タグ別アーカイブ: 後継者

歴史に学ぶ後継者経営 石田三成の挑戦(最終回)

私主に日本の歴史から後継者経営に学べる題材をとって、皆さんと一緒に後継者経営を考えて参りたいと思います。今回は、「関ヶ原の合戦」の片方の主役だった、石田三成の行跡に後継者としての生き様のヒントが得られないか、皆さんとみて参りたいと思います。

 

後継者の皆様

後継者の学校パートナーで、日本の歴史を愛する石橋治朗です。

 

私は主として日本の歴史から題材をとって、事業承継や後継者経営のありかたを皆さんと考えていきたいと思っています。

 

なお、今回以降も、また前回以前も、歴史の解釈に関しては全く私の私見であることを、あらかじめお断りしておきます。

 

今回は、石田三成の最終回です。

 

関ヶ原の戦いで、260万石という強大な国力と、豊臣政権における5大老の筆頭という権威、そして圧倒的な戦歴をもつ徳川家康に対して、19万石の国力しかない石田三成は、着々と力をつけて堂々と挑戦しました。

 

徳川家康は、豊臣政権が文禄・慶長の役(朝鮮侵攻)で大名たちや領民たちを疲弊させていること、豊臣政権だけが富むような施策に対して、世間の見る目が厳しくなっていることを、政権の重臣として肌で感じていて、秀吉亡き後は自分が政権を取った方が豊臣政権よりも世の中をよくできる、と思っていました。

 

そういう意味では、あくまで豊臣政権への忠誠心だけで行動していた石田三成よりは、家康の方がはるかに視野が広かったと思われますし、その考え方を支持する大名が多かったのは事実です。

 

ただし、たとえ人心を失うような政治をしていたとしても、権力を握っていたのは豊臣家であり、豊臣家に対して忠誠心を持っている大名は多かったこと、またそのような家康の動きに反感を抱いている大名もいました。

 

三成が挙兵していたという報を聞いて、宇都宮まで進んでいた徳川家康はいったん江戸に引き返します。ともに従軍した武将たちは、ほとんど全て家康側(東軍)につくことを誓いました。

一方、三成に味方して豊臣側についた武将たちは、「西軍」と呼ばれます。西軍は石田三成がとりまとめ役でしたが、表には出ないようにとの島左近のアドバイスを受け入れて、毛利輝元に総大将を依頼しました。

 

江戸にいる家康、大坂にいる三成、それぞれ味方を一人でも多くすべく、各地の大名に書状を送ります。

 

名目上の主君は豊臣であるものの、トップに力量があるのは徳川であるため、各地の大名の判断は複雑になります。

表向きは西軍についたものの、裏では家康に使者を送って忠誠を誓っているようなケースがかなり多かったようです。

このそれぞれの大名の思惑が、関ヶ原の戦いをより複雑なものにしました。

 

戦いのための準備を一通り終えて、徳川家康は西へと向かいます。

 

家康西上の報を受けて、石田三成も大垣城に入りますが、前に申し上げたとおり徳川家康は城攻めを苦手としていたので、三成の佐和山城へ向かうふりをして誘い出そうとします。

一方、三成も野外で堂々と決戦して勝つ自信があったため、大垣城を出て関ヶ原で待ち構えます。

 

こうして、さほど広くはない関ヶ原に、東軍約7万5千人、西軍約11万人もの兵士が布陣しました。

 

意外と三成が頑張ったどころか、むしろ西軍の方が多いではないか!と思われる方も、もしかするといらっしゃるかもしれません。

 

明治時代にドイツから招聘された、戦略戦術に長けた参謀将校であるクレメンス・メッケルは、関ヶ原の戦いの布陣を見て即座に「西軍の勝ち」と断定したという話が知られています(これは創作という説もありますが)。

 

しかしながら、先ほども触れたとおり関ヶ原の戦いは極めて「政治的」な戦いであり、東軍のほとんどは徳川家康に忠誠を誓っていたのに対して、西軍で石田三成の指揮のもとに動いたのは3万人もいないような状況でした。

あとは、「日和見」をしていたのです。どちらかが勝ちそうになったら、そちらに味方しようと。

実質的には、東軍7万5千人対西軍3万人ですから、やはり東軍の方が優勢だったわけですね。

 

様々な思惑が交差する中、いよいよ関ヶ原の戦いの幕が上がります。

 

東軍の先鋒の武将たち、福島正則、黒田長政、細川忠興らは、みな「三成憎し」で家康に味方した者たちでした。争って、自分こそ憎き三成の首を上げてやろうと、石田三成隊へ殺到します。

 

石田三成隊の総大将は、当然のこと、島左近です。

 

この日の島左近の戦いぶりは、のちのちまで語り継がれるほど激しいものでした。

乱戦の中央に、鬼神のごとく馬上で仁王立ちとなり

「かかれえーっ、かかれえーっ」

戦場で鍛えた、低く鋭く響き渡る塩辛声で叱咤する声に応えるように、三成の兵士たちは攻めてきた東軍を苦もなく蹴散らします。

この一戦にかける三成の意気込みで一つになった士卒たちの形相をみて、東軍の武将である田中吉政は怖気をふるいます。

「こいつら、死ぬ覚悟で戦っている」と。

 

細川忠興は、戦いから10年たっても、この島左近の突撃の夢にうなされたと述懐しています。

 

石田三成を「ソロバンしかできない、腰抜け侍」と普段から罵っていた福島正則や黒田長政も、島左近の猛烈な突撃に防戦一方となります。

 

東軍に不利となってきた戦況を見つめる徳川家康の顔に、次第に焦りの色が見え始めます。つい、癖となっている指の爪を噛む仕草が激しくなります。

圧勝するどころの話ではない。目の前で東軍が敗北しつつある。周りで日和見している武将たちが、心変わりするかもしれない。

一人の武将が寝返ると、周りの武将たちも雪崩を打ったように西軍へ味方するのは目に見えています。そうなれば、さしもの徳川軍も敗亡せざるを得ない。

 

今川義元、織田信長、豊臣秀吉に仕え、若い頃からこき使われてきた苦労にじっと耐えてきた己の人生。

苦労も知らない、豊臣の小憎らしい若造に、自分と家臣たちが営々と積み上げてきたものをひっくり返されてなるものか。

 

