タグ別アーカイブ: 経営者

元官僚が伝える伝統的倫理観と強みのシナジー

後継者学校のパートナーの岡部眞明です。
中小企業診断士、行政書士です。

文部科学省で先端科学技術や産学官連携など科学技術政策の国家戦略の全体調整の仕事を主に財政面から担当してきました。我が国の伝統的倫理観と企業が持っている技術などの強みとのシナジーをサポートしたいと考えています。

「三方よし」と言われますが、事業承継は、経営者、事業承継者、従業員とその家族、会社を取り巻く全ての人の人生にまでかかわる問題なのです。

事業承継は、その責任と託し託されるものを、本当に価値あるものとして引き継いでこそ意味があるものであり、関係者はその責任を全うする義務があり、利益を享受する権利も有しているのです。

高齢化社会と言われます。高齢化は中小企業の経営者も同じです。
会社は長く続きますが、人には限りがあるのは事実です。
「三方よし」は近江商人の行動哲学と言われますが、会社には従業員や取引先など多くの人々(ステークホルダー)があり、それらの人々の生活を維持していく責任があります。

経営者には、誰かに会社を託さなければならない時期が必ず訪れ、正しく渡す義務があるのです。

一生懸命築き上げた会社を誰にどのように託すのか、その後の生活はどうなるか、経営者にとって重要な問題です。

一方、託される会社はどうなっているのか、従業員は?取引先は?許認可は?受け取る側にとっての関心事項は山のようです。

事業承継の場面では、会社の過去と現在そして未来に関して、良いことも悪いことも全て明らかにされなければなりません。

事業承継は経営の全てが詰まっています。

「三方よし」の三方は「売り手」「買い手」「世間」と言われますが、事業承継は、経営者、事業承継者、従業員とその家族、会社を取り巻く全ての人の人生にまでかかわる問題なのです。
事業承継は、その責任と託し託されるものを、本当に価値あるものとして引き継いでこそ意味があるものであり、関係者はその責任を全うする義務があり、利益を享受する権利も有しているのです。
後継者の学校
http://school-k.jp/
後継者の経営、後継者の勉強、後継者主導の事業承継を学びたいなら「後継者の学校」へ

 

 

後継者だけが持っている誰にも言えない悩みとは?

 

後継者の学校パートナーの坂本典隆です。

人を中心とした経営支援を専門としています。

後継者というのは生まれた時から、父親が会社の経営者であるケースが多く、自らが跡継になるのではという考えが頭をよぎるのが一般的だと思います。

今、ブログをお読みいただいているあなたもそんな気持ちになる事はありませんか?

経営者としての人生を進むのか?違った人生を進むのか?判断が難しいのではないでしょうか?

これから定期的に事業承継に関わる情報を発信してまいります。今日は私の簡単な自己紹介からスタートします。

 

後継者の学校パートナーで人を中心とした経営支援専門家の坂本です。

私は現在、中小企業やベンチャー企業に対して人財紹介を通しての中途採用支援を行っております。

今回のブログは1回目のブログとなるので、自己紹介をさせていただきますね。

経歴は長々となってしまいますので、「株式会社キャリア経営パートナーズ」のHP情報からチェックをしていただければ詳しく出てくると思います。

今日は、あなたとの共通点を踏まえてお話させていただきます。具体的に何が共通しているのかと言えば、「後継者」というキーワードです。

 

私の実家は高知県で紙の町と言われる「いの町」にあり、紙の博物館がある事でも有名です。そこで、トイレットペーパーやティッシュペーパーなどの紙を製造する製紙業を営んでおりました。

創業者は祖父で2代目は父親です。私が生まれた時から幼少期は祖父が社長でしたので、継ぐかどうかというような意識はあまりありませんでした。

それは間に父親がいるので専務である父親がゆくゆくは社長になるのかな・・・そういう感覚だったんです。

しかし、小学校の時からまわりの同級生とは明らかに違って見られていました。

 

よく子供の頃は父親が何の仕事をしているのか?を話したりする時に私の家はサラリーマンでは無かったので、独特だったのかもしれません。

「将来は社長なの?」「社長の息子」「お坊ちゃん」etc 色々と言われた事を覚えております。

あなたにもありませんでしたか?これは何とも言えない悩みですよね。

 

そんな状態から人生の転機が起こったのは、祖父が亡くなってからです。

あれは私が中学校位の時だったと思いますが、病気で亡くなり、父親が社長となったのです。

その後、高校、大学と進学するのですが、その時から「就職はどうなるのか?」「実家を継ぐのか?」「継げと言われるのか?」何とも言えない気持ちで過ごしていました。

学校では将来なりたい職業を言わされることも多く、そんな中、今まで一度も、「実家を継いで経営者になります。」と言った事はありませんでした。

 

無難に「医者」「パイロット」と言うのは小学校の時で、徐々に、現実が分かってくると「公務員」と私は発言をしていました。

心の中では全く思っていない事ですけど・・・その時は「継ぐ」という意識にはなれないというか、考えないようにしていたと思います。

では、「坂本さんは結局、継いだのか?」そう聞かれそうですので、私の後継者としての結末を最後にお話しますね。

 

大学3回生の就職活動時にも「継ぐのか?」「継がないのか?」よく分からないまま普通に就職活動をしていました。

丁度、そのタイミングで、田舎の実家近くに大きな高速道路が開発されるという話が出てきたのです。

紙を製造する工場がある場所の一部がその道路とかぶってしまい新しく立て替えて移転をして事業を継続するのかどうかを当時の父親を含めた経営層では話し合ったと後で聞きました。

結果、継続はせずに、歴史に幕を下ろすという判断を下したという事です。私も学生だったのでそんな話し合いに入る事なく、普通に就職して普通に社会人になりました。

もし、あの時に高速道路の話がなければ、私は現在37歳ですので、父親の後を継いで社長になるのか?という悩みを持っていたと感じております。

いかがでしょうか?

そういった共通点もあり、後継者の支援事業で、同じような悩みを持つ方を熱い想いでサポートしております。

1回目の自己紹介はこのあたりにして、2回目以降は「人」を切り口にした役に立つ情報をお伝えしていきますね。本日は、最後までお読みいただきありがとうございました。

 

後継者の学校

http://school-k.jp/