熊本地震に・・・

後継者の学校パートナー中小企業診断士の岡部眞明です。

また大きな地震が起きてしまいました。今度は、熊本県を中心とする活断層が動いたとのことです。今回の地震は、震源地域が熊本県や大分県ということで、それまで注目されていなかった地域でした。また、なんといっても、震度7や6、5といった大きな揺れが十数回も同じような地域を襲っていることがこれまでの地震とは大きく異なっています。

気象庁も想定外というほどで、地震の災害が進行しています。1回の地震で、建物が倒壊してしまうほどの揺れが何回も続いて襲うのですから、多くの家や建物の倒壊、山崩れの発生で住民の方々の心中は想像することすらできません。

被災地では、交通網が寸断され、混乱を避けるため県外からのボランティアを断っているとか。困難な状況のなか、被災された住民の方自らがボランティアとして炊き出しや救援物資の配布などを行っているそうです。

インタビューを受けたお年寄りは「食事は足りていますか?」の問いに、「若い人がつくってくれています。おにぎり一ついただきました。おにぎり一つでも本当にありがたいです。」と答える姿がありました。

終わりの見えない甚大な災害のなかで、自らの役割を理解して助け合い、感謝する姿に多くの災害を経験しながらも、富士と桜の美しい国土に暮らしてきた私たち日本人の誇りと強さを感じます。日本という国は、今回のような地震だけでなく、台風や暴風雨、大雪など毎年のように自然災害に見舞われてきました。昔は、飢饉などもあったと歴史は語っています。その都度、美しい四季の巡りを支えに、助け合って笑顔で潜り抜けるDNAが強く刻み込まれていると感じます。

小泉八雲は、日本人の微笑について、「自己を押し殺しても礼節を守ろうとする、ぎりぎりの表現なのである。」(「致知」2016.5)と言っています。しかし、その微笑の影にある苦しみも私たちは忘れてはならないことも心に刻みましょう。

今、被災のさなかに生活されている皆さんにできることは何もありません。でも、思いを共有する(もちろん、共有したいという願望でしかないことも理解しているつもりですが)ということだけでもと思っています。

アウシュビッツという果てしない絶望から生還したユダヤ人精神科医・人間学者・心理学者ヴィクトール・フランクルの言葉です。

「人間誰しも心の中にアウシュビッツを持っている。しかし、あなたが人生に絶望しても、人生はあなたに絶望していない。あなたを待っている誰かや何かがある限り、あなたは生き延びることができるし、自己実現できる。」(「致知」2015.12)

今回は、経営の話はできませんでした。お許しください。

でも、経営も礼節や感謝がなければ・・・。

 

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気になる方は、ぜひ一度、後継者インタビューをお試しくださいね。

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御社のそのマーク,登録されていますか?①

今回取り上げるテーマは商標です。

後継者が今後会社を経営し,自社のブランディングしていくという点からも,商標は必要な知識となるかもしれません。

そのような理由から,今回は,この商標について取り上げたいと思います。

 

後継者の学校パートナーで弁護士の佐藤祐介です。

今回のブログは,本のタイトルのようになってしまいましたが,取り上げるテーマは,商標です。

最近,仕事で商標を取り扱うことが多く,後継者の方も知識として知っていても損は無いと思い,記事に書いてみることにしました。そんな感じで,今回以降,何回かに分けて,この「商標」を扱っていきます。

 

商標と聞いて,言葉自体を聞いたことはある方は多いかもしれません。ただ,商標と聞いて,具体的にイメージできる方はあまり多くないと思います。

商標とは,ざっくり言うとマークやブランドです。そして,この商標は世の中に溢れています。

このブログと書いている私のパソコンの脇にはスマホが置いてありますが,そのスマホには「SONY」と書かれており,これも商標ですし,私が昨日飲んだ「アサヒスーパードライ」や今日外出の際に履いた「NIKE」のスニーカーに付いていたスウォッシュのロゴも商標です。

そして,この商標は,登録することにより,法的に保護されることになります。これが商標権です。

法的に保護されることによって,他社が,自分たちと同じ商標を使っていた場合,商標権侵害として,差し止めや損害賠償請求をすることが可能となります。

なお,この登録は特許庁に対して出願することになります。よく早口言葉で「東京特許許可局」というものがありますが,ここに出願する訳ではありません(そもそもこのような局もありません。)。

 

このように商標は登録することによって権利として保護されるのですが,なぜ,わざわざ登録する人が多いのでしょうか。それは商標にはいくつかの利点があるからなのですが・・・この先の話は次回ということにしたいと思います。

 

なお,後継者の学校では,今回私が書いた記事に限らず,広い視点から,後継者が事業承継をするにあたり不可欠な知識を分かりやすく学ぶことができます。

興味のある方は,お気軽にHPをご覧になったり,各パートナーにお声がけいただければと思います。

また,後継者の学校では,各パートナーが後継者となる又は今後なるかもしれない方々に,無償で「後継者インタビュー」というものを行っています。

(詳しくはhttp://school-k.jp/interview/ をご覧ください。)。

後継者の方々にとって「気づき」の場面となるとして,これまでに多くの方々から好評をいただきました。こちらも興味が湧いた方は,お気軽にインタビューをご検討ください。

後継者の学校に参加した後継者の生の声1 (不動産関係/後継経営者)

みなさんこんにちは

後継者の学校の代表の大川原です。

 

今回は、後継者の学校をみなさんにもっと知ってもらうために、

後継者の学校に参加していただいた後継者の生の声をインタビュー形式でお届けいたします。

 

今回の生の声は、東京校で受講していただいた不動産関係の後継経営者の方です。

 

インタビュアー:大川原基剛(後継者の学校 代表)

後継者の学校は、どんなところでしたか?

