においても他を圧倒する存在でした。

 

はっきり申し上げると、徳川家康に石田三成が戦いを挑むなど、「無謀」「無茶」「怖いもの知らず」以外のなにものでもないのです。

 

でも、今回から始まる「石田三成」では、この「無謀さ」をテーマにしたいと思います。

常識的に考えれば惨敗どころか全く勝負にならないであろうこの「無謀な」戦いは、実はかなりいい勝負になります。

東軍の圧勝どころか、徳川家康はすんでのところで天下を取り落とすところまで行くのです。

当時の下馬評でも、あるいは現代においても、無謀な戦いであるという下馬評を、どうやって三成はひっくり返すところまで持って行けたのか。ここに、後継者が学ぶべきヒントが埋まってやしないか?と思うのです。

 

ほう、いい勝負まで持って行けたということは、石田三成はすごくできる奴なんじゃないか。優秀だから、周りの人がついてきたんでしょう!

皆さんは、もしかするとそう思われたでしょうか?

 

当時の石田三成の評価は、実務能力は有能だけど、戦場ではたいしたことはない、というものでした。

飛び抜けて優れた官僚ではあるが、武将としては平凡というのが正直なところでしょう。

 

でも、10万人とも言われる東軍(家康の率いた軍勢)に対抗できる勢力を揃えたんだから、さぞ石田三成には人気や人望が備わっていたんじゃないでしょうか、と思われる方も、ひょっとしたらいらっしゃるかもしれません。

 

石田三成の当時の人物評は、当時の言葉で表すと「へいくゎい者」です。

現代語で言うと、「横柄」「傲慢」ですね。

 

超がつくほど管理能力に優れ、豊臣秀吉の絶大な信頼があり、豊臣家の政治は三成なしには成り立ちませんでした。それほどの能力を持ちながら、他人からは恐れられ、嫌われていました。

もっとも、それは石田三成の場合、豊臣秀吉の権威を借りてというわけではなく、持って生まれた性格だったと思います。

頭の回転が速く、思考が明晰で先が見えすぎる人は、ついつい他人がバカに見えてしまうんですね。

石田三成の場合、それを隠さなかったので、人望があるどころか嫌われ者だったと申し上げても言い過ぎではありません。

 

武将としてたいしたことがなく、人望も全くなかった石田三成が、いったいどうやって歴史上に残るような合戦をまとめることができたんでしょうか?

 

これって、後継者でなくても興味ありますよね。

 

まして、事業を承継しようとしている後継者は、家康に挑む三成のような、ある種無謀な戦いをしようとしているといっても、言いすぎではないですよね?もちろん、皆さんが三成のように性格が悪い、と申し上げているのではないですよ。

 

資質もたいしたことなく、人から嫌われていた三成でさえ、家康と勝負できたんです。

でも、それはもちろん、三成が尋常ではない努力をしていたからです。

そこに、事業承継という勝負をしようとしている後継者が学ぶべきことがあるんじゃないか、ということです。

 

次回から、石田三成の尋常ではない努力を、見ていきたいと思います。

 

ブログを読んで興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非後継者の学校の説明会にご参加下さい。

その前に、まず後継者インタビュー(無料)を受けてみて下さい。時間はそれほどかかりません。だいたい、30分~1時間ほどです。

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国と国はなぜ貿易をするのか?

後継者の学校パートナー、中小企業診断士の岡部眞明です。

 

トランプ大統領が就任しました。就任直後から大統領令を連発、20本以上に上っています。イスラム教国からの入国の制限につては、またの機会に(この大統領は、人や社会についていろいろなことを考えさせてくれる、とても良い方?ですね。)に譲るとして、今回は、「TPPからの永遠に離脱」という大統領令に関連して、「貿易って何故するのか?」を考えてみたいと思います。

何故貿易をするのか。世界的に貿易という概念芽生えたのは、コロンブスに象徴される大航海時代ではないでしょうか。出資者の委任を受けて未知の世界の未知の品物(この場合は、香料でした。)を仕入れて、本国で莫大な利益を得て、出資者へ還元する。
このころの貿易は、マルコポーロの時代と大差はなく、貿易というより冒険の域を出ていなかったのかもしれません。国家間の貿易を論じたのは、リカードという18世紀イギリスの経済学者です。その考え方は次のようなものです。