徳川家康は、臆病なほど慎重なことで有名でしたが、生きるか死ぬかの土壇場になると人変わりがしたように大胆になります。この相反する二面性が、もしかすると家康に天下を取らせたのかもしれません。

 

部下を呼び、家康は命じます。

 

「松尾山に鉄砲を撃て」

 

部下は耳を疑います。松尾山には、東軍への裏切りを約した小早川秀秋1万5千人が布陣しています。もしも、鉄砲を撃って怒らせでもしたら、西軍に寝返られ、東軍は敗亡しないとも限りません。

 

「いいから行け!金吾(小早川秀秋のこと)につるべ打ちで撃ってやれ!何をぼやぼやしているのだと」

 

徳川家康の陣から撃ちまくられた小早川秀秋は、その気迫に震え上がり、松尾山から西軍へと攻め下ります。松尾山から一番近くに布陣していたのは、大谷吉継でした。反撃もあえなく吉継は戦死して、島左近も鉄砲で撃たれて屍をさらし、西軍は敗北しました。

 

石田三成は戦場から落ち延びますが、山中で捕縛されて京都で打ち首にされます。関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康に上杉景勝と直江兼続は降伏し、はるか北国へと押し込められることになります。

 

3年後に徳川家康は征夷大将軍に就任して、江戸に徳川幕府を開くことになるのは、ご存じの通りです。

 

石田三成は徳川家康に敵対したために、江戸時代は散々な汚名を着せられます。

 

しかし、多くの大名が強い徳川家康になびく中、豊臣を守ろうと立ち上がった石田三成の勇気と忠誠心は、江戸時代であっても心ある人々、例えば水戸光圀などには賞賛されていました。

強大な家康に徒手空拳で立ち向かった三成の勇気を思えば、汚名ぐらいはむしろ名誉なことかもしれません。どうでもいい敵ならば、憎まれることはないからです。

 

何よりも、石田三成が自ら証明したように、普段から必要な努力を惜しまなければ、たとえ圧倒的な敵を相手にしても対等に戦えるところまで持っていくことができること、これは私たちに大きな勇気とヒントを与えてくれますね。

 

一時的な人の評判やその時の気分に流されず、長い目で見て自分にとって必要な努力を営々と続けること、自分がしなければならないことをたとえ嫌われてもやり続けること、そうすることによって人からの本当の信頼を得ることができるということを、石田三成の生涯は教えてくれるように思います。

 

ブログを読んで興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非後継者の学校の説明会にご参加下さい。

その前に、まず後継者インタビュー(無料)を受けてみて下さい。時間はそれほどかかりません。だいたい、30分~1時間ほどです。

事業承継に関する自身の悩みが整理され、すっきりすると好評です。お気軽にお問い合わせいただければと思います。

 

後継者の学校http://school-k.jp/

歴史に学ぶ後継者経営 石田三成の挑戦(3)

私主に日本の歴史から後継者経営に学べる題材をとって、皆さんと一緒に後継者経営を考えて参りたいと思います。今回は、「関ヶ原の合戦」の片方の主役だった、石田三成の行跡に後継者としての生き様のヒントが得られないか、皆さんとみて参りたいと思います。

 

後継者の皆様

 

後継者の学校パートナーで、日本の歴史を愛する石橋治朗です。

 

私は主として日本の歴史から題材をとって、事業承継や後継者経営のありかたを皆さんと考えていきたいと思っています。

 

今回もまた、石田三成の続きです。

 

関ヶ原の戦いで、260万石という強大な国力と、豊臣政権における5大老の筆頭という権威、そして圧倒的な戦歴をもつ徳川家康に対して、19万石の国力しかない石田三成がどうやって挑戦したのか。

その秘密を、今回もまた続けて考えたいと思います。

 

前回、石田三成の挑戦を探る鍵が、当時の三成をはやした次の歌にあると申し上げました。

「治部少(じぶしょう・三成のこと)に 過ぎたるものが二つあり

島の左近に 佐和山の城」

 

「島の左近」、島左近は前回申し上げましたね。

今回は、「佐和山の城」です。

 

「佐和山の城」とは、現在の彦根市にある佐和山城のことです。城は現存していませんが、城跡が彦根城のすぐそばにあり、電車の車窓から眺めることができます。城跡といっても、単なる山なのですが。

 

もともとは六角氏や浅井氏の城だったようです。秀吉の時代になって、三成が佐和山19万石の領主を任されて、佐和山城に入りました。

 

石田三成は、城主になってすぐに、佐和山城を徹底的に改修します。改修どころか、ほとんど別の城に作り替えます。

標高が232mもある山の上に、5層(5階建て)もの大天守を築くのです。

 

秀吉の築いた大坂城、徳川家康が徳川幕府を開いてから築いた江戸城も、それぞれ天守は5層でした。

19万石ごときのちっちゃな大名が築くような規模の城ではありません。だからこそ、「過ぎたるもの」と歌われたわけですね。

もちろん、三成にはそれだけの大きな城を作った目論見がありました。

 

彦根市をGoogle mapなどで見てください。

地形がわかる地図だともっといいのですが、岐阜から滋賀県へとたどってみると、関ヶ原付近は南北の山に挟まれていて、滋賀県に入ると平地が広がるような地形になっていますね。

彦根は、関ヶ原を通り抜けて平地に入ったすぐのところに位置しています。

 

岐阜方面から滋賀県を通って大阪に攻めてくるような敵は、大軍であるほど関ヶ原を通らざるを得ず、その関ヶ原を過ぎると彦根に突き当たります。

ここに強力な要塞を作れば、関ヶ原に敵を封じ込めることができます。

 

豊臣秀吉が、石田三成を佐和山城に入れた理由がわかりますね。また、三成も自分の役割を十二分に理解していました。

仮に徳川家康が大軍で攻めてきても、持ちこたえられる城を築いたわけです。

 

また、当時の城は単に敵が攻めてきたときにこもる「軍事目的」だけのものではなく、内政や外交の拠点であり、かつ城の周りには「城下町」ができるため、経済の中心としての機能も果たしていたわけです。

 

特に、佐和山城は日本の五街道の一つである「中山道」に面していて、旅人の往来が多い場所でした。そこに見上げるような立派な城がそびえ立っていると、いやでも人目につくようになります。当時は、みな徒歩で旅をしていましたから、道中は退屈なんですね。立派な建造物があると、ついつい見とれてしまうわけです。「なんて、すごい城なんだろう!なぜ、こんな鄙びた場所にこんな立派な城があるのか!」と。

