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歴史に学ぶ後継者経営 徳川家康の軌跡

私主に日本の歴史から後継者経営に学べる題材をとって、皆さんと一緒に後継者経営を考えて参りたいと思います。今回からは、江戸幕府を開いた徳川家康の生涯から、後継者としての生き様のヒントが得られないか、皆さんとみて参りたいと思います。

 

後継者の皆様

 

後継者の学校パートナーで、日本の歴史を愛する石橋治朗です。

 

私は主として日本の歴史から題材をとって、事業承継や後継者経営のありかたを皆さんと考えていきたいと思っています。

 

なおこのブログは全て、歴史に関する考え方については全くの私見であることを、あらかじめお断りしておきます。

 

前回まで、関ヶ原の戦いの主人公の一人であった石田三成を見て参りましたが、今回からはもう一人の主人公である徳川家康の生き方を紹介して参りたいと思います。

 

徳川家康。

 

戦国時代を終わらせて260年以上に及ぶ江戸の泰平の世をもたらした、織田信長、豊臣秀吉に続く戦国ビッグ3の一人ですね。

そんな凄い人から、後継者が学ぶことなんてあるのだろうか、とひるむ方もいらっしゃるかもしれません。

うむ、確かに。

書いている私も、「徳川家康か…ちょっと、大きく出てしまったなあ」と、ひるむ心があります。

あるいは、信長や秀吉に比べて、地味すぎて面白くない、と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

確かに、その二人が派手なので、比較すると家康は地味ですね。この頃は、大河ドラマでも脇役ばかりです。

 

でも、ひるむ方には、徳川家康も後継者だったし、秀吉はともかくとして、現代の起業家に神のようにあがめられている織田信長だって、もともとは後継者だったんだよ、と申し上げたいと思います。このブログでも、以前に取り上げたことがありますね。二人とも、確かに創業者としての一面を持っているけれど、最初は後継者としてキャリアを始めているのです。

 

また、後継者というのは、実は様々な要素、側面を持っているのです。創業者(先代)が健在の時は部下であるとともに後継者であり、事業を承継した後は経営者であり、新しい事業を始めたら創業者にもなるわけです。そう考えると、実は後継者は事業承継だけ学べば足りるわけではありません。経営のやり方も、アントレプレナーシップ(起業)も、学ぶことは必要です。

 

徳川家康の生涯は、地味ではあるけれど、今川義元の人質から始まり、長く今川、織田、豊臣の家臣や同盟者を経て、最後に天下人となるという、大変に複雑で紆余曲折を経た人生なので、一見すると派手な信長や秀吉よりも、参考になるヒントは多いんじゃないか、と私は思っています。

 

そんな徳川家康の人生を、現代の経営者で表現すると、下記のようになるのではないかと考えます。

 

「散々に親会社にこき使われてきた子会社が、親会社の内紛に乗じてM&Aで事業を乗っ取り、天下人となった」

 

あるいは、家康が遺したと伝えられている、下記の遺訓(格言)が一般的には知られていますね。

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」

 

これは、実は徳川家康が遺した言葉ではないようですが、家康の人生を表すにふさわしいので、遺訓として言い伝えられているようです。私も、そのように思います。

 

とはいえ、これから皆さんと見ていくうちにご理解いただけると思うのですが、決して家康は「重荷」をイヤイヤ背負っていたわけではないんです。むしろ、重荷を背負うことで自分を鍛える喜びさえ感じていたように思います。重荷を背負わされているとストレスがたまる一方ですが、重荷を背負うことで自らを鍛えているのであれば、自分の足腰が強くなっていく楽しみがありますよね。

 

歴史に名を残すような人たちは、おそらく自らが背負わされたマイナスの「宿命」を、そのように前向きに受け入れることで、自分の「運命」を切り開く原動力に変えているのではないでしょうか。

 

では次回から、徳川家康がこの世に生まれ落ちたときに、どのような「宿命」「重荷」を背負わされていたか、まずはそこから始めたいと思います。

 

ブログを読んで興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非後継者の学校の説明会にご参加下さい。

その前に、まず後継者インタビュー(無料)を受けてみて下さい。時間はそれほどかかりません。だいたい、30分~1時間ほどです。

事業承継に関する自身の悩みが整理され、すっきりすると好評です。お気軽にお問い合わせいただければと思います。

 

後継者の学校

http://school-k.jp/

後継者育成のジレンマ

こんにちは。後継者の学校の大川原です。
あるデータでは、事業承継で苦労したことは断トツ1位で「後継者育成」と出ていました。
なぜ、後継者育成が一番苦労したことなんでしょうか?

 

”事業承継”で一番苦労したことは、「後継者育成」と言っている経営者が6割という集計データが帝国データバンクが行ったアンケートの結果としてありました。

 

ちなみにそのデータの第2位が「事業の将来性」3割、第3位が「従業員の理解」3割弱でした。
実に倍の数値で、「後継者育成」に苦労した方が多いということです。

 

どうして、「後継者育成」がダントツで苦労したことに挙げられているのでしょうか?

 

その答えのポイントとして、「経営者が後継者を育てるのは初めて」ということがあるのではないでしょうか。

 

第2位の「事業の将来性」も第3位の「従業員の理解」も経営者にとってみたら、これまでの経営者人生で幾度となく考えて実施してきたことだと思いますが、「後継者の育成」は、経営者のほとんどが初めての経験なのではないでしょうか。

 

初めてだからわからない。わからないから苦労をするのです。

 

よく、経営者から「後継者は、まだまだ半人前だから任せられない」という言葉を聞くことがあります。

 

しかし、どうしたら任せられるのか?一人前とはなにか?基準を問うと明確に答えられる方は多くありません。
おそらく、経営者の感覚的にまだ任せられないと感じているのではないかと思います。
その感覚は概ね間違っていないとは思いますが、ただ、明確な基準がないと後継者を育てるにしても、どこをどうしたらよいのかわからないのではないでしょうか?
後継者に何が足りないのか?と問われてもあいまいな答えになってしまっては、後継者もどうしたらよいのかわかりません。

 

では、どうなったら任せられるのか?