J国とA国の場合を考えます。

J国で、米100tを生産するには10人を必要とします。A国では、同じ米を100tするためには15人が必要です。自動車の生産では、1台につきJ国で5人、A国で10人をそれぞれ必要とします。

その場合、米1000t、自動車10台をそれぞれの国で生産すると次のようになります。

自 動 車
J国 100t(10人)×10=1000t(100人) 1台(5人)×10=10台(50人)
A国 100t(15人)×10=1000t(150人) 1台(10人)×10=10台(100人)
2000t(250人) 20台(150人)

この場合、J国で必要とされる人数は、米で100人、自動車で50人(合計150人)、A国では、それぞれ150人と100人(合計250人)で、J国の方がどちらもA国より効率的に生産できます。

次に、それぞれの国内を見ると、J国では、米:自動車=100人:50人で、A国内では、米:自動車=150人:100人となり、A国では自動車より米の生産の方が効率が良いことがわかります。

そこで、J国では自動車、A国では米をそれぞれ両国の合計だけ生産することにします。

すると、以下のようになります。

自 動 車
J国 0t(10人)×10=0t(0人) 1台(5人)×30=30台(150人)
A国 100t(15人)×250/15=2500t

(250人)

0台(10人)×10=0台(0人)
2500t(250人) 30台(150人)

お分かりのように、J国、A国の2国で生産される米、自動車ともに増えました

互いに比較的効率のよいものを生産して、お互いに融通し合うとより効率的になり、価格も下がりやすく、豊かな生活がおくれるというわけです。

これが、比較優位論と言われ自由貿易の考え方の基本とされています。

もちろん、国家間の貿易は経済的理由だけで行われるものではありません。米のような農産物は土地がなければ生産できませんし、土地は国土を形成します、国土は国の基本ですし、私達の生活する環境を形作る根本です。また、米をはじめとする農産物は私たちの食糧ですから、輸入に過度に依存すると、大干ばつや戦争(自国が戦争しなくても、生産国に戦火が及ぶこともあります。)の時には、食べ物がないという事態に陥ります。数年前、アメリカでバイオ燃料に着目されたとき、アメリカの大豆農家が原材料のトウモロコシに転換し、日本の豆腐生産に大きな影響を及ぼしたことがありました。

自動車などの工業製品についても、生産がすべて他国になってしまうと失業の問題が発生します。効率性だけを追求すると、賃金の安い途上国への雇用の流出と先進国における製造業の空洞化といった問題を招く結果になっています。トランプ大統領が雇用を呼び戻すといっているのは主にこのことですね。

一方で、1929年の大恐慌をニューデイル政策で雇用創出したルーズベルト大統領をはじめ、イギリス、フランスのブロック経済という保護主義政策が第2次世界大戦を招いたといわれています。

ところで、この比較優位論、何をやってもダメな僕と、何でもテキパキこなす山田さん。

僕が何とかこなせる伝票整理と、山田さんが得意な企画書づくりに当てはめると・・・。

うちの会社でも、使えそうな気が・・・。

(中小企業診断士 岡部 眞明)

 

後継者の学校では、定期的に「入門講座」を実施しています。
ご興味があれば聞きに来てください。

【直近の「入門講座」情報】

○東京校
2017年2月16日(木)19:00~21:00
→ http://school-k.jp/pre-tokyo-20170216/

○九州校
2017年2月25日(土)13:30~15:30
→  http://school-k.jp/pre-kumamoto-201701/

 

事業承継は4つに分けて考える

こんにちは。後継者の学校の大川原です。

「事業承継」と一言でいっても、その範囲は広範囲に渡ります。株のことがあったり、事業そのもののことがあったり、従業員との関係があったり、親族との確執があったり、個人の相続が関係してきたり・・・・
当然、後継者が代表になることがその大きなイベントになりますが、事業承継を4つに分けて考えてみると、結構すっきりと考えられます。

さて、事業承継で具体的に考えなければならないことは、どんなことがあるでしょうか?