その評判は人から人へと伝わり、ついには世間の評判になります。世間の評判が高くなるにつれて、佐和山の人たちは佐和山城を誇りに思うようになり、また石田三成への忠誠心も高くなるのです。

 

関ヶ原の合戦のあとで、石田三成の領地を任された井伊直政(徳川家の重臣)は、その佐和山城を使わずにこれを徹底的に破壊して、改めて新しく彦根城を築きました。おそらく、石田三成への領民の思いを消すためでしょうか。いかに、佐和山の人たちが佐和山城を誇りに思っていたか、石田三成を信頼していたかがうかがえるエピソードです。

 

さらに石田三成が徹底しているのは、城の外観が立派であるのに対して、内装は極めて質素だったことです。内壁を塗ることもなく、床は板張りで、庭にも大したお金をかけていませんでした。まさしく実用一点張りの城だったのです。城内に金銀の蓄えもほとんどありませんでした。いかに、三成が自分のためではなく、豊臣秀吉に尽くすため、あるいは領民のためにお金を使っていたかがわかります。

 

この佐和山城があるおかげで、徳川家康の行動も大きく影響を受けます。城を攻めるのを極端に苦手としていた家康は、関ヶ原の合戦の直前に石田三成が大垣城に籠もっていたことをみて、より強固な佐和山城へ籠もられないように、大垣城を迂回して佐和山へ向かいます。それを見た石田三成がそうはさせじと家康を先回りすることで、関ヶ原で戦いが起きることになるわけです。

 

石田三成は、自分に足りないところ、また自分がするべきこと、準備することをよく心得ていて、そのためだけにお金を使ったのです。すなわち、「人」と「器」に投資したわけですね。立派な武将と城を持つことで、石田三成の力量に対する世間の信用力はぐんと上がりました。

 

島左近を招き、佐和山城を築いた石田三成は、どのように家康に挑戦したか、それをさらに見ていきたいと思います。

 

ブログを読んで興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非後継者の学校の説明会にご参加下さい。

その前に、まず後継者インタビュー(無料)を受けてみて下さい。時間はそれほどかかりません。だいたい、30分~1時間ほどです。

事業承継に関する自身の悩みが整理され、すっきりすると好評です。お気軽にお問い合わせいただければと思います。

 

後継者の学校 http://school-k.jp/

歴史に学ぶ後継者経営 石田三成の挑戦

私主に日本の歴史から後継者経営に学べる題材をとって、皆さんと一緒に後継者経営を考えて参りたいと思います。今回は、「関ヶ原の合戦」の片方の主役だった、石田三成の行跡に後継者としての生き様のヒントが得られないか、皆さんとみて参りたいと思います。

 

後継者の皆様

 

後継者の学校パートナーで、日本の歴史を愛する石橋治朗です。

 

私は主として日本の歴史から題材をとって、事業承継や後継者経営のありかたを皆さんと考えていきたいと思っています。

 

しばらく、時間が空いてしまいました。皆様、いかがお過ごしでしょうか。

 

私は、年に何度か東京から大阪へ新幹線で行くことが多いのですが、途中で関ヶ原付近を通過するたびに「関ヶ原の合戦」に思いをはせることがあります。

 

その「関ヶ原の合戦」を、学生(中学・高校?早熟な人は小学校かも、ですね)の時に初めて習ったときに、皆さんはどのように思われましたか?

 

私は、率直に「石田三成?誰だろう?」と思いましたね。

 

何しろ、関ヶ原の戦いは「天下分け目の戦い」とも言われた大きな戦いです。その片方が徳川家康という押しも押されもせぬ江戸時代の創始者であるならば、相手は「豊臣秀吉」でないととても釣り合いませんよね。

まあ、当時は歴史に無知だったので、豊臣秀吉が生きてたら起きるはずのない戦いということまでには思いが及びませんでした。秀吉亡き後の、覇権を争う戦いですからね。

 

しかしながら、無知でありながらも私の素朴な疑問はそれほど的を外していなかったと思います。東軍の大将である徳川家康の国力は石高にして約260万石、西軍を仕切った石田三成は同じく19万石、約13倍もの開きがあります。

 

260万石と19万石、これはどのくらいの違いかというと、単純に260万人の人口がいる国と、19万人の国との違いと考えてください。家康が使える兵力は、約6~7万人、三成の使える兵力は5千人でした。やはり、10倍以上の差があります。

 

いかに、徳川家康の力が隔絶していたかわかりますね。

 

さらに、徳川家康は豊臣政権において、5大老と呼ばれる重臣たちの筆頭であり、かつ織田の時代からの豊富な戦歴を持つ、権威と実力においても他を圧倒する存在でした。

 

はっきり申し上げると、徳川家康に石田三成が戦いを挑むなど、「無謀」「無茶」「怖いもの知らず」以外のなにものでもないのです。

 

でも、今回から始まる「石田三成」では、この「無謀さ」をテーマにしたいと思います。

常識的に考えれば惨敗どころか全く勝負にならないであろうこの「無謀な」戦いは、実はかなりいい勝負になります。

東軍の圧勝どころか、徳川家康はすんでのところで天下を取り落とすところまで行くのです。

当時の下馬評でも、あるいは現代においても、無謀な戦いであるという下馬評を、どうやって三成はひっくり返すところまで持って行けたのか。ここに、後継者が学ぶべきヒントが埋まってやしないか?と思うのです。

 

ほう、いい勝負まで持って行けたということは、石田三成はすごくできる奴なんじゃないか。優秀だから、周りの人がついてきたんでしょう!

皆さんは、もしかするとそう思われたでしょうか?

