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不祥事には、スポーツが効く?

後継者の学校パートナーの岡部眞明です。

また、不祥事が報道されています。今度は、化血研(化学及び血清療法研究所)の血液製剤の製造方法に係る不正でした。杭に始まったビル工事の不正は、他の構造物の手抜き工事や、果ては設計の不正にまで及んでいます。今年に入ってから、企業の不祥事に関する報道を何件聞いたことでしょう。

今回は、この問題をスポーツの視点から考えてみることにします。

 

後継者の学校パートナーの中小企業診断士、トライアスロンコンサルタント岡部眞明です。

スポーツといっても、プロではなく普通の人のスポーツのお話です。

子どもの頃の野球や水泳教室、運動会、中学、高校、大学でのクラブ活動でスポーツを経験された方も多いと思います。

習い始め、何をやってもうまくいかず、お兄ちゃんやお姉さんがうらやましく思った記憶、運動会での成績が良かったときの嬉しい気持ち、逆にダメだったときの悔しい気持ち。

中学、高校と成長する中で、同僚や先輩との関係で、正選手になれない悔しさと、試合で活躍したときの誇らしさ。活躍して女子にもてるヤツへの嫉妬心。

スポーツにまつわる思い出は、いろいろな「こころ」との葛藤の思い出ではありませんか。

そんな気持ちになったとき、そこは、何もできない自分、あるいは逆にやりおおせた自分がいます。スポーツは、冷たく結果を表わしてくれるものだった。

負けると悔しい、だから、うまくなりたい。勝ちたい。

そのためには、負けたという事実を受け止めて努力するしかありません。そして、自分よりうまい人のアドバイスをきいて練習に励むことしかありません。

勝った方は、また勝つためにはさらに上を目指して練習します。

スポーツは、現在の自分の立場を良くも悪くも認めるところから始まります。そして、高みを目指してあらゆる努力を積み上げることです。

この謙虚さと努力する力は、経営における現状認識と改善努力を、理屈ではなく「からだ」にしみこませてくれます。後継者の学校は、心・技・体を鍛えますが、スポーツはその根っこから心・技・体を涵養します。

経営者の方々も、忙しい毎日を送っていると思いますが、週に1回でもスポーツの時間を作りませんか。子どもの頃の素直な気持ちが取り戻せる時間です。そして、もっと大事なのは、嫉妬や悔しさなどマイナスの感情を抱く時間を持てることです。自分自身にそのような感情があること、「悪」もまた社会のひとつの要素であることを理解したうえで、物事を的確に判断することも必要です。

私の場合は、プールで泳いでいるときやランニングをしているとき、普段とは全く違う思考回路が働くようで、「あ、そうか!」といったことが、よくではありませんがたまにあります。(私の場合は、たまに浮かんだ解決策を、ジムのサウナに置いてくることが、しばしばあるので困りものですが)仕事について、ゼロベースで考える時間を与えてくれます。

スポーツは、身体だけでなく心や思考にも効きますので、是非試してください。

後継者の学校は、楽しく学べます。

後継者の学校
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経営とコンプライアンス

後継者の学校パートナーの岡部眞明です。

不正、不祥事はなぜ繰り返されるのか?企業にとって命を奪われかねないような不祥事が続きますが、これらが起こる原因は何か?コンプライアンスとは何なのか?考察してみたいと思います。

後継者の学校パートナー中小企業診断士の岡部眞明です。

前に取り上げた建設基礎杭のデータ不正はついに業界全体の問題に発展してしまいました。

何度も繰り返される企業の不祥事にうんざりという方も多いかと思います。しかし、胸に手を当ててよーく考えてみましょう。「自分だったら・・・」。元受会社から、「工期を守れ」と言われ、データの取り損ねには「データがないなんて言うことは、ありえない。」と言われる。やむに已まれず、ついつい・・・。そして、その代償はとてつもなく大きなものになってしまうのです。

コンプライアンスとよく言われます。決まりを守ることは当然です。でも、お得意様との今後の関係や、売上のことなどいろいろなことが頭をめぐります。

そんな時、会社とは?経営者とは?と考えてみましょう。

経営学の泰斗、P.ドラッカーはこんなことを言っています。

「企業にとって、社会との関係は自らの存立のかかわる問題である。企業は社会と経済のなかに存在する。ところが企業の内部にあっては、自らがあたかも真空に独立して存在していると考えてしまう。事実マネジメントの多くも、自らの事業を内部から眺めている。

しかし企業は、社会と経済のなかに存在する被創造物である。社会や経済は、いかなる企業をも一夜にして消滅させる力を持つ。企業は、社会や経済の許しがあって存在しているのであり、社会と経済が、その企業が有用かつ生産的な仕事をしているとみなす限りにおいて、その存続を許されているに過ぎない。」(P.ドラッカー「マネジメント」)

「そんなことを言ったって、従業員や家族の生活を考えたら、会社を一番に考えてしまうよ。」その通りですね。ドラッカーは、「企業は利益を必要とするが、それは企業の目標を達成するために伴うリスクに備えるためであり、利益とは、未来の費用、事業を続けるための費用である。」(前掲書)とも言っています。

経営者は、会社の今こと、将来に備えること、従業員のこと、家族のこと、取引先のこと、考えなければならないことが、たくさんあって、実際、数学の答えのような「正解」を得ることは至難の業に思えてしまう。