ちょっと考えてみてください。。。

 

 

例えば、リストアップすると、
・株式の承継のこと
・代表交代の時期のこと
・後継者をだれにするか
・事業承継の相談相手のこと
・従業員のこと
・これからの経営のこと
・後継者の育成のこと
・コンプライアンスのこと
・会社の財務状態のこと
・経営者(親)が亡くなったときのこと
・引退後の経営者のこと
・親族のこと
・親子間の関係のこと
・相続税のこと
・個人のお金のこと
・・・・などなど。
まだまだ、あげられると思います。

しかし、たくさんあるなあ・・・と、眺めているだけでは前に進みません。
事業承継で考えるべきことを一つ一つ整理していくと、大きく以下の4つの要素に分けることができます。
整理をすると、事業承継の対策が偏っているかどうかを見立てることができますし、何をすべきかも見えてきます。

ちなみに、この区分に一般的なルールはありません。私の経験や知見をもとにわかりやすく整理したものですので、参考にしていただければと思います。

4区分

 

1.事業承継の準備

事業承継(代表交代)を円滑に行い、”問題”や”しこり”を残して継いだ後で問題が表面化しないように、全体最適をコーディネイトして事業承継を準備をする「事業承継の準備」があります。

2.後継者経営

事業承継後に後継者が自らの手で経営を推進していく「後継者経営」があります。後継者が経営するための、現状把握や未来を描くこともここに含めています。
代表交代後に、後継者の経営で先代まで繋いできた価値をさらに成長させていけるかどうか。この段階が事業承継の最も一部であると考えます。

3.後継者育成

事業承継を前に進めるキーマンは後継者。後継者自身が成長する機会としての”後継者育成”も事業承継の大きな要素です。経営者は後継者を育てたことが初めてなので、難しいと感じることがありますので、じっくりと戦略的に成長の機会を作ることが大事です。

4.相続対策

経営者(親)が亡くなったときに、相続の問題がおこならいように事前に”相続対策”を立てておく必要があります。
特に、相続で株式や土地の権利が分散すると事業ができなくなる可能性もあるので注意が必要です。

 

この4つに切り分けて考えてみてください。
上記に挙げた、事業承継で考えなければならないことも、このいずれかに入ると思いますので、当てはめてみてください。

 

ちなみに、後継者の学校は、この「3.後継者育成」の支援を中心としてプログラムを展開しておりますが、当社のパートナーである専門家チームがそれ以外の「1.事業承継の準備」、「2.後継者経営」、「4.相続対策」をスムーズに成功させるために活躍しています。

こうした後継者の学校の基本的な考え方を聞ける入門講座を定期的に各地で開いておりますので、ご興味があれば、聞きに来てください。

 

 

【直近の「入門講座」情報】

○東京校
2017年2月16日(木)19:00~21:00
→ http://school-k.jp/pre-tokyo-20170216/

○大阪校
2017年1月31日(木)18:30~20:00
→  http://school-k.jp/pre-osaka-20170131/

○九州校
2017年2月25日(土)13:30~15:30
→  http://school-k.jp/pre-kumamoto-201701/

 

お気軽にご参加くださいませ。
どうぞよろしくお願いいたします。

代表取締役 大川原 基剛

事業承継の現実と専門家のミスマッチ

こんにちは。後継者の学校の大川原です。

最近、いろいろなところで事業承継の話をさせていただいていますが、どうやら専門家の視点が現場の経営の視点から離れていっている気がします。おかしな事業承継支援にならなければよいのですが・・・

私は、月に4回くらいは全国のどこかで事業承継の話をさせていただいているのですが、

その対象は、経営者だけでなく、後継者、あとは専門家(士業)向けなどに話をさせていただいています。

 

私たち後継者の学校のメッセージは一貫したもので、

事業承継のキーマンは後継者で、主体的に動かなければ未来がない。

そして、それを支えるのが経営者。

相続と事業承継は別もので、同じと考えるから事業承継が受け身になる!