その基準について、少し触れたいと思います。

 

まず、経営者になるための最も大事なポイントは経営の知識ではないということです。

当然知識も必要ですが、知識は一番ではありません。知識だけでは経営はできないからです。
ちなみに、私は中小企業診断士という経営の知識を持っているという国家資格をもっていますが、この中小企業診断士のほとんどは経営をすることはできません。知識しか持っていないからです。
経営者に中には、経営の知識はなくても、すばらしい経営をされている方がたくさんいらっしゃいます。

 

知識よりも大事なことはなんでしょうか?

 

それは、経営者としての覚悟と経営するための行動や思考です。
心・技・体で分けると、”心””体”の部分です知識の”技”は最後になります。
これが経営者となるために、まず必要な部分だと考えています。

 

では、経営者としての”心”(覚悟)と”体”(思考・行動)はどう鍛えるのでしょうか?

 

私は、それは経験でしか鍛えられないものだと考えています。
お勉強で鍛えられるものではないので、経営の現場でしか鍛ていくことができないのではないでしょうか。

ただ、
経営者としての覚悟とは何か?
経営者として必要な行動や思考とは何か?
をということを知らないと、
鍛えることすらできませんので、経験の前にまずは知ることが大事になります。
それが何かを知ってから、実践の中で経験し鍛え続ける。

そして、そこに経営の知識やノウハウを組み合わせていく。

そうすると、経営者としての心技体がバランスよく鍛えられて、後継者が本物の経営者に成長していくと考えています。
逆に経営者は、この心技体の視点で後継者がどの程度成長しているのか見定めて、その成長をサポートするとよいと思います。

 

 

いかがでしたでしょうか?
なにか気づきになることはありましたでしょうか。

後継者の学校では、当然知識だけでなく、この心技体を体系的に理解して鍛えるための学びが充実しておりますので、
後継者が経営者として成長するための最適な学びの場となっております。
まずは、定期的に入門講座を開催しておりますので、
気軽に参加して、事業承継と後継者経営を前に進ませるきっかけにしていただければと思います。

 

【直近の「入門講座」情報】

○東京校
2017年2月16日(木)19:00~21:00
→ http://school-k.jp/pre-tokyo-20170216/

2017年2月27日(木)18:30~20:00
→ http://school-k.jp/pre-tokyo-20170227/

○大阪校
2017年2月22日(木)18:30~20:00
→ http://school-k.jp/pre-osaka-20170222/

2017年3月29日(木)18:30~20:00
→ http://school-k.jp/pre-osaka-20170222/

○九州校
2017年2月25日(土)13:30~15:30
→  http://school-k.jp/pre-kumamoto-201701/

お気軽にご参加くださいませ。
どうぞよろしくお願いいたします。

代表取締役 大川原 基剛

事業承継の現実と専門家のミスマッチ

こんにちは。後継者の学校の大川原です。

最近、いろいろなところで事業承継の話をさせていただいていますが、どうやら専門家の視点が現場の経営の視点から離れていっている気がします。おかしな事業承継支援にならなければよいのですが・・・

私は、月に4回くらいは全国のどこかで事業承継の話をさせていただいているのですが、

その対象は、経営者だけでなく、後継者、あとは専門家(士業)向けなどに話をさせていただいています。

 

私たち後継者の学校のメッセージは一貫したもので、

事業承継のキーマンは後継者で、主体的に動かなければ未来がない。

そして、それを支えるのが経営者。

相続と事業承継は別もので、同じと考えるから事業承継が受け身になる!

などといったメッセージですが、

 

受け取る反応は、聴講していただいている人によってさまざまではあります。

 

よく聞く反応としては。

経営者からは、

「他の事業承継のセミナーでテクニカルな話をきいてもよくわからなかったけど、わかりやすかった。その通りだと思う。」

となどがあり

 

後継者からは、

「まさに自分が考えていたモヤモヤの正体がわかった。」

「自分がやらなければいけないんだと、心をあらたにした。」

などと、反応していただきます・

 

一方で、専門家に話をすると

「本質はわかるけど、そうはいっても、そんな簡単じゃない。」

「概要はいいから、もっと具体的なテクニックを教えてほしい」

「後継者がそもそもいないんだから、そんな話をされても・・・」

などといったネガティブな反応が目立ちます。

 

私は、ちゃんと伝えきれなかった自分を反省するとともに、

その反応の差を見ると、事業承継に関して経営者後継者と専門家の間に大きな隔たりがあるのでは?と心配になってしまいます。

 

経営者が専門家だと思って事業承継の相談をした相手が、実は事業承継の大事なところを知らずにアドバイスをする・・・そんな状況を想像すると、その後どうなったのか結果を聞くのが怖いですね。

 

ですので、私の想いとしては、

経営者と後継者のみなさんには、事業承継について何が本当に大事なのか、自ら考えてみていただきたいと思いますし、

専門家のみなさんには、事業承継のリアルな現場の思いを受け止めて、事業承継に本当に大事なところをわかったうえで支援をしていいただきたいと、切に願います。

 

そうして未来に繋がる事業承継がたくさん成功して、価値を世代を超えて積み上げていけば、次の世代の日本の経済はもっとよくなると考えています。

 

ご興味があれば、当社の入門講座で事業承継の本質と全体像について聞きに来てください。

 

【直近の「入門講座」情報】

 

○東京校

2017年1月26日(木)18:30~20:00

→ http://school-k.jp/pre-tokyo-201701/

2017年2月16日(木)19:00~21:00

→ http://school-k.jp/pre-tokyo-20170216/

 

○大阪校

2017年1月31日(木)18:30~20:00

→  http://school-k.jp/pre-osaka-20170131/

 

○九州校

2017年2月25日(土)13:30~15:30

→  http://school-k.jp/pre-kumamoto-201701/

 

お気軽にご参加くださいませ。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

代表取締役 大川原 基剛

トランプ大統領の就任を前に

後継者の学校パートナー、中小企業診断士の岡部眞明です。

先日、ゴールデングローブ賞の授賞式で行った、女優のメリルストリープさんが行ったスピーチについてです。そのスピーチでは、トランプ次期大統領が選挙戦で行った障碍を持つ記者のものまねについて語っています。