 

当時の石田三成の評価は、実務能力は有能だけど、戦場ではたいしたことはない、というものでした。

飛び抜けて優れた官僚ではあるが、武将としては平凡というのが正直なところでしょう。

 

でも、10万人とも言われる東軍(家康の率いた軍勢)に対抗できる勢力を揃えたんだから、さぞ石田三成には人気や人望が備わっていたんじゃないでしょうか、と思われる方も、ひょっとしたらいらっしゃるかもしれません。

 

石田三成の当時の人物評は、当時の言葉で表すと「へいくゎい者」です。

現代語で言うと、「横柄」「傲慢」ですね。

 

超がつくほど管理能力に優れ、豊臣秀吉の絶大な信頼があり、豊臣家の政治は三成なしには成り立ちませんでした。それほどの能力を持ちながら、他人からは恐れられ、嫌われていました。

もっとも、それは石田三成の場合、豊臣秀吉の権威を借りてというわけではなく、持って生まれた性格だったと思います。

頭の回転が速く、思考が明晰で先が見えすぎる人は、ついつい他人がバカに見えてしまうんですね。

石田三成の場合、それを隠さなかったので、人望があるどころか嫌われ者だったと申し上げても言い過ぎではありません。

 

武将としてたいしたことがなく、人望も全くなかった石田三成が、いったいどうやって歴史上に残るような合戦をまとめることができたんでしょうか?

 

これって、後継者でなくても興味ありますよね。

 

まして、事業を承継しようとしている後継者は、家康に挑む三成のような、ある種無謀な戦いをしようとしているといっても、言いすぎではないですよね?もちろん、皆さんが三成のように性格が悪い、と申し上げているのではないですよ。

 

資質もたいしたことなく、人から嫌われていた三成でさえ、家康と勝負できたんです。

でも、それはもちろん、三成が尋常ではない努力をしていたからです。

そこに、事業承継という勝負をしようとしている後継者が学ぶべきことがあるんじゃないか、ということです。

 

次回から、石田三成の尋常ではない努力を、見ていきたいと思います。

 

ブログを読んで興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非後継者の学校の説明会にご参加下さい。

その前に、まず後継者インタビュー(無料)を受けてみて下さい。時間はそれほどかかりません。だいたい、30分~1時間ほどです。

事業承継に関する自身の悩みが整理され、すっきりすると好評です。お気軽にお問い合わせいただければと思います。

 

後継者の学校  http://school-k.jp/

渡す人から見た事業承継

後継者の学校パートナー、中小企業診断士の岡部眞明です。

「人を看るには、ただ後の半截(はんさい)を看よ」中国の古典「菜根譚(さいこんたん)」にある言葉だそうです。

「人の価値を見るには、その後半を見ればよい。」「人の一生は、晩年をどう生きるかで決まる。」晩節を汚しかねない年齢に差し掛かっている私には、厳しい言葉です。また、若気の至りを繰り返した私の人生に希望を与えてくれる言葉でもあります。

30数年前大きな不安とさらに大きな希望を抱き起業し、がむしゃらに働いてきたあなた。

苦労の甲斐あって、売上げもそこそこ伸び、従業員もそれなりに増えて、子供たちも結婚して、がむしゃらに働いていた頃は分からなかった孫のかわいさを実感している、といったところでしょうか。

長男も5年前に、会社に入ってくれて専務として頑張ってくれているし、従業員も社長・社長と言って、従順に指示に従ってくれる。お得意様との取引も安定している。何かあると、銀行は何かと相談に乗ってくれているし、今は何の心配もない。

ところで、後を継がせようとして入社させた長男はどうしていますか?

商工会の青年部の会合を口実に外出ばかりしていたり、担当の業務にばかり力を注いで、担当外のことには無関心になっていたりしていませんか?

そして、従順な従業員、何か問題が起こったら全てあなたの判断を求めたりして、指示待ち状態になっていませんか?

本当に何の心配もない?

今の会社から、突然あなたがいなくなった日を考えてください。「そんなこと、あるわけないでしょ?」

そんなこと、ありますよ。あなたは、今何歳でしょう?

あなたがつくった会社には、もう、あなた一人のものはありません。あなたの家族、専務はじめ子供たちの家族、従業員とその家族、銀行、何より取引先、そしてその家族、あなたの会社に関係する人は、無限に広がります。

そうです、その会社に「そんなこと、あるわけないでしょ!」と?ではなく!で言い切ることが、あなたの「後の半截」にやるべきことなのです。

半截(人生の残り半分?)というくらいですから、長い時間が必要です。今の会社が、あなたがいなくても十分に機能し、今の、いや今以上の人々に関係してもらえるように、今から、取り掛かりましょう。

将来の会社の姿を思い、そこで働く従業員を思い、どんな姿を思い描くか。そして、その為に、どんな行動をとるのか、全てあなた自身が決めなければなりません。何故って、あなたがつくった会社ですから。

「人を看るには、ただ後の半截(はんさい)を看よ」

あなたの評価は、これからです。人生まだまだ。

後継者の学校でサポートできることがあります。

詳しくはこちら!
http://school-k.jp/

歴史に学ぶ後継者経営 真田丸②(真田昌幸)

私主に日本の歴史から後継者経営に学べる題材をとって、皆さんと一緒に後継者経営を考えて参りたいと思います。

今回からは、「真田丸」から題材をとって、真田昌幸の後継者としての成長を見て参りたいと思います。真田丸、お勧めですので見てください。昌幸、信之、信繁それぞれがそれぞれの承継をしていきます。

 

後継者の皆様

 

後継者の学校パートナー、石橋です。

 

私は主として日本の歴史から題材をとって、事業承継や後継者経営のありかたを皆さんと考えていきたいと思っています。

 

前回からの続きで、今年のNHK大河ドラマ「真田丸」を取り上げて、後継者とは、ということについて考えてみたいと思います。前回が、5月末というのは伏せておきたい事実ではございますが…大変ご無沙汰いたしまして、申し訳ございません。

前回では、「真田丸」を見てみたら期待以上に面白かったこと、そして1話から6話までに描かれている真田昌幸の後継者としての成長から、私たち後継者も学べそうな気がしたことを申し上げました。

 

ただ、大河ドラマの1話から6話といえば…お正月から2月の寒い頃までのお話しです。もう梅雨も終わろうとする今頃になって、書く話ではないですよね。もうすっかりそんな頃の話など忘れておられる方も多いと思いますので、あらすじと一緒に真田昌幸の成長を見ていきたいと思います。

 

また、前回でも真田昌幸について簡単に紹介しましたが、真田家と真田家が置かれていた時代や環境について、少し説明させていただく必要があると思います。「真田丸」は話の展開上、武田家の滅亡から始まっているのですが、その関係でそれまでの真田家の成り立ちなどの説明を省略しています。大河ドラマは、45分×50回あまりという制約があるので、致し方ないのでしょう。