などといったメッセージですが、

 

受け取る反応は、聴講していただいている人によってさまざまではあります。

 

よく聞く反応としては。

経営者からは、

「他の事業承継のセミナーでテクニカルな話をきいてもよくわからなかったけど、わかりやすかった。その通りだと思う。」

となどがあり

 

後継者からは、

「まさに自分が考えていたモヤモヤの正体がわかった。」

「自分がやらなければいけないんだと、心をあらたにした。」

などと、反応していただきます・

 

一方で、専門家に話をすると

「本質はわかるけど、そうはいっても、そんな簡単じゃない。」

「概要はいいから、もっと具体的なテクニックを教えてほしい」

「後継者がそもそもいないんだから、そんな話をされても・・・」

などといったネガティブな反応が目立ちます。

 

私は、ちゃんと伝えきれなかった自分を反省するとともに、

その反応の差を見ると、事業承継に関して経営者後継者と専門家の間に大きな隔たりがあるのでは?と心配になってしまいます。

 

経営者が専門家だと思って事業承継の相談をした相手が、実は事業承継の大事なところを知らずにアドバイスをする・・・そんな状況を想像すると、その後どうなったのか結果を聞くのが怖いですね。

 

ですので、私の想いとしては、

経営者と後継者のみなさんには、事業承継について何が本当に大事なのか、自ら考えてみていただきたいと思いますし、

専門家のみなさんには、事業承継のリアルな現場の思いを受け止めて、事業承継に本当に大事なところをわかったうえで支援をしていいただきたいと、切に願います。

 

そうして未来に繋がる事業承継がたくさん成功して、価値を世代を超えて積み上げていけば、次の世代の日本の経済はもっとよくなると考えています。

 

ご興味があれば、当社の入門講座で事業承継の本質と全体像について聞きに来てください。

 

【直近の「入門講座」情報】

 

○東京校

2017年1月26日(木)18:30~20:00

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2017年1月31日(木)18:30~20:00

→  http://school-k.jp/pre-osaka-20170131/

 

○九州校

2017年2月25日(土)13:30~15:30

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お気軽にご参加くださいませ。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

代表取締役 大川原 基剛

トランプ大統領の就任を前に

後継者の学校パートナー、中小企業診断士の岡部眞明です。

先日、ゴールデングローブ賞の授賞式で行った、女優のメリルストリープさんが行ったスピーチについてです。そのスピーチでは、トランプ次期大統領が選挙戦で行った障碍を持つ記者のものまねについて語っています。

ものまねの経緯は、次のようなものだったようです。

9.11の同時多発テロの時に、倒壊するビルを見て喜んでいるイスラム教徒が数千人居たとの発言に、トランプ氏が根拠とする記事を取材した記者が「そんな事実はない」と反論したことに対して、選挙期間中に同氏が、「そんなことは書いたことがない」と、障害を持つ当該記者の物まねを交えて行ったものです。批判された同氏は、「当該記者にはあったこともないし、障害のことなど知らない。間違った様子をまねただけだ」と言ったとのこと。

メリルストリープさんは、この発言に対して「一国の元首になろうとする人物が、障害のある記者をまねて笑いものにした」と嘆きました。

彼女のスピーチが報道されるまで、トランプ氏のものまねのことは知りませんでした。今回、改めて確認しましたが、障害を笑いものにしていることは明らかです。(さらに、二人は旧知の仲だとか)

その行為の意図は、それを行った本人しか(それが内面の問題であるので)確実には分からないとはいえ、まさに、一国の元首になろうとする人物であれば、公の場における、本人の言動の影響やその結果について、責任を持つことは当然のことではないでしょうか。

前に、イギリスのEU離脱の国民投票について、「残念ながらしばしば間違うという事実をリーダーは予定した組織運営を行わなければなりません。」と書いたことがありますが。

今回は、リーダーが、大衆がしばしば間違うという事実を、リーダーが利用して権力につこうとしているように見えます。

トランプ氏は、「フォードやゼネラルモーターのメキシコ工場」についても批判しています。さらには、自国企業だけでなくトヨタのメキシコ進出まで批判して、高額の関税をかけるとツイートしています。自分は、「神が創造した史上最高の雇用創出者になる」と発言していますが、国家だけではなく、社会は経済(は重要なものではありますが)だけで出来上がっているものではなく、その経済でさえ(経済こそが)経済以外の人間の営みから成り立っているのです。