ものまねの経緯は、次のようなものだったようです。

9.11の同時多発テロの時に、倒壊するビルを見て喜んでいるイスラム教徒が数千人居たとの発言に、トランプ氏が根拠とする記事を取材した記者が「そんな事実はない」と反論したことに対して、選挙期間中に同氏が、「そんなことは書いたことがない」と、障害を持つ当該記者の物まねを交えて行ったものです。批判された同氏は、「当該記者にはあったこともないし、障害のことなど知らない。間違った様子をまねただけだ」と言ったとのこと。

メリルストリープさんは、この発言に対して「一国の元首になろうとする人物が、障害のある記者をまねて笑いものにした」と嘆きました。

彼女のスピーチが報道されるまで、トランプ氏のものまねのことは知りませんでした。今回、改めて確認しましたが、障害を笑いものにしていることは明らかです。(さらに、二人は旧知の仲だとか)

その行為の意図は、それを行った本人しか(それが内面の問題であるので)確実には分からないとはいえ、まさに、一国の元首になろうとする人物であれば、公の場における、本人の言動の影響やその結果について、責任を持つことは当然のことではないでしょうか。

前に、イギリスのEU離脱の国民投票について、「残念ながらしばしば間違うという事実をリーダーは予定した組織運営を行わなければなりません。」と書いたことがありますが。

今回は、リーダーが、大衆がしばしば間違うという事実を、リーダーが利用して権力につこうとしているように見えます。

トランプ氏は、「フォードやゼネラルモーターのメキシコ工場」についても批判しています。さらには、自国企業だけでなくトヨタのメキシコ進出まで批判して、高額の関税をかけるとツイートしています。自分は、「神が創造した史上最高の雇用創出者になる」と発言していますが、国家だけではなく、社会は経済(は重要なものではありますが)だけで出来上がっているものではなく、その経済でさえ(経済こそが)経済以外の人間の営みから成り立っているのです。

昨年亡くなった伊與田覺先生の書になる、「「大学」を素読する」(「致知出版社」)から抜粋します。

「国家に長として財用を務むる者は、必ず小人による。彼之を善くすと為して、小人をして国家をおさめ使むれば、災害ならびいたる。善者ありといえども、またこれ如何ともする無し。これを国は利をもって利となさず、義をもって利となすというなり。」

トランプ氏の一連の発言は間違っているというつもりはありませんが、いろいろな人がいていろいろな考えがあることの方が、人間が生き残るためにも必要であることは、進化論的にも正しいことだと思います。

トランプ氏やどこかの知事もそして私たちも「大学」の警告を他山の石として身を修め、成長したいものです。

事業承継を進める前に、

後継者の学校でサポートできることがあります。

詳しくはこちら!
http://school-k.jp/

渡す人から見た事業承継

後継者の学校パートナー、中小企業診断士の岡部眞明です。

「人を看るには、ただ後の半截(はんさい)を看よ」中国の古典「菜根譚(さいこんたん)」にある言葉だそうです。

「人の価値を見るには、その後半を見ればよい。」「人の一生は、晩年をどう生きるかで決まる。」晩節を汚しかねない年齢に差し掛かっている私には、厳しい言葉です。また、若気の至りを繰り返した私の人生に希望を与えてくれる言葉でもあります。

30数年前大きな不安とさらに大きな希望を抱き起業し、がむしゃらに働いてきたあなた。

苦労の甲斐あって、売上げもそこそこ伸び、従業員もそれなりに増えて、子供たちも結婚して、がむしゃらに働いていた頃は分からなかった孫のかわいさを実感している、といったところでしょうか。

長男も5年前に、会社に入ってくれて専務として頑張ってくれているし、従業員も社長・社長と言って、従順に指示に従ってくれる。お得意様との取引も安定している。何かあると、銀行は何かと相談に乗ってくれているし、今は何の心配もない。

ところで、後を継がせようとして入社させた長男はどうしていますか?

商工会の青年部の会合を口実に外出ばかりしていたり、担当の業務にばかり力を注いで、担当外のことには無関心になっていたりしていませんか?

そして、従順な従業員、何か問題が起こったら全てあなたの判断を求めたりして、指示待ち状態になっていませんか?

本当に何の心配もない?

今の会社から、突然あなたがいなくなった日を考えてください。「そんなこと、あるわけないでしょ?」

そんなこと、ありますよ。あなたは、今何歳でしょう?

あなたがつくった会社には、もう、あなた一人のものはありません。あなたの家族、専務はじめ子供たちの家族、従業員とその家族、銀行、何より取引先、そしてその家族、あなたの会社に関係する人は、無限に広がります。

そうです、その会社に「そんなこと、あるわけないでしょ!」と?ではなく!で言い切ることが、あなたの「後の半截」にやるべきことなのです。

半截(人生の残り半分?)というくらいですから、長い時間が必要です。今の会社が、あなたがいなくても十分に機能し、今の、いや今以上の人々に関係してもらえるように、今から、取り掛かりましょう。

将来の会社の姿を思い、そこで働く従業員を思い、どんな姿を思い描くか。そして、その為に、どんな行動をとるのか、全てあなた自身が決めなければなりません。何故って、あなたがつくった会社ですから。

「人を看るには、ただ後の半截(はんさい)を看よ」

あなたの評価は、これからです。人生まだまだ。

後継者の学校でサポートできることがあります。

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「らりるれろのまほう」という本を読みました

後継者の学校パートナー、中小企業診断士の岡部眞明です。

「らりるれろのまほう」という本を読みました。20篇ほどの詩が収められている小さな詩集です。著者は、1992年生まれといいますから今年で24歳の溝呂木梨穂さんという女性です。

梨穂さんは、生後すぐに脳に酸素が行かないというトラブルで、脳に重度の障がいをおってしまい、体の自由と言葉を失ってしまいます。2012年5月20日まで。

この日国学院大学の柴田保之教授と出会います。教授は、重度・重傷障がい児の教育について研究しているそうです。この先生(の通訳?)を通して、彼女の中にある言葉が文字になりました。