 

その補足の意味で、少々まどろっこしいとは思いますが、「真田丸」に至るまでの真田昌幸について、今回は申し上げたいと思います。

 

 

真田昌幸は、「戦国キャラ」で分類すると、いわゆる「知謀派」です。

「知謀派」は、毛利元就のところでも紹介しましたね。

「知謀派」と言っても様々でして、ライバルの国の武将を寝返らせる(こちらの味方につける)「調略」を得意とする武将や、敵方を混乱させる「謀略」を得意とする者、戦場において相手の意表を突く戦術を得意とする武将なども、「知謀派」と言われたりします。

 

「知謀派」にはそれぞれ、得意不得意があります。「調略」で有名なのは言うまでもなく羽柴(豊臣)秀吉ですね。「謀略」は毛利元就でしょうか。

 

真田昌幸は、「知謀派」の中でも、相手の意表を突く戦術に長けていたタイプだと私は思います。小集団を意のままに操って、複雑な地形を利用した芸の細かい戦術の使い手でですね。これは、真田昌幸が生まれ育った環境が影響しています。

 

真田昌幸は、信濃国の小県郡(上田市のあたり)の生まれです。北陸新幹線に乗られたことがある人はご存じかもしれませんが、安中榛名を過ぎて富山に出るまでの長野県の区間は、トンネルに入ったり出たりの繰り返しです。

 

そうなんですね。信濃国は今の長野県とほぼ同じですが、山々のあいだに小さな盆地があってそこに人が住んでいるような土地柄なのです。耕作できる土地は狭く地質も痩せていて収穫が少ないため、人口は少なく、それぞれの盆地を小さな豪族(国人・国衆と呼ばれている)が治めていました。あまり、大きな勢力(いわゆる大名)は育ちにくい環境でした。

 

なおかつ、地形が複雑なため攻める方に厳しく守る方に有利です。領地を拡げようとしても、はるばる山を越えていかないといけないので、時間も手間もかかります。

このような環境では、少ない人数を使って、入り組んだ地形を利用した複雑な戦術が有効です。美濃(岐阜県)や近江(滋賀県)の平野で大兵力同士の戦いをしていた織田信長などとは、対照的ですね。

 

ただし、東海道や北陸道と並び東西を結ぶ東山道(中山道)が通っており、人の往来は少なくはなかったようです。

 

そのように小さい豪族同士が争っているところへ、甲斐国から大勢力を率いた武田信玄が侵攻してきて、最終的には信濃は武田家に併呑されます。ただし、信玄をもってしてもそれは簡単な事業ではなく、武田家は様々な国人たちに協力を求めます。

真田家は当時の当主である真田幸隆が積極的に武田家に協力しました。優れた知謀を使ってめざましい活躍をして、たちまちに信玄の信頼を得ます。

真田昌幸は真田幸隆の三男でしたが、真田が武田の家臣となった証として人質になり、武田家に送られます。

もっとも、真田一族は優秀であり武田家での働きも高く評価されていたので、人質というよりもスカウトされて英才教育を受けさせてもらえたようなものです。それはまた、武田の懐柔策の一つでもありました。

 

「真田丸」7話の中で真田昌幸が「わしもカンだけで生きておる。だがわしのカンは、場数を踏んで手に入れたカンじゃ」というくだりがあります。これは、実は正しくはありません。真田昌幸は武田信玄の生前、「信玄の眼」と呼ばれたほどに認められ、信玄から期待をかけられておりました。

武田信玄は、自他認める学問好きであり、四書五経を始めとして一通りの学問は全て修めており、目をかけた家臣にも必ず学問をさせたはずです。武田信玄を尊敬していた徳川家康も、同様に熱心な学問好きでした。

 

基本的な学問を修めていないと、人を率いる武将としての働きはできないと当時は考えられていました。主だった武将には、必ずアドバイザーのような僧侶がいます(武田信玄の場合は快川紹喜)。信玄から命じられて、真田昌幸も一通り以上の学問は修めていたことでしょう。

 

そのように、武田信玄から大きな期待を受けて、信玄の親衛隊としてそばに仕えていた昌幸は、その期待のあらわれとして、跡継ぎがいなかった武田家の親類(信玄の母の一族である大井氏の支族)である「武藤氏」の養子に入り、「武藤喜兵衛」と称します。「真田丸」でも、三方ヶ原の戦いで徳川家康を追い詰めた「武藤喜兵衛」の話が出てきますね。いわば、選ばれて親会社の社長の一族になったようなものです。将来は、武田氏の親類族として、武田家を支えることが期待されていたわけですね。

 

しかし、前回でも申し上げたように、昌幸と同様に武田家に仕えていた二人の兄が長篠の戦いで戦死します。二人とも同時に失うのですから、いかに過酷な戦いだったかがわかりますが、これで昌幸は武田家の一族になれるという夢のような立場から、真田家の跡継ぎとして真田姓に戻ることとなります。兄たちを失った悲しみと合わせて、少々複雑な、残念な気分だったかもしれません。

 

追い打ちをかけるように、長篠から7年後、織田軍が攻めてきて親会社である武田家が滅亡してしまいます。国人衆として武田家を支えていた真田家は支柱を失い、途方に暮れることとなります。

 

ここから、真田昌幸の苦闘が始まります。さて、真田昌幸はこの苦境をどのように越えていくのか。次回、見て参りましょう!

 

 

というわけで、延々と退屈な説明を聞かせてしまい申し訳ございません。書いているこの私も退屈でしたが、これを書いておかないと次回につながらないのです。次回からいよいよ本番ですので、こうご期待です!