昨年亡くなった伊與田覺先生の書になる、「「大学」を素読する」(「致知出版社」)から抜粋します。

「国家に長として財用を務むる者は、必ず小人による。彼之を善くすと為して、小人をして国家をおさめ使むれば、災害ならびいたる。善者ありといえども、またこれ如何ともする無し。これを国は利をもって利となさず、義をもって利となすというなり。」

トランプ氏の一連の発言は間違っているというつもりはありませんが、いろいろな人がいていろいろな考えがあることの方が、人間が生き残るためにも必要であることは、進化論的にも正しいことだと思います。

トランプ氏やどこかの知事もそして私たちも「大学」の警告を他山の石として身を修め、成長したいものです。

事業承継を進める前に、

後継者の学校でサポートできることがあります。

詳しくはこちら!
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渡す人から見た事業承継

後継者の学校パートナー、中小企業診断士の岡部眞明です。

「人を看るには、ただ後の半截(はんさい)を看よ」中国の古典「菜根譚(さいこんたん)」にある言葉だそうです。

「人の価値を見るには、その後半を見ればよい。」「人の一生は、晩年をどう生きるかで決まる。」晩節を汚しかねない年齢に差し掛かっている私には、厳しい言葉です。また、若気の至りを繰り返した私の人生に希望を与えてくれる言葉でもあります。

30数年前大きな不安とさらに大きな希望を抱き起業し、がむしゃらに働いてきたあなた。

苦労の甲斐あって、売上げもそこそこ伸び、従業員もそれなりに増えて、子供たちも結婚して、がむしゃらに働いていた頃は分からなかった孫のかわいさを実感している、といったところでしょうか。

長男も5年前に、会社に入ってくれて専務として頑張ってくれているし、従業員も社長・社長と言って、従順に指示に従ってくれる。お得意様との取引も安定している。何かあると、銀行は何かと相談に乗ってくれているし、今は何の心配もない。

ところで、後を継がせようとして入社させた長男はどうしていますか?

商工会の青年部の会合を口実に外出ばかりしていたり、担当の業務にばかり力を注いで、担当外のことには無関心になっていたりしていませんか?

そして、従順な従業員、何か問題が起こったら全てあなたの判断を求めたりして、指示待ち状態になっていませんか?

本当に何の心配もない?

今の会社から、突然あなたがいなくなった日を考えてください。「そんなこと、あるわけないでしょ?」

そんなこと、ありますよ。あなたは、今何歳でしょう?

あなたがつくった会社には、もう、あなた一人のものはありません。あなたの家族、専務はじめ子供たちの家族、従業員とその家族、銀行、何より取引先、そしてその家族、あなたの会社に関係する人は、無限に広がります。

そうです、その会社に「そんなこと、あるわけないでしょ!」と?ではなく!で言い切ることが、あなたの「後の半截」にやるべきことなのです。

半截(人生の残り半分?)というくらいですから、長い時間が必要です。今の会社が、あなたがいなくても十分に機能し、今の、いや今以上の人々に関係してもらえるように、今から、取り掛かりましょう。

将来の会社の姿を思い、そこで働く従業員を思い、どんな姿を思い描くか。そして、その為に、どんな行動をとるのか、全てあなた自身が決めなければなりません。何故って、あなたがつくった会社ですから。

「人を看るには、ただ後の半截(はんさい)を看よ」

あなたの評価は、これからです。人生まだまだ。

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アメリカ大統領選挙で、地方を考える

後継者の学校パートナー、中小企業診断士の岡部眞明です。

先日、インターネットニュースにアメリカ大統領選挙の最終集計結果が出ていました。当選したトランプ候補は、6,220万票、敗れたクリントン候補の得票数が6,420万票だということでした。つまり、得票数が少ない候補が当選したわけです。これは、アメリカ大統領の選挙制度が、大統領を選ぶのは各州に配分された選挙人と呼ばれる人達で、11月8日に行われたのは選挙人を選ぶ選挙だからです。(選挙人の本投票は、12月15日)

このことは、みなさんも、前からあるいは今回の選挙を通じて理解されたことと思います。獲得した選挙人の数では、トランプ候補が306人(57%)、クリントン候補が232人(43%)で、トランプ大統領の誕生という結果になったことは、皆さんご存じのとおりです。この選挙人の数は、合わせて538人(306+232)で、全米で一番多いのは、カリフォルニア州で55人、激戦州といわれたフロリダ州は29人です。一方、少ない方では、中部の各州やアラスカ州が3人、ちなみにハワイ州は4人です。週ごとの人数はどのように決まっているのでしょうか、調べてみました。