彼女の詩を、ほんの一部だけ紹介します。

 

人間として生まれて生きて来たけれど

私は誰にも振り返られることもなく

理想だけを糧にして生きてきた

夜の暗闇の中でも

人間としての理想は決して捨てずに

ただ未来だけを信じて生きてきた・・・

(「緑の声と光」より抜粋)

 

理想の未来に向かって

私はこの場所をそろそろ旅立つ日が来ようだ

しかし私は決して忘れないこの暗闇の世界を・・・

(「暗闇の世界から」より抜粋)

 

彼女が、20数年間紡いできた言葉とその世界は、あくまで透徹して力強い。彼女のような重度の障がいを持つ人たちの中にこんな世界があるなんて、恥ずかしいことだけれど今まで気が付きませんでした。

普通に考えれば、当たり前のことなんです、同じように感じ考えていることは。むしろ、耳と目と頭(心)だけで他者との関係を構築しなければならない彼女にとって、内面世界が研ぎ澄まされていくことも。

今回、彼女の本を知り、彼女の世界を垣間見ることができて、「世の中もまんざら捨てたもんじゃないなぁ」と、何故か気分がよくなりました。

差別するつもりなどまったくないのですが、気の毒な人という障がいを持つ人に対する先入観が私の世界も狭めていたのです。

私たちの思考のプロセスは、一定の考え方や習慣を前提になりがちです。それらが先入観となって時として誤った判断をもたらすことになります。思考プロセスを先入観から解き放ちゼロベースで考えることの大切さに、この本を読んで学ぶことができました。

また、コミュニケーションとは、人の内面を引き出す大きな力であることを改めて確認することもできました。

梨穂さんの現在は、小さいころからお母さんの愛情をいっぱい受けて来たからであることは、もちろんです。梨穂さんがお母さんと柴田先生の支えを受けて、これからも素晴らしい詩を作り続けてほしいと思います。また、もっと多くの梨穂さんにも。

そうすれば、世の中もっとまんざら捨てたもんじゃなくなるかもしれません。

愛情をいっぱい受けるといえば、事業承継においても「先代の愛情をいっぱい受けた」大切な従業員を引き継いでいくわけですから、この詩を噛み締めて「明るみ」に向かっていかなければなりませんね。

(出典「こころの詩集 らりるれろのまほう」溝呂木梨穂(ダーツ出版))

USオープンテニスがきっかけで考えたこと

後継者の学校パートナー中小企業診断士の岡部眞明です。

今回は、音楽とスポーツのお話です。先日、錦織圭選手が、世界ランキング2位のアンディ・マレー選手を破り2年ぶりのベスト4進出を果たしました。準決勝では、ランキング3位のスタン・ワウリンカ選手には、残念ながら破れましたが久しぶりの本領発揮です。

マレー選手との準々決勝は、互いに相手のサービスゲームをブレイクし合う展開で、見ている方も緊張してしまうような、正に手に汗握る展開となりました。試合後のインタビューで、試合を振り返った錦織選手は「ブレイクされたときは、内心とても落ち込みました。

でも、反省は試合後にすることにして、今できることをやろうと思い直しました。」と言っています。USオープンの決勝が、世界ランキング1位のノバク・ジョコビッチ選手を破ったワウリンカ選手の優勝に終わり、少しだけ悔しい思いになっていたころ、今度は、ハンガリーからうれしいニュースが入ってきました。

フランツ・リスト国際ピアノコンクールで、阪田知樹さんが見事優勝したのです。阪田さんのコメントです。「フランツ・リスト国際ピアノコンクールで優勝できて感無量です。リストの故郷であるハンガリーで認めて頂けたことは、大きな喜びです。これからも、精進して音楽家として成長していきたいです。」錦織選手は26歳、阪田さんは22歳です。

どちらも、子供の頃から錦織選手はテニス、阪田さんはピアノに取り組んで、現在に至っています。錦織選手は、ピンチに自分の気持ちを奮い立たせ勝利を手にし、阪田さんは、勝ってもおごることなく更なる成長を誓っています。テニスとピアノ両者に共通するもの、(スポーツと音楽といってもいいかと思いますが)それは、できる人とできない人の圧倒的な、悲しいくらいの差です。

テニスは、ゲームですから、必ず勝者と敗者があります。勝つためには、強くならなければなりません。強くなるためにしなければならないことは山のようにあり、それを学び、自分自身で理解して、実行していくことが必要です。ピアノも美しい感動を与える演奏をするための技術を手に入れるには、同じように多くの努力と時間が必要となります。

そんな努力が結果に結びつくためには、自分と目標との差を的確に認識する冷静さと熱い心が必要です。この二人が今回得た成果は、もちろん、今までの努力の成果ですが、錦織選手の自分の心をコントロールする力、阪田さんの向上心、子供の頃から日々の練習で積み重ね努力することそのものが、二人にもたらした大きな成果なのではないでしょうか。

スポーツも音楽も私たちには、余暇に行うものですが、それでもうまい人と自分の差は、点数や声、楽器の音で歴然です。そして、その差を埋めるためには、自分の力量を知り、上達する方法を学ばなければなりません。負けたからと言って、怒ったり、泣いたりしても何も解決しないのです。私も、泳いだり、走ったりしますが、私にとってこの時間は、貴重な気分転換だけではなく、ちょっとだけの向上心を体験できる時間でもあります。

会社の業績向上には、現状の分析と課題の認識、そして目標の設定と行動が必要です。

冷静な判断と向上心、冷静で熱い心を、錦織選手や阪田さんから学び、実践するには余暇の時間も実は大切な時間です。

スポーツや音楽で、冷静に自分を見つめる目と向上心を手に入れましょう。世界一になることは必要ありません(もちろんなってもいいんです。)少しずつ、心を刺激することです。

 