最初は先生が上段から構えてご指南いただける「学校」なのかと思っておりましたが、実際は、実力に合せて並走してくれるコーチや悩みを分かち合える同志がいる「学び舎」といった場所でしたね。

後継者の学校とは、どのように出会いましたか?

仕事上の知り合いから大川原さんをご紹介いただき、後継者インタビューを受けるところから始まりました。

後継者の学校へは、入る前は何を期待していましたか?また、実際に入ってみてどうでしたか?

正直言うと、あまり期待はしておりませんでした。「創業社長の後を継ぐ」という漠然としたものに対して、何らかの道筋ができたらいいなという程度です。 実際に入ってみたら、後継者が実際に直面した実例をもとに、どのように準備すべきか系統立てて理解でき、それによって少なからず経営に対して自信が持てました。これは期待以上の効果でした。

学校で出会った仲間とはどんな関係ですか?

良き相談相手ですね。私よりも年下が多いですが、私がからかわれてます(笑)。でもそんな冗談が言い合える関係ができたことはお金には代えられない財産です。卒業後もゴルフを共にしたりしてますよ。 とはいえ経営者としては先輩ですので学ぶべきところはしっかり学びあえる仲です。

後継者の学校では、どんなことを学びましたか?

徹底的に自己分析と自社分析を行う視点が大事なことを学びました。先代や従業員が見えないところで苦労してきたことを後継者は見落としがちで、ついつい見立てが甘くなる。だからこそよりシビアに見ることが大事だと学びました。

特によかった学びはなんですか?

やはり「契り結び」ですね。個別に従業員と話し合い、後継者としての自分への信任を得る言葉をもらうことで、こちら側にとっては非常に勇気が要る行為でした。でも学ばなければ行動できなかったことだと思います。

逆に難しかった学びはありますか?

個人的に、会計がこれから伸ばすべき分野なので歯ごたえありましたが、丁寧にご指導いただけました。これについてはさらに精進していきます。

運営やカリキュラムについて気になった点はありますか?

特にありません。カリキュラムは最初の授業で全体像を示していただいたことで体系的に理解できました。

後継者の学校に来る前と比べて、ご自身どう変わったと思いますか?

より客観的に自己分析ができるようになったと同時に、社員に対しての感謝の気持ちが増しました。

最後に、今後どのような経営者になっていきますか?

まずは50年100年と永続する会社を目指します。その為に自分自身が最優先に「得」をするのではなく、最優先に「徳」を持って社会に貢献できる経営者になります。

 

 

以上

このインタビュー内容は、当社HPにも掲載されておりますので、ご覧ください。

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以上を読んでいただいて、後継者の学校プログラムの内容について気になる方は、

まずは入門講座(無料)から参加してみてください。

 

入門講座案内:http://www.school-k-program.com/

直近のスケジュール

東京校入門講座:5月23日18時~19時半

大阪校入門講座:4月26日18時半~20時

 

プログラムの内容紹介はこちらのページから

後継者の学校プログラム

 

講座参加はちょっとなあ・・・という方は、

まず、後継者インタビューを受けてみてはいかがですか?

無料で受けられて、気持ちがすっきりするとのお声をいただいております。

後継者インタビューについては下記から詳細をご覧ください。

後継者インタビュー

 

 

株式会社後継者の学校

代表取締役 大川原基剛

歴史に学ぶ後継者経営 毛利元就のケース

私主に日本の歴史から後継者経営に学べる題材をとって、皆さんと一緒に後継者経営とは、を考えて参りたいと思います。

六回目は、「三本の矢」の訓戒で知られる、中国地方の覇者毛利元就に学ぶ、統治基盤のあり方です。矢は三本集まると確かに折れにくくなりますが、経営者は三人集まっても団結するとは限らない、そしてリスクに直面したときに統治基盤が弱いと、組織を危機に陥れる、ということです。

 

後継者の皆様

 

後継者の学校パートナーにして後継者の考古学者(笑)である、石橋治朗です。

 

私はこのブログを通じて、事業承継はどのようにすればうまくいくのか、後継者経営にはなにが大切なのだろうか、創業者経営とはなにが違ってくるのかについて、主として日本の歴史を題材にして皆さんと一緒に考えていきたいと思っております。

 

前回までは、東日本の戦国時代のボスキャラ、織田信長、武田信玄、上杉謙信を取り上げて参りました。

今回からは、少し西にも目を向けたいと思います。

 

そして戦国シリーズの第四回目にして西国編の第一回目は、戦国きっての知謀派である毛利元就を取り上げたいと思います。

 

毛利元就、真田昌幸、本多正信、黒田官兵衛…

戦国ゲームでの知謀派は、挙げていくときりがありません。

しかし、知謀だけで一介の国人(村の大きな庄屋さん)レベルから中国地方一帯の支配者となった、正真正銘にして王道中の王道の知謀派は、毛利元就をおいて他にいないでしょう。