ご安心ください!!そうです。経営には正解なんてないんです。日々起こる難事件にその都度、最善を尽くして、できる限り、皆が、そして社会が満足する答えを導き出す。これが、経営なんです。だからこそ、経営者には、「力」と「意志」が必要なのです。

シク教の宗教家、インド人のグル・ゴービルド・シンは、「シク教徒は戦士のような聖人であるべきで、聖人のような戦士であってはならない。」といっています。正しくあるためには、強さ、ときには非情さまでも必要ということでしょう。

経営は、実に奥が深い営みですね。

後継者塾では、後継者自身の心・技・体に着目します。

 

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企業の不祥事とノーベル賞と経営者冥利

後継者の学校パートナー中小企業診断士の岡部眞明です。

相次ぐ大企業の不正問題。その根本的原因は何なのか?長い人類の歴史の中で人は何を学んできたのか?繰り返される不祥事は後継者にとっては事業承継前に絶対に知っておかなければ命取りになる大変な問題です。この問題に対して個人的に切り込んでみました。

 

後継者の学校パートナー中小企業診断士の岡部眞明です。

フォルクスワーゲンの不正ソフトウェアの問題が世界を駆け巡りました。

「日本への影響は、ディーゼル車の販売延期程度かなぁ。」と思っていたら。今度は、マンションの基礎杭のデータ改ざんや手抜き工事が発覚しました。

フォルクスワーゲン社はソフトウェアの改修で、マンションを販売した三井不動産、杭工事を請け負った旭化成建材は、マンションの建替えで莫大な費用負担を抱え込んでしまうことになりそうです。

そのほかに、課徴金や損害賠償金なども相当な額になることが見込まれています。加えて、関連会社を含めた企業イメージは大きく毀損される結果となりました。支払うこととなった代償は、社会的影響も含めてあまりにも大きい。

目の前の利益のために不正を働く、その代償は、得ることができた利益とは比べようのない額の金銭的損失と社会的信用の失墜。今回の事件の主人公となった企業はいずれも名の通った大企業です。もちろん、だからこそ大きなニュースにもなるのですが…。

梶田隆章さんがノーベル賞を受賞されたことは、このブログでもお話させていただきました。

(以前のブログ↓)
http://blog.school-k.jp/okabe3/

「ニュートリノに質量があることを発見」して、それまでの定説を覆し、宇宙物理学に大きく貢献したということだそうです。難しすぎてよくわかりませんが、昔、コペルニクスやガリレオが初めて唱えた地動説は常識となり、「太陽が地球の周りをまわっている。」と考える人は、一部の宗教的理由を除いて誰もいないと思います。(断言できませんけど)

そして、今はアインシュタインの相対性理論や量子論、超ひも理論など、とても私などでは理解不能なほど科学技術は進歩して、私たちの生活もどんどん便利になってきました。

一方で代償の大きさはわかっているのに、繰り返される企業の不祥事。それも、あんな大企業で。社長さんたちは、いい大学を出て頭がいいはずだろうに…。

何故でしょうか。(ここからは全くの私見なので、この先は読まれている皆さんでお考えくださって結構です)

その差は、知識の蓄積とそれを実践する対象の違いにあるのではないでしょうか。

自然科学の知識は、文献や実験データで着実に蓄積され、時代を超えて研究者間で伝承されて行きます。そして、その知識を実践する相手も基本的に自然界、機械などで、だれがやっても同じ結果となることで事実として認められることになります。

一方、人間や社会を相手にする経営を考えてみますと、知識は、文献などを通して得ることができるでしょう。しかし、その実践の場は、激しく変化する市場(社会)でり、十人十色の従業員(人間)相手であって、自然科学の場合のように同じことは起こるとは限りません。というより、同じことは決して起こらないのです。

さらに、文献などに残された先人たちの知識は、データ化された自然科学と違い、受け取る側の解釈がまちまちですし、その実践は、機械装置ではなく生身の人間の行為にります。実践されて初めて知識として意味があるとすれば、人間が一生を終えるとその知識は本当の意味では承継されないのです。そういえば、哲学の主題は、2千年以上昔のプラトンや孔子の時代から「いかにあるべきか」です。

自然科学の知識は、順調に効率よく蓄積され、膨大な量であり、それらを勉強し理解することは、凡人の私には不可能です。経営にもつながる「いかにあるべきか」は2千年以上の間、今日的問題であり続けています。そして、あの松下幸之助さんも80年の人生をかけて学び、実践されてきたのです。いつもとは言いませんが、できる限り的確な経営判断を続けていくためには、知識とそれを的確に実践し結果を出す能力(=コンピテンシー)が必要です。

自分の一生をかけて学び、実践するということは、松下幸之助さんと私たちとは同じであると言えます。一生かけて会社を経営することで、松下さんに少しでも近づけるとすれば、そして家族や従業員が幸せになるとすれば、経営者冥利に尽きますよね。ひょっとしたら、追い越せるかも・・・。

 

PS

コンピテンシーについては、後継者の学校でも取り上げます。

※コンピテンシー:成果を導く地頭。思考・行動特性。すなわち、モノの見方・考え方・動き方。

 

後継者の学校
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