この話が少しでも何かのきっかけになれば幸いです。

後継者の学校
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歴史に学ぶ後継者経営 真田丸④(真田昌幸)

samurai

私主に日本の歴史から後継者経営に学べる題材をとって、皆さんと一緒に後継者経営を考えて参りたいと思います。今回からは、「真田丸」から題材をとって、真田昌幸の後継者としての成長を見て参りたいと思います。真田丸、お勧めですので見てください。昌幸、信之、信繁それぞれがそれぞれの承継をしていきます。

 

後継者の皆様

 

後継者の学校パートナー、今年はすっかり「真田丸」ウオッチャーとなっています石橋治朗です。

 

私は主として日本の歴史から題材をとって、事業承継や後継者経営のありかたを皆さんと考えていきたいと思っています。

 

ようやく、数ヶ月にわたって(ブログはたったの4回ではあるのですが(汗))、見て参りました「真田丸」も、今回で一応区切りになります。

 

前回まで、主家であった武田家が滅び、自分の居城である岩櫃城へ帰って知謀を巡らせた上で自らを織田信長に首尾良く売り込んだところまではよかったものの、本能寺の変により再び戦国の混乱に巻き込まれて、すっかり困り果てた真田昌幸の去就を見て参りました。放映されたのは、もう半年前になるのですが…(汗汗)

 

ところで、真田昌幸が巻き込まれた、本能寺の変に端を発する甲信地方の混乱は、「天正壬午の乱」と呼ばれています。天正10年(1582年)の干支が「壬午」だったからです。

これは、どのくらいすごい混乱なのでしょう。おそらく、こないだのリーマンショック程度は、「乱」とさえ言われない程度のものかもしれません。少々ショックは強かったけれども、単なる景気変動に過ぎないからです。

「乱」というのは、あらゆる秩序が失われ、人々がお互いに疑心暗鬼に陥って、明日生きていけるかわからない、そういう状況をいうのでしょう。「真田丸」でも、信之と信繁が人質を伴って新府城から岩櫃へ落ち延びる道中は、命と財産を狙われる危険に絶えず襲われていました。そんな思いをしてたどり着いた岩櫃城は、新府城や安土城に比べれば粗末でみすぼらしかったとしても、どれだけ心強い存在だったでしょう。

 

そのような極限の状況の中で、家族と家臣と国人たちを敵から守らなくてはならない、しかし味方はおらず見渡せば皆敵ばかりにみえる状況の中で、真田昌幸が背負っていた責任感とプレッシャーはいかほどのものか、それもまた穏やかな時代に生きるわたしたちの想像をはるかに絶するものがあります。

その中でいかに的外れであったりピントがはずれていたり、あるいは臆するような行動を取ったとしても、決して責められるべきではありません。とはいえ、事態を打開しなければ、武田のように真田も滅び、真田親子の首は桶に入れられて見世物としてさらされるのです。そのような時代でした。

 

さて、本能寺の変で自分の知謀で勝ち取ったと思ったものが全てひっくり返された昌幸は、自らの知謀でさんざん振り回して心に傷を負わせた信之に助けを求めます。

昌幸から見ると、信之(源三郎)は杓子定規で考え方が硬いように思われ、逆に信繁(源二郎)は素直で知恵が回るけれども、思慮深さに欠けるように感じます。いずれにしても、まだ自分の手足になるには両人とも頼りない存在。

しかし、この絶体絶命のピンチの場面で、昌幸は二人から起死回生の大事な気づきを得ることになります。

 

昌幸から意見を求められて、信之は「我らは織田家についたのだから、家臣としての道を貫き、滝川一益を助けて明智を討伐し、織田信長の仇を討つべき」と進言します。信之は常に、まっすぐな原則論、王道を述べるんですね。そこが昌幸から「面白くない」と酷評されるゆえんですが。

しかし、このまっすぐさが昌幸の琴線に触れることになります。ずっと、大名たちの裏をかくことに熱中するあまりに、すっかり策におぼれかかっていた自分の現状に気づかされるのです。

昌幸は言わんことか「なぜ、もっとそれを早く言わない」と信之をとがめます。信之は立腹して「ずっと、申しておりました!」と返しますが。そりゃ怒りますよね。信之はぶれていないのですから。

 

真田昌幸は、信之の進言に従って滝川一益に助太刀を申し出ますが、それまで散々に策におぼれすぎたしっぺ返し、一益から信用されず逆に人質を求められてしまいます。こうしてみると、自分の策謀は全く的を射ていなかったことに改めて気づかされるのですが、それでもそのことに気づかないよりはよほどにいい。

ただし、いざというときのために、巨大な勢力である北条にも真田信伊から気脈を通じておく策も忘れないのですが…

 

そこへ、安土から真田信繁が命からがら逃げ帰ってきます。一緒に人質として同行していた姉の村松殿を護りきることができず、すっかり意気消沈して帰ってきます。

昌幸も、羽柴秀吉が明智を討滅したとの報を聞いて、滝川一益が天下を取る目がなくなったことを嘆きます。

「わしの肩入れした者は、ことごとく運を逃す。源三郎教えてくれ…わしは、疫病神か?」

自分が頼ろうとした大名たちは、ことごとくつまづいてしまう。いったい、この先誰に頼ればいいのか…

 

お互いに意気消沈した二人は、示し合わせたわけでもないのに物見櫓へ登ります。

 

そこからは、はるかに真田の里が見渡せます。

 

信繁は、「ここで姉上と追いかけっこをしておりました…」と述懐します。

 

昌幸は、「力が欲しいのう…織田や北条や上杉と対等にわたりあえるちからが…」と自らの悲運を嘆きます。

 

二人は、それぞれ違った思いを胸に真田の里を眺めます。

 

落ち行く夕陽が差し掛かる、信濃の雄大な山々の美しさ、細やかに手入れがなされたまばゆいような田園風景、もう少しすると豊かな収穫をもたらすであろう畑と甲斐甲斐しく働く百姓の姿、路を盛んに行き交う行商たちの列、そして戦国のなかにあって無邪気にじゃれあう元気いっぱいな子供たち…

 

信繁が、独り言のように

「私は、この景色を見るといつも思うのです。たとえ領主が変わっても、この信濃の景色が変わるわけではない。いつも静かに、あの山々はそこにある。人間のいさかいを笑っているように。