 

猪突猛進タイプの武将であった陶晴賢を厳島におびき寄せて敗死させたことは有名ですが、敵方に謀略をしかけて人間関係をがたがたにさせたり、偽情報を流して自分に有利な状況を作り出すことに極めて長けていました。

しかし、毛利元就本人は本当に誠実な、人情に篤い人物だったようです。そうでなければ、謀略は成功しないのでしょう。

 

毛利元就で有名なエピソードは、なんといっても「三本の矢」として知られている、息子たちへの戒めですね。

 

毛利元就には、後継者候補として三人の息子がいました。

毛利隆元、吉川元春、小早川隆景です。

毛利隆元は温厚で篤実な常識人、吉川元春は猪突猛進型の猛将、小早川隆景は冷静沈着な知謀派と、それぞれ元就の違う側面を継いでいたようです。

 

能力は隆元よりも弟たちの元春、隆景が優れていたようですが、元就は「三子教訓状」で三人に伝えます。

宗家である隆元を中心として、他の二人は宗家を支えるように努めること。

隆元は他の二人に対して、寛容な親心をもって接すること。

 

元春と隆景は、有力な家臣の養子になっていましたが、決して毛利宗家を疎かにしないよう、また宗家である隆元は他の二人をいたわり、三本の矢のように三人で団結して毛利家をもり立てていくように説いています。吉川と小早川のそれぞれの「川」の字をとって、「毛利両川」と呼ばれていました。

 

伝承されている「三本の矢」とは、事実は異なっていたようですが、ニュアンスは似たようなものですね。

 

しかし、史実は元就の希望したとおりには進みませんでした。

 

 

まず、宗家の隆元が若くして急逝します。元就は後見人として実権を握っていたので、毛利家の勢力には影響しませんでしたが、長男が親よりも先に亡くなったため、事業承継はいったん頓挫してしまいます。

 

その後、毛利隆元の嫡子である輝元が毛利宗家の当主に就任します。

 

元就亡き後の輝元の時代は、織田信長との過酷な戦いに直面しますが、本能寺の変で救われるとともに、豊臣秀吉と同盟することで前回の上杉景勝と同様に、奉行を務めることになります。

 

ここまでは吉川元春と小早川隆景が協力し、毛利家をもり立てていたのでうまくいきましたが、吉川元春と小早川隆景が逝去することにより、家内が必ずしも一枚岩とは言えなくなります。

 

吉川家は元春の嫡男である広家が継ぎ、小早川家は豊臣秀吉の意向により秀吉の甥である秀秋が継ぎます。

すでにこの時点で、「毛利両川」体制はなかば崩壊します。

毛利宗家で有力なアドバイザーであった、外交担当の安国寺恵瓊と、吉川広家とは考え方が合わなかったようです。次第に、毛利宗家と両川のうち残った吉川家との間に、すきま風が吹くというか、ボタンの掛け違いが生じてきます。

 

このような微妙な状況で、まさに天下分け目の戦いである関ヶ原の合戦を迎えたのは、毛利家にとって運の悪いことでした。

 

外交担当の安国寺恵瓊は豊臣側に、軍事を担当していた吉川広家は徳川側につくことをそれぞれ主張して、物別れになります。

 

毛利宗家は安国寺恵瓊に従って西軍側の当主となりますが、吉川広家は徳川家康に裏で通じて、関ヶ原の戦いでは西軍方に参加せず傍観を決め込むことで、西軍の敗退の原因を作ります。

まさに、この一大事に至って、毛利宗家と吉川家はそれぞれ勝手にばらばらな行動を取ることになってしまいました。

 

吉川広家は徳川家康から恩賞を受け取りますが、毛利宗家は西軍側の当主になった責任を問われ、一〇カ国に及ぶ領土を家康から全て取り上げられます。皮肉にも、そのうち周防国と長門国(今の山口県)は吉川広家に与えられることになる領土でした。

 

吉川広家の嘆願もあり、その後毛利宗家は吉川広家に与えられる二カ国への減封にとどまりますが、いずれにしても一二〇万石から三七万石への大減封という処分を受けます。前回の上杉景勝と、ほぼ同じですね。

 

三人(三家)仲良く、という毛利元就の戒めは、それを直接聞かされた代まではうまく機能しましたが、その後は三家がばらばらになってしまい、毛利家の衰微する原因となりました。元就の戒めは、上杉とは違って「理念」までには至らなかったということですね。

しかし、毛利家も減封をきっかけとして家中が団結し、国力を増して幕末の討幕運動の中心を担うことになるのですが。

 

毛利の失敗から学べることは、物事の決断と実権はできるだけ集中しなければならない、ということでしょうか。兄弟同士が協力することは、毛利家の躍進の原動力となりましたが、いざリスクに直面したときに、吉川家は勝手な行動を取ることで毛利家を危機に陥れました。いわゆる「三本の矢」は、いざというときに組織を守る「統治基盤」として、有効に機能しなかったということですね。

 

後継者経営においても、兄弟でちからを合わせて会社を切り盛りするケースが少なくないと思いますが、仲の良さは別として、どちらが最終決定の責任を有しているか、については明確に決めておき、厳格に運用する必要があります。