これは、連邦議会議員の数と同じ人数が割りあてられています。連邦議会は、ご存じのとおり、上院・下院2院ですが、上院は各州2人ずつの100人、下院は各州の人口に応じて435人が割り振られています。このほかに、連邦議会に議員を送っていない首都ワシントンDCに3人割り振られていて、合計538人となる訳です。

ここで各州の人口を見てみましょう、一番多いのはカリフォルニア州で3,725万人、一番少ないのはワイオミング州の56万入、選挙人一人あたりの人口は、カリフォルニア州677千人、ワイオミング州は188千人で(上院議員一人あたりでは、カリフォルニア州、18,627人対282千人)、約3.6倍(上院議員では、66倍)の差があります。

ところで、両候補の勝敗を色分けしたアメリカの地図をニュースでご覧になった方も多いと思います。中西部の多くの州がトランプ氏の共和党の赤で塗られ、面積の上ではトランプ氏の圧勝に見えます。

面積を見てみましょう。一番広いのは、アラスカ州で66万平方マイル、一番狭いのは、ロードアイランド州は1.5千平方マイル、首都ワシントンは68平方マイルとなっていますが、トランプ氏が制した州の総面積は212万平方マイル(56%)、方や、クリントン氏は167万平方マイル(44%)と意外と接戦でした。両者が制した州ごとの人口を比べると、トランプ氏174百万人(57%)、クリントン氏167百万人(43%)  (出典;Wikipedia)

と、以外にも選挙人の獲得数と近い結果となっています。

ここで、高校のとき政治経済で習った(はずの)国を形作る3要素を思い出してみましょう。領土、国民、主権だったはずですね。領土がなくては国はあり得ません。だから、尖閣諸島、竹島、北方領土は重要なのです。(領海という意味でも)。もちろん、国民がいなくては国家とは言えません。領土・領海や自国民を統治する主権があって初めて国家として成り立ちます。(クルド人問題など民族としての主権をもてない人々の悲惨はニュースでたびたび目にします。)国家が成り立つまでの歴史や文化を含めて統合するのが国家の条件と言えるでしょう。

アメリカは、建国の歴史から各州は相当高い国並みの自治権があたえられています。従って、領土、住民、行政権限が連邦政府と同様に尊重される制度になっているといえるでしょう。だから、日本でなら最高裁で争われるほどの1票の格差(66倍)の選挙制度のもとで、議員や大統領が選ばれていて、総得票では上回っていた候補が敗北宣言を行うということが起こるわけです。

中西部は、比較的人口が少なく広い面積を持つ州が多い傾向にあります。選挙人が3名、上院議員が2名ずつ与えられているこれらの州は、人口ではなく領土に選挙権を与えられているように見えます。(地図を見てください。)

田舎と言えるこれら人口の少ない州にも、地域特有の歴史や文化をはぐくむ人々があり暮らしがあります。多数決という民主主義の原則からみると、一見不合理に見える今回のアメリカ大統領選挙結果から見えるのは、少数意見の尊重と、地域文化の尊重という大きな役割が与えられている国家の制度の在り方を考えさせられる良い機会でした。

ところで、シリコンバレーやオースティンといったアメリカベンチャー企業の聖地となった都市の発展のそもそものきっかけは、「モリル法」という、地方大学に土地を与える法律だったことを御存知でしょうか。アメリカの州立大学は、この土地とカーネギー等の名門私立大学に対するある種の劣等感から起業を振興した結果が、アメリカの今がつくられているといっても過言ではないのです。

土地は、すなわち領土です。そこには、人々の暮らしや思いが当然あるのです。

日本も地方の土地と文化、人々を大切にすることを考えなければならないと思います。

参議院選挙区の合区が実施される今、地方大学、中小企業こそが、その実力を発揮すべき時なのです。

後継者の学校では会社と文化、人々を大切にすることを考えていくプログラムです。

一度、ホームページをのぞいてみてください。
後継者の学校 http://school-k.jp/