私は、この景色が好きです。信濃は、日本国の真ん中ですから。信濃に生まれたことを、誇りに思います。

父上の子として生まれたことを、誇りに思います」

 

昌幸は里を眺めながら、電気で打たれたようにはっと気づくのです。

 

力がない、と思い込んでいたのは自分だと。

なぜ、北条も上杉も徳川も信濃をうかがうのか。

信濃が豊かな土地だからだ。信濃を欲しいからだ。

信濃には、よい材木が獲れる山々がある。それを運ぶ川も流れている。よい馬も育つ。

街道が通り、人が集まる。東と西を結ぶ、要の土地なのだ。

力がないなんてとんでもない、この信濃がある限り、自分たちは大名たちと対等にわたりあえるのだと。

 

そして何よりも、真田には人がいる。真田を信頼して慕ってくれる民たち、武田に比べれば土臭いけれども忠誠心のあつい家臣たち、そして父親である自分を誇りに思ってくれている息子たち。

これ以上、自分は何を求めるのだと。十分すぎるほどではないか…

 

真田昌幸は、決意します。

 

もう大名たちの顔色をうかがうのはごめんだ。信濃を使って、餓狼のように欲深な大名たちを操ってやる。隙あらば打ち倒す。

そして、この真田をなんとしても守りきってみせると。

大ばくちを打ってやる!と覚悟を決めます。そう、やっと腹が据わったのです。

 

腹が据わると、不思議なことに迷いが消えて、どんどんと打ち手が出てくるのです。これまでのように、周りが困惑するような策ではなく、味方を生かし敵を縦横無尽に欺く打ち手が。策ではなく知謀がわいてくるのです。

息子たちや家臣が昌幸を見る目も変わってきます。父を見上げる信繁の目が輝いてきます。それまで疑いと戸惑いで父を眺めていた信之も、信服するようになります。

 

それにしても、これまで真田昌幸のやることなすことは、なぜ空回りしてしまったのでしょうか。

それは、自分は力のない、誰か大きい勢力に頼らなくては生き延びられない「国人」だと思い込んでいたこと、つまり国人としての「自己概念」で行動していたからだと思います。

 

しかし、国人として行動すると打ち手は限られるんですね。誰につけばいいかをまず見極めなくてはならないし、その相手の力と心理を読まなくてはならない。

これは、安定した状況で力関係がはっきりとわかるのであれば、ある程度打ち手は明確になりますが、天正壬午の乱のような混乱の極みのなかでお互いに疑心暗鬼になっている状況では、ほとんど打ち手がありません。選択肢が少なければ、どんなにすごい知謀の持ち主でも、宝の持ち腐れになってしまいます。

 

でも、自分に軸を持ったちからのある大名であればどうでしょうか。そのちからを生かしていけば、どんなに周りが混乱していても打ち手はあるものなんです。

 

真田昌幸は決してちからがないわけではなかったのです。それに気づかなかっただけなのです。でも、すっかり自分を国人だと思い込んでいて、自分のちからをありのままに見ることができなかったのです。このように、周りとずれている自己概念、自己認識で行動していると、現状を変えることはなかなかできないのです。

 

でも、策を考えるのに疲れ果てて、ゼロベースに立ち返って真田の里をぼんやりと眺めたおかげで、昌幸は自分の持っているちからを客観的に見ることができたのです。

 

つまり、真田昌幸は自己を客観視することによって、自己概念が変わったということなんです。

もっと言えば、自己概念が「国人」から「大名」へと成長したのです。

 

会社で例えると、課長から部長、部長から社長へ成長するように。ここで言うのは地位ではなくて、「自己概念」ですが。

いや、戦国にあっては、もっと切実なことかもしれません。もし真田が大名にならず国人の自己概念のままであれば、大名たちに引きずり回された挙げ句に滅亡したかもしれないからです。

 

自己の客観視によって、自分が持っているちからを正しく把握することができる。ちからがあるとわかれば、「決意と覚悟」も定まります。ちからがないのに覚悟って定まらないと思いませんか。例えば、借金ばかりあって売上がない会社を継ごうと思っても、覚悟ってできませんよね。昌幸も同じです。国人ではとても頼りなさ過ぎて覚悟なぞできなかったけど、「ああ、信濃って実は恵まれた国なんだ。それを押さえてる自分には立派なちからがあるから、大名に頼らなくても自立できるんだ」と覚悟が定まり、「よし、絶対に奴らには負けない!真田を守りきってみせる!」と決意ができたのです。

 

真田昌幸は、こうして「国人」から「大名」へと成長して、天正壬午の乱を乗り切り、上田城の戦いで徳川軍を打ち破って、戦国に一躍その名を轟かせることになるのです。

 

こうしてみると、正しい自己概念を持つことはすごく大切なことですね。自己概念が変わることで、現状への意味づけが変わり、自分の行動が、目の色が段違いに変わるのです。後継者の学校では、キャリアの視点から後継者の「自己概念」に切り込むプログラムを準備しています。これって、すごいことなんですよ。期待してもらって全然構いませんよ。期待してください!

 

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後継者の学校
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クリニックの事業承継⑱ まず何をすべきか?

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後継者の学校のパートナーの児玉秀人です。

私はクリニックの相談にのらせていただくことが多いです。クリニックの経営は財務のこと人事採用教育のこと、相続問題にマーケティングのことなど相談事は多岐にわたります。クリニックの事業承継は一般と何が違うのでしょうか。そのあたりをつづっていきたいと思います。本日は、今すべきことについてです。

後継者の学校のパートナーコンサルタントの児玉秀人です。

 

あなたが事業承継の重要さに気づいたとしたら、今何をすべきなのか。

 

  1. 環境整備

まずは環境整備です。準備の最初の一歩です。いわば準備のための準備です。

ここの手を抜かないことが、事業承継に関わらず、全ての仕事の基本になります。

□    要らないものを捨てる

□    書類の整理・整頓・ファイリング

□    材料、備品、倉庫の整理・整頓

 