 

 

ブログを読んで興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非後継者の学校の説明会にご参加下さい。

その前に、まず後継者インタビュー(無料)を受けてみて下さい。時間はそれほどかかりません。だいたい、30分~1時間ほどです。

事業承継に関する自身の悩みが整理され、すっきりすると好評です。お気軽にお問い合わせいただければと思います。

 

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後継者にまつわる小説あれこれ(その9)

司法書士の木村貴裕です。

小説は気軽に読めて、でも何か気づきを得たり、力がわいてくることってありますよね。

ほんの少しでも何か感じてもらえそうなものをこれから少しずつ紹介したいと思います。

後継者の学校パートナーブログですので、もちろん後継者や事業承継に関するものを。

 

後継者の学校パートナーで司法書士の木村貴裕です。

私は通勤時間をもっぱら読書にあてております。

地下鉄なので外の景色を眺めても面白くもなんともないという理由もありますが。

 

経営書ではなくあまり肩のこらない小説ばかりなのですが、結構事業承継にからむ話もあります。

後継者や後継者候補の方に何か少しでも感じてもらえるものがあればと思い、今まで読んだ中から、後継者や事業承継に関係するものを何冊か紹介します。

 

今回紹介するのは、

 

「仏果を得ず」三浦しをん 著(双葉社)

 

純粋に面白いので読んで欲しい小説で、ここで取り上げるのはどうかなぁと、ずっと悩んでいたのですが、まぁ四の五の言っててもしょうが無いので紹介します。

 

人形浄瑠璃・文楽の若き義太夫が主人公の物語です。

高校の修学旅行で文楽を観劇した主人公は、後に師匠となる老義太夫の語りに圧倒され、心奪われ、ついには一生をかけてやってみようと決意し、文楽の世界に飛び込みます。

 

義太夫の神髄を極めるため芸に打ち込む日々、そこに心乱す女性が現れたりして、という青春小説です。

 

後継者や事業承継に関係するものをということで続けておりますが、この話は今までとは少し違うと感じるかも知れません。

 

もちろん承継に関する話なのですが、自身の芸を極めるという、どちらかというと経営者というのではなく職人的なと読んだ方は感じるかも。

余りにも文楽に夢中で、純粋にその真髄を探る姿勢は、少し嫉妬すら覚えます。

 

「あぁ、こんなにも自分の好きなことにのめり込めたら幸せだろうなぁ」と感じる方も多いかもしれません。

 

主人公が「女殺油地獄(近松門左衛門作の人形浄瑠璃ですが、ものすごいタイトルですよね)」の登場人物である与兵衛の心情をくみ取ろうとするくだりで、「あらかじめ定めづけられた生への疑問」という言葉がでてきます。

 

生まれついた家により選択の余地が無くその人生が定められていることへの疑問。

 

主人公の仕事にのめり込む姿、世襲、この物語には後継者や後継者候補の心を刺激せずにはおかないものが多くあります。

 

ちなみに文楽の世界は、その家に生まれた者もいるが研修所出身者も多数いるとのこと。

 

自身の人生を単に窮屈に感じて過ごすのか、前の世代が造り次の世代に残したもの、残そうとしているものを受け取り、そこに自身の思いや考えを加え生かすのか。

 

色々な刺激を感じたい方、単に面白い小説が読みたい方、いずれでも是非ご一読を。

少なくとも、文楽観劇に一度は行ってみようと思うこと間違いなしの一冊です。

 

後継者の学校では、後継者や後継者候補が、自身の心情に深く触れることのできるプログラムを用意しています。

 

ご興味のある方は、一度ご連絡下さい。

 

この話が少しでも何かのきっかけになれば幸いです。

 

後継者の学校は、後継者を経営者に育てるプログラムをご用意しています。

詳しくはホームページをご覧ください

 

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事実と向き合う覚悟

セブン&アイHDの鈴木前会長の引退劇を見て感じること。後継者が現実と正面から向き合い覚悟を決める必要があるのと同じように、経営者もまた事実と向き合い覚悟を決める必要があります。

後継者の学校パートナーの知識茂雄です。

セブン&アイHDの鈴木前会長の突然の引退問題がメディアを賑わせています。

「老害だ。」

「潮時を見誤った。」

「晩節を汚した。」

事ここに至って、散々な言われようです。

どんなに優秀な経営者であっても、いずれ、必ず事業承継の問題に突き当ります。

そして、この問題が難しいのは、自ら向き合おうとした人にしかその問題は見えないということです。

目をそむけようと思えば、いくらでもそうすることができるのです。

「まだまだ自分でやれる。」

「今はまだその時期ではない。」

「時期がくれば自ずと誰かが台頭してくるだろう。」

そう考えているうちに、時間はどんどん過ぎていきます。

優秀であればあるほど、実績を残せば残すほど、将来、いや本来目の前にあるはずの問題に向き合う意識は希薄になっていくのかもしれません。

(鈴木前会長がそうだったのかどうかは知る由もありませんが。)