 

ブログを読んで興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非後継者の学校の説明会にご参加下さい。

その前に、まず後継者インタビュー(無料)を受けてみて下さい。時間はそれほどかかりません。だいたい、30分~1時間ほどです。

事業承継に関する自身の悩みが整理され、すっきりすると好評です。お気軽にお問い合わせいただければと思います。

 

 

後継者の学校

http://school-k.jp/

経営と事業承継を前進させる”きっかけ”を得る無料講座

後継者の学校の大川原です。

後継者の学校で《無料》で開催している「入門講座」についてご紹介いたします。

 

後継者の学校の入門講座は、

「事業承継や会社経営を前にして、何をすればわからなかったけど何をすればよいのかわかった」と、ほとんどの後継者に評価をしていただいているように、事業承継と後継者経営を前に進ませる”きっかけ”を得るため学びの講座です。

 

90分の中で、後継者の事例も考えていただきながら、事業承継と経営に対する考え方をしっかりとわかっていただきます。

 

なぜ入門講座をするのか、

巷には、事業承継の仕方を学ぶ講座、後継者が経営を学ぶ講座はたくさんありますが、

一方で、後継者が学ぶ理由をしっかりと伝えている講座は数少ないと感じています。

 

「なんのために事業承継をするのか?」「なんのために学ぶのか?」

後継者自身がそういった根本的なものにきづけなければ、学んでも使えない知識になってしまう可能性があります。

 

ですので、事業承継や後継者経営を前に進めるために、仕事以外で学ぶことは必須ですが、

学ぶ前に、まずは、学ぶ理由(目的)、前に進む理由(目的)を得ることが必要だと考えています。

 

入門講座では、事業承継の本質や全体像に触れながら、後継者が事業承継や後継者経営を学ばなければならない理由について、わかるための講座です。

まずは、入門講座できっかけを作っていただけば、その後のすべての学びが、どんな学びであっても後継者の糧になると考えています。

 

 

 

 

入門講座では、具体的に以下のような内容をお伝えしています。

 

1・事業承継の実態について

・当たり前のことだけど、気づいていない事業承継の実態についてデータをもとに共有します

2・後継者の事例検討

・後継者A氏の事例を検討することで、必要なことが見えてきます

3.事業承継で陥る罠について

・後継者が事業承継ではまりやすい罠について説明します。罠にはまっていると最悪の状態になる可能性があります。

4.事業承継の本質について

・事業承継を進めるうえで、ほかでは語られないもっとも大事なことをお伝えします。

5.事業承継の全体像について

・これ他にはない事業承継の全体像について、説明します。

6.後継者が事業承継を進めるためにやるべきこと

・そのうえで、後継者がやるべきことを整理してお伝えします。

7.後継者の学校で学べること

・これらを踏まえて、最後に「後継者の学校」で学べること、得られるものについてご案内します。

※主催地域によって多少異なる場合があります。

 

これをを90分でお伝えし、事業承継の本質に気づいていただくための講座です。

 

だから、この入門講座を受けていただくことで、

後継者の皆さんが事業承継や会社経営を進めるために、何をすれよいのかわかっていただけるのです。

 

まずは、入門講座だけでも受けていただき、前に進むきっかけをつかんでいただければ幸いです。

 

【直近の「入門講座」情報】

 

○東京校

2016年7月25日(月)18:00~19:30

詳細はこちら↓
http://www.school-k-program.com/

 

○九州校

2016年7月2日(土)9:30~11:30 (特別講座)

詳細はこちら↓
http://www.school-k-program.com/#!preseminar-kumamoto-2/f2pnk

 

 

ベーシックプログラムについてはこちらをご覧ください。興味のある方は、見学も可能です。

http://www.school-k-program.com/#!basic-tokyo/acty5

 

将来輝く後継者のみなさまに出会えることを楽しみにしています。

また、当プログラムの卒業生の経営者の仲間もみなさんが参加して仲間になっていただくことを心待ちにしておりますので、

一度セミナーに来ていただければと思います。

 

どうぞよろしくお願いいたします。

 

代表取締役 大川原 基剛

 

後継者にまつわる小説あれこれ(その12)

司法書士の木村貴裕です。

小説は気軽に読めて、でも何か気づきを得たり、力がわいてくることってありますよね。

ほんの少しでも何か感じてもらえそうなものをこれから少しずつ紹介したいと思います。

後継者の学校パートナーブログですので、もちろん後継者や事業承継に関するものを。

 

後継者の学校パートナーで司法書士の木村貴裕です。

私は通勤時間をもっぱら読書にあてております。

地下鉄なので外の景色を眺めても面白くもなんともないという理由もありますが。

 

経営書ではなくあまり肩のこらない小説ばかりなのですが、結構事業承継にからむ話もあります。

後継者や後継者候補の方に何か少しでも感じてもらえるものがあればと思い、今まで読んだ中から、後継者や事業承継に関係するものを何冊か紹介します。

 

今回紹介するのは、

 

「ローカル線で行こう!」真保裕一 著(講談社)

 

赤字ローカル線の再生を託されたのは、地元出身の新幹線カリスマ・アテンダント というお話し。

帯に、読めば元気が出てくる痛快鉄道再生ミステリー とあります。

はい、確かに元気がでます。

 

運行本数も減らし、社員を半数近くまで人員整理をしてなお走れば走るほど赤字がかさむ状態。

経営陣にそっぽを向く、というより皆がてんでばらばらの方向を向いているような社員、社内の覇気のなさ、風紀の乱れ。

なかなか厳しい状態です。

 

そんな状況から、新社長が、持ち前の知恵と度胸で社内を活気づかせていきます。

 

打ち手はそれほど目新しいとは言えないものですが、明るく前向きに取り組み、副社長や社員ひいては地域まで巻き込んで、やがて皆が同じ方向を向いて進んで行こうという雰囲気になっていきます。

 

つい最近、現実に業績を伸ばしている社長の話を伺う機会がありましたが、一つ一つのことに気を遣い、一つ一つのことをきちんと積み重ねていく、もしかしたらその一つ一つの打ち手はそれほど目新しいことではないのかもしれませんが、それを丁寧に継続していくというのはなかなかできることではありません。

 

それどこかで聞いたことがあるよ、ということでも実際に取り入れ継続していくのは難しい。

そういうことができるかどうかが大きな差になるのだと痛感しました。

 

後継者経営でも必要な自社の強みの再確認、小説では今までもうひとつ生かせていなかった沿線や社員の良さを見いだしあるいは再確認し、それを強みに変えたりして、盛り立てていきます。

 

色々取り上げたい箇所があるのですが、もう一つだけ。

 

新社長に就任する際に、異例人事に納得のいかない株主を前に、5ヶ月で結果がでなければ首を切ってもらって結構という啖呵を切ります。

 

経営者である取締役は、会社所有者である株主に自分を選んでもらわなければなりません。

株式会社では当たり前の構図なのですが、現実の後継者や後継者候補には株主と取締役の違いが今ひとつわかっていない方がいらっしゃいます。

 