  1. 現状把握

自院の隠れた問題を明らかにし、自院の価値と可能性を明らかにする。

□ 財務の実態

実態BS・実態PL・資金繰り・個人との貸借

□ 法務の実態

契約・許認可・コンプライアンス・紛争

□ 事業の実態

市場環境・顧客・商品・競合・SWOT分析

 

  1. 自社の磨き上げ

□ 業務の改善・無駄な経費支出を削減する。
□ 貸借対照表のスリム化(資産の処分)する。
□ 自院の強みを認識し、より強化する。
□ 勝ち戦のできる事業に選択と集中を行う。
□ 業務の権限委譲を進める。
□ 公私を分ける。(資産の貸借・車・交際費)
□ 社内規程・マニュアル・各種書類を整備する。
□ コンプライアンスを徹底する。

 

  1. 可能性を探る

事業承継のすべての形態の可能性を探る。

□ 親子間承継
□ 親族への承継
□ 従業員への承継
□ 他人への承継(M&A)
□ 社会への承継(積極的清算・廃業)

 

  1. カタチの仮決定

事業承継のすべてのカタチの中で、複数の選択肢を仮決定する。

例えば、親子間での承継を進めながら、M&Aで売却して別の場所に新規開業するなどの選択肢を複数決定する。これは仮決定なので、あとで変えてもよい。

  1. 同時進行

仮決定した事業承継のカタチを複数同時に進めていく、この過程を詳細に記録する。

 

  1. ひとつに絞る

最終的に複数の選択肢から一つに絞る。一つに絞れない場合は1からやり直す。

 

自身人生をかけた大仕事なので、納得いくまでやりきることが大事です。

 

 

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「後継者と共に強い会社をつくるヒトとおカネの専門家」

児玉秀人でした。

 

メディカル、デンタルのサポートをしています。

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財務状況を改善したら次はヒト。

「業績が30%向上する人事評価システム」教えます。

私が得意なのは以下です。

 

・人材採用・育成相談、人事評価システムの提供

・資金調達のための経営改善計画書の作成

・設備投資と事業計画に基づいた財務計画の策定

・Web戦略相談など

歯科後継者塾|歯科の事業承継を5日間で学ぶ

 

歴史に学ぶ後継者経営 真田丸③(真田昌幸)

samurai

私主に日本の歴史から後継者経営に学べる題材をとって、皆さんと一緒に後継者経営を考えて参りたいと思います。今回からは、「真田丸」から題材をとって、真田昌幸の後継者としての成長を見て参りたいと思います。真田丸、お勧めですので見てください。昌幸、信之、信繁それぞれがそれぞれの承継をしていきます。

後継者の学校パートナー、この頃はすっかり「真田丸」ウオッチャーである石橋治朗です。

私は主として日本の歴史から題材をとって、事業承継や後継者経営のありかたを皆さんと考えていきたいと思っています。

 

前々回からの続きで、今年のNHK大河ドラマ「真田丸」を取り上げて、後継者のあり方を考えてみたいと思います。

今回取り上げるのは第6話くらいまでですね。前回からも時間がたってしまい、既にだいぶ昔の話ですので、ご覧になられている方はもう忘れちゃったよ、と思われるかもしれませんが、どうかおつきあいください(汗)。

 

さて、前回は「真田丸」以前の真田家の話、当時真田家が置かれていた環境や歴史について、少し説明させていただきました。今回から、いよいよ「真田丸」での真田昌幸について、お話ししたいと思います。

 

武田家が滅び、真田昌幸は本拠である岩櫃城へ戻って今後の方針を考えます。

 

ただし、真田家は独立した大名ではなく、「国衆」と呼ばれる地方の有力者の一つに過ぎません。信濃の大名は武田家であり、国衆はその武田家に協力する代わりに庇護を受けている、いわば大企業の系列会社のような存在でした。「国人」とも言われたりします。

大名から見ると、国衆は平時には自分の手の届かない地元住民を代わりに治めてくれて、合戦になった時には兵士を連れてきて一緒に戦ってくれる頼もしい存在である一方で、いつ何時敵方にいつ寝返るかもわからない存在でもありました。自分の家臣とは違って、人質を取って警戒する一方で、丁重に扱っていたようです。「真田丸」の中で、武田勝頼が真田昌幸の人質を解放したのは、いかに昌幸が勝頼から信頼され感謝されていたかを示すエピソードです。

 

また国衆にとっては、大名は自分たちを守ってくれる、頼れる存在でした。

それがいなくなってしまったのですから、一大事です。

 

まして、真田家が治めていたのは信濃から上野(今の群馬県)にまたがる地域であり、北は上杉、上野の南には北条、甲斐国(今の山梨県)からは織田が迫ってきていて、元々は武田家の敵方になったり同盟を組んだ相手だったりと、過去のいきさつが複雑な相手ばかりに囲まれています。一方と手を組めば、他の相手を敵に回すことになる。しかも過去のいきさつから考えると、手を組んだ相手が100%信頼できるとはとても言えない。

 

このような困難な「外患」(外からの脅威)に加えて、真田昌幸は「内憂」も抱えています。国衆たちです。

武田家からは、真田家が有力な国衆であると扱われていましたが、それはあくまで武田家内部の話で、当の国衆たちはそのように思っていません。人によって違いはあるものの、真田家を含む北信濃と上野の国衆は皆平等な立場だと認識しています。特に「黙れ、小童!」の室賀正武ですね(笑)もう、古いですが…(汗)

 

従って、昌幸がいろいろな案を出しても、自分の利害やメンツにとらわれて全くまとまりません。

 

また、当の真田昌幸はどうだったのでしょうか。

 

前回申し上げましたとおり、真田昌幸は外様でありながら、武田家のエリートコース、大企業で言うとオーナー一族の親類にもなれるチャンスがありました。そこから兄たちの死や武田家の滅亡によって、一気に中小零細企業のような真田家の当主に「落ちぶれた」わけです。

 

そういう経験をした真田昌幸の意識って、どうでしょうか?想像してみてください。

 

自分や自分の周りの全てが武田家に比べると頼りない存在だなあ~と、思ってしまうのも無理はないですよね。

 