後継者には後継者としての、事業を引き継ぐものとしての覚悟が必要です。

それと同時に、もう一人の当事者である経営者もまた、後進に道をゆずる覚悟が必要です。

その覚悟には、”自らの経営スタイルをそのまま踏襲する後継者は存在しない”という事実と向き合う覚悟も含まれるはずです。

これは、たとえ親子であっても異なる人格と資質を持つ以上、厳然たる事実です。

そして、自らが実績を上げていればいるだけ、向き合いたくないはずの事実です。

それでも、そことしっかりと向き合い、覚悟を決めた経営者だけが次世代へのバトンをしっかりと渡せるのだと思います。

経営者のそうした覚悟は、後継者にもしっかりと伝わり、受け継ぐ覚悟を決める勇気となるでしょう。

そして、また、そんな後継者の姿を見て、経営者は最大限の支援をするでしょう。

理想論かもしれないけれど、本質だと思います。

「後継者の学校」では、事業承継の本質を捉えた学びを提供しています。

まずは、「後継者インタビュー」を受けてみませんか?今抱えている悩みを語るだけでもすっきりしますよ!

ご興味のある方は是非ホームページ(http://school-k.jp/)からお問い合わせください!

経営にとって、財務は血液みたいなもの

笠井さん後継者の学校パートナー 人・組織・風土づくりの専門家 笠井智美です。

事業承継では、つい事業をどうするかということに目がいきやすいのですが、財務面をしっかり押さえていないと経営者とは言えません。

よもや、お金のことは親父がなんとかしてくれてるはずだなんて思ってませんよね?

 

こんにちは。後継者の学校パートナー

人・組織・風土づくりの専門家 笠井智美です。

人や組織の成長プロセスをデザインして、

そこに集う人たちが自ら望む未来を実現するお手伝いをしています。

 

今回は経営の4つの要素の中の、財務のお話です。

 

財務と聞くと、ちょっと気後れする方や、

細かい勘定科目とかがよくわからないとか、

なんとなく苦手意識が出てくる方もおられるかもしれませんね。

 

でも、心配は無用です。

 

 

押さえておいてほしいのは、税務申告のための数字ではなく、

経営に必要な数字を見ることです。

 

 

では、経営にとって、財務っていったいなんなのでしょう?

 

どんなにいい商品やサービスを提供できても、

どんなに可能性のある新規事業を思いついても、

お金が無かったら、何もできません。

 

お金が無かったら、価値を提供し続けていくことなんてできないし、

社員を雇い続けることも、社員の生活を支え続けることもできません。

 

 

そんなことくらい、もう知ってます?(^^:)

 

そうですよね、きっと・・・・

 

頭では。

 

 

そう、“頭でだけ”知ってるんですよね。

 

実際には、多くの後継者さんから、こんな声を聴いています。

 

財務諸表を見たことがないとか、財務諸表の意味がわからないとか、

財務諸表の読み方がよくわからないとか、

細かい数字だけ追ってしまうとか・・・・・。

 

財務の本質がわかっていないと、

数字を経営に生かすことはできません。

 

 

経営にとって、財務とは血液みたいなもの。

 

例えばフィギュアスケートの羽生選手が、どんなに鍛えて、

素晴らしい身体を創り上げて、

素晴らしい技をもっていても、

血液の流れが滞っていたら、4回転ジャンプどころじゃありませんよね。

 

血液の流れが滞って、あちこち壊死が始まっているのに、

トリプリサルコウなんて、とても飛べませんよね。

無理して飛んだら、かえって大怪我をするかもしれませんよね。

 

この場合の血液が、企業経営においての「財務」だと考えてみて下さい。

 

 

もしも、お金のないときに売り上げを上げたら、

いったいどうなるでしょう?

 

仕入の費用や経費も増えて、出ていくお金も多くなります。

取引先からの代金だって、すぐに頂けるとは限りませんよね。

 

月末払いなどの、売掛金になるケースは珍しくありません。

 

売れれば売れるほど、キャッシュが無くなっていくかもしれません。

 

つまり、企業活動における、自社の財務の体質を知らなければ、

経営はできないということなのです。

 

なのに、なのに、

後継者さんの多くは、自分が手に入れる会社の財務体質を知らないで、

継いでから大変な目に合うケースが、とても多いです。

 

財務体質次第で、

どんなにいい新規事業のアイディアがあっても、

業務拡大のチャンスが来ても、

「GO!」の判断をしてはいけない時もあるのです。

 

経営判断は、会社の状態にあったものでなければ、

逆に命取りになります。

 

 

財務体質次第で、継いではいけない会社だって、

あるかもしれないのです。

 

マンガの北斗の拳の主人公・ケンシロウの超有名なセリフ、

「お前はもう死んでいる。」みたいな感じです。

 

後継者であるあなたがぼんやり待っていたら、

「すでに死んでいる会社」を受け取るような事態に

陥るかもしれないのです。

 

たしか以前のブログの中で、事業承継は

「生きた会社」を受け取ることだとお伝えしましたよね。

 

覚えてますか?(^^:)

 

財務体質によっては、

事業承継というより、企業再生になってしまうケースもあるのです。

 

 

どうですか?

 

 

想像しただけで、恐ろしくなっちゃいますよね。

 

財務は会社の血液です。

 

いずれあなたが手に入れる会社が、

まさに今、血を流しながら、

長距離マラソンをトップスピードで走っているとしたら?