これもつい最近あった現実の話なのですが、代表取締役になればそれで会社のことを全て自由に出来る、自分のものになると考えていらっしゃる方がいました。

株式に関しては全く気にしていない様子。

 

そもそもご自身を経営者に選ぶ権限がご自身にあるかどうかもわからないのに、そして、経営者になったとしても首を切られる可能性があるなんてことをこれっぽっちも心配している様子も感じられない。

 

業績が上がらなければ首を切ってもらって構わないと主人公は言いますが、現実に起きたらたまったものではありませんよね。

株式を掌握していないというのは、そういう危険性があるということです。

もっと言えば、収益があがる仕組み作りができたとたん首を切られる可能性もあります。

そんな状態で力が発揮できる人は少ないのではないでしょうか。

 

小説の主人公は、実は二人。

先ほど紹介した新幹線アテンダントの新社長(女性)と、出向してきている県庁職員の副社長(男性)。

 

副社長の変化なども楽しめます。

 

後継者の学校では、後継者や後継者候補のために、自社の客観視や統治基盤など事業承継に関する幅広い内容のプログラムを用意しています。

 

ご興味のある方は、一度ご連絡下さい。

 

先に紹介したように痛快鉄道再生ミステリーとありますが、それはどんな内容かは読んでからのお楽しみとしておきましょう。

 

この話が少しでも何かのきっかけになれば幸いです。

お得に参加できる「放課後勉強会」や無料で受けられる「後継者インタビュー」好評実施中です。ご興味のある方は是非ホームページ(http://school-k.jp/)からお問い合わせください!

クリニックの事業承継① 後継者の覚悟

後継者の学校のパートナーの児玉秀人です。

私はクリニックの相談にのらせていただくことが多いです。クリニックの経営は財務のこと人事採用教育のこと、相続問題にマーケティングのことなど相談事は多岐にわたります。クリニックの事業承継は一般と何が違うのでしょうか。そのあたりをつづっていきたいと思います。本日は後継者の覚悟についてです。

 

後継者の学校のパートナーコンサルタントの児玉秀人です。

 

一般的にクリニックや病院の後継者というとどう思われますでしょうか?

 

きっとお金持ちなんやろな~とか

なんも心配なくていいな~とか

なんでうちは病院じゃなくて工場やねんとか・・・

 

思われている方もいらっしゃるかもしれません。

 

 

ご推測の通り

医者のご子息は医者になることが多いのは事実です。

 

では、皆さんが安泰なのかというと

そううまくいくほど世の中は甘くないのです。

 

一般の事業承継と決定的に違うところは

経営者は医師でもあるということです。

 

つまり、後継者候補もまた医師だということになります。

 

どういうことかと申しますと

 

最近はとくにですが

自分の将来のキャリアを選択する時期は

大学に入ってからという方が多いのではないでしょうか。

 

ところが、医師や歯科医師になるためには

医大や歯科医大を卒業し

国家試験に合格しなければいけません。

 

つまり、遅くても高校を卒業する前には

自分のキャリアは決めなければいけないということになります。

 

そして医学部はそんなに簡単に入れませんので

もっと前から受験を含めた準備が必要ということになります。

 

 

ほとんどの方は10代のころに

医師になる決意と覚悟を決めていることになります。

 

難しい国家試験を通過した後は

よっぽどのことがなければ、ドクターでありつづけます。

 

 

そのキャリアの選択肢は

一般の人と比べると少ないかもしれません。

 

病院の医局勤務か

大学病院で研究を続けるか

クリニックを開業するか

親の医院を継ぐのか

 

医者をやめる選択肢を除くと

そんなに多くはありません。

 

 

特に歯科医師は

大学かクリニックかの2択しかないと言っても過言ではありません。

 

そうなると

継ぐのか?

開業するのか?

 

みたいになりますが、

クリニックというのは地域ビジネスです。

(医療ですがあえてビジネスという言葉を使っています)

 

そして医療技術は日進月歩。

 

まずもって、親の世代と子の世代が

診療方針で一致するなどというのは

まれでございます。

 

 

それに輪をかけて

一般の事業会社と違うのは

余剰金の配当禁止などという

よく知られた法律の話ではございません。

 

「ヒエラルキー」と「メンタリティ」です。

 

個人医院の院長や

医療法人の理事長というのは

 

資格者の頂点であり階層社会のTOPです。

「ヒエラルキー」の頂点です。

 

そしてさらに

地域を長年支えてきた

地元の誇りともいうべき存在感ともいうべき

「メンタリティ」です。

 

 

そこに親父の威厳みたいなものが

加わるわけですから

 

そう簡単ではないのです。

 

 

小さいころから親に期待されて育ってないと

なかなかその道に進むのは難しそうです。

 

 

10代で人生の分かれ目を経験しているからこその

強みともいえます。

 

あなたは10代の決意で今も揺らいでないものはありますか?

 

このエピソードに胸がざわついた

そんな後継者(経営者)の方! まずは

後継者インタビューを受けてみてはいかがですか?

無料で受けられて、気持ちがすっきりするとのお声をいただいております。 後継者インタビューについては下記から詳細をご覧ください。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

http://school-k.jp/interview/

 

 

 

「後継者と共に強い会社をつくるヒトとおカネの専門家」

児玉秀人でした。

 

メディカル、デンタルのサポートをしています。

「クリニックの財務が劇的によくなる秘密の方法」教えます。

 

財務状況を改善したら次はヒト。

「業績が30%向上する人事評価システム」教えます。

私が得意なのは以下です。

 

・人材採用・育成相談、人事評価システムの提供

・資金調達のための経営改善計画書の作成

・設備投資と事業計画に基づいた財務計画の策定

・Web戦略相談など

後継者にまつわる小説あれこれ(その9)

司法書士の木村貴裕です。

小説は気軽に読めて、でも何か気づきを得たり、力がわいてくることってありますよね。

ほんの少しでも何か感じてもらえそうなものをこれから少しずつ紹介したいと思います。

後継者の学校パートナーブログですので、もちろん後継者や事業承継に関するものを。

 

後継者の学校パートナーで司法書士の木村貴裕です。

私は通勤時間をもっぱら読書にあてております。

地下鉄なので外の景色を眺めても面白くもなんともないという理由もありますが。

 