武田一族や家臣たちに比べると、意識も能力も低いのに我欲だけは一人前な国衆たち。

完成前だったが立派だった新府城に比べると、貧弱そのものの岩櫃城。

広大な領土と金山(「真田丸」では触れられていませんが武田家の財力を支えていた)を持っていた武田家に比べて、真田の領土は貧しく兵士も少ない。

そして、自分の危機感をよそにわかりきってることばかり言う長男と脳天気な次男坊。

 

「真田丸」の真田昌幸は、胡桃をもてあそびながら独り苦悩します。

自分が頼ることができるのはなにもない。頼れるのは、武田信玄の薫陶を受けた己の知謀のみ。この知謀でしか、この難局は打開することができない。そう思い込んでいます。

 

でも、果たして本当に、そうなのでしょうか。昌幸は自分の知謀しか頼ることができないのでしょうか。真田家はよるべなき存在なのでしょうか。

 

ところで、皆さんは「キャリア理論」というものをご存じでしょうか。

古い話をしていたのに、突然「キャリア」とかカタカナ用語を持ち出して、ごめんなさい。

でも、この時期の迷っている真田昌幸を考える上で、「キャリア理論」を使うのが非常にぴったりなのです。

「キャリア理論」とは、「キャリア」に関する理論ですね。当たり前か。

「キャリア」とは、皆さんご想像の通り狭い意味では「職歴」「経歴」を意味しますが、本来はもっと広い、人の「人生」について考えるものなのです。仕事も含めて、どうすれば自分の人生を有意義なものにすることができるのか、それをいろいろな人が考えている、非常に奥の深い学問です。決して、大学やハローワークの「就職相談」だけではないのです。

 

その「キャリア理論」で非常に大切な概念として、「自己概念」というものがあるのです。「自己概念」とは、文字通り「自己」に関する「概念」です。これも当たり前か。

非常に簡潔に言ってしまうと、自分や自分に近い人たちは、自分をどのようにとらえているか、考えているのか、ということです。家族をみてみると、親は自分を自分の子供の親と考えているし、子供は自分を親の子供と考えています。これはあまりいい例ではないかもしれません。会社で言うと、新入社員は新入社員としての、課長は課長としての、社長は社長としての自己概念を持っています。

 

自己概念の重要性は、自分をどうとらえているかというそのものよりも、自分をどうとらえるかによってその人の行動に影響を及ぼす、ということにあります。新入社員は新入社員の行動をしますし、課長も社長もそれぞれ課長と社長の行動をします。もしも、ここで新入社員が社長のような、あるいは社長が課長のような行動を取ったらどうなるでしょうか?自分も周りも混乱しますね。自己概念が自分の行動や周囲と一致していると、割と物事は上手くいきますし、不整合を起こしているといろいろなあつれきが起こったり、自分のしたいことがうまくいかなかったりします。

自己概念は、本当はもっと深い概念なのですが、今回はこの辺にしておきますね。

 

さて、この「自己概念」という考え方を真田昌幸に当てはめてみるとどうでしょうか?

 

昌幸は、先ほども述べたとおり真田家を「頼りない、ちからのない“国人”」ととらえています。昌幸の場合不幸なのは、かつて強大な武田家の一族に連なるところまで登り詰めたところから、あれよあれよという間に地方の一豪族の当主にまで身を落としてしまったという意識があるために、余計に真田家を小さい存在だととらえてしまっているのですね。

 

それを示す象徴的なシーンがあります。

 

昌幸は、信之(源三郎)に「わしは海を見たことがない…山育ちだから」と述懐します。そして、「国衆(国人)は、力のある大名にすがるしかないのだ…」と呟きます。

しかしながら、武田家で武藤喜兵衛のときに、昌幸は家康を三方ヶ原の戦いで追い詰めていたはず。三方ヶ原は浜名湖の東側にあり、海はすぐそこです。信之からそれを聞かされた高梨内記も「そんなことはないはず…」といぶかります。

ここで「海」とは、「港」のことなんですね。有力な大名は、交易の拠点となる良港を有していました。武田信玄は、清水港が欲しいがあまりに、同盟を破って今川を攻めたくらいです。

自分は国衆であり、国衆は大名にすがるしかない、という自己概念から、思わずこのような一言が出てしまったのですね。

私も、これを聞いていて思わず膝を打ってしまいました。三谷幸喜、芸が細かい!と。

 

そのような自己概念を持っていると、どうなるでしょうか。昌幸の行動は「国人」という枠に押し込められて、いや自ら押し込めているために、非常に選択肢が少なくなってしまいます。そのような状況では、得意の知謀も飛躍のためのつばさを失ってしまっているも同然です。

 

武田が滅亡し、織田が攻めてきているいま、北の上杉に掛け合うか、北条に頭を下げるか。

 

真田昌幸は、皆の意表をついて、敵方と思われた織田に売り込んで、見事に成功させます。それはよかったのですが、一本気だけれども少々知恵の回らない長男を謀略のだしにつかい、心に傷を負わせてしまいます。得々としている父親を見て、源三郎は情けないとともに不信感を抱きます。昌幸は確かに、知恵は回るけれども、なぜかそれに心から納得することができない思い。なぜなんだろう…

 

織田信長に、真田家を高く売り込んで得意の絶頂にいた昌幸に、しかしながらこれ以上ない天の鉄槌が下ります。

 

本能寺の変!

 

真田昌幸が「知恵」を絞ってこねくりあげたものが、全て粉々に砕け散ります。

 

源三郎と二人になった昌幸は、こともあろうにもてあそんだ長男に対して「俺はどうしたらいいんだ!」とすがります。どの面下げて、とはこのことですが…

でも、ここで徹底的に、心の底から自分の「知恵」に自信を喪ったことが、昌幸が変わってゆくきっかけとなります。

そして、二人の息子たちが、昌幸を変えていくのです。

二人のそれぞれの個性で…

 

変わった真田昌幸は、国衆としてうろうろしていた真田家を、戦国を生き抜いて明治まで続く大名へと変えていきます。

 

ようやく、次回完結編です。

 

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