 

一刻も早く出血を止めなければいけません。

 

とにかく、まずは会社の財務体質を把握しましょう。

 

 

大丈夫ですよ(^^:)

ここまで脅しておいて、放置したりしませんから。

 

 

後継者の学校で、手取り足取り?仲間と学んでいただけます。

 

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刑事弁護をやっていて感じること

弁護士業務の1つとして,刑事事件という分野があります。今回は,それを通して,日々の生活だけでなく,事業承継でも大切なことだと思いましたので,ブログの記事にしました。

後継者の学校パートナーで弁護士の佐藤祐介です。

今季,「99.9」というタイトルで,テレビドラマが放送されます。何でも刑事事件を専門的に取り扱う弁護士を題材にしているとか。私はあまりドラマを見ない派なのですが,これにはちょっと興味を惹かれています。

弁護士の仕事のジャンルは,おおまかに分けると,民事事件と刑事事件があり,この「99.9」は,後者,すなわち刑事事件にスポットを当てています。なお,民事事件は,お金を返して欲しいや離婚したいといったものであるのに対して,刑事事件は,犯罪を行ったとされる人をサポートするというものです。

 

さて,この刑事事件において,弁護士はどのような活動をするのかというと,必ずしも無罪を主張するというだけではありません。罪を犯したこと(例えば,駅で酔っ払って人を殴ってしまったり,万引きをしてしまったり,覚せい剤を使ってしまったり。)を前提に,刑罰を軽くして欲しいという主張をすることもあり,刑事事件においては,むしろこっちの方が多いです(いわゆる「情状弁護」といいます。)。

この情状弁護の具体的内容ですが,典型的な内容は,示談や証人の方にお願いをして裁判の際に証言台に立ってもらうことです。妻や親だけでなく,友人や就業先の上司等が罪を犯してしまった人の更生と社会復帰を信じて,全力で協力してくれるのです。そして,このような周囲の方々のサポートに触れ,罪を犯してしまった人は,初めて身近な方々の有り難さや優しさを実感する,といったことも珍しくありません。

 

このような業務を通じて感じることは,私もそうですが,普段身近にあるものの有り難さなどは,しっかり向き合う時間がなければ,なかなか感じにくいということです。

これは事業承継において,後継者の方が,自己や自社と向き合う際も同じではないかと思います。自己・自社がどんな立場でどんな環境にあるかを考えることは,事業承継をするか否かの意思決定をするにあたり大切なことですが,一朝一夕でできるものではありません。早すぎるということはありませんので,このような向きあう時間を意識的に作ると良いかと思います。

 

なお,後継者の学校では,後継者の方が自己や自社と向き合うためのお手伝いをさせていただいております。興味のある方は,お気軽にHPをご覧いただいたり,各パートナーにお声がけいただければと思います。

また,後継者の学校では,各パートナーが後継者となる又は今後なるかもしれない方々に,無償で「後継者インタビュー」というものを行っています。

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後継者の方々にとって「気づき」の場面となるとして,これまでに多くの方々から好評をいただきました。こちらも興味が湧いた方は,お気軽にインタビューをご検討ください。

オリンピック代表を逃した北島康介選手

後継者の学校パートナーの岡部眞明です。

現在、リオオリンピックの代表選考会がいろいろな競技で開催されています。

先日、オリンピック5大会連続出場の北島康介選手は100メートル平泳ぎ決勝に臨みました。準決勝では、派遣標準記録の59秒63を切る59秒62をマークして1位で決勝進出を果たしたので、世の中の期待は大きく膨らみました。しかしながら、結果は59秒93で、小関也朱篤選手(59秒66)に次ぐ、第2位。リオオリンピックへの切符を手にすることができませんでした。

レース直後のインタビューでの北島選手の発言です。「自分らしくないレースをしてしまった。他を気にせず、自分らしく行こうとしていたんだけれど、それができずに消極的になってしまった。緊張感を味方につけることができずに、力を発揮できなかったのは、自分以外のなにものでもない。」

私は、この言葉にスポーツの素晴らしさを感じました。

北島選手の昨年は、日本代表にもなれず。引退も考えたといいます。33歳という年齢や彼の輝かしい栄光を考えれば、誰しも納得する結論だったと思います。でも、「自分の人生をかける価値のあるところ(オリンピック)」に戻るために、現役の道を選んだのです。

「毎日、紙一枚を重ねていく努力が大切ですから」といって、風邪をひいたときでも1日しか練習を休まなかったそうです。

自分の限界まで追い込んだ厳しいトレーニングを何か月、何年も続けて、その結果が思い通りになるとは限らない。でも、良い結果を求めて自分のできる限りの努力を注いでいく。今回、北島選手には、思い通りの結果はもたらせられませんでした。(北島選手は、「インタビューの最後に、「200メートルがありますから、頑張ります!!」と言っていましたが、残念ながら現実的には無理な気がしています。」しかし、北島選手がレース直後のインタビューでの発言「力を発揮できなかったのは、自分以外のなにものでもない。」は、北島選手自身は、「負けていないこと」を証明しています。自分の積み上げた努力の大切さを理解し、その結果を謙虚に受け止める。北島選手自身は、レース結果をはるかにこえた、ひととして、何を感じていくべきかを、私たちに教えてくれています。

世界の第一線で戦うスポーツ選手の精神的なプレッシャーは、私には、もちろんわかりません。オリンピックのために、世界一になるために注いだ時間とエネルギー、涙や葛藤がどんなに大きくても、その結果を成果という形で保証してくれるものは何もない。喜びは分かち合えるけど、悲しみはすべて自分自身で受け止めるしかない。でも、周りの人と喜びを分かち合えることを目指して努力を積み重ねる。

こんなことが経験できるスポーツってすごいと思いませんか?

