テミス

意見の対立を考える

経営者の学校パートナー中小企業診断士の岡部眞明です。
1925年にアメリカで起きた「スコープス裁判」をめぐるお話です。
スコープスとは、アメリカ南部テネシー州にあるデイトンという町の臨時教員「ジョン・トーマス・スコープス」のことです。彼は、何をしたのか。生物の授業で「ヒトの進化」について生徒に教えたのです。
「何が問題なの?」そう思いますよね。彼は、法学部卒業で正式な生物の教師ではなかったから?そもそも、フットボールのコーチのはずなのに・・・、越権行為?
ではなく、進化論を学校教育の場で教えることを禁止するテネシー州法違反に問われたのです。

この裁判は、進化論を是とする人(進化論派)と聖書の書かれた事実「神が自分に似せて人間を造った」が正しいとする人(創造派)との論争の場になり、全米の注目を集め「モンキー裁判」と呼ばれるようになりました。

そう、人間はサルから進化したのか否かが争われたからですね。
神がこの世を造ったことが書かれている創世記は聖書の冒頭にあります。
「神は、6日掛かってこの世を造り、最後の6日目に「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう、そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう」と人を造られた。

そして、全てを造った7日目に神は休まれた。(それで、「日曜日はお休み」なんですね)」([聖書 スタディ版]新教出版 要約)
「この世のすべての生き物を支配する我々人間が「地の獣」サルから進化したなどという誤った考えを子供たちに教えるなんてとんでもない。」創造論者は主張します。
進化論者の主張は、ご存じのように「突然変異によって獲得した、環境に適した形質が受け継がれる」というチャールズ・ダーウィンの自然淘汰説が中心です。
ところが、創造論者は、「キリンの首が高いところの葉っぱを食べるために伸びたのなら、首があの長さになる中間の長さの首を持つキリンがいたはず(中間型の不存在)」とか、「アメーバ―が進化して人間になるなんて、鉄くずが嵐でかき混ぜられて飛行機ができるような話だ(あり得ない)、そもそも、進化の過程など誰も見たことがない(創世記とお互い様)」
裁判の結果は、コープス氏の100ドル罰金で決着したのですが、アメリカにおけるこの論争は続きました。
決着を図ろうとした出来事があります。日時は、残念ながらわからなかったのですが、イリノイ州オーロラ市で行われた、決闘です。

開催中の博覧会場に線路を引き、機関車「進化号」と「非進化号」を正面衝突させ、脱線した方が負けというものです。
神は正しい方を勝たせるはずというわけですね。
果たして結果は、・・・。時速48㎞で衝突した機関車は、両方とも脱線して結論は出ませんでした。(「人生の鱗 第五十話 決闘」武田邦彦ブログ 要約)
これを、なんてくだらないと考えるとただの笑い話ですが、実は、不完全性の定理のお話です。
アメリカで、そんなことが起きている頃オーストリアの数学者クルト・ゲーデルが証明した定理です。

すっごく難しくて、誤用誤解が多いというこの定理ですが、恐れずに解釈すると「ある理論体系に矛盾がなければ、その体系自身に矛盾がないことを証明できない」ということ(のよう)です。
「我が家の孫の澄香ちゃんは絶対、隣の花子ちゃんよりかわいい(我が家では矛盾はありません)のですが、隣のおじちゃんは絶対花子がかわいい(これも、全く矛盾はありません)と言います。このどちらがかわいい問題は、隣と我が家の間では決着がつきません。
決着をつけるには、評定する向かいの佐藤さんのおじさんにお願いするしかない。」ということに、よく似ています。

お互いが、同じ問題で対立する場合は、両者を統合する上位の観点(メタ概念)が必要ということです。
アメリカの出来事も、創造論と進化論、決着のつかないこの問題を「神」に委ねたわけです。委ねられた、神の方も、迷惑なので両方とも脱線させたのでしょうが、こんなことってあなたの会社でもありませんか。
社内の出の対立やトラブルが膠着状態なんてこと。

無いに越したことはありませんが、そんな時、問題の所在を俯瞰する(メタな)見方で対応することが大事なのです。「企業理念の実践のために、その問題はどんな意味があるのか」とか。
ところで、アメリカのピュー・リサーチ・センターが2015年11月明らかにした調査によると 、アメリカ人の6割が進化論派になったとか。(日経ビジネスON LINE 要約)あのときの神の判断は正しかったのか、そうでなかったのか。

 

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