経営書ではなくあまり肩のこらない小説ばかりなのですが、結構事業承継にからむ話もあります。

後継者や後継者候補の方に何か少しでも感じてもらえるものがあればと思い、今まで読んだ中から、後継者や事業承継に関係するものを何冊か紹介します。

 

今回紹介するのは、

 

「仏果を得ず」三浦しをん 著(双葉社)

 

純粋に面白いので読んで欲しい小説で、ここで取り上げるのはどうかなぁと、ずっと悩んでいたのですが、まぁ四の五の言っててもしょうが無いので紹介します。

 

人形浄瑠璃・文楽の若き義太夫が主人公の物語です。

高校の修学旅行で文楽を観劇した主人公は、後に師匠となる老義太夫の語りに圧倒され、心奪われ、ついには一生をかけてやってみようと決意し、文楽の世界に飛び込みます。

 

義太夫の神髄を極めるため芸に打ち込む日々、そこに心乱す女性が現れたりして、という青春小説です。

 

後継者や事業承継に関係するものをということで続けておりますが、この話は今までとは少し違うと感じるかも知れません。

 

もちろん承継に関する話なのですが、自身の芸を極めるという、どちらかというと経営者というのではなく職人的なと読んだ方は感じるかも。

余りにも文楽に夢中で、純粋にその真髄を探る姿勢は、少し嫉妬すら覚えます。

 

「あぁ、こんなにも自分の好きなことにのめり込めたら幸せだろうなぁ」と感じる方も多いかもしれません。

 

主人公が「女殺油地獄(近松門左衛門作の人形浄瑠璃ですが、ものすごいタイトルですよね)」の登場人物である与兵衛の心情をくみ取ろうとするくだりで、「あらかじめ定めづけられた生への疑問」という言葉がでてきます。

 

生まれついた家により選択の余地が無くその人生が定められていることへの疑問。

 

主人公の仕事にのめり込む姿、世襲、この物語には後継者や後継者候補の心を刺激せずにはおかないものが多くあります。

 

ちなみに文楽の世界は、その家に生まれた者もいるが研修所出身者も多数いるとのこと。

 

自身の人生を単に窮屈に感じて過ごすのか、前の世代が造り次の世代に残したもの、残そうとしているものを受け取り、そこに自身の思いや考えを加え生かすのか。

 

色々な刺激を感じたい方、単に面白い小説が読みたい方、いずれでも是非ご一読を。

少なくとも、文楽観劇に一度は行ってみようと思うこと間違いなしの一冊です。

 

後継者の学校では、後継者や後継者候補が、自身の心情に深く触れることのできるプログラムを用意しています。

 

ご興味のある方は、一度ご連絡下さい。

 

この話が少しでも何かのきっかけになれば幸いです。

 

後継者の学校は、後継者を経営者に育てるプログラムをご用意しています。

詳しくはホームページをご覧ください

 

後継者の学校
http://school-k.jp/
後継者の経営、後継者の勉強、後継者主導の事業承継を学びたいなら「後継者の学校」へ

 

気になる方は、ぜひ一度、後継者インタビューをお試しくださいね。

後継者インタビューお申し込みはこちらから
↓↓↓↓↓↓↓↓
http://school-k.jp/interview/

後継者はつらいよ ~涙の辛子レンコン編③~

後継者の学校のパートナーの児玉秀人です。

私はメーカーに勤めていたことがあります。営業のマネージャーだったころ、九州地区の販売網を構築しに毎月通っていたことがあります。その頃に出会ったある後継者の方のお話です。

 

後継者の学校のパートナーコンサルタントの児玉秀人です。

 

前回までのお話を整理すると、

 

社長は創業者の長男(3代目)

専務は次男

常務は3男

 

後継者候補のAさん(3代目の長男)

 

次期社長はだれになるのか?

 

社内でも皆が気にしていた・・・そんな状況で、 Aさんは部下からの突き上げを食らうのです。

 

社員の前で「私は皆さんと同じ一社員だから・・・」

 

と言えば言いうほどモヤモヤとしたものがこみ上げる・・・ お酒の席で愚痴り愚痴る

といった状況でした。

 

「親父もどうしたいのかはっきり言ってくれない」

そうこぼすAさんに今アドバイスするとしたら?

 

・あなたはどうしたいの?

・後継社長になるのだったら、今何をすべきだと思いますか?

・今後、会社をどうしていきたいですか?

・会社の現状は?

・株式の保有状況は?

・財務状況は?

・社長のセカンドキャリアはどうする?

・親族の皆さんへのポジションは?

・・・

・・・

 

こんなことを聞いてあげるのですが、

当時の私はただただ・・・うなずきながら聴くことしかできませんでした。

 

そんな時、突然、Aさんが感動し始めました!!

「児玉さん、そんなに共感してくれるなんて嬉しいよ。。。」

 

私「???」

 

Aさん「わかってくれるのは児玉さんだけだ!飲もう!!」

 

私「???」

 

 

突然スイッチが入ったAさんにほだされて、深酒をする出張の夜でした。

 

今更、言えるはずもないことですが

Aさんの話を聞いているとき

 

つい、

 

辛子レンコンを一口で食べてしまい

涙目でAさんの話を聞いていたということを・・・

 

別に共感して涙したわけではないけど、

Aさんにエールを送りたい夜だったことは覚えています。

 

 

・・・それから2年後

Aさんは常務取締役になりました。

後継社長は前専務の叔父さんが就任。

 

Aさんは次期社長です。

後継社長への道は続いていきます。

 

 

おわり

 

 

このエピソードに胸がざわついた

そんな後継者(経営者)の方! まずは

後継者インタビューを受けてみてはいかがですか?

無料で受けられて、気持ちがすっきりするとのお声をいただいております。 後継者インタビューについては下記から詳細をご覧ください。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

http://school-k.jp/interview/

 

 

 

「後継者と共に強い会社をつくるヒトとおカネの専門家」

児玉秀人でした。

 

メディカル、デンタルのサポートをしています。

「クリニックの財務が劇的によくなる秘密の方法」教えます。

 

財務状況を改善したら次はヒト。

「業績が30%向上する人事評価システム」教えます。

私が得意なのは以下です。

 

・人材採用・育成相談、人事評価システムの提供

・資金調達のための経営改善計画書の作成

・設備投資と事業計画に基づいた財務計画の策定

・Web戦略相談など