でも、これって、経営に似ています。従業員やその家族、お得意様、もちろん自分の家族も。みんなの幸せを求めて日々励んでいる仕事、うまくいけばいいけれど、もちろんそればかりじゃない。むしろ、うまくいかないことの方が多いくらいです。

それでも、「人生をかける価値のある場所」がそこにあるんです。

男子100メートル平泳ぎと同じ日に行われた、もう一つの決勝種目女子100メートルバタフライで優勝した池江離花子選手は、57秒71で1位となりオリンピック代表の切符をつかみました。それまで、日本記録連発の15歳は、レース後のインタビューで号泣、しばし言葉になりませんでした。飛ぶ鳥を落とす勢い少女が、戦っていたものすごいプレッシャーから、解放された瞬間でした。こんな、チャーミングな涙も用意してくれていました。

良い時も悪い時もすべて含んで自分が成り立ていることを、改めて実感させられた日でした。

「晴れてよし曇りてもよし富士の山」(山岡鉄舟)

ということで、納得しつつ酔いつぶれた夜でした。

後継者の学校は、日常からもヒントを見つけようとしています。

 

後継者の学校
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歴史に学ぶ後継者経営 上杉謙信のケース

私主に日本の歴史から後継者経営に学べる題材をとって、皆さんと一緒に後継者経営とは、を考えて参りたいと思います。五回目は、川中島の戦いで武田信玄と抗争を繰り広げた、上杉謙信の事業承継です。事業承継には理念が必要であり、理念は貫き通すことによって「価値」となり「ブランド」となるのです。

 

後継者の皆様

 

後継者の学校パートナーにして後継者の歴史評論家(笑)である、石橋治朗です。

 

私はこのブログを通じて、事業承継はどのようにすればうまくいくのか、後継者経営にはなにが大切なのだろうか、創業者経営とはなにが違ってくるのかについて、主として日本の歴史を題材にして皆さんと一緒に考えていきたいと思っております。

 

前回は、戦国時代の中心的な存在であったにもかかわらず、名家であった武田家を滅ぼすこととなった武田信玄を取り上げました。

 

そして戦国シリーズの第三回目は、その信玄と宿命の対決を繰り広げた、武闘派ボスキャラの一人である上杉謙信を取り上げたいと思います。

 

上杉謙信、島津義弘、真田信繁(幸村)

戦国ゲームでの武闘派ビッグスリーです。

特に「信長の野望」で謙信が騎馬隊を率いているときは要注意です。

中途半端な戦闘力のキャラクターが周りをうろうろしていると、謙信の騎馬隊から突撃を受けて戦死します。

バージョンによっては、突撃するときに青い稲妻が走るのですが、実際に謙信が率いる部隊からは青い光が立ち上っていたという伝説があるくらいです。馬上の謙信を見たら、逃げるにしかず。戦国ゲームでの大原則の一つです。

 

上杉謙信、別の名を長尾景虎といいます。関東管領という室町幕府における重要な役職を代々上杉家が務めていましたが、長尾景虎は請われて上杉家を相続しました。そのときに、上杉謙信へ改名したわけです。

もともとは、越後(今の新潟県)の守護代を務めていた長尾家の後継者でした。

 

越後、新潟県ですが、地図をご覧になっていただいて、新潟県の長さを指で測って東海道や九州で比べてみてください。

東海道ですと東京から名古屋近辺まで、九州だと縦の長さが新潟県の長さとほぼ同じです。実は、端から端まで330キロもあります。

要は、国が広いんですね。

 

広いので、なかなかまとまりません。信濃(長野県)も広いので統一した大名が現れず、武田信玄により征服されましたが、越後の長尾家も家中の争いでばらばらでした。

 

長尾景虎は父為景の四男として生まれますが、武田信玄と同じく為景から疎まれて、お寺に入れられます。もともと信仰心は篤い方でしたが、戦争ゲームに熱中しすぎてお寺から見放されます(笑)父為景が没した後で、兄の晴景とともに越後統一のために戦いますが、戦場にデビューした当初からあまりにも強すぎて、晴景と不仲になります。しかしながら、家臣団の推薦もあって晴景に替わって当主になり、22歳の時に越後を統一します。

 

越後の戦国大名となった景虎ですが、その後も重臣である北条高広に背かれたりと、家中はなかなかまとまりません。それに嫌気がさしたのか、27歳の時に隠居と出家を突然宣言して、高野山へと出発してしまいます。

 

慌てた家臣たちは景虎を追い、説得して連れ戻します。家臣の懇願もあって景虎は出家を思いとどまりましたが、そのときに自らの決意を家臣たちに宣言します。

 

領土を拡大するためではなく、「義」のために戦うこと

一族の争いを絶つために、女性との交わりを絶つこと

自分は毘沙門天(戦いの仏神)の生まれ変わりであること

 

それを聞いた家臣たちの反応はおそらく、「はぁ~…なんすかそれ?」だったことだろうと思います。武士の生き甲斐は命を懸けて領土を拡大することであり、子孫を残して家を継承していくことです。最後の戦争オタク宣言は百歩譲るにしても。まあ、若君の短気にはやった妄言だろうと、たかをくくって聞き流したことでしょう。

 

しかしながら、景虎は大まじめでした。基本的に、この人は言葉は悪いですが、クソ真面目で常に本気な人です。

信長にしろあるいは景虎にしろ、何かをなす人はクソ真面目で本気なのかもしれません。

 

武田信玄の回で申し上げましたとおり、信玄に領土を奪われた村上氏を助けて雪深い北信濃で10年にもわたって川中島の戦いを繰り広げ、関東では北条氏康から攻められた上杉氏を助けて、自らが養子になることで上杉家を復興し、あるいは信長によって追放された足利義昭のために京都を目指したりと、「義」のための戦いに明け暮れることとなります。

 

当然のことながら、家臣からはブーイングです。懇願して謙信に戻ってもらった手前、面と向かって言う家臣はおりませんでしたが、一銭にもならない戦いばかりしやがってと不満はたまります。

さほど景虎と戦う気のなかった武田信玄からは、迷惑顔で物好きな輩との陰口を叩かれる始末。

隔絶した戦闘力を持っていたので周りの大名からは畏怖されましたが、戦う割になんの成果もあげないので、当時は少々軽く見られていたようです。

 

戦いに明け暮れた挙げ句に、また出陣しようとしていた寒い日の朝、上杉謙信は脳溢血により倒れて帰らぬ人となりました。

戦う一生であったのに、得られた領土はほんのわずかでした。

全うしたのは、「義」と「不犯」だけです。

振り返ってみれば、なんとも空しい人生だったと、あるいは思われるかもしれません。

 

しかしながら、上杉謙信の真価はその死後に評価されることとなります。

 

相続争い(謙信は後継者を指定しなかったので)に勝って、謙信の後を継いだ上杉景勝は、本能寺の変による信長の死で九死に一生を得ます。

景勝は機敏に豊臣秀吉と同盟して、会津一二〇万石の当主となり、豊臣家における奉行の一人にまで出世します。

景勝の能力も秀吉から評価されておりましたが、それ以上に「上杉は謙信公以来、義を重んじる家であり、決して裏切らない」という声望が高まっていたからです。

 

どんな方法を使っても領土を拡大することに価値があった戦国時代から、世の中は大きく変わっていました。「義」を守る武士こそが真の武士であると、評価されるようになってきていたのです。

 

豊臣秀吉が亡くなり、その子である秀頼が幼少であったために、また戦乱の日が到来します。

豊臣との「義」を守るか、勢いのある徳川につくか、右往左往する大名のなかで、上杉家の姿勢はみじんも動きません。

 

かぶき者の前田慶次は、「武士をみたいなら上杉家に行け」と食客になります。

 

関ヶ原の戦いを経て、西軍側であった上杉家は敗者となり、徳川家による処分を受けることになります。

 

上杉景勝は重臣の直江兼続とともに謝罪のため上洛しますが、「真の武士」である上杉家の行列を見ようという観衆が絶えなかったそうです。

 

徳川家康も、敵対したとはいえ「義」を重んじる上杉家の方針は、これから平和な時代を作る上で欠かせない理念だと考えて、改易(家の断絶)せずに残すこととしました。

上杉謙信の「義」の理念は、敵からも評価されるほどに当時において重視される「価値」になっていたということですね。かの信玄も、死の床で後継者の勝頼に「自分の亡き後は景虎を頼れ」と言い残したと伝えられています。

 

しかし、敗者ですから一二〇万石から三〇万石まで減封されます。いわば売上が四分の一となったわけですから、家臣への給与は払えなくなります。「上杉家」の家来は武士の鑑、どこからも引く手あまたであり、再就職には困りません。上杉景勝は家臣たちに再就職を進めます。

 

しかし、家臣は一人も辞めませんでした。

上杉家の一員として、窮乏に耐える生活を選びます。

目の前の栄進よりも、謙信公の理念に殉じる方を選んだわけですね。

裏切りが続出してみじめに滅亡した前回の武田家とは、なんとも違うと思いませんか。

 

上杉謙信の掲げた「義」は、当初は全く理解されなかったものの、家臣たちと共有することで上杉家の「理念」になり、継続していくことで次第に「価値」として認められるようになり、さらに磨き上げていくことで「真の武士」という「ブランド」となりました。

 

後継者経営においても、創業者が遺そうとした価値や理念を発見し、それを継続し共有していくことで、お金では測ることのできない「価値」を遺せるようになるのではないでしょうか。

 

ブログを読んで興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非後継者の学校の説明会にご参加下さい。

その前に、まず後継者インタビュー(無料)を受けてみて下さい。時間はそれほどかかりません。だいたい、30分~1時間ほどです。

事業承継に関する自身の悩みが整理され、すっきりすると好評です。お気軽にお問い合わせいただければと思います。

 

後継者の学校

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